えっ!? 儂がそんな!?
「ホタルさん、どうかな? 一人で着替えられた?」
「お、おう……なんとか」
試着室の扉を開けて出て来たホタルを見て、服屋の女は心底残念だという溜息をついて首を左右に振った。
「サイズはぴったりだけど、着こなしが野暮の極みだよ! なんで、シャツを出しているのさ。ズボンの中に入れて、ウエストラインをはっきりさせる! 自分で入れな! そうそう! それで、シャツのボタンは……はずすっ!」
「ノーーーーー!!」
首元までしっかりと止めていたシャツのボタンを無慈悲に高速に三つはずされ、ホタルは悲鳴を上げた。
麗しい大胸筋が、フワ~オと仄かに見える。
「それでもって、ベストのボタンは全部止めて、これまたウエストラインを強調する。さて、今度はブーツを履くんだよ。裾は中につっこんで……そうそう。しっかりと紐を締める。うんっ、足のラインが綺麗に出たね。さあて、仕上げだよ。ここに座りな」
女が人差し指でくいくいと示す椅子に、ホタルは導かれるまま黙って腰掛けた。
(こういう状態になった女に逆らってもいいことなんぞ、なんもない……)
ということを知っているからだ。
「さあ、リュエル。爺さんの髪を整えてやりな」
「うんっ、おばさん」
リュエルはブラシと黒く細いシルクのリボンを手に、ホタルの後ろに立った。
「ちょっとだけじっとしていてね。自分の髪しか括ったことないから、上手くできるかわからないけど」
「上手にできとる。大丈夫じゃよ。もし、気に入らない出来になったら、何度でもやり直してくれてかまわんし」
「うん……いたっ」
「どうしたんじゃ?」
「あ……うん。指の傷の隙間に髪が入っちゃって」
傷という言葉に反応したホタルは、慌ててリュエルの手を取る。
紫の凜々しい瞳が労しげに細くなる。
リュエルの指の傷は、さっきの暴漢のせいでついたものと思い、ホタルは慌てた。
だが、違った。
水仕事で荒れていたのだ。
ぱっくりと開いた細く赤い傷が、愛らしい小さな手の細い指にいくつもある。
「ここに、髪が入ると痛いんだよねぇ」
「……働き者の手じゃ」
ホタルは、敬意を込めてゆっくりと撫でさする。
「ありがと。働かなくちゃ食べてけないから、しょーがないよね。はい、顔を前に向けて。今度は気をつけるから」
照れ隠しのように、リュエルはホタルの頭を両手で挟み込むと、強引に前を向かせた。
「じゃあ、始めるね……わ、ホタルさんの髪、すっごくサラサラしてて、気持ちいい。さわったことないけど、お姫様が着るような極上の絹糸の束って、こんな手触りなのかな……うわあ……ほんと、気持ちいい」
「そ、そうかのぅ? 気ぃつけて括っておくれ」
「うん」
シャッシャッと静かに髪を梳くブラシの音と、リュエルの指が髪を滑る感触に、ホタルの心身はまったりとした落ち着きを覚える。
(この世界ではハンドクリームのようなものはないのかの……あっても高価とか……? 貴族しか使えないとか……? なんとかしてやりたいのぅ……)
「はい、できた」
ホタルがリュエルの手を慮っている間の短い時間で、髪は整えられた。
「いい感じじゃないか。さあ、鏡で見てみなよ。立ち上がって、ほら」
立ち上がったホタルの前に、女は鏡を転がしてきた。
ホタルの長くまっすぐな髪は、頭頂の高い位置で一つにまとめられていた。
額の中心から分かれた長い前髪は、左右の耳の横に垂れている。
「おお……ポニーテール……サイドの髪が少し垂れているのが、タ○ロウ・ゲ○トの月っぽくて、良いのぅ……」
服もサイズがぴったりだった。
無理に纏ったピチピチ感はない。
躰のラインに適切に沿っていた。
胸元までボタンの外れた白い開襟シャツ。
がっちりとした胸元からシェイプされたウエストを彩る、柔らかく光沢のある黒いベスト。
ベージュに近いカーキ色のズボンの裾は、ベストと同じく柔らかな光沢を放つ黒いロングブーツの中に収まっている。
「おっと、シャツの袖は少しまくって、七分くらいにして、かっこいい腕をチラ見せした方がいいね。これでどうだい?」
「ステキ……やだぁ……儂、かっこいい……」
「自分で自分を見て、何言ってんだい」
「でも、ほんとにかっこいいよ、ホタルさん」
「リュエルさんが髪型をビシッとキメてくれたからじゃな。ありがとう」
「あたしの見立てもいからだよ」
「本当じゃ、ありがとう。なんとお礼を言ってよいやら……」
「んっふふ。さっき、あたしに考えがあるって言っただろ? 無料じゃないんだよね」
女の物言いに、ホタルは礼の言葉と共に下げていた頭を恐る恐る上げる。
「さて……これで準備は整った。服の代金をいただくとするよ。あんたの……」
女はニヤリと笑って言った。
「躰でね」
「ふっ…………ふぉぉぉぉぉぉ!?!?」