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一章 望むだけ 1

 僕はそこへ辿りついた。

 ここは人の気配どころか、音も風もなにも感じられない。地平線は白と灰色。どこを向いても同じ景色。灰色の平坦な地面となにもない真っ白なだけの空。それだけが広がっている。

 その中央に僕は立っていた。でもどこにいようとこの場所は中央にいるように思えてしまうのだろう。少し歩いてみても見える景色はまったく変わらなかった。

 伸ばした僕の手は白と灰色を背景にすると色があるのが間違っているように思える。

 僕は本当にここにいるのだろうか。

 自分の顔を触ってみる。頬は丸くて柔らかい。それを確かめた指も、下へとたどっていけば華奢な腕、胸板、足が続く。

 声や顔立ち、その他のなにもかもが男らしいという言葉から僕を遠ざけている。

 それでもそれはこれまでこれから付き合っていく、僕だ。一つ一つを丁寧に確認して、僕は自分を強く持った。間違いはない。

 ゆっくりと視線を戻し、周りの景色がまた頭の中へと入ってくる。自分を確かにすれば、ここの違和感がまた一段と増した。

 ここは部屋なのだろうか。それともどこか、別の世界?

 疑問はいくつも涌いてくるが、いくら考えていてもここは静かに佇んでいた。ぼんやりといてもいなくても変わらないような存在感。

 ここにはなにもないけれど、それは僕に大きな解放感を与えてくれた。決して悪い場所じゃない。時間が経つにつれて、僕の中を歩き回るものがあった。それは次第にうずうずしてこらえていられなくなる。

「わー!」

 僕は叫んだ。声は反響することもなく、僕から広がっていく。それは僕がここ全体に染みこんでいくみたいだった。

 知らずに浮かんだ笑み。機嫌が良くなって、僕は腕を伸ばしてくるくると回る。

 地平線の向こうには、壁とかがあるのかなあ?

 見えない場所に目をやっていたけれど、ふと笑みを止める。なにかが動いていた。そこをじっと見つめる。おかしい。目をこする。

 地平線の近く。いや、違う。――地平線、そのものが動いている。

 勘違い? そう思った途端、動きは激しさを増した。世界が歪んでいく。それは次第に高く高く天へと伸び、僕が口を開けている間に空を塞いでしまった。僕は声を出せぬまま腰が抜け、尻餅をついた。

 それは壁だった。

 灰色の地面が突然折れ、空へと続いていく。そのままどこまでも。いくら見上げても境はわからない。

 見ているとそれがこちらに倒れてくるような錯覚で目が回る。頭痛がして頭を抱え、壁から目を逸らそうと後ろを振りかえる。

 そこにも壁があった。

 動悸が、激しくなった。堅くなった四肢に鞭打ち、見開いた瞳で他を見る。

 右にも左にも、壁。前にも後ろにも壁壁壁。

 僕は壁に囲まれていた。

「なんだよこれ」

 狭い。息苦しい。そびえたつ壁は僕に無言の圧力を与える。広かったはずの空間は、壁に仕切られただけで途端に表情を変えた。

 陰影はない。光もない。ただ灰色と白の二色。それは確かに壁なのに、見ていると壁なのか空なのかわからなくなってくる。思考が繋がってはちぎれ、目まぐるしく形を変える。

 僕はなにか余計な事をしてしまったんだろうか? 大きい声を出して騒いだから? 今も僕の心臓が大きな音を立てている。申し訳なくなって、僕は誰かに謝りたくなった。お願いだ。許してよ。

 声だけでは物足りず、頭を床にこすりつける。下げるたびに頭をぶつける。呼吸が荒くなる。それは強く頭を振ったせいか、心臓が激しく鳴るせいか。

 それでも僕は必死に謝り続け、許しを乞う。

 壁はただ黙っている。どれだけ謝ってもなんの反応も示さない。僕がどれだけ強く思っても、それを言葉にしても、壁はそこにいるだけだった。

 僕は疲れてしまい、ついにあきらめた。脱力感と共に思考も鈍くなっていく。呼吸は整い、鼓動も小さくなっていく。



 壁に囲まれた空間。その中で僕は点となっている。

 どうしようか。これではなにもすることができない。することといってもただ歩き回るか、こうしてなにかを考えているぐらいしかやることはないのだろうけれど。

 折角ここに来たというのにここにいても何かが変わるわけではないのだろうか。壁があってもなくても、それに変わりはない?

 ――それならここに来た意味がない。意味がないのならここにいることも意味がない。

 ここから帰った方がいいのか?

 ……帰ろうと思えば、帰れた。入るのは難しいが帰るのは楽なものだ。ただ遮断すればいい。ここのことを全て考えなければいい。自分からここを追い出すことでここからは離れられる。

 来てみてわかったが、一旦ここに入ることが出来れば後はそれの繰り返し。その時のことをそのままなぞっていけば、またここに辿りつける。帰ってもまた来ることは出来る。

 では、僕はなぜここに。なにを求めてここに来たのだろう?

「――クソッ!」

 悪態をつく。こんなことなら、壁なんてないほうがよかったんだ。けれどそう思っても仕方がないことだと溜息をついた。もう、帰ってしまおうか。

 その視界が突然奪われる。

「ぶは!」

 焦って首を振る。顔になにかがまとわりついてきて、それは口にまで入ってきた。手で拭いつつも嫌悪感と一緒に吐き出す。いったい何が。

 見ると、それは粉だった。灰色の粉だ。触っても、見なければ触っているのがわからない。粉は体から払うと砂になって、もっと細かくなって見えなくなった。

 僕は見えなくなった粉を目で追いかけていた。そのままその先を見る。

 灰色の粉が空から降っていた。

 何層も重なるように一面を覆うそれは、浮いているだけのようにも見えるがゆっくりと確かにこちらに降りてくる。それが一体どこから来ているのか気になって、僕はずっと遠くを見つめる。

 その間にも粉は降る量を増やし、僕の隣には粉の山ができていた。降り立った粉は地面に吸いこまれるように少しずつ消えていく。

 壁だ。壁が粉になっている。

 壁の天辺から粉になっていく様は、壁が崩れ、散っていくようだった。吐息に吹き飛ぶ泡のような印象で、それはみるみる地面に迫り、ついに壁は全て粉になった。

 積もった粉の山は崩れ、どろどろと端から消えていく。足元に流れてくるそれを見つめるが、僕の足に触れる前に消えてしまった。


 残ったのは、白と灰色の直線の風景だった。また元に戻ったのだ。

 目まいがした。自分の知らぬうちに重大な何かが起きて、置いていかれてしまったような喪失感と寂寥感。どこかに座りたい。ふらふらとおぼつかない足取りで少し歩き、そこに倒れようと力を抜いた。

 が、地面に降ろすはずだった腰が途中で勝手に休んだ。ギクリとしてそれを見る。

 いつのまにかに椅子があった。

 木で作られた変哲もない椅子が、どこからか、しかもちょうど座ろうとした場所に現れたのだった。

 感触も色も、どう見てもただの椅子だった。とりあえず座ってみる。座り心地は……まあ普通だ。

 初めは気味が悪かったが、触ったり様子を見たりして、なにも起きないとわかると椅子に身を任せて一息ついた。

 椅子から眺めた景色も変わりはなかった。伸びをすると妙な充実感を覚え、それをもっと味わいたくて目を閉じ、自分の中に潜る。

 ……やっぱり広いほうがいい。これで風でもあったら気持ちいいだろうにな。ああ、あと風に揺れる草木。

 呑気だなと自分を笑い、緩んだその頬をそのままにしておく。

 けれどその頬を放っておいてはくれなかった。その頬に優しく触れる一撫で。

 まさか……! 震える心をなんとか抑え、僕はゆっくりとまぶたを開く。


 緑が広がっていた。

 生命力の溢れる新緑。灰色だった地面は地平線まで続く全てを草原へと変え、そこを風が僕の頬にしたように我が子の如く慈しむ。それに応えて草木は楽しそうに歌い、微笑んだ。

 思わず立ち上がり、僕はそのまま立ちすくんだ。

 ――信じられない。

 白かった空は青く澄み渡り、手の届かないところまで遠く続いている。柔らかな雲も浮かんでいる。仮面をかぶっていたこの場所が、それを脱ぎ捨てたようだった。

 僕の脳裏に飛びこんできたその世界は心の中で描いた姿そのままだった。寸分の狂いもなく同じだった。

 そうして僕は気づいた。

 先ほどの壁。壁があるのではないかと想像した。本当にそれが現れたときも、後ろにも横にも壁があるのではないだろうかと不安に思った。

 粉になった壁。僕は壁がなくなればいいと願った。

 どこかに座りたいと思えば、椅子が。

 全て僕の思い通りに形を変えている――!

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