番外編 鍍金の王子5
「――痛っ!」
焼けつくように痛む左腕を抑えながら、扉を慌てて開ける。
勢いがつき過ぎて、足がもつれて床に倒れ込む。
傷口が身体の下敷きになり、痛みが脳天から全身に突き抜けた。
痺れるような痛みに呻きながら、小部屋から離れようと床を這いつくばる。
ギチギチと不気味な音が、背後から響く。
振り返ると、小部屋の入り口から魔物が顔を覗かせていた。
上半身が若い女、下半身が虫の怪物――エンプーサ。
エンプーサは凶暴だが知能が低く、生け捕りにしやすい為、贄によく送られてくる魔物だ。
しかし、動いている所を見たのは初めてだった。
いつもは抵抗できないように半死半生の上、拘束の魔法がかけられているからだ。
そして、今日も当然そうであろうと小部屋の隅に蹲るエンプーサに近寄ったところ、突然襲い掛かってきて今に至る。
魔物が部屋から這い出てくる。
恐怖のあまり、格子の向こうの廊下へ助けを求めて叫んだ。
しかし、すぐに気付く。
誰も来るはずがないのだ。
今日は贄の日で人払いがされている。
ただでさえ普段から忌避される区画だ。都合よく誰かが通りかかるなんて考えられない。
エンプーサが、ギチギチと歯噛みしながら近づいてくる。
少しでも距離を取ろうと後ろに下がれば、背中に壁が当たった。
逃げ場がないことを突きつけられ、冷や汗が流れる。
どうする。どうすればいい。
鼓動の音がいやに響く。
歯の根が合わない。視界が滲む……。
すると、真っ白になった頭の中で、口汚い喚き声がした。
ふざけるな……ふざけるな!
こんなところで死ねるか!
何も出来ず、全てを奪われ、挙句の果てにはただ殺されるのを待てだと……。
どれだけ馬鹿にすれば気が済むんだっ!!
気がつくと震える手が、傷口近くの破れた服を掴んでいた。
そして血で濡れた布地を引き千切り、吐息と共に魔物へと吹き付ける。
次の瞬間、布地を織りなしていた糸がほどけ、血と絡み合い、巨大な蔦となってエンプーサを取り囲んだ。
青白く発光する白い蔦には、柘榴石のように深い赤色の棘が並んでいる。
行く手を阻む植物の壁に、エンプーサは歯をむき出しにして苛立ちを露にした。
咄嗟に放った魔法は、守りの加護を応用した防壁だ。
今は何とか食い止めているが、強度は十分ではない。そう長くは持たないだろう。
エンプーサの腕で引き裂かれていく蔦の壁を見やりながら、今のうちに次の防壁を張ろうと再び服に手をのばす。
その時、蔦の間をのぞき込んだエンプーサの唇から何かが吹き付けられた。
「ぐああぁぁ!?」
傷口が焼け爛れる感覚に、思わず声をあげる。
吹きかけられた黄色い粘液から、じゅわり、と嫌な音を立てて小さく蒸気が立ちのぼった。
消化液の類だろう。
痛みに気取られていると、ふと目の前に影が差した。
視線をあげると、目の前でエンプーサが笑みを浮かべている。
目を離しているうちに、蔦の壁を突破されてしまったのだ。
鋭利な腕が、ゆっくりと振り上げられていく。
その時だ。
「どきなさいっ!」
鋭い声が響いた。
同時にエンプーサの巨体が傾ぐ。
重々しい音をたてて倒れた魔物の向こうに、少女が立っていた。