第九話 円形闘技場
東の森を抜けた先、小川の手前に生える巨木の枝に、すり鉢状の奇妙な建物が張りついている。
内部では丸い形の闘技場を囲むようにして、客席が幾層も並んでいる。
そこでは若い花守の姫君たちが供を侍らせて、試合が始まるのを今か今かと待っていた。
今日はこの一帯の国々から特に優秀な雄が集められているというので、姫君たちの気合の入り方が違う。
年頃を迎えた花守の姫にとっては、恋が世界の全てだ。
美しく逞しい雄、運命の花婿を見つけることに彼女たちは皆命をかけていた。
ただ一人、東の森の姫を除いては。
「もう、本当に退屈! こんな試合、早く終わってしまえばいいのに。それよりもライラ、この間の訓練の話をしてちょうだい! すごい魔物を倒したのでしょう!」
「いや、でもフェアギスはその前に、何体もワイヴァーンを倒していたので、それに比べれば……」
「そのフェアギスが敵わなかった魔物に勝ったのでしょう? つまりライラが一番強いってことじゃない! さすが、私の騎士さまだわ!」
「ぐぅ……、ライラおのれぇ」
カメリア姫に抱き着かれて固まるライラ。
それを見たフェアギスが唇を噛み締めている。力みすぎて血が滲んでいるではないか。目も血走っているし、もの凄く怖い。
そんなことなど眼中にない姫は、冷めた目を闘技場の方へ向けた。
「あーぁ、嫌だわ。せっかくのライラとのお出かけが、こんな所だなんて」
ちょうど今日の出場者たちが客席に礼をしているところだ。
見目麗しい雄が華やかな衣装を纏い、剣を空に掲げて眩しい笑顔をふりまいている。
そのうちの何人かが、頬を赤らめて呆けたようにライラ達のいる席を見上げていた。
本人に自覚があるのか定かではないが、カメリア姫は会場の姫たちの中でとびぬけて美しい。
黄金色の髪を結いあげ、瞳は青く輝き、肌は甘やかなミルク色。
薄紅色の薄い生地が何層にも重なる衣装に包まれた姫は、まるで春の精霊のようだった。
彼女の気をひきたいのか、優勝候補の雄が自分の剣を捧げる仕草をとる。
会場に色めいた悲鳴が飛び交うなか、カメリア姫は眉をひそめて低く呟いた。
「気持ち悪い」
カメリア姫が気だるげに空を見上げる。
太陽がちょうど真上に来る頃だった。
闘技場では、優勝候補の雄が第一試合の対戦相手の喉に、剣の切っ先を突きつけている。勝負がついたようだ。
会場全体が黄色い悲鳴で沸きあがる。
同時にカメリア姫が席から立ちあがった。
「もういいわ。帰りましょうか」
「まだ試合が残っていますが……」
フェアギスが尋ねると、汚物を見るような目で闘技場を見下ろす。
「こんな演出ばかり派手な出来レース、最後まで見て何になるというの。演技にしたって凡庸な動き。飛び方もつまらない。国父に相応しい者なんていないわよ」
「しかし、まずはこうした場に慣れるようにと女王陛下が……」
「気分が悪いの。フェアギス、主催者に上手く言っておいてくれる?」
私は先に失礼するわ。そう言って出口へ向かうカメリア姫。
追従しろ、とフェアギスが視線で告げてくる。
ライラは張り詰めた様子の姫に不安を覚えながら、急いでその背を追った。
「男なんて嫌い」
城へ着いてもカメリア姫の様子は変わらなかった。
女王陛下への報告も後回しにし、まっすぐ自室へと向かっているようだ。
途中の廊下で、ふいに立ち止まった姫がそう零す。
午後の光が差し込む中、斜めに伸びる窓枠の影が黒く延々と並んでいる。
「汚くて乱暴で、その癖弱い。本当に敵と戦える男なんていない。模擬戦なんてただの遊びじゃない。無駄に着飾って馬鹿みたい。私、着せ替え人形で遊ぶ趣味はないわ」
「……」
「男なんて大嫌いっ、野蛮で愚かで、穢らわしいっ……」
カメリア姫が、廊下の奥を暗い目で睨み、吐き捨てる。
光の届かぬその場所に見え隠れするのは、巨大な金の檻だ。
姫はそれから目をそらし、小さく嘆いた。
「そんな奴らに、いつか触れられるのかと思うと、……私、死にたくなる……」
「死んじゃうんですか?」
ライラは労働階級であり、姫の悩みは正直なところさっぱり理解できなかった。
だから何も言えずにただ黙っていたのだが、姫の言葉に驚いて思わず聞き返してしまった。
カメリア姫が感情を押し殺した顔でふり返る。
「結婚するくらいなら、死んだ方がマシよ」
「だ、駄目です!」
「何よ。貴女まで私に、男と番えって言うの?」
「死んじゃ、駄目です!!」
ライラは姫の肩を掴んだ。
薄くて華奢な感触に泣きそうになる。
こんな花びらみたい身体で、死にたいだなんて縁起でもない。
壊れるのは、きっと一瞬だ。
守ることは、どれだけ難しいだろう。
彼女が今ここに在ることが、奇跡のように思えた。
あの日、丘の上にいた花守たちが、その身に代えて残した奇跡だ。
「死なないでください」
「ライラが、どうして泣くのよ」
「姫は、私たちの心臓だから」
「心臓……?」
リーリアは姫をそう呼んだ。
姫を守れと最後まで叫んでいた。他の花守もそうだ。
ライラは出来損ないだから、彼らが命をかけた気持ちが、本当はよく理解できない。
でもライラに分からないだけで、きっと必要なことだったのだ。
そう思わなければ、やっていられない。
ライラに部屋まで送られ、カメリアは気が抜けたように寝台に腰掛ける。
そして自分の胸に手をあてた。
とくり、とくりと鼓動を感じる。
「私は、心臓……」
言葉にすると、不思議と胸の内が温かくなる。
ぽすり、と身体を横たえて目を閉じる。
肩を掴んで拙い言葉で訴えてきたライラの泣き顔が、頭から離れなかった。