涼風に揺れたあの日の黒髪が
「いやぁ~、一学期も終わっちゃったね~」
「何だか早いな」
「年、とったからね……」
「いやいや、俺たちはまだ高二だぞ」
自転車を押しながらお互いに笑い合った。
「で、本当にやるの?」
彼女はイタズラに笑ってこちらを見る。
「当たり前だ。前々からの計画じゃないか」
「お主、なかなかの悪じゃのう」
そう言って彼女は、俺にレモンスカッシュを手渡した。
「そちも相当の悪のようで」
「知ってるくせに」
彼女は自転車にまたがり、振り向いて、
「では、今夜ヨロシク!」と言い残して、彼女は颯爽と自転車を漕ぎ出した。
風に揺れる黒い短い髪に、俺たちの夏が終わる気配がした。
夜。
俺たちは学校の裏門に集まった。お互い、スマートフォンのライトを頼りに、いつでも誰でも入れる小さな門から学校に入った。
「それにしても、よく見つけたよねー、これ」
整備されていない、夏草が生い茂る道を掻き分けながら進む。
「偶然ね。授業中にボーッとしているのも悪くないもんだ」
「いいね~」
緑の道の先にある、壊れたフェンスの合間をゆっくりとくぐる。そうして、俺たちは深夜のプールに忍び込んだ。
「さて、いきますか!」
彼女はそう言ってリュックを降ろし、プールの水を掬い夜空へと舞い上げた。
プールに白波が立ち、浮かぶ満月は蜃気楼のように揺れる。
「おい! こっちにかかったぞ!」
「ワザとに決まってるで……っしょ!」
「冷てぇ! やりやがったな、くらえ!」
俺たちは何もかもを忘れて、プールサイドではしゃいだ。
一通りプールサイドで遊び、少し疲れた俺たちはフェンスに寄りかかって座った。
「飲み物、持ってきたんだ。飲むか?」
「もちろん! 何があるの?」
「レモンスカッシュとサイダー」
「じゃあ、レモンスカッシュで! 夏いね!」
お互い同時にキャップをあけ、炭酸の逃げる音がこの場所にだけ響いた。
「で、いつ行くんだよ」
「ええと……一週間後かな」
「そうか、かなり短いな」
「そうだね。これから荷物まとめたりしてごたごたするから、こんなことしていられるのも今日だけかな」
「まあ、初めて海外に行くことになった、とお前から聞いたときはそりゃあビックリしたさ」
「私もだよ。まさか父親の転勤する場所がカナダなんて、思いもしなかった」
「そりゃそうだな」
「私、英語苦手なのにどうしろっていうのよ!」
「確かに。英語のテスト、いつも点数悪かったよな」
俺はいやらしく笑って見せた。彼女は頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「そのわざとらしい仕草とも、今日でお別れかぁ」
「清々するでしょ?」
「さあ、それはなんとも」
つまらないよ。素直に言えればいいのに。
「日本に残ると言っても、一人暮らしは心配だからって却下されたしね」
「どうしようもない、ってか?」
「手段は尽きたよね」
乾いた笑いを捨てるかのように、プールに浮かぶ満月へ小石を投げ込んだ。
ポチャンと小さな水飛沫が上がった。そしてすぐに、元の平穏を保つプールになった。
「ねぇ、あのさ」
「なんだよ」
「これ、あげる」
彼女は歪な形をした袋を俺に手渡した。
「これは?」
「私の好きだった小説。後で読んでみてよ」
俺はもらった袋をカバンの中に入れた。そして、俺には彼女に渡したいものがあった。
そのとき、風がきゅるりと吹いた。
「今日はなんか、生きている気がしたよ」
彼女はそうボソッと呟いて、寂しそうに笑った。
俺は探している手を止め、彼女の黒い目と黒い髪をただ見つめていた。
軒下で、彼女からもらった小説を寝転がりながら読んでいた。
急に風が吹いて、ページが舞い上がる。
上空には、飛行機が太陽に口づけするように飛んでいた。
飛行機雲は、空を一文字に切っているようだ。
渡せなかったあの日の手紙は、カバンの底に沈んだまま。
今にも零れそうな水色をただただ俺は見上げていた。
読んでいただき、ありがとうございました。