結:人面犬と後日談
以上が、夏にさしかからんとしていた頃に起きた、人面犬との刹那の交流だった。
死体を見つけて終わりなのかと言われかねないものだが、往々にして、世の中の別れには、全ての理由を知らぬまま過ぎさっていく類いのものもある。学校を出たら、何となく交流がなくなった。アルバイトなり、部活を止めたから、連絡する必要がなくなった。男女間の関係の自然消滅……等が最たる例だ。
そうして、僕らと新堂さんの別れもそれに近いものだった。
結局、僕らが見つけたのは犬……恐らくはポチの白骨遺体だけ。新堂さんが何処にいるのかは、見当もつかなかった。
もっと深い場所にいるのだとしても、即席スコップでは限界があり、仮に見つかったら見つかったで、何かとややこしくなってしまう。故に僕らは、そこで調査を断念したのだ。
因みにポチはもう一度、丁重に埋葬した。ここは人通りも多いし、春は桜が咲き乱れ、花見に来る者もいる。だから寂しくはないだろう。誰が彼の死に水をとったかは知らないが、粋な場所に葬ってくらたものだと思う。
その後、せっかくだから、メリーと一緒にのんびりと夜道を散歩しながら僕らは丑三つ時に部屋に舞い戻った。
中途半端なまま終わった酒盛り会場と、空っぽになった犬用の餌皿が、夢ではなかった事を教えてくれる。
確かに彼は、ここにいたのだ。
謎だけ残して、一人何かに納得して逝った。死の結末は分からないが、それを僕らが掘り起こす必要はないだろう。気になりはするが、手段はないのだ。
「……見届けたみたいだったわよね」
そんな時、不意にメリーがポツリと呟く。
二人テーブルを挟んで飲み直していた時のことだった。
話の要領を得ず、僕が首をかしげていると、彼女は「最後の言葉、思い出してみてよ」と囁いた。
「そこにいたんだなって。まるで、ポチの所在が気になって仕方がなかったみたいに。記憶が飛んでた理由はわからないけど、多分未練は、恐らくは愛犬の事だったのかもしれないわ」
「けど、その愛犬は死んでいた。……ポチももしかしたら、新堂さんを探してたのかな……」
お互い探して、けど、知らず知らずのうちにお互いは死んでいて。その果てが、あの人面犬だったのかも。そう僕が締め括れば、その場には何とも言えない沈黙が訪れた。
救いがあったかのような、なかったかのような。そんな結末。僕らが出来ることは、掘り起こした彼らの事を覚えていることだけだった。
「……そういえば、お酒、もう殆ど残ってないわね」
「買い足すかい? どのみち明日は授業ないし」
僕がそう提案すれば、メリーは「あら、私を寝かせない気?」なんて、悪戯っぽく笑っていた。
「ああ、寝たら寝たで、受信に期待できるかもね。君の素敵な脳細胞と視神経でさ」
「幻視っつってんでしょうが。でも……どうかしらね。私は望み薄だと思うわ。彼らについては、もう視れないかも」
成仏しちゃってるし。と、付け足しながら、メリーは己のこめかみに指をあてた。彼女が視れるのは、あくまで現実に存在するオカルトだ。そうなればなるほど。もう追う術は失われたに等しかった。
「……うん、じゃあ。もう飲み明かそうか。丁度葬儀後の晩みたいにさ」
それが、僕らに出来る唯一の弔いだろうから。
僕がそう言えば、メリーも優しく微笑んで、小さく頷いた。
「ヱビスビールでも買いましょう。一度飲んでみたかったのよ」
新堂さんが泣いて悔しがりなりそうな一言と共に、僕らは再び、夜道へ駆り出した。
※
後日談を一つだけ。
人面犬にかかわる話は、もう語り尽くしたが、他にも分かったことやら震え上がった事が少しだけあるのだ。
それからも月日は流れていく。僕らはいつも通り大学生活を送っていた。変わった事といえば、帰り道に時々あの桜並木へメリーと駆り出して、手を合わせ、近くのベンチでブレイクタイムを楽しむようになった位だろうか。
因みに、ポチがあそこに埋まっていた理由はあっさり判明した。
彼は、あそこで死んだわけではなく、保健所にて処分された犬だったそうだ。
理由は、職員の一人が同情したから。
何でもポチは、野良犬としては随分長いこと、市の職員から逃げ続けていたらしい。
見つかるのは、決まってあの桜並木。行方をくらましても、必ずあの場所へ戻り続けていたポチは、何度目かでその法則を気取られ、捕獲されたそうだ。
大暴れするわ、入れられたケージに体当たりするわ。しかも凄まじいことに、彼は一度、その施設からも一度脱出してのけたのだとか。怖いほどの執念は、職員内でも有名で、桜並木へ執着したのは、その場所が飼い主との思い出の場所だったのでは? なんて推測も、まことしやかに囁かれた。が、結局飼い主は現れず。彼は処分されることとなる。
最期の最期まで抵抗していたのが忘れられない。情報提供者はそう語っていたらしい。
どうやって調べたの? と聞かれたら、メリーさん万歳としか語りようがない。
彼女の叔父が元が警察の鑑識さん。後に探偵になった経歴から、姪っ子割引でメリーが調査を依頼したのだ。
因みに、新堂さんは行方不明で、警察に捜索願いを出されているのだとか。彼の部屋は荒らされており、そこには犬用のケージやら餌が散乱していたという。
地方に住む家族によれば、犬と中年のうだつが上がらぬ二人暮らしだったらしい。
ここまでが、僕らが調べられた限界だった。
だから……真実が白日の元に晒されたのはそこから更に数ヶ月。茹だるような夏がやって来てからだった。
近隣住民から、異臭がする。そう通報があった。
場所はいつかの桜並木、僕らが座っていたベンチのすぐ横にあったマンホールの中。そこから……。中年男性と思われる、腐乱死体が発見された。
誤って落ちた。とは考えられないので、殺人事件として捜査は進められるとのことだ。
「ほっといてくれ……か」
誰に告げるでもなく、僕はそう呟いた。桜並木は捜査用の黄色いテープで封鎖されていた。しばらく入ることは出来ないだろう。
それを他人事のように眺めながら、僕は消えた友人に想いを馳せる。
保健所の職員に向けてか。
構って欲しい照れ隠しか。
事件現場を猟犬のごとく歩く刑事へか。
あるいは、ハイエナのように群がるマスコミにだろうか。
多分、どれも当たっていて、間違っている。
彼らはきっと、お互いを一番に気にかけていた。だから立ち位置を確認し合えたあの夜、すぐに成仏したのだ。殺された云々は、多分二の次だったのだろう。
霊の記憶が曖昧だったのは、死が認められなかったから。そして何より、死んだショックとはいえ、大事な〝相棒〟を忘れていた事が、彼らにはこれ以上もない未練だったのだ。
「……安らかに」
近すぎたが故にお互い気づかなかったのは、かなり皮肉めいている。けど、大切だからこそ、目に見えないものもあると思うのだ。
そこには確かに絆があった。魂が融合してしまうほどに、強い絆が。
黙礼し、僕は歩き出す。
都市伝説との遭遇した結末を心に刻みながら。忘れないよ。そう心に誓い。そして……。
「……ワタシ、キレイ?」
「……んん?」
何処かで聞いたことがあるような。そんなフレーズと共に。僕の非日常な方の時間は、また動き出す。
霊感があるのは、オカルト好きにはありがたいけれど。ものには限度だとか、程度があると思うのだ。
恐る恐る振り返る。そこにいたのは……。
「ねぇ、ワタシ、キレイ?」
「……そのまさかだった~」