一章 2
空を映した海。
望むと地面が割れ、そこから水が湧き出し溢れ、とんでもない勢いで溜まっていく水は海へと姿を変えた。
そびえる太陽。
雲が集まり集まり、固まって圧縮されて、そこから顔を出したのは見知った太陽だった。
白い砂浜。
土が細かく震え、見ていると目が回る。震えるたびに粒は小さくなり、色を変えこうして美しい姿へ変わった。
それに寄り添うように小高い丘をつくる。大地が盛り上がり、その反動でパラパラと欠片が落ちる。落ちた欠片は隠れるように姿を消した。
そこに、僕の屋敷を建てた。建てたといっても、形を考えただけだけれど。それが思い通りにいったものだから、玄関、廊下、天井に、照明。隅々までに豪奢な飾りをあしらえる。
居間に食堂、自室。部屋の全てがとんでもなく広い。増改築を繰り返し奇妙な形になった僕の屋敷。廊下を歩いていると博物館にいる気分。ここは僕の屋敷なのにちょっと触れがたい。そんなふうに、慣れるのには時間が要った。でもここでの時間なんて手に余るほどあったので、出し惜しみする必要もない。
屋敷の隅々までが僕のものになった頃には、好き嫌いさえ出来ていた。自室兼寝室にとりつけた、隔たりなく海を楽しめる大きな窓がお気に入りだった。
「最高だ」
景色を眺めながらつぶやく。世界はどこまでも輝いていた。
十分にくつろぎ、余裕のできた僕は別のことをしてみることにした。
こんな大きな屋敷を作ったのだ。これ以上を望むのもなんだか申し訳ないような気もする。でも誰にそれを向ければいいのかもわからない。とりあえずもう一つだけ。そう思って僕は、迷った末に山のような宝石を生み出した。
部屋の中に積みあがったそれは圧巻だった。願う寸前はひょっとしたら叶わないんじゃないかともいつも思う。制限があるんじゃないかと。だから余計に大きく頼んでみたのだけれど、その通りになった。
確信を得る。思ったとおりに上手くいく。僕の望みを最大まで叶えてくれる。
僕は目を閉じ微笑み、少しそれを楽しんだ後。そっと山に手を伸ばし、崩れないように一つ手に取った。寝台の上に寝転がり、宝石をかざし、眺め、愛でる。
――ああ、なんて贅沢なんだろう。
それぞれが特別な光を宿し、その心を乱す輝きが僕の瞳を照らす。僕の視線はそれに導かれ、連れていかれる。どれだけ惑わされても問題はなかった。ここでは迷惑をかける相手もいない。だから僕は存分に心を乱した。
宝石を見ていると、他のものが一切見えなくなってくる。僕はここにいるのかどうかもわからなくなって、宝石の中にいるようにも思った。頭の奥がぼんやりとしてくるが、それも心地良い。
ずっと集中していても、ふとしたきっかけでそれが途切れることがある。宝石の魔性もそうだった。何度かそれが起き、現実と向き合うたびに宝石の輝きがつまらなく感じられる。そのたびに別の宝石を手に取り繰り返す。だけど、そうして全ての宝石にも飽きてしまった。
なんだか感覚が麻痺していた。積まれた宝石全てを本当に楽しんだのか、自分で信じられなかった。それでも宝石を見てもなにも思わない自分がいたのは確かで、そのはっきりしない頭でやることがなくなくなったことを理解した。
そうなるとなにかすることを考えなければならず、また別な願いをしようと思った。これだけの宝石が手に入れられたのだ。それならもう増えても減っても、なにをしようと関係ないんじゃないだろうか。
いつのまにかなにかへの遠慮のなくなった僕がいた。
考え、ここのところ何も食べていなかったことに気づく。食事をしようと思い、料理を呼び寄せた。
ご馳走にデザート。どんな量でも一人占め。においだけでも楽しめる高級料理から、僕の好きな安っぽいお菓子まで。肉に魚に野菜。和食に洋食、中華。皿に積み上げた料理の数々。種類も考えられるだけ揃える。
どれを食べようか迷うが、一番手前にあったものを口に運ぶ。
「美味い……」
これほどのものは食べたことがなかった。一口また一口。違う料理にも手を伸ばし、一口。食べ出すと止まらない。いつまで食べてもお腹が一杯にならないので、美味しい美味しいとずっと食べ続けた。
食べ散らかした皿には、また同じ料理が現れた。そのせいで一度食べたかどうかもわからなくなってしまい、別の種類を楽しみたいのに気づけばそれを食べていた。
箸を伸ばす手も次はどれを食べようとさ迷い、これ、は食べたかな。あれ、も食べたかな。
食べるペースに合わせ減るまいと増えていっていた料理もそのまま増えつづけ、僕の前で埋もれていく。
「はぁ……」
思わず箸を置く。
気づけば疲れてしまった自分がいて、僕は食べることをひとまず止めた。
少し眠ろうと思い寝室に戻る。けれどさっきまで寝ていたので目を閉じてみても時間が過ぎるだけだった。
しょうがないので僕は屋敷の外に出た。
日差しが眩しくて、僕にまとわりついた影を払っていく。大きく息を吸うと、草木のいいにおいがした。潮の香りもする。それだけで生まれ変わったようないい気持ちになる。
そこに風がやってきて、僕をどこかへ誘っているように思えた。その誘いに乗って、僕は空へと飛び立つ。
ふわふわと浮きあがった僕の体は不安定で、戸惑う僕は不格好だった。あれこれ試し、こうすれば上がる下がるなんてことを確かめていく。練習し、もう大丈夫だろうと思ったところで僕は大きく空へ飛び込んだ。
空から見る地上は格別で、芯から来る喜びに僕は震える。
腕を伸ばして回ったり、急降下してみたり。いろいろしてみて自信も手にした。
風と一緒に舞い続け、僕はやがて風になった。速度をあげると流れていく風景も線になる。そこで突然止まると目が回って、それもどこか気持ちよかった。上下がわからなくなるが、わからなくても関係がなかった。
気ままにさ迷い、留まり、漂い。
飛び続け、ふにゃふにゃになった僕は休憩しようと地上に降り立った。歩いていてもまだ飛んでいた時の感触は残っていて、それが奇妙で笑えてくる。
気分は高ぶったままで、落ち着かせようと息を吐く。そうしながら少し歩く。得たものを確かめながら、そっとそれをしまっておく。ちょうどそれが終わった頃。いつのまにかに開けた場所にいた。
そこでは海が待っていた。風はまた僕を誘うが、それを断わり今度は海に飛び込んだ。
海の中でも呼吸ができるし、どれだけ浸かっていても寒くならない。ひんやりと心地良い感触をいつまでも味わっていられた。熱を持った頭にはちょうどよく、それが冷えるのは快感でさえあった。
深く深くへ潜っていく。濃くなっていく海。一掻きすればどこまで進んでいける。海の流れに身を任せ、次に逆らう。溺れることがないので、好き勝手に泳いだ。
海と空は似ていた。上下左右全てがどうでもいいものに思える。僕はこうして内からの解放を味わった。
海から上がって頭を振る。水が飛び、皮膚にへばりついた髪をかきあげる。これだけ体を動かしても疲れていなかった。ここではそんなものに縁がないようだった。
僕は砂浜に腰掛ける。水滴が肌をくすぐる。濡れた肌を乾かそうと、僕は太陽の光を強くした。
天候も思いのままだった。晴天に飽きれば雨を降らし、雪を降らし。雲を繋げたり、広げたり。
体が乾くと、僕は屋敷に戻る。
向かうのは寝室で、思いつきに任せてまたあの窓からそれを眺めた。
雨や雪を物にぶつけて音を立て、続けて雷を小さく鳴らす。風を鋭く吹かせ、声にして。
僕は音楽を操る指揮者になる。
僕は指揮者であって、観客でもあった。
拍手を送るのは僕に。礼を返すのは僕。
朝は草原で風と共に駆け。昼は森をつくり、山をつくり。夜は月と星と踊る。
次はあれをやろう、これをやろう。それを試し、また次を考える。そんな日々が続いた。何度も繰り返し、どこまでも楽しんだ。
興奮は冷めることなく、笑いは絶えることもなく、僕は世界を謳歌した。
そうして、次は何をやろうと考えて。
――僕は凍りついた。
僕は、何も思いつかないことに気づいた。気づいてしまった。
もう全てを十分に楽しんでしまっていた。
――また、同じことをした。
宝石もご馳走も、魅力を失っていた。空も海もどこか白々しい。途切れることのなかった僕の笑い声はどこかへ吸いこまれて消えてしまう。どれだけ暖めようとしても、芯は冷え切っていた。退屈を転がしながら屋敷を歩いても、僕の足音が響くだけだった。
苛々した。
なにもかもが手に入るはずなのに。なぜこんなにも満足できないのだろう?
それが不思議で奇妙で、どうすればいいのかわからなかった。なにかないのかと考えてみても、思いつかず苛々が増えるばかりだった。
それを持て余し、使い道に悩んだ僕はただ眺めていることに耐えられなくなった。
突発的に行った破壊。手元にあった小さな壷が落ちて割れた。足元に広がった破片を見て、僕は少しだけ落ちついた。
きっとまだ楽しめる。
そう思い、始めた破壊。圧倒的な変化。自らの手による目に見える影響。
汚れない室内を汚し、濁らない海を濁す。緑を枯らせ、根こそぎ生命を奪う。
また少しだけ落ちついた。
でも、苛々はまたやってきた。
それをなくすために破壊を繰り返すたび、大きさは膨らみ、それをなくすための時間も大きくなり。減らしても減らしても気づけば増えており、また破壊を繰り返す。
太陽に強く願う。日差しは草原を焼き払い、海を干上がらせた。灰が舞い、ついでとばかりに風には毒を運ばせた。
苛々は募っていく。考える余裕もなくなって、手元に残った破壊という手段をすがるように繰り返した。
夜になれば全てが凍えていく。鈍り固まり落ちて砕ける。
台風、竜巻、洪水、津波、落雷、地震。
割れた大地は風で舞い上がり、それが大地に刺さりまた破片を生む。その隙間から水は溢れ、濁ってはそれを圧倒的な力で薙いでいく。雷で残った森も砕かれ原型をなくす。そうしてそれも流された。
――思いつく限りの破壊を試し。
風が嘆き、水が叫び。不協和音が響き渡る。
――安全な屋敷の中で、僕は頬杖をついていた。
なぎ払い、掻き毟り、握り潰し、息を止め。燃やし凍らせ、無に還し。穴が開き、ひびが入り、崩れていく。
大地は腐り、空はうねり、世界は荒廃していく。
――変わっていく世界をただ眺めている。
そうしても、つまらなかった。空を舞う喜びも、海を駆ける高揚も、もう味わえないのだろうか。
僕は悲観して、この場所を後にした。