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承:宅飲みと人面犬

「……私、メリーさん。今、無性に泣きたいの」


 部屋に入ってくるなり、テーブルの前に鎮座する新堂さんを見た相棒の、第一声がそれだった。

 何を言うんだ藪から棒に。と、僕が問えば、当の彼女はため息をつきながら、やれやれというかのように頭を振った。


「いや、だってね。貴方から飲みのお誘いよ? しかもお部屋で。夢じゃないかって頬っぺたつねったのよ?」

「飲みにいった事は今までもあったじゃないか」

「行った先の何となくの流れで。でしょ? こうしてひょんな事から誘ってくれたのは多分初めて……だったのに」


 どういう訳か、彼女の視線が恨みがましげに新堂さんへ向けられる。

 おかしいな。僕の見立てでは、彼女なら人面犬なんてものを目の当たりにして、まず驚いて。数秒後には持ち直して好奇心で輝いた目を見せてくれると思っていた。が、蓋を開けてみればこの通り。何故だ。


「おい。おい若者。貴様独り身じゃあなかったのか? なんだあれはけしからん。肉まんなんて目ではない。マスクメロンか」

「新堂さん少し黙ろうか」


 お酒を取り上げる素振りをすれば、新堂さんはキャンキャンと言いながら犬がよくやるお腹を見せるポーズをした。その何とも言えぬ絵面に、僕は不思議と泣きたくなった。


「冗談はさておき。彼女がさっき話したサークルの相棒で、同じ大学に通ってる、『メリー』です」

「……よろしく」


 僕の紹介に、相棒もといメリーはいささか仏頂面のまま、小さく会釈した。そんな態度でも妙に華やかなのは、美人さんの特権だと思う。

 肩まで伸びた亜麻色のセミロングヘアは、ゆるめのウェーブがかかっている。細みながらも肉感的さも兼ね備えたボディラインは、異国の血を引いているからこそだろう。

 浮世離れした美しさは、ビスクドールのような白い肌と宝石を思わせる青紫色の瞳も相俟って、まるでお人形さんのよう。そう喩えられても無理のない話だ。だからだろうか。その名を聞いた新堂さんは、あんぐりと口を開けたまま固まった。


「メリー、だと? ……さっきの口上。よもや君は都市伝説の……!」

「……あら、同業者さんはよくご存知で」


 メリーの返しに、新堂さんは驚きに目を見開き、そのまま僕の方へ何だか畏怖めいた視線を向けてくる。何となく、彼が言わんとしていることが読めて、僕は思わずメリーの方へ批難めいた視線を飛ばす。が、当の相棒はそっぽを向いて、わざとらしく舌を出すばかりだった。


「まさか……俺が人面犬になることで薄々感じていたが、かの有名なメリーさんまで実在したとは……。若者よ。君は何というか凄まじい経験をしているな」

「いや、彼女は……あー、まぁ。はい」

「彼ったら、私が電話をしても。後ろに立っても温泉で素っ裸で向き合っても殺しきれなかったの。以来彼は、愛すべき標的よ」

「おお……若者よ。凄いな。自ら都市伝説に挑む大学生など……フィクションの世界だけかと思ったぞ」


 仕返しの意味を込めているのか、メリーは妙にノリがいい。純粋な新堂さんは、もはや完全にメリーを自分と同じオカルトな存在と信じ込んでしまっている。

 色々理由はあれど本当はオカルト好きが高じて、自らメリーさん語っているだけ。そんなバッタもんが彼女なんだけれども、もう今更な感じがして僕は閉口した。

 本名だって、メリーとは欠片も関係ない上にやたら長く、日本姓まで入る凄まじいものだったりするのだが、これも語る必要はないだろう。オッサンの夢壊すのよくない。


「で、何? 今日のサークル活動は、人面犬との宅飲みかしら?」

「その通り。何でこうなったかはおいおい説明するけど、なかなか無い機会だろう?」

「なかなか無いどころか、一生に一度あったら語り継ぐべき事案ね」


 ため息混じりにメリーは手に持っていたスーパーの袋を僕に差し出した。

 ツマミやらは僕が用意してたけど、彼女も追加で持ってきてくれていたらしい。律儀だなぁ。と思いながら袋の中を確認すれば、中々に不思議なラインナップだった。


「トマトにバジル、オリーブオイル? と……チーズかい? これ」


 僕が問えば、メリーは相槌を打ちながら、指で僕の鼻を軽く小突いた。どんなチョイス? と言ったコメントが顔に出ていたらしい。


「後で台所借りるわ。調味料はあるわよね?」

「マイナーなものを除けば」

「お塩とブラックペッパーだけあればいいわ」

「なら問題ない。え、何? 手作りしてくれるの?」

「欠伸が出るくらい簡単なものだけどね」


 そう言って彼女は花咲くように微笑んだ。ちょっとだけクラッときたのは、きっと僕が男だからだろう。


「おい、若者よ。俺を置いてきぼりにするな。二人だけの世界を作るな」


 かりかりと、新堂さんが後足で立ち上がり、僕に前足キックをかます。サイズが柴犬なのでその威力はたかが知れているが、視覚的な衝撃はなかなかだった。


「ああ、ごめんごめん。じゃ、メンツも揃ったし初めますか」

「おう!」

「……何て言うか、ユニークってレベルじゃないわね。突然変異?」


 パタパタと尻尾を振る新堂さんを見ながら、メリーが小さく呟いた。

 その本当の意味すら分からずに、僕らの酒盛りは開始された。


 ※


「若者よ、俺は何故俺なのだ。俺とは何者だ? そもそも俺という概念は何なのか。いや、俺で自分を指すとはどういうことか。そもそも人は……」

「貴方は犬か人のどちらかですが?」

「それでいて霊ね。めんどくさい事に」

「辛辣う!」


 酒に酔った赤ら顔で奇妙な事を語りだした新堂さんに、僕とメリーの追撃が突き刺さる。

 ビールにカクテル、ワイン。思い思いの好みのお酒に加えて、ツマミも枝豆、サラミに裂きイカ。クラッカーとチョコレート。カットフルーツに、メリーの手作りカプレーゼ。てんでバラバラだ。

 そんなメニューが乗せられたテーブルを、男、女、犬が囲む。

 混沌(カオス)を通り越した喜劇的(コメディチック)な食卓にて、意外なことに僕らは楽しくやっていた。

 


 新堂さんの事情から。今の大学のシステムや様子に、僕とメリーの馴れ初め。霊が視え、オカルトサークルなんて珍妙なものに精を出しているから語れる、奇妙な怪奇譚まで。話題は尽きなかった。


「しかしまぁ、奇っ怪なサークルだらけな今の大学も楽しげだな。俺の時はどうだったか……」

「新堂さんも大学に?」

「んにゃ、俺は中退だ。働かざるを得なくなってな……」

「得なくなった? そこは覚えてるのかしら?」

「うーむ。ダメだ。何だろうな。喉ちんこ辺りまでは出てる気が……するが」


 チラチラとメリーを見る新堂さん。意図を察したのは僕だけではなくメリーもだったらしい。横目で流すの宜しく。何て言われたので、僕はため息混じりに口を挟む。


「犬には無いのでは?」

「若者よ。俺はそこのお嬢さんのお口から喉ちんこなんてないじゃないと言って欲しく……」

(しん)、玉ねぎはあるかしら? シメにカレーでも出すわ」

「俺は犬だぞ! 殺す気か!」

「新堂さん、もう死んでます」


 そうだった。と、舌を出す新堂さんは、とても楽しそうだった。セクハラも、もしかしたら距離を測りかねたか、お茶目から来るものなのかもしれない。

 犬用の皿からビールを啜り、「喉ごしが上手く味わえんのが残念だ」とぼやきながら、新堂さんは今度は取り分けられた裂きイカを口にくわえ、丸飲みした。


「……ああ、久しぶりだよ。こんなに話し、人の話を聞いたのは。ああ……」


 嬉しいなぁ。楽しいなぁ。

 染々と新堂さんは呟いた。

 深い黒目が僕を見る。それから読み取れるものがあり、僕は少しだけ、チクリとした胸の痛みを覚えた。


「未練になりそうですか?」

「そんな気がする。ヤバそうなら最後は一気のみでもするさ。良い子は真似するなと叫びながらな。その隙にやっちゃってくれ」

「……そうならないよう祈ります」


 少しの沈黙。破ったのは、急に点けられたバラエティー番組の笑い声だった。


「ちょ? メリー?」

「辛気くさかったんだもの。宅飲みなら、テレビ点けながら飲むのもオツなんじゃない?」


 毒にも薬にもならぬ、しょうもないトークを披露したコメディアンが、司会の男性にチョップをくらい、スタジオで笑いを誘っている。滑稽な。だけれども温かな雰囲気が感じられた。

「ああ、テレビもずいぶん久しぶりに見た気がするよ」そう呟き、項垂れる新堂さん。やがて、ありがとう。という言葉が絞り出され、新堂さんはビールに口をつけた。


 感謝を込めて、メリーを見れば、彼女は優しくウインクして、新しいビール缶に手を伸ばした。


「お葬式やお盆に、どうして豪華な料理を出し、お酒を出すんだと思う? 私は専門家じゃないし、色々諸説はあるんだろうけど、第一は死者を安心させる意味もあると思うのよ」


 私達は元気にやってます。貴方の死を悼み、それでも前に進みます。そんな意味が込められているのではないか。そんな所か。

 そういえば中国だかでは死者を弔うのに麻雀をやる。なんて話を聞いたことがある。牌を混ぜるガチャガチャしたあの音が縁起良いのだとか。


「今宵は新堂さんを送る為に開かれたのよ? 新堂さんが辛気くさい顔しちゃ駄目じゃない。主役なんだから」


 カシュンと小気味良い音がしてプルタブが解かれ、犬皿にビールが満たされる。奇妙なお酌の図に見えるかもしれないけれど、そこには確かに労りがあった。


「そうですね。送りが目的ですが、僕だってただ送る訳じゃありません。ちゃんと覚えています。未練になりそうでしたら、お盆にでも帰って来ればいい。またお酒くらいは付き合いますよ」

「……止めてくれ若者、お嬢さん。おっさんは涙もろいんだぞ? 酒が入ればそりゃあ凄いぞ?」


 顔を上げる新堂さんは赤ら顔で目を潤ませていた。垂れていた尾が振られている。感情が分かりやすいのは犬ならではだけど、今はそれに感謝した。ちゃんと言葉が届いた証だろうから。


「〝涙を流すことを恥と思う必要は全くない〟ですよ。お酒の席であろうとなかろうとね」

「チャールズ・ディケンズね。ついでにいえば、〝恥は一つしかない。すなわち、なんの恥も感じないということだ〟ってね」

「パスカルかな?」

「正解よ」

「何だ君らは、検索エンジンでもついてるのか?」


 泣き笑いする新堂さんは、僕らのやりとりに大学の友人らと同じような事を口走ると、注がれたビールをがぶ飲みする。

 肉まんの時と同じ、犬特有のかっ込み。だけれども、もうばっちいとは思わなかった。そこには何らかの決意が見えていた。

 酒の後、新堂さんは豪快にツマミを喰らう。全部一通り口にした所で、新堂さんは盛大なげっぷと共に、ごちそうさんと、短く口にした。


「〝人生ほど重いパンチはない。しかし、どんなにきついパンチだろうと前に進み続ければ必ず勝てる〟」


 試すように此方を見てくる。僕とメリーは顔を見合せ、互いに頷き合った。


 ロッキーかな?

 ロッキーかしら?


 そう返せば、新堂さんは嬉しそうに笑った。


「俺の好きな言葉だ。といっても、俺は基本的にTKO負けばかり喫してきた気もするが、それでもな。好きだった。つまんない灰色な人生だと思っていたが、それでも……大切なものがあって。生きていたんだと思う。粘り勝ちを狙ってな」


 勝てたぞ、俺は。そんな声が聞こえた気がした。


「若者のような友を得て、お嬢さんみたいな美人に酌をしてもらえた。だから俺は……何か未練があったのだとしても、あんたらの為に、悪霊にはなりたくないと思う。だから……」


 今なら逝けそうだ。やってくれ。


 その言葉を噛み締め、僕はゆっくりと新堂さんの傍に歩み寄る。

 一瞬視線を交わし。僕はそっと、新堂さんの方へ手を伸ばす。


 繰り返しになるが、僕もメリーも、霊感がある。それでいて、そんな体質が由来のちょっとした力がある。

 僕が出来るのは、幽霊やそういった現象や領域。概念に干渉すること。

 ざっくり言えば、幽霊と触れ合える。成仏させるとは、それが根源となった、いわば副産物のようなものだ。

 干渉し、成仏を促すか、無理矢理力を叩きつけるような形で昇天させるかの違いだが、今回は前者で行けそうだ。


「若者よ約束だ。また酒に付き合えよ。お嬢さん。悪かったな。もうじき日付が変わる。後は若い二人が夜中に二人きりだ。押し倒してしまえ」

「最後の最後に何言ってるんですか!」

「そうよ! どうせなら倒すより……って何言わすのよ!」


 一斉に叫ぶ僕らを、カッカッカと笑いながら新堂さんは交互に見て、静かに目を閉じる。気を取り直して僕が手を近づけると、丁度テレビの時報が十二時を告げて……。


 直後、新堂さんの纏う空気が変質した。


「…………っ!」


 ぶるりと、小さな身体が震えたかと思えば、新堂さんは弾かれたかのように僕の手から逃れた。

 二、三歩程後方へ飛び退いた新堂さんは、そのまま身を屈め、フーッ、フーッ……。と、荒い呼吸を繰り返しながら、警戒した目で、僕とメリーを睨み付けた。


「……新堂さん?」


 僕の呼びかけに、新堂さんは唸り声で返した。そこにはひょうきんなおっさんの表情はなく。人の理性を溶かした表情と、ギラギラした眼光は、紛れもなく縄張りの侵入者へと向ける(けだもの)のそれだった。


「……メリー、下がっ……」

「らないわよ。貴方が私を守る。私が貴方を守る。いいわね」


 強引に手を取り、メリーは僕の指に己の指を絡ませる。

 不思議でかつ現金な事に、それだけで、妙に力が沸くようだった。

 そのまま、怪奇と対峙する準備が整った僕らは、無言のまま、獣と化した新堂さんを見る。


 何が起きたのだろう。

 悪霊になった? いや、それは恐らくない。唐突すぎるし、新堂さんは本心から成仏を望んでいた。

 嘘をついていたようにも思えない。となると……。


「記憶が戻った? いや、もしかしたら、これが本来の姿? ……でも、犬から人の感情を手に入れたようにはとても見えないかったし……」

「あら、確かめる方法はあるじゃない?」


 僕が思考を巡らせていると、横からメリーがそう言って。


「……ポチ、どうしたの?」


 それだけで、唸っていた新堂さんに変化が訪れた。耳をピンと立たせ、何処と無く戸惑っているような様子で、メリーの言葉に。いや、メリーの告げた名前に反応している。


「……え?」


 訳もわからず、僕が立ち尽くしていると、メリーはやっぱりね。と呟いて、そのまま流れるように〝命令〟を下した。


「ポチ、取り敢えずお座り」

「……ウゥ……!」

「……ポチお座りっ!」

「……クーン」


 躊躇いがちに唸り、渋っていた新堂さんは、メリーの一喝でスゴスゴとその場にお座りする。さながら娘に怒られて縮こまるお父さんの図に……見えなくもない。


「……なぁにこれ? どうなってるの?」


 理解不能な事態に、もう僕はお手上げ状態だった。新堂さんはどうなった? 何でポチに反応した? というか、さっきまでの人間臭さが皆無だ。これではまるで……。


「あら、やっぱり貴方、気づいていなかったの?」


 僕が首を傾げていると、メリーはクスクスと忍び笑いをしながら、僕の肩に持たれるようにして頭を乗せる。甘いハチミツみたいな香りが鼻腔をくすぐるが、生憎どぎまぎするよりも、謎への追求の方に天秤は傾いた。


「えっと、ごめん説明を」


 降参の意を告げれば、メリーはちょっとだけ複雑そうに肩を竦めた。


「よく考えてみなさいよ。元が犬にしろ、人間にしろ。新堂ポチ=剛なんて、バカみたいな名前があると思う?」


 出てきた理屈は、結構身も蓋もなかった。僕のえ~っ。といった妙に味がありそうな顔を無視して、メリーはそのまま新堂さん……いや、今はポチらしき人面犬を見る。

 メリーの青紫の瞳は、獲物を追い詰めるサーチライトのように鋭く細められていた。


「あそこにいるのは、人の霊であり、犬の霊でもある。都市伝説の人面犬が本当に実在するかは知らないけど、あれはある意味で、そのアーキタイプになりうる例なのかも」

「人であり、犬? ……ちょっと待って、まさか……!」


 僕が稲妻に打たれたような面持ちでいるのを楽しげに見ながら、メリーは指でバッテンマークを作った。


「名乗ったのには、意味がちゃんとあったのよ。そこにいるのは、新堂さんであり、ポチ。二体の霊が本人たちも気づかないくらいに密接に融合している。その結果が、あの人面犬の亡霊なんだわ」


 クーン。といった切ない声が部屋に響く。そわそわした新堂ポチ=剛さんは、まるで何かを訴えかけるように此方を見つめ続けていた。

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