第十六話 心臓と剣
相手を酷く罵ったり、意図的に言葉で傷つける場面がありますので、苦手な方はご注意ください
夜の城の廊下を、カメリアが歩いている。
人気はなく、夕方から曇り出した空には月も星もない。
篝火だけがまばらに灯る道を辿り、彼女は金の檻の前に立つ。
「これは珍しい客人だな」
寝台から立ち上がった男が格子の傍まで寄ってくる。
カメリアが不快そうに眉をひそめた。
「貴方に話があってきたの」
「へぇ、次期女王陛下がどんな御用かな?」
廊下の篝火に照らされて、男の顔がはっきりと見えてくる。
白金色の髪に雪のように白い肌。
息をのむほど繊細で美しい顔立ちが、今は皮肉気に歪んだ笑みを浮かべている。
カメリアはその顔を見て再度実感する。
自分は、この男のことが心底嫌いであると。
「私のライラに手を出さないで」
その言葉を聞いた男は、興味が失せたかのように表情を消した。
そしてカメリアに背を向ける。
「そんなことを、わざわざ言いに来たのか。だとしたら時間の無駄だ。それは君と僕が話し合うことじゃない」
「やっぱり、ライラを知っているのね」
「早く帰れ」
「まだ話は終わってないわ!」
カメリアの昂った声が檻の中に響いた。
「汚い、役立たずの雄の分際で王族なんて馬鹿らしい。ライラは私が見つけてきたの。私の傍に置くって決めているの。私のものに穢らわしい雄が近寄るなんて虫唾が走るっ」
「……」
「ねぇ、ライラに何をしたの? もし触ったら許さないから。……貴方なんて、早く消えてしまえばいい! どこぞの女に売られて、早く死んでしまえっ」
「……ははっ」
男が笑い声をあげた。
そして再びカメリアに向き合う。
「僕は彼女に何もしていないよ。……ねぇ、僕からも聞きたいな。まず、ライラは本当に君のものなのかい?」
「なに、言っているのよ」
「この国は女王陛下のものだ。君のものは、まだ何一つ無いはずだろう」
「ライラは、私が見つけたのよ!」
「そう。そして彼女は近衛兵になった。今は女王陛下の兵士だ。そして、彼女は陛下の命で僕のもとに遣わされている」
「そんなこと……っ」
「あぁ、それから役立たずの雄、と言ったね。ならば君の価値はどこにある? 僕も他の雄も、そして君自身も、生殖の為だけに生かされている。僕たちは同じだよ」
「同じじゃないっ」
カメリアが悲鳴のような声で叫ぶ。
「ライラが言ってくれたっ、私は、心臓だって!!」
一瞬、耳が痛くなるような沈黙が流れた。
そして次の瞬間、男が耐えられないといった様子で大笑いする。
「心臓! 心臓と言ったか!? 違うよ、カメリア。君がお姫様として大切にされているのは、ライラが君に逆らえないのはねぇ、君が次の“子宮”だからさ!」
どこかで、何かが壊れる音がした。
あの日のライラの泣き顔がひび割れて、粉々に砕け散る。
心のなかの柔らかい部分に土足で入りこまれ、ずっと目を逸らしていた事実を、つまらない、当たり前にそこにある現実を無遠慮に叩きつけられた。
カメリアが必死に縋ったきれいな夢は、泥の中で踏みにじられて、もう元には戻らない。
「殺してやる」
「あぁ、本当のことを言われて傷ついたかい?」
「お前の目を潰し、耳を破り、舌を切り落としてやろう。城壁に檻ごと吊り下げて、晒し者にしてもまだ終わりじゃない。手足をもぎ取って、腹を裂いて、生きたまま汚物の中に捨ててやる」
「怖いなぁ。……でも、ライラが守ってくれるかな?」
男がいたずらに首を傾げた。しかし、とぼけた仕草とは裏腹に、瞳が暗い熱をはらみ、唇はいやに丁寧に彼女の名を呼ぶ。
カメリアは頭の中が白く焼けつくのを感じた。
「死ねぇっ、この阿婆擦れが!!」
「あっはははは! はぁ、僕たちは本当によく似ているね」
「ああああ!!!」
カメリアが叫びながら檻の向こうの男に手を伸ばす。
その顔を、目を、唇を、引き裂いてやりたい衝動が身体を支配した。
彼女の指先が青白く発光し、まるで鋭い爪のように男に向けられる。
途端に眩しい光が格子に走り、彼女は後ろへ吹き飛ぶ。
虹色の稲妻が辺りに飛び散っていた。
女王の魔力の色が示すのは、この檻が女王に守られた小さな要塞であるという事実だ。
そしてそれは、女王候補でしかないカメリアには破る術が無いということを意味していた。
カメリアが発狂したように叫びながら、廊下の奥へ走り去っていく。
それを見てまたひとしきり笑ったエリアスは、満足そうに溜息をつき寝台に横たわる。
そして、ふ、と笑みを消した。
「そう。ライラが僕を守るのも、花守としての本能からだ……」
そんな事分かっている。本人に自覚があろうがなかろうが、彼女の行動は本能の呪縛によるものだ。
でも、もしもそうではないとしたら……。
彼女が、彼女自身の意思と心で、それを願っているのだとしたら……。
「馬鹿々々しい」
これではカメリアを笑えない。
エリアスは寝返りを打ち、瞼をきつく閉じる。
今夜は、もうこれ以上何も考えたくはなかった。