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転:桜並木の人面犬

 夜の闇が、街を覆っていた。

 生温い風と一緒に耳に届くのは、時折すれ違う車の駆動音と名前も知らぬ虫の声のみ。

 そんな中を、僕はメリーと手を取り合い、半ば急かされるように前へと進んでいた。

「どこまで行くんだろう?」

「さぁ? 御本人に聞いてみたら?」

「それが出来たら苦労しないよ」

 何となくだけど、好奇心に震えた声色でメリーが提案し、僕がそれを却下する。前を見ればそこには相も変わらず黙々と歩を進める、新堂さん。あるいはポチがいた。

 先導する人面犬は時折立ち止まり、鼻をひくつかせる。まるで辺りを警戒するようにも。何かを追跡しているようにも見えた。

 人面犬がまた進み、僕らがそれに続く。かれこれ一時間は経っただろうか。

 あの後、完全な犬になった新堂さんが、僕らの声に反応する事はなかった。彼の意志に従い、成仏させようと近づいても、飛び退き、逃げるだけ。一応メリーが「待て」を命じるも、これには従わず。待ては出来ないか、はたまた何としても成仏は避けたいのか。そのどちらからしい。


「……これ、大学に向かってないかい?」

「駅近くまで行ける桜並木だったかしら? 新堂さんと遭遇したのって」


 道行く方向から、何となくそんな予感がしてきた。

 犬には帰巣本能があるらしいけどまさかあの並木が住居ではあるまい。だとしたら考えられるのは……。


「……地縛霊?」

「かもしれないわ。日付が変わったから、あの場所に戻らなくちゃならなかったのかも」


 地縛霊。それは、霊のありふれた形。いや、在り方の一つだ。

 特定の場所に何らかの執着や念を残している霊で、基本的にその場所から離れる事はなく、仮に離されても様々な要因でもとの場所へ帰ろうとする。

 事故の犠牲者だったり、何らかの建物に執着した末に死んだ者がこれになることが多い。


「……ねぇ、メリー。君は言ったよね? 二体の霊が融合してるって」


 幽霊同士がくっつき、群体になる。は、実はありえない話でもない。大勢の人が犠牲になった場所で、霊の恨みが一つになり、理性なき怪物になっているパターンもある。だが、それらに総じて〝個〟はなく、あるのは折り重なった共通の意識。それがその群体の総意であり、感情になる。あそこまで綺麗に分かれる例を僕は今だかつて見たことがなかった。


「案外、二つだから折り合いが出来ていたのかもしれないわ。あるいは、二重人格に近いものか。どのみち、二つの霊が一つになんて、よほど関係が近しいか、それとも……」


 澱んだ暗い感情を覗かせながら、メリーは唇を噛み締める。「ちょっとだけ、嫌な想像をしちゃったわ」と、メリーは小さく呟いた。


「……グロい話?」

「グロい話よ。うら若き乙女が口にするには、結構憚れる位に」

「……まさか、事故に遇って同時に死んだ? トラックに撥ね飛ばされて、木っ端微塵になった一人と一匹の死体は、折り重なり、捻れ絡まって……」


 一人想像し、顔をしかめる。無念の死。その二つの魂が惹かれ合って、人面犬になった? そう僕が推測すれば、メリーは静かに首を横に振ると、おもむろに僕の方へもう片方の手を伸ばす。柔らかな指が、頬を撫で、そのままフニフニと僕の顔中を弄んだ。


「……メリーさんや、この行動に何の意味が?」

「あ、ごめんなさい。何となく。指が……」


 遊んじゃって、止まらなくて。と、恥ずかしげに笑いながら、メリーはコホン。と、小さく咳払いする。


「違うんじゃない? 仮に桜並木の傍で死んだならば……少なくとも私達の記憶には残ってる筈」

「……え? ああ、そうか。事故があったなら、僕らが気づくか」


 桜並木は僕らの駅から大学へ行くルートの一つ。

 普段は僕もメリーも利用しないから、あの人面犬がどれくらい前からいたのかは分からない。けれども、あんな近場で何らかの死者が出ていたなら、僕らの大学で話題にならない筈がない。

 そもそも……。


「あそこ遊歩道だから、車が通りようがないのか」

「そういう事。だから……そうね。川、あったわよね。その底に沈んでて、あるいは何かに引っ掛かって、まだ上がらないのだとしたら? そのまま泥の中で死体は腐敗して……」


 気がつけば、僕らは無言で見つめ合っていた。手を繋いでいると、おのずと肩は並び、目を合わせれば顔も近いことを実感する。口ほどにものを言うとはよく言ったものだった。


「やめよう」

「やめましょう」


 同時にそう口にして、僕らは話を打ち切った。なまじオカルトを追っていると、嫌な方にばかり想像がいくものだ。

 新堂さんのお茶目な姿を思い出す。酒をまた飲もうと約束した。友だと言ってくれた。

 だからこの行動にも、何らかの意味があるのかもしれない。

 ただの地縛霊ならば、新堂さんの意識が戻った時に説明すればいい。その上で、彼に選択を委ねよう。


 無言で僕らは、夜道を歩く。人面犬の後を追いながら。

 やがて、川の流れる音と、葉っぱが擦れるざわめきを耳にした時、僕らは想像が間違っていなかった事を思い知った。


「……歩いて来ちゃったね」

「三駅半くらいかしら。家を出て丁度一時間と少し。……終電なくなったわねこれ」

「まぁ、その時はその時だ」


 坂道を登り、人面犬は桜並木へと入っていく。僕らは深呼吸の後に、意を決して彼に続く。心臓は程よく高鳴っていた。


 結論から言うと、この夜をきっかけに、僕らは新堂さんの死の真相を知ることとなる。

 それは、言葉は悪いがありふれた悲劇だった。

 日常にそっと寄り添うように、誰にでも死は訪れる。彼らが縛られていたのは、その後日談――。有り体に言えば、幽霊皆が持ち合わせるもの。すなわち……強い未練の存在だった。


 ※


 たどり着いたのは、僕と新堂さんが初めて逢った場所だった。

 人面犬は桜を。その傍の道を。ベンチを。マンホールに、小さな金属製の四角いゴミ箱へと鼻を押しあて、最後に「キューン」と、哀しげに嘶いた。


「……ここ?」

「ええ、きっとここだわ。ここで、彼らは死んだのね」


 静かにそう語り、メリーは辺りを見渡した。

 繰り返しになるが、彼女は僕と同じく幽霊が視える。けど、僕のように触れたり、干渉する事は出来ない。

 それだけ聞くと僕の方が霊感が強いように思われかねないけど、厳密に言えばそれは違う。

 彼女は彼女で、ある種特異な力を持っている。メリーは幽霊や、その他この世に在らざるものに関する情報や概念を、その身を持って感じる事が出来るのだ。

 僕はラジオになぞらえて受信。彼女はもう少しスタイリッシュに幻視(ヴィジョン)と呼ぶそれは、彼女の視界の中に無差別かつ、唐突に刷り込まれる。本人いわく白昼夢に近いものらしい。

 長々と説明したが、要は僕の相棒は、僕以上に探知に長けている。それは、新堂さんの在り方に気づいた辺りで把握してもらえるだろう。


 ともかく。彼女が受信し、僕が干渉する。あるいは、僕らがその身でオカルトを引き寄せる。という方が近いかもしれない。

 互いの霊能力に無駄な程シナジーがあるお陰で、僕らはこれまで何度も非日常に触れてきた。

 そして……今まさに、その非日常の源泉たる場所に、僕らは降り立っていた。


「どうだい? メリー。何か視える?」

「……そうね、今のところは」


 何も。そう彼女が言おうとした時だ。そこで僕らははじめて人面犬がすぐ傍の足元にまで歩み寄っていたのに気がついた。


「…………クルル」


 喉を鳴らしながら、人面犬は僕らを見つめ、視線が自分に向いた瞬間に、まるで導くかのように身体を揺すり、一跳ねで一本の桜の木の下に座り込んだ。


「……バウッ」


 小さめに、声を潜めるように吠えた人面犬は、じっと此方を真剣な表情で見つめてきた。


「……えっと、何か伝えたいのかな?」


 そう察するも、それが何なのか分からない。僕が困り果てていると、メリーは「あら、今日は妙に冴えないわね」と、呟きながら、桜の根元まで歩み寄る。並木の道は鋪装されていても、流石にそこだけは土が通っていた。


「犬で、桜よ? ならもうやることなんて決まってるじゃない」


 何故か招き猫のポーズをとりながら、ここ掘れワンワン。と、メリーは歌うように口にする。


「こじつけが過ぎやしないかい?」


 思わず僕がそう言えば、メリーは少しだけ心外そうに頬を膨らます。


「犬が誰かの注意を引くときなんて、構って欲しいか、近くに何かが埋まっている時だって、相場は決まってるじゃない」

「結構すごい理屈だよそれ」


 肩をすくめながら、僕はそっと腕捲りする。だが、当然ながら周りに道具がない事に気がついた。手で掘る訳にはいかないし、どうしたものかと僕が少し途方にくれていると、メリーはちょいちょいと僕の腕をつまみ、続けてある一点を指差した。


「……あれで掘るの?」

「コンビニにスコップは流石に無いでしょう?」

「それは……まぁ、そうだけども」


 そもそも、こんな所で穴を掘っていたら、一発で通報されかねないのでは? という言葉を、今は飲み込んだ。つべこべ言ってるうちに何もかもがわからないままになるのは、流石に勘弁なのだ。

 そういう訳で、僕は傍にあった金属のゴミ箱を手に取り、ザックザックと根本を無心で掘り始めた。

 土がほじくれた時の、少し喉奥がしんしんする空気を鼻から吸いながら、僕はメリーと、今も傍らで食い入るように地面を見つめ続ける人面犬の見守る中、掘って掘って掘りまくる。


「ライト、点ける? スマホの」

「それこそ通報されかねないよ。ところでメリー、今……ふと思ったんだけどさ」

「なにかしら?」


 虫の声に混じり、金属が土を撫でる音が聞こえる中、僕は何となくとあるフレーズを思い出した。


「……〝おまえ、この爛漫(らんまん)と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう〟」

「……梶井基次郎の『櫻の樹の下には』ね。それがどうし……」


 メリーの言葉が、最後まで紡がれる事はなかった。

 不意にゴミ箱の縁にガチン。と、硬質な何かがぶつかったような手応えを感じ、僕は一瞬にして臍を指で突かれたかのような、むず痒くも気持ち悪い気分に陥った。


 嫌な予感は、得てしてよく当たるものだ。

 花咲か爺さんは、犬の死体……正確には遺灰で桜を咲かせた。

 美しいものを死と結びつけてしまうのは、もしかしたら人間に古来からある、何らかの本能めいたものなのかもしれない。

 かの作家も、そんな理由であのような物語を紡いだのだろうか。僕には、分からない。

 でも、今言えることはただ一つ。


「……辰、これって……」


 メリーが消え入りそうな声を絞り出す。

 怯えはある。だが、それでも僕らはそれから目を離せなかった。


 霊がいるとこに、死が。

 僕らが行く先にはオカルトが。

 繋がる縁は、ここでも複雑に。それこそ植物の維管束がごとく、絡まり合い。惹かれ合う。


「骨……だよね?」


 季節外れの葉桜の下には……何かの死体が埋まっていた。その瞬間、近くにいた人面犬の気配が、再び急速に変質した。


「……ああ、そうか。そうだったのか」


 全てを悟ったように、まるで何日も旅したかのように、人面犬……いや、新堂さんはポツリと呟いた。


「そこにいたんだな。だから……ほっといてくれなんて。ああ……。お前は死んでも尚……」


 めぐまるしく、まるで映像が巻き戻されているのか、早送りされているかのように、新堂さんの表情が変わっていき。そして……。


「ありがとう……ポチ」


 春が来て、雪が溶けるように。まるではじめからそこには何もいなかったかのように、人面犬、新堂さんは消滅した。

 後に残るのは、土埃をぼんやりと照らし出す、優しい月明かりと。その場に縫い付けられたかのように動けなくなった、僕とメリーの二人だけだった。



「辰……ねぇ、見て」


 どれくらい時間が経っただろうか、ぼんやりと新堂さんが消えた何もない場所を眺めていた僕は、メリーに促されるまま、暴いた死体に目を向ける。そこには……。


「これ、人じゃなくて、犬の骨だわ。……何となく起きた事は想像できたの。けど、それなら……」


 〝新堂さん〟の、死体はどこ?

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