第2話 良き友は一人いればいい
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体を心地よく揺ゆらされ、瞼に何かが引っ掛かっているかのような眠気の中、僕は誰かに名前を呼ばれた気がした。
昨日女装をずっとしていて気が張っていたのだ、通学中に眠くなるのは無理ないだろう。僕の睡眠を邪魔したのは誰だ。と思い気配のする方を睨み付けると、唐突に向こうから話しかけてきた。
「お前結構早い時間にくんのな。」
大体察しはついていたが案の定ヒロだった。
「ヒロがいつも遅刻寸前なだけだろ。」
ヒロは僕のちょっとした嫌みにも笑って反応して受け流す。タイミング良く僕の隣の席が空いたのでヒロはそこに滑り込むように座った。
「そういやなんで今日は早いんだ?」
「まだ課題を出してなくてね。」
早く学校に行く理由が、僕と全く同じ理由で恐怖すら覚えたのは口に出さない方がいいだろう。
ヒロは不意に僕達の前方に座っている女の子を遠慮げに指差した。
「なぁ、あの子かわいくね?」
と、ヒロはそちらの方向を向いたまま言った。興味が無いことでもないので然り気無く見てみると、確かに可愛い。
「やめておけよ、朝から盛るな。」
別に可愛いと思うしヒロが騒ぐ理由もわかるが、僕は何故か嫌だった。僕らしくないような言動に、ヒロは気付いているのかわからなかったが、ヒロは素直に諦めてくれた。
「ちぇっ、まぁいいや。」
「そりゃあ可愛いけどさ。」
そんな会話をしているとその子は電車を降りてしまった。その光景に何故か安堵しつつも目だけは追ってしまう。じっと水色の制服を見ていると電車は出てしまった。
見たことがあるような顔だった。
「なんだ、お前も狙ってんのか?」
「いや、ただ気になっただけ。」
「それを狙ってるって言うんだよ。」
「……ヒロ、そんなにあの子が好きなのか。」
「そ、そんなんじゃない!」
騒ぐヒロに電車内では静かにな、とアイコンタクトを送りつつ何気なくスマートフォンを開く。
丁度メールが来た。
『行きの電車では痴漢に合いませんでした!(・ワ・ゞ』
今出ていったのが由美だと確信した。
幸いにもこちらの事はバレていないことに安心する。
ヒロが誰からだ?とか言って覗いてくるが、それをなんとか避けながら平然を装った。
「今の子ホントにかわいかったよな、あんなかわいい子がいるならこれから早く来ようかな。」
ヒロは由美にゾッコンらしい。普通は『ゾッコン』なんて言葉は使わないが今はそれがしっくりくる。
そんな浮かれたヒロを見ながら、僕はもう絶対に会いたくないな、と思った。
もし由美に女装している事がバレたら、と思うと死にたくなる。わざわざ男の状態で由美に会いに行くなんてまっぴらごめん、まさに自殺行為だ。
「俺はいつもの時間に行くよ。」
「え?俺が嫌なのか?」
「自意識過剰だ。」
「え?なんだよ急に、なんかあったのか?」
「なんもない、あってもヒロには言わないね。」
「ばーか。」
そんなじゃれあいをしつつ、僕は昨日の由美から来たメールについて考えて込んでいた。
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由美と別れ、無事家に着いたものの、恰好はまだ男ではない。
「母さんが帰ってくる前に着替えないと。」
そう言いながら玄関の鍵を開け、早足で自室に向かう。
本来なら母はもう少し遅い時間に帰ってくるのだが今日は早めに帰ってくるらしい。
今日もこれで終わりかな、と思いながら急いで階段を上っていく。もちろんドタバタと足音を立てて上って行ったりはしないが。
そんな儚い願いは虚しく、僕は階段を上っている途中で姉とばったり会ってしまった。
「げっ。」
「またやってたんだ。」
現行犯ながらも咄嗟に言い訳を考えたがやはり無駄だということに気付いて諦めた。
「…うん。」
姉の眼差しに、何故か真実を答えざるを得ないような、そんな気分になる。姉は怒っているのか呆れているのかわからない表情に、優しい声を乗せて言った。
「お母さんが知ったらびっくりするだろうね。」
それだけ言い残し姉は階段を下りていく、咎められたわけでも、呆れられたわけでもなく、いつもと同じような姉だったが、どことなくあまりいい気分にはなれなかった。
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無事着替えも終わり、ベッドの上で寝転がりながら、少し汗をかいたから今日着ていた服を洗濯しとかないとな…などと思っていると不意にメールの着信音が鳴った。
手を目一杯に伸ばして机の上に無造作に放られているスマートフォンを手に取る。誰からかと思い見てみると
『今日はありがとうございます!また優子さんと会っておしゃべりしたいです。』
というメールが着ていた。
由美からだ。僕は『私も楽しかったよ。』とまで打ち手を止めた。少し考えた挙げ句、一文字づつ文字を消していく。『これからは気を付けるんだよ。』と書き換えた。上から目線過ぎるだろうか。『またお茶しようね。』これでいいだろうか。
不意に部屋の扉が開いた。
「ちょっと姉ちゃんノックくらいしてって!」
僕は慌ててスマートフォンをベッドに伏せた。今まで女友達の1人もいなかった僕が女子とメールしていたなんて絶対に変な勘違いをされるからだ。
「いや、何してるかと思って。」
要するに僕がまた女装して帰って来たから僕の精神状態が心配で様子を見に来たということだろうか。余計なお世話だ。
「あ、ちょっと、見るな!」
姉は僕の発言を無視して、僕のスマートフォンを取り上げ少しだけニヤニヤしながらパスワードをデタラメに打っている。
お互いにまだ子供のころなら腕にでも飛び付き無理やり奪い返したものの、今では姉にも色気が出てきて胸が邪魔だったり、べたべたと体を触ってもいいのかだったりと色々と意識してしまう。
「あ、開いた。」
「開けるな!身長差ずるいぞ。」
「高校生にもなってまだ170いって無いユウが悪いよ。」
「普通こんなもんだって。」
姉はもうすぐ180になるらしい。無駄に大きいからかあまり女らしくない。
いや、それは僕が弟だから感じ取れていないだけだろうか。
「由美って…彼女…できたの?」
「違う、そんなんじゃないって。」
「でも女の子だよね?」
僕は恥ずかしさのあまり顔を背けた。彼女ではないと言いたかったけれど、唐突に恥ずかしくなってしまった。意識し過ぎだろうか。
「そっか…」
「いまなんか言った?」
「いや、…別になんでもないよ。ごめんね勝手に開けて。」
姉は急に満足したような顔をして静かに出ていった。姉が出ていくのを見届け、僕は赤く熱くなっている顔を枕に沈めた。
「恥ずかしい。」
枕のせいか自分の声がいつもより小さく聞こえる。まだ顔は火照っているが姉にパスワードを開かれたまま放置されているスマートフォンを手に取る。
『また二人で行こうね』
姉のお節介だろうか、文面が書き換えられていた。こういう所はちゃっかりしている姉に呆れながらも、なんだかんだ言っていつも感謝していたりする。
『はい、楽しみです!(*゜▽゜*)』
こんな健気な返信が返って来た。僕も由美といるのは楽しかったし、また遊びたいけど、きっと女装癖がバレたら嫌われるだろう。
僕だってこんなことをしている自分が嫌いだ。
嘘なんて隠し通せるものじゃない。いつか必ず壊れてしまう関係なんて、わがままだけど僕は嫌だ。
キッチンの方から母が僕達を呼んでいる声が聞こえる。
それを合図に僕はゆっくりと自室から出るのだった。
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何かに強く揺すられるような感覚で僕は覚醒した。だいぶ物思いにふけっていたようだ。
「おい、もう降りるぞ。」
そんなヒロの声に気付いて顔を上げてみるとどうももう着いたらしい。
「ありがと。」
と礼だけ言うと僕達は電車を降りた。電車を降りても早足で歩くヒロに合わせて僕も早足で歩く。少し速すぎて付いていくのが辛い。
「ちゃんと相手に歩幅合わせないからいつまでたっても彼女できないんだぞ。」
「彼女作ろうともしないやつに言われてもなんとも思わないね。」
軽く嫌みを言ってやったつもりだったが完全に正論をぶん投げられた。
返す言葉もない。
だが僕の言わんとすることは察したらしく、ゆっくり歩いてくれた。
「そういや、お前まだ女装やってんのか?」
狙ったかのようなタイムリーな話題に言葉が詰まる。小学校の時から仲の良いヒロには僕の女装の話はしていたのだが、ヒロの事だから、由美とは関係ない何かのことだと信じたい。
「…え、まだやってるけど、なんで?」
「いや、文化祭のクラス企画で男は女装、女は男装してチョコバナナ売るって案、ほぼ通りそうじゃねぇか、今じゃ皆諦めムードで一部の男子が必死に抵抗してるだけだろ?忘れたのか?」
そう言えばそんなこともあったな。
たしか女子が提案したんだったか。
女子の賛成票が多く、男子は反対票が多かったが、なんだかんだで女子の意見が通りそうな勢いだ。
最近由美の事ばかり考えていてすっかり忘れていたのだ。
「それがどうかしたのか?」
「お前、賛成の方に手をあげようとしてたけど、何故か止めてたじゃん。なんでかなって、前聞きそびれたからさ。」
あの時ヒロがこちらを見てきたのはそういうことか。僕自身としてはやりたいが、クラスで浮くのもどうかと思い、止めたのだ。
「まぁ、一応やりたかったよ、けどなんでそんなこと聞くの?」
ヒロはふっと笑って、
「ほんとはお前も仲間が欲しかったのかなって思っただけだよ。俺にしちゃ考えすぎだよな。」
ヒロの的を射たような発言に僕はなんと答えればいいかわからなかった。
本当はそうだったのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなる。
僕だって仲間を求めてた時期はあったけれど、もうそんな気持ちは無いと思っていた。
違ったのだろうか。僕にはそれがわからない。
どちらにしろ僕の票が無くても女装はほぼ確定しそうだし、今はそうたいした問題でも無いように見える。だが僕にとっては重要な問題だ。
仲間が欲しいが為に友を失った中学のあの時以来、僕は仲間なんて求めていないはずだった。
友さえいれば十分なはずだった。同じ過ちを繰り返したくないから、僕は仲間を求めないと誓った。
それなのに僕はまた友を失う道を歩んでいたのだろうか。
「なんだよ急に考えこんで、俺は女装に反対してる訳じゃねぇよ。てかどっちかと言うとお前がいつも楽しそうにやってるから俺も一回だけでもやってみたかったくらいだし、むしろお前がずっとやってて俺がやってなかったことが出来て嬉しいくらいだ。」
「……お前、ヒロじゃないだろ。」
「どういう意味だよ、おい。」
僕は良い友を持ったな、と心の内で感動しながらゆっくりと校門をくぐった。