第八話 ワイヴァーンの沼地
「じゃ、簡単に私たちの仕事を説明するね。業務は簡単に分けて三つ。王族の警護、城の警備、そして訓練だ」
第二班に配属となった翌日、ライラはユリアンから近衛兵としての仕事の説明を受けていた。
場所は何故か東の森の入り口。他の班員たちも集められ、二人の様子を見るとはなしに見ている。
ユリアンが説明してくれる言葉を、ライラは必死にメモに取った。
真面目だなぁ、と笑われてしまったが、覚えの悪いライラにとってメモはとても重要で、頼みの綱のような存在なのだ。
ライラは自分の記憶力に自信がない。
ただでさえ出来が悪いのに、教えられたことも忘れてしまって、呆れられたらと思うと怖くてたまらないのだ。
そんなライラの様子に何かを察したのか、ユリアンはそれ以上、メモを取ることに対して何も言ってこなかった。
王族の警護、これが最も優先される仕事だという。第二班は主にカメリア姫の警護を担当し、日々の護衛や外出時の供につく。
ただし第二班だけが担当する訳ではないので、毎日つきっきり、という訳でもないようだ。
「まぁ、ライラは姫がわざわざ連れてきたようなものだし、頻繁にご指名がかかるかもしれないね」
「ちっ」
「フェアギス、舌打ちは止めて。不愉快」
城の警備、これも第二班は姫の部屋やその周辺を担当する。夜間の見回りがあるらしく、ライラは少し不安に思った。
だって夜の城だ。間違いなく、怖い。
「ねぇライラ、君はヴァルキュリアを倒したんだよ。ゴーストなんて目じゃないでしょう」
「馬鹿め、そういう問題ではないのじゃ! だいたいゴーストに攻撃がきくなら、妾だって夜中に一人でトイレに行けるわ! なぁ、シュネ?」
「マル、そこは頑張って一人で行けるようになろうよ……。シュネ、次から同行は断っていいからね」
「な、なにを言う、ユリアン!」
「甘やかしちゃ駄目だからね」
「……副班長。そういう訳なので、ごめんなさい」
「いやぁぁぁ!」
そして訓練。初日に中庭で見たあの光景は、第二班の訓練風景だったそうだ。
ライラから見ると、本気で殺し合っているように見えたが、素人目から見たせいだろう。そう思いたい。
攻撃の練習であのような模擬戦を行う他、基礎体力向上のために運動をしたり、時には座学を行うなど、訓練の模様は様々だそうだ。
そして本日の訓練場所は東の森。討伐を兼ねて対魔物の実戦訓練を行うという。
ライラは、森の入り口に連れてこられた意味がやっと分かった。
「王国に侵入したり近隣に現れた魔物は、通常は衛兵が対応するのだけれど、近衛兵も参加して討伐部隊が組まれることもある。第二班の場合は姫の警護が優先されるとはいえ、うちにはフェアギスがいるからね。強力な魔物が現れると結構応援を要請されるんだ」
フェアギスがいるから、とはどういう意味か分かりかねて、ふと本人に目をやる。
目が合った。どうやらあちらも、ライラの方を見ていたようだ。
次の瞬間、嫌そうな顔でそっぽをむかれ大きく舌打ちをされた。泣きたい。
「フェアギスが討伐で重宝される理由は、戦っている所を見れば分かるよ。今日は初日だし、ライラは私や班員の後ろについて来て。魔法は使えないみたいだから、援護は難しいかもしれないし、とにかく無理はしないこと。今日は実戦での動きに身体を慣らすのが目的だからね」
「待ってください。今、魔法が使えないと言いましたか?」
フェアギスの目が驚いたように見開かれる。そして、すぐに顔を顰めると詰問するような口調で畳みかけた。
「おい、貴様。魔法も使えない癖に、どうやってヴァルキュリアを倒したと言うんだ。まさか、姫を騙したのか!?」
「違いますっ、私は槍で戦ったんです」
「馬鹿を言うな。花守の槍で奴らに対抗できるものか」
「それが、ライラなら出来るみたいなんだ。僕は入団試験の報告書を見ただけなんだけど、あのデータが本当なら、肉弾戦のポテンシャルが凄まじいんだよ。正直、早くこの目で彼女が戦ってる所を見てみたい」
「班長、今日の訓練のメニューを座学から実践訓練に変更したのはそのためですか?」
「ユリアン悪い子じゃ。妾知ってる。そういうのを職権乱用というのじゃぞ」
「さぁ、皆行くよ! 今日の討伐対象はワイヴァーン。報告では小型から中型が大量発生しているらしい! 無駄口たたいてる暇はないよ。どんどんやってしまおうね!」
シュネ達の追及から逃れるように、ユリアンが森の奥へ飛んでいく。
その後を追いかけようとしたライラの腕をフェアギスが掴んだ。
「おい貴様、槍で戦うと言ったな」
「は、はい」
「いいか、花守の主力は魔法だ。出しゃばって邪魔をしたら承知しない。……少しばかり腕力が強いだけで調子に乗ると、次は死ぬぞ」
言い捨てて森の奥へ飛び去るフェアギスを、しばし唖然として見つめた。
そして慌ててその後を追う。見送っている場合ではないのだ。
他の班員は、既に飛び去ってしまった。
魔物がうじゃうじゃいる森の中に、一人で置いて行かれるなんて怖すぎる。
「置いて行かないでくださぁい」
「なっ、付いてくるな! 班長やシュネ達のところに行けばいいだろう」
「だって、もう遠くに行っちゃいましたよ」
「知るか。死ぬ気で探せ。私は貴様が嫌いだ!」
「うぅ、知ってますけど、そんな、はっきり言わなくてもぉ……」
「泣くな鬱陶しい! 泣いたら置いていくからなっ」
「ひぇっ! まだ、泣いてないです! セーフです、セーフ!!」
「うるさい!」
どれほど森を進んだことだろう。
ライラとフェアギスの目の前に、大きな沼地が現れる。
水面を何体ものワイヴァーンが飛び交っていた。
ワイヴァーン達は、別の個体の尻尾を噛もうと追いかけている。
しかしそれを怒るでもなく、むしろ皆が戯れるように飛び交っていた。
「何してるんでしょう」
「番を求めているのだろう。今は奴らの繁殖期だからな」
「つがい……? あの、でもあんな数のワイヴァーンどうします? 班長達を探しますか?」
「ふん。あの程度、私一人の火力で足りる」
貴様は隠れていろ、と告げたフェアギスは、沼地全体を見渡せる倒木の上に立ち両手を広げた。
唇が音もなく何かの旋律をなぞる。
不自然な波紋が沼全体に広がっていった。
風もないのに勿忘草色の髪がふわりと靡き、全身から幽かな青白い光が湧き上がる。
両手から、ゆらりゆらりと、陽炎が揺れる。
黄金色の瞳が、三日月の形に歪む。
「燃えろ」
その瞬間、突如沼地が燃え上がった。
巨大な青白い炎の柱が沼から空へ向かって伸び、ワイヴァーン達を焼き尽くす。
彼らは一瞬のうちに白い灰となって散り、炎の底に沈んでいく。
目の前の光景に、ライラは息も忘れて魅入った。
「凄いでしょう」
「ユリアン班長!」
「君、隙だらけだよ。真後ろに立っても気が付かないなんて」
「あ、すみません……」
「その辺はまた今度頑張ろうか。……フェアギスの火炎魔法は超高火力なんだ。ヴァルキュリアでさえも、一瞬で灰にしてしまう。普通の花守が何十人と束になり命をかけて灯す炎の何倍もの威力。あの子はそれを、ただ姫を守るためだけに磨いてきた」
腕を下ろしたフェアギスが、こちらを振り返る。
呆れたように笑い、口を閉じろとジェスチャーで告げてくる。
恥ずかしいことに、驚きのあまりライラはずっと口を開けっ放しでいたようだ。
「あの子は、槍が使えないんだ」
「え、」
「それが、どれほどの劣等感をあの子に与えたのか、私には分からない。槍は武器としてだけではなく、忠誠の象徴でもある。姫を守りたい気持ちは誰よりも強いのに、それが自分に欠けていると知った時の悔しさは想像もできない」
「……」
「まぁ、あの子にはそれを補って余りある魔力があって、悔しさをバネに誰にも真似できない、どえらい魔法を手に入れたんだけどね」
「すごいです、フェアギス先輩……」
本当に、すごいと思う。
ライラは、いつもウジウジ悩むだけだ。
いつも誰かの気に障らないか、足でまといにならないかに怯えて、謝ってばかり。
フェアギスのように劣等感に真正面から向き合う強さが、ライラには無い。
「あの子ね、姫がヴァルキュリアに襲われた日、自分が側で守れなかったことを責めてるんだ。お馬鹿でしょう。その場にいなかったのはフェアギスのせいじゃないのにね。君へのあたりが強いのは、自分への不甲斐なさの裏返しでもあるんだ。許してやって欲しい」
「許すなんて、そんな。それに私はフェアギス先輩のこと……」
その時、水面が大きくたわんだ。
沼に背を向けたフェアギスの後ろで巨大な影が立ち上がる。
ユリアンは血相を変えた。
「まずい! 逃げろフェアギスっ」
沼から現れたのは、黄土色の体表に緑色の藻がぬめりつく大きな魔物だ。
歪んだ口から出鱈目に並んだ牙がのぞき、節だった奇妙に長い脚が三対、ボコボコした不格好な胴から生えている。
その気味の悪い魔物がフェアギスに鉤爪を伸ばす。
反射的に火炎を放ったものの、ヌメヌメした体表に遮られ途中で掻き消されてしまう。
フェアギスが魔物の長い脚に絡めとられる。
「ワイヴァーンの幼生だ! 不味いぞ。奴らは水生で炎がほとんど効かないっ」
「あ、ど、どうしたら……」
「私の魔法で吹き飛ばす!……どあぁっ、駄目だ! フェアギスが巻き込まれるっ」
「あっぶな!」
ユリアンは、魔物に向かって突き出した左腕を慌ててそらした。
黒い光が視界を斜めに走り、その先の木々が赤黒い煙に包まれて――霧散した。
やたらと邪悪な色合いをしているが、どういう魔法なのだろう。とりあえず、あれがフェアギスに当たらなくて本当に良かった。
しかし、そうしている間にもフェアギスは沼の中に引きずり込まれていく。
ライラは、思わず飛び出した。
フェアギスは魔物の腕に立て続けに魔法を放っているが、どれも不完全な発動となり、大きなダメージを与えられていない。
じきに水中に完全に引きずり込まれるだろう。
そして、為す術もなく引き裂かれて、貪られる……。
そんなのは嫌だ。そんなところ、見たくない。
ライラを嫌いと言いながら、結局置き去りにはしなかった。
陰口も、陰湿な意地悪もしない。真正面から正々堂々と向かってくる潔さも、ライラは嫌いではなかった。
あの息を呑むほど美しい炎の魔法を、もう一度見たい。
もっともっと、一緒に色々な話をしてみたい。
だから魔物なんかに奪われる訳にはいかないのだ。
「フェアギス先輩を、放せっ!!」
まずフェアギスに絡まる醜い脚を断ち切る。
魔物の疎らに生えた牙の隙間から、黄色い涎と悲鳴が漏れた。
解放されたフェアギスの身体を左腕で抱えて飛び上がり、追いすがるように伸びてきた鉤爪を吹き飛ばす。
金属質な悲鳴が森中に響いた。
岸辺へ向かうライラ達を諦め悪く追いかけようと魔物が蠢く。
ライラの腕が振りきられた。
次の瞬間、魔物の頭部が弾け飛ぶ。
緑褐色の粘ついた体液を撒き散らし、残骸は沼の底に沈んでいった。
「フェアギス、無事かい!?」
「……はい」
「あー、良かった、本当に良かった! ありがとうライラ!」
「ま、間に合ったぁ!!」
岸辺に降りたった二人に、ユリアンが駆け寄ってくる。
魔物の爪による多少の傷はあるものの、大きな怪我はない。
あれほど大型のワイヴァーンに捕らえられてこの程度の負傷で済んだのは、幸運としか言いようがない。
安堵からその場に倒れ込んだライラに、フェアギスが仏頂面で尋ねる。
「おい貴様、何故私を助けた。私はさんざん、貴様を嫌いだと言ったのに」
「でも、私はフェアギス先輩のこと嫌いじゃないですし」
「なっ」
「というか、なんだか好きになりかけてます。へへ」
「何故だっ、意味が分からん!」
「おおぉ、意外と大胆だね、ライラ」
「茶化さないでください班長!!」
その後、マルガレーテとシュネが合流し、妙に顔の赤いフェアギスに何があったのかしつこく追及するのだが、その辺りは割愛する。
その日の訓練は森の入り口で解散。
密度の濃い一日に疲れを感じ、早く寝てしまおうと自室へ急ぐライラをフェアギスが呼び止めた。
しかし引き留めただけで、なかなか口を開こうとしない。
ライラは恐るおそる、要件を尋ねようとした。
「あ、あの」
「…………撤回する」
「え?」
「仲間とは認めないと、お前の名を呼ぶつもりがないと言ったことだ」
「なんで……」
「私は、戦いでは魔法が主力だと言った。しかし実際のところ魔法は弱点が多い。距離や環境で無効化されることだってある。……私はそれを分かっていながら、お前を蔑ろにした。……私が間違っていた」
本当にすまないと、深く頭が下げられる。
ライラは、丁寧に曲げられた腰と、真っすぐ伸びた背筋に見惚れた。
なんて強いんだろう。
この潔く美しい妖精を助けられたことに、ライラはあらためて喜びが込み上げてくる。
顔をあげたフェアギスが、何だ変な顔だな、と呟いた。
心外だ。これでも感動しているのだ。
そう反論しようと口を開きかけるが、不意に真剣な目を向けられた。
「お前は強い。一緒に戦ってほしい」
「っ! はいっ、フェアギス先輩!」
「あと先輩は止めろ! 敬語も!」
「何でですか、じゃなかった。なんで!?」
「……むず痒いからだ」
「えぇ?」
「そ、それから、あの日姫を救ってくれたこと、礼を言う。今日、私を助けてくれたことも……、その、ありがとう、……ライラ」
「フェアギス!!」
あのフェアギスから名前を呼ばれた! 嬉しくて思わず本人の胸に飛び込むと、普通に避けられてしまった。
あえなく地面に落下したライラへ、フェアギスが高らかに宣言する。
「だが忘れるな! 姫を守るのは、この私だ。絶対に負けないからな!」