リチャード
「リチャード、ふたりで話そう」
と、俺は言った。リチャードは渋い顔をした。
俺は続けてこう言った。
「アンジェもフランポワンも一歩も引かないよ。それにキミにも立場がある、そうだろう?」
「……ああ」
「じゃあ、俺と話してくれ。キミもいつまでも役目が果たせないのは困るだろう?」
「……そっ、それはそうだが」
「馬から降りなくていい。お互い馬に乗ったまま話をしよう」
俺はそう言ってアンジェに目配せをした。
アンジェは口をとがらせながらも頷いた。
俺と彼女の馬にかけられた魔法、ミラー・イメージが解かれた。
俺はリチャードに向かった。
するとリチャードは渋々といった顔で馬を寄せてきた。
そして俺の馬の鼻先にピタッと馬をつけた。
「すばらしい乗馬技術だ」
「いや」
「先ほどは乗馬したままで戦っていたね。アダマヒアの騎士は騎乗戦闘をしないと聞いていたのだが、最近は違うのだな」
「いや、騎士は騎乗戦闘をしない」
「ということは、キミだけか? レオリック子爵が考えたのかい?」
と、俺はなにげなく訊いた。
するとリチャードは、とんでもない――みたいな顔をした。
それからすこし懐かしそうな顔をして、
「お嬢さま。グウィネヴィアお嬢さまの独創だ。ボクは、お嬢さまの練習に付き合わされていただけだ」
と言った。
それから、ちらちらと幌馬車隊のほうを見た。
グウィネヴィア……すなわちグウヌケルを探したのである。
俺は密かに、分かりやすい男だな――と彼を笑った。
しかし、愛嬌のある憎めない男だ――とも思った。
俺はこのリチャードとはほぼ初対面、話すのは初めてだ。
それなのに俺は、彼に対してすでに好意を持ちはじめていた。
「ふふっ、そのお嬢さまとの練習が役に立った。こうして合流することができたわけだ」
「……ああ」
「しかし、王妃さまの手紙を持ってきたというが、よくここにいると分かったな」
「すべて王妃さまはお見通しだ」
「しかしっ、いや、『しかし』ばかりで申し訳ないが、王国からここまで五日はかかるだろう?」
「だいたいそれくらいだ」
「だとすると俺たちがデモニオンヒルを出る前に、キミは王国を出たことにならないか?」
「ん? たしかに、そういうことになるな」
リチャードはそう言ってから首をかしげた。
俺は抜け目なくリチャードを観察した。
彼のリアクションから王国の状況を知ろうとしたからだ。
俺は訊いた。
「王妃さまや国王は、俺たちが国を捨てることを予見していたのか?」
「……それは分からない。が、デモニオンヒルで黒死病が発生したことは知っている。それを知った王妃さまは、いきなり結論したという。そしてボクに手紙を持たせて、あなたたちに渡すよう、ここに向かわせたのだ」
リチャードはバカ正直にすべて話した。
観察するまでもなかった。
彼は、訊かれたことをすべて包み隠さずしゃべる、お人好しなのだった。
「なるほど。しかし場所まで、みごと的中したな」
「王妃さまは頭脳明晰な御方だ」
「ふふっ、さすが鉄血王妃って感じだな」
と、俺が言うと、リチャードはさっと顔色を変えた。
俺は慌てて謝った。
「いや、すまない。国王と面会したときに、王妃さまのことをいろいろ聞いたんだ。俺にはそのときの知識しかない、俺は王妃さまのことをそのことでしか知らないんだよ」
「国王……フュンフ2世と話をしたのか?」
「まあね。ほらっ、俺はアンジェの婚約者だし、デモニオンヒルの領主だったから」
「たしかに……」
リチャードは、しばらく俺の顔をぼんやり見ていた。
俺はそんなリチャードのノーガードっぷりに、笑いをこらえるのに必死だった。
それと密かに王妃の洞察力に舌を巻いていた。
国王から話は聞いていたが、王妃はたしかにとんでもなく頭のキレる女だった。
とてもアンジェの母親とは思えない。
で。
その頭のキレる王妃が書いた手紙であるが――。
「では、リチャード、話はこれくらいにして本題に入ろうか。手紙を受け取ろう」
「ああ」
リチャードは手紙を差し出した。
俺はそれを受け取りながら言った。
「これが頭脳明晰な王妃さまから、アンジェへの手紙か。おそろしいな」
「なぜだ」
「キミはどこまで知っているか知らないけれど。俺たちはデモニオンヒルで宣戦布告をしてきたばかりなんだ。まあ、騎士団に包囲されてて、それを突破するために言ったことなのだが」
「………………」
「で。キミの話を聞いた限りでは、王妃さまはその宣戦布告も予見してそうじゃないか」
「………………」
「この包みを開けたら酷い目に遭うんじゃないか。そう思ってしまうよ」
「……おっ、王妃さまが」
「キミはなにか聞いてないか?」
「いやっ、なにも聞いてない」
「そうか。では包みを開ける前に去ったほうがいい。巻き添えを食うかもしれないよ」
と、俺はおどけて言った。
するとリチャードはいきなり激怒した。
侮辱するな――と、吐き捨てるように言った。
それからリチャードは、挑むような目をしてこう言った。
「王妃さまはそんな卑劣なことはしないッ! 王国はそのようなゲスなことなど決してしないのだッ!!」
「ほう、しかしデモニオンヒルの黒死病は、公子のドライツェンがその首謀者だと聞いたぞ」
「まさか!?」
「ズィーベンが言った」
「そんなッ!?」
「ふふっ、おまえたちの王族は、ずいぶんと卑劣な手をつかうではないか」
「………………」
「だからリチャード、包みを開ける前に去ったほうがいい」
俺は根性の悪い笑みでそう言った。
するとリチャードは、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ボクは去らないッ! 第一王女さまッ……元・王女さまが王妃さまの手紙を読むのをこの場で見届けるッ!! それがボクの使命だッ!!! ボクは王妃さまを信じるッ!!!!」
「しかしリチャード」
「王妃さまは言った。娘を愛してる、必ず手紙を届けてくれ――と。ボクはその言葉を信じるッ! 王妃さまを信じるのだッ!!」
リチャードは飛び跳ねるようにしてそう言った。
俺は苦笑いで、幌馬車隊のほうを見た。
するとアンジェがやってきた。
アンジェは馬を俺の横にぴたっと寄せた。
そして俺から包みを奪い、俺とリチャードが呆然とする目の前で包みを開けた。
手紙を取り出した。
こいつ。
なにか言えよ、相談ぐらいしろよ。
と、思ったけれど。
しかしたとえ相談されたとしても、俺は、この場で手紙を読みなよ――と言ったに違いない。
そう。俺はリチャードに付きあう気でいた。
別に彼の言葉に心を動かされたわけではないけれど。
でも、俺は彼とともに開封に立ち会う気になっていた。
理由などない。ただそんな気分だったのだ。
もしかしたらそういう気分になるよう、王妃に心理を誘導されたのかもしれない。
ものすごく遠距離から、しかも五日前に、このリチャードを介して間接的に。
俺は王妃に心理を誘導されている――かもしれない。
いや、まさかとは思うのだけれども。
「まあ、いいや」
俺はリチャードとともに、アンジェが手紙を読むのを見守った。
王妃からの手紙は高級な羊皮紙で、それが何枚もあった。
アンジェは手紙を馬上で、じっくりと読んだ。
初めアンジェは、パッと花の咲いたような笑みをした。
それから懐かしそうに目を細めた。
やがて彼女はうっとりとした顔をして、それから手を口にあてた。
しばらくするとアンジェは、ハンカチを取り出した。
はらりと、涙が頬をつたった。
「お母さま」
そう呟いてアンジェは馬上で突っ伏した。
やがて女児のように泣き出した。
それから遠く王国の空を見て、アンジェは母親の名を叫んだ。何度も叫んだ。
それはあまりにも美しい、母を懐かしむ娘の姿だった。
俺とリチャードは、そんなアンジェに心をうたれた。
まるで荘厳な宗教画を観たときのような、そんな気持ちになったのだ。
「これはっ」
俺はアンジェから手紙を取った。ざっと目を通した。
そこには、ただ、母親が娘のしあわせを願う気持ちだけが書かれていた。
美しい筆致でただそれだけを王妃はつづっていた。
なんの小細工もたくらみも下心も、そこにはなかった。
そして、そのありのままの真心がアンジェの心をうったのだ。
「ずるい」
俺は思わず呟いた。
やられた――と、大きくため息をついた。
そして悔しさいっぱいで幌馬車隊を見た。
やはり。
すべての魔法使いがアンジェを見ていた。
彼女たちはアンジェの姿をみて、事情を察し、そして故郷に想いを馳せていた。
デモニオンヒルに収容される前のことを思いだし、家族のことを懐かしんでいた。
みな一様に、切なくてほろ苦い、夢見るような顔をしていた。
やられた。
王妃は本心をつづった手紙を送ることによって、俺たちから王国への敵意をみごと消し去った。
たった一通の手紙で、俺たちの戦意を削いだのだ。
「まいったな」
別に本気で戦争をするつもりはなかったけれど。
しかし、こうも見事に釘を刺されては、ムッとする。
俺はイライラしながらリチャードを見た。
リチャードは、アンジェを見たまま、ぼろぼろと涙を流していた。
アンジェの境遇を思いやり、彼は涙を流したのだ。
「リチャード」
俺は穏やかに声をかけた。
リチャードは慌てて涙をふいた。
「すまない」
リチャードは精一杯の偉そうな態度をとった。ムスッとして胸を張った。
そういう態度でいるよう王妃に言われているに違いない。
俺はなんだか気の毒になってしまい、保護者のような気持ちになった。
そんな気分で俺はこう言った。
「リチャード。これから話すのは、デモニオンヒルの元・領主としての言葉ではないのだが――。このテンショウ、一個人としての言葉なのですが、聞いてもらえますか? 王妃さまにお伝え願えますか?」
「あっ、ああ」
「王妃さま。テンショウは、あなたの娘アンジェリーチカを必ずしあわせにします。そして、ここにいるすべての娘、アダマヒアよりいただいた娘さんを必ずしあわせにします――そう王妃さまにお伝えください」
俺は本心からそう言った。
本心をつづった手紙を送られては、本心を返すほかない。……。
リチャードは俺の顔を見たままでいた。ツバを呑みこんだ。
俺は、察しの悪いヤツだと密かに思いつつ、
「この言葉は、元・領主という立場を離れた『一個人』としての言葉です」
と、一個人を強調して言った。
するとリチャードは、ああっと声をもらした。
そして嬉しそうな顔をして、
「手紙はたしかに届けた。以上で王妃さまの使者の任務を終えるッ!」
と言った。
それからリチャードは、
「ここからは、使者の立場を離れた一個人としてのリチャードであるッ!」
と言って馬から降りた。
リチャードは、幌馬車隊のほうを見て、最上位の礼式で頭を下げた。
それからアンジェの馬の足もとで、地面に頭をつけた。
今までの非礼を謝罪した。
そしてリチャードは、俺のほうに向き直ると、涙で声をふるわせながらこう言った。
「セロデラプリンセサ伯! あなたの心遣いには、このリチャード、心から感謝しますッ!! ボクは第一王女さまや伯爵さまに、あのような態度をとりたくなかった。しかし、そういう態度をとるのがボクの使命だった。だからボクは良心の呵責にさいなまれながらも、あなたがたに失礼な態度をとっていた。そうするほかなかった。ボクには知恵がないからだッ!!!」
「……」
「そんなボクに、セロデラプリンセサ伯、あなたは救いの手をさしのべてくれた。そのことでボクは、第一王女さまや皆様がた、それに伯爵、あなたに敬意を表すことができたッ! 本心を伝えることができたのだッ!!」
「……」
いや、ずいぶんと感動されたものである。
俺がややあきれて見ていると、リチャードは興奮して言った。
「セロデラプリンセサ伯、このご恩は一生忘れませんッ! このリチャード、受けた恩は必ず返す。倍にして必ず返すッ!! ボクはそうやって今までずっと生きてきた。ですからセロデラプリンセサ伯、いつの日か必ず、このご恩は倍にして返させていただきますッ!!」
リチャードは、感極まって地面に額をうちつけた。
俺は慌てて馬を降りた。
そしてリチャードを抱き起こした。
が、このとき、俺の心にイタズラ心が突然わいた。
俺はこみあげるゲスな笑みを懸命に抑えつけながら、リチャードの肩を抱いてこう言った。
「リチャードさま、そのようなことを言われてはこのテンショウ困ってしまいます。わたくしはもう、領主でも伯爵でもないのです。今はゲスな魔法使い、ただのテンショウです。ですからリチャードさま、『受けた恩は必ず返す』と言うのなら、今すぐ返してください。あなたは王妃さまから直接命令を受けるような御方――そんなリチャードさまに貸しを作ったままというのは、このテンショウ、とても堪えられないのです」
「そっ、それは好いですが」
リチャードは、きょとんとした顔をした。
俺は密かにほくそ笑み、一筆記した。
それは『テンショウの妻』と題したリストだった。
俺は一列にひとりずつ、みんなの名前を書いた。
そして五列目を、グウヌケルのための空欄とした。
そこに名前を記せ、名を連ねよ――と、俺はあえて第五列を彼女のために空けたのだ。
「これを、デモニオンヒルにいるグウィネヴィアに渡してはいただけませんか?」
俺はリストを封印し、リチャードに渡した。
リチャードは満面の笑みで引き受けた。
「分かった。王国に帰る前に、デモニオンヒルを経由しよう。必ずグウィネヴィアさまに届けようッ!」
リチャードは朗らかにそう言って、馬に飛び乗った。
俺たちに別れを告げると、彼はさっそうと馬を走らせた。
惚れ惚れするほど、みごとな乗馬技術だった。――
さて。
その後のことは、ノクトゥルノで暮らしているときに風の噂で聞いた。
リチャードは無事、デモニオンヒルに到着した。
そして俺からのリストを、グウヌケルに渡した。
そのときリチャードは、「これでテンショウさんに恩を返すことができた」みたいなことを言ったらしい。
で。
それを聞いたグウヌケルは呆れながらも、リチャードに説教をしたようだ。
『テンショウさんは、おまえと私を逢わせるために、わざわざこのリストをおまえに託したのだ。
おまえがレオリック家の従者と知り、また、父から私がレオリック家の娘だと聞かされ、テンショウさんは気を遣ってくれたのだ。
どうせおまえは、幌馬車隊と合流したときに、私を探したのだろう?
それを見たテンショウさんは、おまえの気持ちを察して、わざわざ私のところにやったのだ。
このバカ。
おまえは恩を返すどころか、さらなる大きな恩を背負わされてしまったのだ云々』
この後、ふたりがどのようなやり取りをしたのかはよく分からない。
それでもリチャードの泣き出しそうな顔だけは容易に想像がついた。
ちなみに。
リストの五列目を空欄にした意図は、正しく、グウヌケルに伝わった。
第五列とは、内応者のこと。
西暦1936年のスペイン内戦にて、四列縦隊を率いたモラ将軍が「マドリードは内応者からなる五列目の部隊によって占領されるだろう」と言ったことがその語源である。もちろん、このことは騎士の規範録にも記述されている。




