第三話 槍の乙女
惨たらしい光景だった。
近衛兵も、駆け付けた採集係の花守達も、次々と引き裂かれていく。
花守の金の槍はヴァルキュリアの鎧を貫くことができず、粉々に砕け散っていった。
ライラを遠回しに褒めてくれた先輩が、ヴァルキュリアの振るった右腕で真っ二つにされる。
気が付くと、周りに残っているのは、ライラとリーリエ、そして姫君だけになっていた。
今ヴァルキュリアは、その脚に最期の力でしがみついている近衛兵の背骨を踏み砕いている。
声にならない声で叫ぶ花守から、思わず目をそらした。
その一方で、頭の隅が妙に冷えていた。あの近衛兵が死んだら、次はこちらに来る。
ライラは思わずリーリエを見た。
彼女は満身創痍の傷だらけだったが、いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべている。
「大丈夫よライラ。反撃しましょう、二人で」
耳を貸してと言われ、リーリエに囁かれた作戦に、初めは戸惑った。
「でも、私なんか、そんなこと」
「いやだわライラ。この作戦は、あなたにしか出来ないのよ?」
「私、しか」
「さぁ、行きましょう」
リーリエと共に、ヴァルキュリアに向かって駆ける。
図体が大きくおどおどした態度の為、ライラは鈍くさいウスノロと思われがちだが、実は瞬発力や反射神経が非常に優れている。彼女は、身体能力だけはずば抜けているのだ。
その為、こちらに向かって振るわれるヴァルキュリアの拳を易々と避けることが出来た。
そして、魔物の頑丈な脚を掴み、思い切り引き上げる。
体勢を崩し倒れこむヴァルキュリアに、空から金の槍が降る。
「キヤアァアあぁぁぁァアアア!!」
耳をつんざくような甲高い悲鳴が響いた。
ヴァルキュリアの鎧の僅かな隙間に、金の槍が刺さり、地面に縫い留めたのだ。
「やったよ、リーリエ! リーリエ!?」
「はぁ、はっ、」
リーリエは、体中から血が溢れ、苦しそうに身もだえていた。
駆け寄ると震える手を伸ばされ、慌てて両手で握りしめた。
「あ、槍を使ったから……!」
「お、ねがい、姫を……」
ライラは、ただ流れていくリーリエの血の色で頭が埋め尽くされ、何も考えられない。
リーリエは彼女の肩越しに、ヴァルキュリアが槍を引き抜き、起き上がろうとしている光景を見た。
「ライラ、聞いて……!」
「死なないで、死んじゃいやっ」
「聞きなさい!!」
「!!」
ライラは、リーリエが怒鳴るのを初めて聞いた。
リーリエが叫んでいる。あの優しいリーリエが、鬼のような形相で、口から溢れる血を散らしながら。
「行くのよライラっ、……行けっ!! 姫を、次の女王陛下となるあの方を、次の心臓を守って!!」
リーリエの緑色の瞳が燃えている。
ライラは弾かれるように駆け出した。
血だまりの中で、リーリエは霞んでいく視界に、遠ざかる背中を見つめて微笑む。
「あぁライラ大好きよ……。私、死んだりしないわ。だって花守は、王国で一つの命だもの。ライラ、私たちの、未来を守って……」
ヴァルキュリアは、腹に刺さっていた槍を投げ捨てた。
そして、怯えて後ずさる美しい花守へその視線を向けた。
一歩足を踏み出す。
ヴァルキュリアの鋼のような翅がヴィィンと震える。
その時、背後から風を切るように影が飛び出した。
「でえぇいやああ!!」
勇ましい声と共に、槍が振り下ろされる。
ライラが、投げ捨てられたリーリエの槍を手にヴァルキュリアと対峙する。
目の前の魔物は、リーリエに刺された腹部から出血しているものの、足取りはしっかりしている。
ライラは、苛立ちと悲しみを強く感じた。恐怖はきっと麻痺していた。
何故、リーリエが死なねばならないのか。
目の前で、のうのうと歩いている醜い魔物のせいだ。
先輩達も近衛兵も必死で戦って死んでいったのに、この化け物は何事もなかったかのように生きている。
そんなこと、許せないではないか。
ライラは、狂ったように槍を振り下ろした。
先輩を引き裂いた右腕に一撃を。
近衛兵を踏み砕いた左脚にもう一撃。
リーリエが命がけで狙った腹部にさらに一撃。
だが、ヴァルキュリアの硬い鎧に阻まれ、刃は通らない。
ついに、悲しく澄んだ音を立てて槍は砕け散り、ライラはヴァルキュリアの腕の一振りで吹き飛ばされてしまった。
身体を強く叩きつけられ、息が止まり、意識が遠のく。
勝ち誇ったようなヴァルキュリアの羽音だけが頭の中に反響する。
ヴヴヴヴイィィィン。ヴヴヴイイィィィン。
――――戦え
頭の中が真っ白になっていく。
体中の細胞が震えている。
巡る血から、何かが外に出たいと暴れている。
ライラの右腕が、宙をまさぐった。
初めからどうすればいいのか知っていた。ただ不意に思い出したのだ。
手の中に滑らかな柄の感触があった。微かに脈動する。
それはまさに自分の身体の一部だった。
ライラの羽が、暴力的な音を立てて震える。
――――戦え
頭の中で、誰かが叫んでいる。
身体が燃えるように熱い。
もうライラには、目の前の敵のことしか見えなかった。
カメリアは、迫る魔物を前に、恐怖で身動きも出来ないでいた。
供についていた兵も、皆殺されてしまった。
絶望から、視線を足元に落とすことしかできない。
魔物を直視できない。
もうすぐそこに、ヴァルキュリアがくる。足音がする。
その時、奇妙な音が混じった。
何かが潰れるような音だ。
恐るおそる顔をあげると、目の前で、ヴァルキュリアが宙にぶら下がっている。
よく見ると、背中から胸まで一本の槍が貫いていた。
まるで心臓の真ん中に、吸い込まれるように。
やがて、どさりと重みを感じさせる音を立て、亡骸が地面に落ちる。
そうしてヴァルキュリアの背後から現れたのは、見たこともない武装の妖精だった。
黒く艶やかな槍を持ち、羽毛のような薄布のような宵闇色の鎧が、身体の線に沿って流れるように覆っている。
美しく勇ましい、物語の騎士がそこにいた。
騎士はカメリエの前に跪く。
「あぁ、良かった。姫さまはご無事だ……」
そう呟いて、騎士は力尽きたように意識を失った。