番外編 鍍金の王子12
飛びかかる影に、反射的に袖を振りかざした。
衣の袖に仕込んだ防壁の加護が発動し、人影の手を弾く。
きん、と金属同士がぶつかるような高い音がして、そちらを見やれば、短剣が床に転がっていた。
ついに、なりふり構っていられなくなってきたということか。
堂々とこの部屋に暗殺者を送り込んでくるとは。
確かに女王が前夜祭のパレードで城を空けている今夜であれば、彼女の監視の魔法も弱くなる。
敵が城の内部の事情に精通していることに嫌な予感を覚えつつ、僕は腕の双子鈴を鳴らした。
暗殺者はいつの間にか立ち上がっており、僕の周囲に張り巡らされた防壁を見つめている。
そして、徐に懐から歪な形の手袋を取り出すと、再び飛びかかってきた。
迫りくる両手が、防壁の光を切り裂く。
寸前で身を翻し、なんとかその手から逃れて唖然とした。
防壁が跡形もなく消え去っている。
僕は、暗殺者がはめている手袋の正体に気が付き血の気が引いた。
古い書物でしか見たことがないが、あれは恐らく“加護殺し”だ。
触れた対象に付与された加護の呪いを破壊する代物で、遠い昔、妖精でも魔物でもない生き物だ造り出した道具だと言われている。
まさか、そんなものを持ち出してくるとは。
そもそも、現存するかも疑わしい道具だっただけに、完全に想定外だ。
これでも、敵の正体が掴めないなりに、出来る限りの備えをしてきたつもりだった。
衣服や部屋のあちこちに仕掛けた守護の呪い、目眩ましの仕掛け、幻惑魔法、拘束魔法、その他……。
しかし、そのほとんどが加護の魔法で編んだもの。
果たしてどれだけ通用するか……。
ふらり、と陽炎のような動きでこちらに向かってくる暗殺者に、ありったけの煙玉を投げつけた。
この煙玉は、投げつけられた対象の視界を奪う魔道具だ。
幻惑魔法の一種を使っている為、使用者の視界に影響はなく、煙幕が効いている間に逃走したり、反撃できる優れものである。
優れもののはずだったのだが……。
暗殺者が周囲の空気を掻くように腕を振った途端、辺りに充満していた魔法の煙幕が瞬く間に薄れ、消えていく。
予想していたよりも悪い光景に、背中を冷たい汗が伝う。
本当にあらゆる加護を打ち消してしまうようだ。
あの煙玉は、実は各々で異なる加護を組み合わせている。
ライラから、彼女の上司であるユリアスの万能魔法の話を聞き、自分の加護魔法にも応用できないかと、互いの弱点を補う組み合わせを探し、実験的に作成したものだ。
今自分の使える魔法を、思いつく限り使用したのだが、そんな事情を嘲笑うかのように、加護殺しはあっけなく煙玉を無効化してしまった。
唯一の救いは、加護を破壊するまでに多少なりとも時間を必要とする、ということか。
となれば、物量戦でいくしかない。
加護殺しが破壊するよりも速く、大量の仕掛けを発動させる。
上手くいけば加護殺しをすり抜けて、魔法が暗殺者に届くかもしれないし、そうでなくとも時間を稼ぐことは出来る。
作戦ともいえない安易な作戦だが、この際なりふり構っていられない。
双子鈴はすでに鳴らした。
きっと今、ライラが向かって来ているはずだ。
僕はそれまで、何としても生き延びなければならない。
せわしなく鳴る自分の鼓動を聞きながら、必死に呼吸を落ち着かせる。
そして、体内を巡る魔脈を開放していく。
全身から淡い金色の魔力が放出し、それと共鳴するように部屋全体がかたかたと震えだす。
異変に気付いた暗殺者が身構えた瞬間、僕は部屋中の加護を一気に発動させた。
「――――!!」
部屋が眩い金の光で溢れかえる。
暗殺者が声にならない叫び声をあげた。
幾重にも連なる加護の魔法が津波のように、暗殺者に襲い掛かる。
僕は魔力の放出量をさらに引き上げた。
第二波、第三波と、間髪を入れずにまじないを叩きつける。
金の光の奔流の中で、暗殺者が膝をつくのが見えた。
「やった……」
思わずそう声をあげた瞬間、灰色の暗殺者が強く床を蹴り上げた。
そして宙に高く跳ね上がると、こちらから放たれる魔法の波を飛び越えるように踊りかかってくる。
僕は逃げる間もなく肩から床に押さえ込まれた。
衝撃に息が詰まり、魔力の放出が止まる。
暗殺者の手が首に伸びてくる。
強く絞めあげられ、手を引き剥がそうと暴れて爪を立てるも、びくともしない。
――死ねないっ
ライラは来てくれる。
必ず来る。
だから僕は、生きて彼女を待たねばならない。
僕は暗殺者に気付かれないように最後の加護を発動させた。
「――っ!!」
心臓に火箸を刺し込まれるような激痛が走る。
身体が勝手に激しく反りかえる。
真っ白に飛んでいく意識の中で、ライラが廊下の奥から駆けてくる音が聞こえた気がした。