第十五話 私の騎士さま
「ライラ、このレンゲの蜜美味しいわね」
「はい、いい香りがします。……それで、あの、どうして私なんかを姫の朝食の席に呼んでいただいたのでしょうか……」
「嫌だわ。ライラと朝ごはんを食べたかったからに決まっているじゃない。うふふ、今日は一日、ずうっと一緒よ!」
朝日が降り注ぐ明るいテラス。
ライラはカメリア姫の言葉に身を硬くした。
後ろではフェアギスが羨ましい、けしからん、などと喚いている。
今日は午前中から訓練が入っている。
しかし、姫は聞きいれてくれるだろうか……。
この間の事もあるし、訓練? ライラに訓練は必要ないわ。だってずっと私の傍にいればいいんだもの、なんて言い出したらどうしよう。いや流石にそれはないか……。
「姫、私たちの班はこの後訓練になります。こいつは新人も新人、尻の青いひよっこです。訓練を欠席など言語道断。代わりに私が一日中、姫のお側にお仕えいたします!」
「嫌よ。だいたいライラに訓練なんて必要ないわ。だって私の騎士さまよ。それに、何かあったら私諸共、フェアギスが守ってくれるでしょう?」
(い、言ったあぁ! 訓練いらないって言ったあぁぁ!!)
「ひ、姫! そこまで私を信用して……っ」
そして安定のちょろいフェアギス。
普段は至極頼りになる同僚は、姫が関わる件では一切期待できない。
とりあえず、話を聞いた班長かシュネあたりが回収しに来てくれることに望みを託し、ライラは抵抗を諦めるのだった。
「ねぇ、この髪飾り素敵じゃない?」
「そうですね。姫の金の御髪によくお似合いです」
「じゃあ、首元を飾るのはどちらにしようかしら……」
朝食の後、姫は自室で宝飾品を並べて、熊成との会食で身に着けるものを選んでいた。
ライラから見ればどれもこれも美しく見える。
そのため本当にたいした助言は出来ないのだが、姫はそれでも構わないようだ。
上機嫌の姫に付き合いながら、ライラはふと、窓の外を見た。
金の檻が廊下の奥で鈍く光っている。
彼は、昨日は眠れただろうか……。
そんなふうに思いを巡らせていたせいで、カメリア姫がじっとこちらを見ていることに気づくのが遅れた。
「ライラ」
「は! すみませ――」
「よそ見しちゃ駄目じゃない」
とん、と肩を押されバランスを崩して姫の寝台に転がる。
なんて失態を! と慌てて起き上がろうとすれば、意外なほど強い力で胸を押さえつけられる。
唖然としてカメリア姫を見上げると、無言でライラの上体に乗りあがってきた。
「ひ、姫?」
「ねぇ、何を見ていたの?」
「な、なにして」
「いいわ。別に答えなくても」
カメリア姫が、ライラの制服の上着のボタンに手をかける。
何故そんなことをされるのか理解できず、ライラは姫を見上げた。
彼女は答える代わりに上着の下の、白いシャツに手を這わせる。
糊のきいたその感触に、うっとりと笑みを浮かべた。
「ほら! 私の見立てに間違いなかったでしょう! ライラったら、本当によく似合っているわ!!」
「こ、光栄です……。でも、これ……どうして」
「やっぱり騎士といったら白の詰襟よね。貴女の髪色も映えるし」
「そ、そういうものですか?」
「ふふ、とっても素敵よ。ライラ」
ライラは、鏡に映った自分の姿を見た。
白い詰襟の上衣は金の刺繍と留め金で飾られ、腰のベルトは青い宝石で彩られている。
革のブーツはふとももまで覆う丈長で、肩からは深い藍色のマントがかけられていた。
軽く波打つ黒に限りなく近い茶髪はリボンで纏められ、額飾りや耳飾りにも小さな青い石が使われている。
あの後姫に半ば無理矢理飾り立てられたのだが、中身は地味な色彩と顔立ちの自分でしかない。
うんざりした気持ちで鏡を見つめていると、カメリア姫は満足そうに、私のドレスもこれに合わせたものに新調しなくちゃ、と笑った。
「なぜ姫がこの服に合わせる必要が?」
「だって、会食の時には貴女に隣にいてもらうのだもの。お揃いにしたいでしょう」
「え、それはどういう……」
「ライラ、訓練をさぼるなんていけない子だなぁ」
ユリアンの声が響く。
いつの間に部屋に入ったのか、ドアの前で困ったように笑っていた。
迎えに来てくれた……! と涙目になるライラと彼女の格好にユリアンは少し目を見
開いた。
「あらユリアンご機嫌よう。今日のライラは私と一緒にいるから、訓練には行かないわ。それより、ノックくらいしたらどうなの?」
「しましたよ、ちゃんと。私は影が薄いので、ノックしても皆さん気づいてくれないんですよね。それより困ります姫。勝手に班員を連れ出してもらっては――」
ユリアンは、姫に小言をいいつつ、早く訓練場へいくように、とこっそり手振りで指示する。
ライラは言いあっている二人に静かに礼をすると、足早に部屋を後にした。
衣装を着たまま部屋を出てきたことに気づいたのは、訓練場の手前まで来た時だった。
どうしようか迷っているとフェアギスが廊下の向こうから歩いてきた。
班長が連れ戻しにいったはずのライラが、なかなか来ないことを心配して様子を見に来てくれたらしい。
そして彼女の服装を見るなり思いきり顔を顰めた。
「なんだその大仰な格好は」
「姫が、その、着せて下さって……」
もごもごと話すライラの様子に何か感じたのか、フェアギスは訓練場とは別な方向へ彼女の手を引いて連れて行く。
あまり通った事のない人気のまばらな通路をいくつか過ぎると、小さな中庭へとたどり着く。どうやら薬草畑のようだ。
フェアギスは隅の方に据えられた小さなベンチに腰掛けると、隣をたたいてライラにも座るように促した。
そして俯いてばかりのライラに、畑の方を睨んだまま尋ねる。
「姫は、何かおっしゃられたのか」
「熊成との会食で、私を隣に置きたいと……」
「そうか」
それは本来フェアギスが任されるはずの役目であった。
近衛兵となって日が浅く、作法も身のこなしもぎこちないライラに務まる仕事ではない。
それを分からないカメリア姫ではないはずなのに、何故突然そのようなことを言い出すのか、ライラは混乱していた。
一方フェアギスは意外にも冷静だ。
ライラは酷くなじられることを覚悟していたので、拍子抜けした。
「最近、姫の様子がおかしい。お前に対して一層強く執着しているように感じる。全く羨ましい……ではなかった。お前の方で、最近何か変わったことはないか?」
「変わったこと……というべきなのか。最近、とある方の警護を積極的に行っているの。廊下の奥の、金の檻にいる――」
「エリアス様か!?」
「え、そうだけど、どうしたの」
「い、いや、意外だっただけだ。あの方には恐ろしい噂が様々あるから、臆病なお前は近づかないものと思っていた」
「全然怖くなかったよ。でも、噂を聞く前に出会えてよかった。知っていたら、確かに先入観で怖がっていたかもしれない。へへ、ラッキーだなぁ」
「……お前は、ときどき大物だな」
「? そういえば、エリアス様の警護の時期と、姫の様子がおかしくなった時期が重なっているかもしれない……」
「……なるほどな」
フェアギスが、ふん、と不機嫌に鼻をならした。
「つまり、姫は面白くないのだ。何せ“私の騎士さま”と呼ぶほどお前を気に入っている。そのお前が他の王族へ関心を持つことを嫌い、ご自分に目を向けさせようとしているのだ。くっ、そんな可愛らしい行動をなさるなんて……なんと可憐なっ」
「姫は、私がエリアス様を守ることがお嫌なのか……」
ライラの心は沈んだ。
あの日、リーリエに姫を守れと言われて近衛兵となった。
その思いは今も変わらない。
だがライラは今、エリアスの事を守りたいと強く願っているのだ。
不器用で出来が悪くて、その分誰よりも真剣に仕事に向き合わなければならないのに、余所見をしてしまうなんて……何という不誠実。
心の中まで、みっともなくて、だらしない。
どうしようもない自分にほとほと嫌気がさす。
ライラは隣で悔しさに歯噛みしているフェアギスに目を向けた。
いつだって真直ぐに姫を思うこの花守に対して、自分はとても恥ずかしいことをしているような気持ちになってくる。
……それでもライラはエリアスを守ることを、どうしたって諦められないだろう。
みっともないうえに、しつこく聞き分けの無い自分に呆れる。
無性に迷いのない潔い同僚に断罪されたくなり、ライラは思いきって自分の本心を口にした。
「フェアギス……私は姫のことを守るべきなのに、エリアス様をお守りしたいと強く望んでしまう。私は、間違っているのかな……」
「何を言い出すかと思えば……。お前は、お前の心に従えばいいんだ」
「え?」
思いもしなかった言葉に唖然とした。
意志の強そうな眼差しが、真直ぐにライラを見つめてくる。
「我々近衛師団第二班の使命は姫をお守りすることだ。姫の言いなりになることじゃない。……ライラ、私たちは奴隷ではないよ」
黄金色の瞳が優しく緩んだ。
まるで仕方のない妹を見つめるような、慈しむ目を向けられている。
驚いた様子のライラに、フェアギスはベンチから立ち上がると彼女の頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。
「職務として姫を守ることと、エリアス様を守りたいというお前の気持ちは矛盾しないということだ。まぁ、姫をお守りするのは、この私だけどな!」
そう高らかに宣言して薬草畑から去っていく。
その耳は赤くなっていることに気づいたが、自分の視界もどんどん滲んでいくので、フェアギスを揶揄えない。
空を見上げると雲一つない青が目に眩しくて、水滴が一粒だけ頬を零れ落ちていった。




