第3話 デートは儚いことばかり
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由美と遊ぶ約束の詳細はたまたまヒロと同じ電車に乗ったあの日の夜に取り付けた。
今日はその約束の日なのだが、あまり実感がわかない。
由美と会ったのは夢だったような気分だ。まるで他人事のように感じる。そう、自分じゃないみたいだ。
あまりにも実感のわかない約束の日の朝は、ヒロの言っていた文化祭の企画について考えていた。
結局、文化祭は男女逆転してチョコバナナを売るという微妙な企画が本当に通ったらしく、賛成票をいれようとしていた僕でさえ自分の頬をつねった。
企画が通った最大の理由は、最後の最後まで抵抗していた男子達もその主格が折れた瞬間に一気に形勢不利と認め諦めたということらしい。
その主格とやらが折れた理由が、女子の男装が露出の高めの服になる可能性がある(恐らく女子に騙されているが)、といったいかにも男の子らしいものであり、自分の恥より性欲を優先させているあたりが微笑ましかったのだけが記憶に残っている。
ふと時計を見てみると、もうそろそろ準備しないと由美との約束に遅刻してしまうような時間になっていた。
だが中々着替えが進まない。数少ない服の中で、こんなに迷ったのは初めてだ。
女子も大変だなと思いつつ、何気に誰かに会いに行くために女装をするのが初めてでかなり緊張している。
ごめんちょっと遅れるかも、と約束時間の1時間前から謝罪を入れるという不思議なメールを送ろうとしたが送る寸前に我にかえった。
もう一度時計を見る。
「どうしたのユウ、なんかあったの?」
「うぉっ。」
我ながら情けない声を出してしまった。
「なんだよ、もう。」
「ごそごそと音が聞こえたから由美ちゃんのとこにでも行くのかなって思って。」
どこまでも勘の良い姉だ。僕はなんと返せばいいかわからず黙ってしまう。
「あら、図星だったの。」
姉はお上品に口に手を当てて笑う素振りを見せると、僕の黙り込んでいる様子をニヤニヤと覗き込んでくる。
僕は僕が着替えているだけで、それが由美の事だと予想できたという姉に驚いた。
だがそういう事を口に出すとまた調子に乗るので黙っておくのだが。
「女装して女の子に会いに行くとか、変態さんだね。」
「別にいいだろ。姉ちゃんには関係ないでしょ。」
「ところで私の昔着てた服貸せるけどいる?」
「え、僕のサイズに合う服あるの?」
あまりにも予想していなかった姉の発言に、質問を返してしまった。姉に物を借りるのは癪だったが、ちょうど良い服もなかったのも事実だ。それに、新しく用意するあてすらも無かったので地味に嬉しかったりする。
「なんか気に食わないけど…、借りたいです。」
姉は素直でよろしい、と言わんばかりに僕の髪の毛をぽんぽんと撫でると服を取りに自室に飛んでいった。
前後の苛つく言動さえなければ良い姉なのだが、世の中そう上手くは作られていないらしい。
僕は昔から姉のことは好きだったが、すぐ調子に乗るので扱いに困っていたものだ。
少し戻るのが遅い姉に多少時計を気にしつつも、いつも早めに行動することを心がけているだけなの で、何だかんだで間に合うのは目に見えている。
なので実はそこまで焦ったりはしない。
すると大量の衣 類を抱えて姉が戻ってきた。
「ちょっと昔の奴だけど、はい。」
僕は思った以上にある服の山に戸惑いつつも非常にありがたく思った。
なかなか高い服は買えずにいたため、姉が母に買ってもらった服など着てみたかったのだ。
「なんでサイズ合ってない服がこんなに余ってんの。」
「そりゃユウの為だよ。」
姉の唐突な言葉に息を詰まらせる。
「ぇ。」
「こんな生意気なのでも私の宝物だよ?」
驚きで硬直しているところを姉に人差し指でおでこをつつかれ、せっかくの感動も台無しになってしまった。
なんだかんだで姉のセレクトで服が決まってしまった。お節介な姉の事だから少し前にメールを見られたときから何の服を着させるか考えていたのだろう。可愛い服だからいいものの、こういうセンスがあるのもまたむかつく。
「ありがと。」
今回は流石にお世話になりすぎているので軽く礼だけでも言っておくが。
「私は良い妹をもったね。」
「ちょっと黙ってろよ。」
少しは静かにしていれば良いのに…。一言余計なのだ。
服を着ると、急に由美との約束に実感が湧いてきて、おなかがキリキリと痛む。
そんな緊張の中、僕は姉に見送られて家を出た。というより僕が電車に乗るまでずっと尾行されていたので、見送られて駅を出たの方が正しいのだが。
せっかく晴れているというのに姉のせいで僕の心は曇り空だ。お節介なのが姉のいいところでもあるのだが。
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彼女との初デートじゃあるまいし。
僕は自分が緊張している理由を客観的に捉えながらも、中々その緊張から抜け出せずにいた。
電車で化粧をする女性の気持ちもわかってしまう。
用は男だとバレなければいいだけの話だ。いつもの僕でいればいいのだ。
自分からは喋らないし、女装で知人に会ったことがあるが、バレなかった。完璧なはずだ。
「なんで由美のためにここまで緊張して、準備してんだろ。」
ぽつりと漏れた独り言には悲しみの様子も疲労の様子も見えないが、唯一呆れだけがこもっていた。僕が一人の人間にここまで振り回される(僕はあまり人と関わらないたちだ)のは初めてで、ただひたすらに自分自身に呆れているのだ。
今まで友人と遊び呆けていた奴らを僕とはわかり合えない人種だと思っていたが、考えを改めなければいけないらしい。
ただ、友人とは、同じ趣味に没頭、もしくはお互いに話しやすい関係の人間だと思っている点は今でも変わらない。現に由美とは話しやすいし、一緒にいて楽しい。それ以上の関係を望まないし、深入りは失望の原因だ。
人とあまり関わらないはずの僕は、何故はりきっているのだろうか。女装というイレギュラーが僕に何か心の変化を産み出したのだろうか。
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僕は電車を降りた。由美との集合場所を目指す。
近くに行くと、遠目ながらにも由美が見えた。ピンク調の淡い色のワンピース、それをまるで自分の体の一部のように着こなしていた。僕が近寄っていくと由美の方から話し掛けてきた。
「あれ、優子さん早かったですね。」
僕がお前もだろ、と顔に書いてありそうなくらい呆れた目で見ていると由美は縮こまって。
「私もでしたね。」
少し落ち込んでしまったようだ。僕も睨め付け過ぎた気もしたので謝っておく。
「あ、その服可愛いですね。」
唐突な由美の言葉に僕は顔を真っ赤に染め上げてあらぬ方向を向いた。そんな僕の初々しい様子を由美はにやけながら見ていた。
『由美の方が可愛いよ。私より着こなせてる。』
僕が実際に話すなら語尾に付くであろうはずの、『私よりも女の子歴長いしね。』は自分の頭の中だけに納めておく。ふと由美の方を見ると僕より顔を赤くして口をぱくぱくさせていた。
そんな由美の姿に辛うじて声を出さないように笑っていたら、また由美に怒られてしまった。
今日は由美からのお誘いだったので自分で下調べやらなんやらはしていない。僕は由美についていくしか無いという訳だ。
「そういえば優子さんの高校ってもうすぐ文化祭らしいですね。」
『あーやだ来ないで恥ずかしい。』
恥ずかしいとかの次元ではない話だ。
いや、女装して接客するのだから問題ないと言えば無いが、どうせ男女逆転が売りになるのだから教室内で接客中に会ってでもしたら怪しまれる。というより実際に会ったことある人間と会うのだから女装していない状態で会うことよりも危険だ。
「クラスどこですか?」
『それだけは絶対秘密だよ。』
「えー、何でですか。」
『恥ずかしい。』
由美は声を上げて笑った。僕らしくもない(ここでは優子だが)発言が余程滑稽だったのだろう。僕も第三者だったなら笑っている。
『そういえばどこ向かってるの?』
「映画館です。あ、言ってませんでしたっけ。」
『一応それなりにお金はあるけど、けどちょっと映画見ちゃった後がちょっと厳しくなりそう。』
「いえいえそんな、私が払いますから。私の失態ですし。」
『無理しなくていいって。』
僕がいくら言っても由美は引かない。そんな気がした。
「けどお金無くなっちゃったら折角私が立てた計画の意味が無くなっちゃいますよ。」
『うん。本当にありがとうね。絶対返すから。』
由美は僕の頼りになった(正確には頼らせた)のがよほど嬉しいのか少し上機嫌だ。
まだ午前中だというのに人は多い。僕は由美に連れられてチケットを買った。
僕は自分で払おうとしたが由美が必死に阻止した。
元から由美が払う事は決まってはいたがやはり罪悪感はあるのである。
『本当にありがとう。この埋め合わせは絶対にするから。』
すると由美は照れながらも
「埋め合わせなんていいです。これはあの時のお礼みたいなものですから。それに悪いのは私ですし。」
『いや、けど親切にしてもらったら返さないと。これはお金の問題だし。』
そんな僕の言葉に由美はくすりと笑った。呆れたような優しい笑い。
「そんな、お礼にお礼をしてたらずっとお礼しなくちゃいけませんよ。」
『それもいいじゃない。その間はずっと一緒にいれるんだから。』
「え。」
「行こ、映画始まっちゃう。」
僕は口の動きだけでそう言うと、由美の手を引いて走った。声は出ていなかったけれど由美にはちゃんと聞こえていたようだ。
手を引っ張られる由美はあまりにも無抵抗であの時を思い出したのは僕だけか。
心なしか由美が嬉しそうにしていたのはあの時の礼をやっとはたせたからだろうか。
あの時を思い出していたからか。
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映画は女の子らしい恋愛物だった。
映画はクラスでも目立たない地味なヒロインがクラスの女子に苛められている所から始まった。
ある日苛められているヒロインを主人公が見かけ助けることになる。
それがきっかけで二人の関係は加速していく。そんな話だ。
だがそんな平和な時間は長くは続かない。苛めが学校にばれ警察沙汰になってしまい、ヒロインはどこか遠くの中学校に転校することを親が勝手に決めてしまう。
その後たまたま大学で再会するのだがヒロインには彼氏が出来てしまっていた。
ヒロインは今の彼氏か昔の彼氏どちらを取るか。
勿論ハッピーエンドで昔の彼氏を選んだのだが。
ベタな内容だったけれど良い作品だった。由美なんて目を赤くして聞いてもいないのに泣いてませんよ、なんて言っていたくらいだ。
「おしりが痛いです。」
『私も。』
僕は由美がおしりを擦っているのを真似るように自分のおしり擦る。そんなお互いの様子を笑いあっていると急にお腹が空いてきた。
『お腹空いてきたね。』
「はい。どこ行きますか?」
僕は少し考えた後
『甘いものでも食べますか。』
「お、良いですね甘いもの。何かオススメの店でもあるんですか?」
『オススメとは違うけど。あれ、おいしそうだなって。』
僕の視線の先にあるお店の看板にでかでかと写されている大量のチョコレートとホイップクリームに包まれたいかにも甘そうなパフェ。由美は僕と同様、それに心惹かれたようだ。
由美も一通り注文を終えたところでお手洗いに行くことを由美に伝える。
『あ、私ちょっとお手洗いに行ってくるからちょっと待ってて。』
「はーい。先にパフェがきたら優子さんの分も食べちゃいますからね。」
「全部食えるならやってみろ。」
と、口の動きとジェスチャーで伝えると由美は冗談ですよと同じように返してきた。それくらい僕にもわかるし早く帰ってきてね、ということが言いたかったのだろう。
僕は男子トイレに入りそうになるのをなんとか踏みとどまって疎外感を感じながらも女子トイレに入った。
トイレを出るとヒロの姿が視界に入った。どうしてこんなところに居るのだろうかと思い気付かれないように影から見ているとヒロは友人2人を連れて由美をナンパしているようだった。
今時ナンパとは度胸のあるものだ。と思いながらも由美に手を出すなど許せないと言う気持ちもあった。
けれど助けに行けるわけがない、それぞれ別の性で接してきた相手の片方を助けるだなんてタカが絶対に口を滑らせるだろう。
僕は仕方なく由美を信じて様子を見ることにした。
タカのナンパは途中で定員がパフェを持ってきたことにより失敗したようだ。定員も由美の様子を察していたらしく笑顔の対応でタカ達を追い返してくれていた。
少し様子を見てから僕は由美の待つ席まで小走りで行った。
『ごめん。待った?』
「いえいえ、ちょっと溶けちゃっただけですし。大丈夫です。」
由美の無理して明るく振る舞っているような言動に自分の情けなさを痛感した。
タカが僕の知り合いだという理由だけでは由美を助けにいかなかった理由には到底ならない。店員さんがいなかったら由美はもっと傷付いただろう。
「溶けたのがそんな悲しいんですか?優子さんも子供っぽいとこあるんですね。ちょっとだけ安心しました。」
由美の作り笑顔に心が痛む。僕の考えすぎ、という訳あるまい。ヒロは由美にしつこく誘っていたようだし、異性に対して多少のトラウマを持っているようにも感じる。
自分自身の行動に後悔しながらも、実際にああするほかなかったことは理解している。
それでもやはり、僕は後悔してしまう。
無造作に口に含んだソフトクリームの甘ったるくキンと冷えるその味は、僕を夢から現実に引き戻した。