第四話 旅立ち
夢を見ていた。
轟音、馬の嘶き、誰かが叫ぶ声。
不気味に踊る赤と黒の影が、壁に映っては流れていった。
耳を塞いで、目を閉じて、ただ嵐が過ぎるのを待つ。
そうしてどれほど経ったことだろう。いつのまにか、誰かの腕に抱かれていた。
柔らかくて、いい匂いのする優しい腕の中。
心地よい子守歌、揺れる揺りかご。
虹色にはためく、絹のカーテン。
――眠って、私の可愛い■■■
「ねぇ、起きて。私の騎士さま」
耳元で囁かれた、やけに艶めいた声にライラは一気に覚醒する。
「はっ、私、どうして……」
「あぁ! やっと起きてくれた!」
「うわぁ!」
胸の中に突然何かが飛び込んできて、思わず声をあげた。
見下ろすと、眩い黄金色の髪がふわふわと揺れている。
見知らぬ場所で、名も知らぬ美少女(現時点では髪しか見えないが、絶対に美少女だ。そんな髪質をしている)に抱き着かれている。
混乱するばかりで、周囲を見渡すと、扉の近くに水色の髪の、長身の近衛兵が立っていた。
助けを求める視線を送るが、思いっきり顔を顰められた。
小心者のライラは、それだけで委縮してしまう。
(うぅ……なんだか、あの人怒ってる? 何かしちゃったのかな……)
「ねぇ、貴女。お名前を教えてよ?」
ずい、と顔を寄せられ、身体が硬直する。
やはり美少女だった。しかも凄まじく可愛い。
陶器のように白く滑らかな肌に、宝石のような青い瞳が輝いていた。
黄金色の髪は豊かに波打ち、羽はオーロラ色に艶めいている。
そしてライラは、その顔が見覚えのあるものだと気づいた。
「ひ、姫さま?」
「嫌だわ、カメリアと呼んでちょうだい。ねぇ、お名前を教えてってば」
「は、はい、私はライラと申しますっ! しがない半人前の労働階級です!!」
「ライラっていうのね。素敵」
「ひっ!」
カメリア姫が、耳元で名前を囁く。
思わず情けない声が出て固まるライラ。
「ふふ。ねぇライラ。……私、貴女のことが欲しいわ」
「――っ!」
「姫っ!!」
扉の前の近衛兵から、鋭い声が飛ぶ。
お戯れが過ぎますと息巻き、そして、ライラを音がしそうなほどきつく睨みつけた。
「貴様もしっかりしろ、この軟弱者が!」
「すいませんっ」
「やぁね、フェアギスったら頭が固いんだから」
でも貴女が欲しいというのは本当よ。と、カメリア姫は微笑む。
「貴女に、近衛兵として私の傍にいて欲しいの」
「へ?」
「間抜けな声を出すな。姫がお望みだ。嫌だとは言わせん」
「もう、フェアギスったら。なに威嚇しているのよ。そもそも、ライラが嫌だなんて言うはずないわ。そうでしょう?」
「あ、はい……いやっ、そのぉ……はい……」
「ふん、愚図が。正式な知らせはおって出す」
「じゃあね、ライラ、また会いましょう」
カメリア姫はご機嫌に手を振って部屋を出ていく。彼女の護衛もその後に続いていった。
部屋に一人残されたライラは、ばたり、と寝台に倒れこむ。
何が起きているのか、全く分からなかった。
ただ、ぼんやりと天井を見上げる。
どれだけそうしていただろう。廊下からあわただしい足音が響いた。
「ライラ!」
シックザールが、息を切らして部屋に飛び込んできた。
そして彼女の肩を掴み、顔をのぞき込んで勢いよく尋ねる。
「無事か? 怪我はないか!? 倒れて城に運び込まれたって聞いて、本当に心臓が止まるかと思った」
「シック……」
「どうしたライラ、どこか痛いのか?」
「シック、あのね」
「どうした。ゆっくりでいいぞ。」
シックザールの手が、労わるように背中を撫でた。
普段飄々としている彼が、額に汗を滲ませている。
余程急いて駆けつけてくれたのだろう。
そんな彼を見ていると、不意に喉の奥が締められる感じがした。
言葉がうまく出てこない。
ぶわり、と視界が滲む。
「ごめん、なさい……」
「何だよ、謝るなよ」
「だって、リーリエが……」
「あぁ、聞いている。だから無理して喋らなくていい」
「あ、ごめ……っ」
「ライラ……もういい、泣けよ。泣いちまえ」
「う、うぁ……、リーリエっ」
獣が吠えるように、ライラは泣いた。
言葉にならなかったから、喉が潰れるほどに喚いた。
この世でもう一人、自分と同じく傷ついている友人の胸に縋り付いていなければ、真っ逆さまに落ちてしまいそうな、そんな声で。
「私、リーリエのことが、本当に大好きだった」
気持ちのいい風が吹く丘の上に、二つの影が並んでいる。
足元には白いユリが捧げられていた。
「俺もだよ」
シックは蜂蜜酒の封を開けて中身を少しだけ地面にこぼしてから、瓶を花束の隣に置いた。
「私ね、あの日槍を出せたの」
「らしいな。火事場の馬鹿力ってやつか」
「うん。訓練であれだけ苦労しても出なかった癖に。出るならもっと早くしろよって何度も思った。遅いのよ」
「人生そう、思った通りにはいかねぇよ」
「シック、じじくさい」
「うっせぇ!」
「私、あれからずっと不思議だった。リーリエは槍で戦ったから死んじゃった。なのに、どうして私は生きているんだろうって……」
「おい、ライラ」
「違うの。確かに、もっと早く戦っていたらって後悔はしてる。……リーリエじゃなくて私だったら良かったのに、って思ったこともある」
「ライラっ!」
「大丈夫だよ、シック。……私思ったの。私が助かったのは、リーリエが守ってくれたからじゃないかって」
ライラは手のひらを差し出した。
そこには、淡く金色に光る欠片が二つ乗っている。
シックは促されるまま、そのうちの一つを手に取った。
「リーリエの槍の欠片。本体は砕けてしまったのだけど、欠片が服の隙間に入っていて」
「綺麗だな」
「うん。……その欠片がリーリエに代わってシックを守ってくれれば、って願っているの。だから、必ず持っていてね」
「あぁ。その代わり、お前もちゃんと持っておけよ」
「うん。……ねぇ、シック。……死なないでね」
「馬鹿。こっちのセリフだ」
「……リーリエ言ってた。姫を守れ、次の心臓を守れって。きっと私達の未来を守れ、ってことだと思うの」
旅立つ前夜、リーリエは近衛兵になる理由を教えてくれた。
彼女は街のみんなや、シック、そしてライラの為に王国を守りたいと言ったのだ。
「だから、私行ってくる」
見下ろせば、丘のふもとに近衛兵たちが並んでいる。城からライラを迎えに来たのだ。
ライラは、彼らのもとに歩いていく。
不思議なことに、不安や緊張は無かった。
それは、彼女の手の中に、リーリエの欠片がしっかり握られていたからかもしれない。
丘の上でユリの花が揺れている。
甘く優しい香りをはらんだ風が、ライラの髪を撫でていた。