エンター・ザ・ノクトゥルノ
俺は城に戻った。
そこで緒菜穂たちからの熱烈な歓待を受けた。
俺は彼女たちに身をまかせた。
まるで洗濯機のなかに放り込まれたようだった。
すべてが終わると、俺はこれからのことを考えた。
緒菜穂が俺の胸もとで、小さく丸まっていた。
俺は彼女に語りかけながら、考えをまとめていった。――
翌朝。
俺は玉座の間に、みんなを呼んだ。
アンジェたちが集まった。
俺はゆっくりと息を吐いた。
それから、みんなを見ながらサッパリとした声で、
爵位を返上する――と言った。
王国から受けた称号や勲章をすべて返す――と言った。
そしてこの城塞都市を去るのだ――と、俺はみんなに向かってそう言った。
アンジェたちは口をぽっかり開けたままでいた。
「勝手に決めてごめん」
「テンショウ?」
「デモニオンヒルの西に黒き沼がある。そこには、かつてモンスターの女王が棲んでいたという。遺跡があるという。俺はそこに行くことにした。王国を去ることにしたんだよ」
「えー? テンショウさん、いきなりですよぉ」
「モンスターの古代語で『ノクトゥルノ』という。俺はそこを目指す」
ノクトゥルノ……我々の言葉ではノクターン。
それは夜想曲のように自由でロマンティックな響き。
俺たちに約束された場所。
俺は緒菜穂とともにそこに行くと決めた。
そこに魔法使いの国を造るのだ――と、俺は決めたのだ。
フランポワンは悲しげな目をして、ちいさく頷いた。
アダマヒアに愛想をつかしたンね――と、やさしく言った。
俺は、挑戦したくなったんだよ――と、自嘲気味に笑ってやんわり否定した。
が。
あの黒死病に背中を押されたのは確かなことだった。
王国は超えてはいけないラインを踏み越えた。
俺はそのことで、この生活を捨てる決心がついたのだ。
「俺はこれから旅に出る。緒菜穂は『ついていく』と言ってくれた。それで、キミたちのことなのだけれども……」
俺はそう言ってアンジェたち、それからその場にいた騎士や従者を見まわした。
そして言った。
「キミたちは、このデモニオンヒルで今までどおり暮らすことができる。言うまでもないが、俺が今やろうとしていることは、ただ単に領主が仕事を放り出して居なくなる――それだけのことなんだ。だから、このままここにいれば新たな領主がやってくる。そして、今までと同じように暮らすことができる」
騒然とするなか、俺は言葉を続けた。
「もちろん、そうしてもらって構わないし、そうしたほうが好いとは思ってる。しかし俺は、キミたちに一緒に来て欲しい。だから、俺はこれからひとりずつ、キミたちを誘う」
俺はそう言ってメチャシコを見た。
メチャシコは大きく目を見開いた。
「メチャシコ。来てくれるか?」
「……えへへ」
メチャシコは照れくさそうに視線を外して、それから、ちらっと俺を見た。
ちょこんと可愛らしく舌を出した。
そして満面の笑みで頷いた。
俺はメチャシコのネクタイを外した。
彼女は俺の腕にしがみついた。
「フランポワン。来てくれるか?」
「うち、魔法使いじゃないけどええン?」
「ふふっ、差別とかしないから安心しろ」
「んふふ。立場逆転やねえ」
そう言って、フランポワンはスケベな笑みをした。
俺は強引に腕を引っぱり抱き寄せた。
「マコ。来てくれるか?」
「ッ……」
マコは怯えた目をして言葉を詰まらせた。
それから視線を俺から、緒菜穂、メチャシコ、フランポワンへと移した。
彼女たちを舐めるように視た。
マコは、三人の巨乳を視て萎縮した。
泣き出しそうな顔で俺を見た。
あきらかに、ためらっていた。
「来なよ」
と、俺はまた言った。そのとき、
「ちょっと!?」
マコの背中を、グウヌケルが押した。
マコは勢いよく飛びだした。そしてその勢いのまま俺の胸に飛びこんだ。
うかがうような瞳でマコは俺を見上げた。頬を赤く染めた。
じわっと喜びを浮かべた。
グウヌケルは、べえっと舌を出してイタズラな笑みをした。
それから俺に向かって騎士団礼式の最上位の敬礼をした。
そして声をかける隙をいっさい見せずに、アンジェの後ろに隠れた。
俺は苦笑いをした。
アンジェを見た。
「アンジェ」
俺は声をかけた。
「……テンショウ」
アンジェは悲痛な声だった。
俺は真剣な面持ちで言った。
「アンジェ。キミに来て欲しい。でも、デモニオンヒルのみんなのことを思うと、キミには残って欲しい。キミは彼女たちの素晴らしい領主だよ」
「………………」
「アンジェ。キミはこのアダマヒアで誰より美しい。俺はその笑顔を独り占めにしたい。アダマヒアから奪っていきたい。でもできないよ。アダマヒアはキミを必要としている。だからアンジェ、しあわせになるんだ」
俺は心からそう言った。
アンジェはその大きな瞳いっぱいに涙を溜めた。
胸もとでコブシをつくり、まっすぐに俺を見た。
それから顔をそむけ、肩をふるわせた。
ハンカチを取り出した。
俺は背を向けた。
そして。
緒菜穂たちを連れて俺は城を出た。
セロデラプリンセサ伯から、ただのテンショウに戻ったのである。――
俺たちは城を出て、アダマヒア門に向かった。
緒菜穂は俺の手をぎゅっと握っていた。
メチャシコたちは言葉を交わすことなく、しかし晴れやかな顔でついてきた。
俺もサッパリとした気分だった。
アンジェのことに心は痛んだが、このまま立ち去るべきだと思った。
いつまでもこのデモニオンヒルの領主をやり続けることはできない。
俺には王になるつもりも、アンジェひとりを特別扱いする気も結婚する気もなかったからだ。
ならば未練が残らないうちに去ったほうがいい。
と。
俺は思った。
それがお互いのためだと思った。
それが彼女にとって良いことだと、そして好いことでもあると、俺は思ったのだ。……。
眼前の十字路を曲がれば、すぐにアダマヒア門だ。
そんな開けた場所で、俺は街並みをぐるりと眺めまわした。
なにもかも懐かしかった。
ほんのわずかな期間なのに、そして、客観的には俺は捕らえられ収監されていたというのに、それなのに、このデモニオンヒルでアンジェと過ごした日々は、俺にとって、かけがえのない甘美な思い出となっていた。
「まいったな」
目の前には、アダマヒア門が迫ってる。
内門のところで番兵が頭を下げている。
魔法使いたちがわらわらと集まってくる。
と、そのときだった。
「テンショウ!」
遠く後ろから、アンジェが叫んだ。
彼女が追ってきたのだ。
俺は歩みを止めた。
それから歯を食いしばり、天を見上げた。
振り返らなかった。
俺は振りむかず、そのまま一歩前に踏み出した。
歩きはじめた。城門へと進んだ。
それが。彼女のためだと俺は信じたのだ――が。
突然、俺の前に、緒菜穂が潜りこむようにして出た。
そして、
ぱぱん! ぼすっ! どんっ!
「ちゅちゅう!!」
と、怒濤の連続攻撃を俺にキメた。
俺はこの唐突なコンビネーション・アーツによって吹っ飛んだ。
「痛たた……」
俺は身をよじり上体を起こした。
顔をあげた。するとアンジェと目が逢った。
俺はアンジェのすぐそばまで吹っ飛んでいた。
「テンショウ! 私も連れて行って!!」
アンジェは、いっしんに言った。
俺は立ち上がってアンジェを見た。
アンジェの後ろには、たくさんの魔法使いがいた。
彼女とともに、俺たちを追いかけてきたようだった。
「テンショウ」
「アンジェ駄目だよ」
「私も連れて行って!」
アンジェは悲痛な声をあげた。
俺は穏やかな笑みをして、ため息をついた。
それからこう言った。
「俺はゲスな魔法使い、普通には生きられない男だ」
「………………」
「それでも、いいなら来い。誰にもできない生きかたをさせてやる」
「テンショウ」
「アンジェ」
俺は思いっきりのゲスな表情をつくって彼女を誘った。
アンジェは満ち足りた笑みをした。
が。
ぽんと手を叩いて、それからアンジェは唐突に言った。
「待って! いっ、行く前に、ひとつだけ条件があるわあ」
「はあ!?」
俺はアホみたいな顔をして、アホみたいな声をだした。
後ろからフランポワンたちの、ぷっと噴きだす声がした。
それからアンジェが言った。
「愛してるって言って! わっ、私はテンショウのことが好き、愛してるわあ!! だからあなたも言って。ねえ、テンショウ、それが条件よ!!!」
と、アンジェがみんなの前で大声で言った。
魔法使いから黄色い声があがった。
俺はかるい目眩をおぼえた。
そんななか、アンジェはキリッと眉を絞っていた。
誇らしげに胸を張り、ドヤっとした顔で俺の言葉を待っていた。
アンジェだけでない。
この場に集まった魔法使いは、みな、固唾を呑んで俺の言葉を待っていた。
俺は困り顔でため息をついた。
するとアンジェが追い打ちをかけるようにこう言った。
「一度だって言ってくれないじゃないのよ。私、さびしいわあ」
この言葉でアンジェは、すべての魔法使いを味方につけた。
俺は眉を絞った。
数分にも数時間にも感じる時がすぎた。
そして。俺は、衆人環視のもと、アンジェにこう言った。
「アンジェがクソババアになって、寝たきりになって、いよいよ死ぬといったそのときにな。言ってやるよ」
俺は言いながら顔面が熱くなっていくのを感じた。
最後のほうなど吐き捨てるような言いかたになってしまった。
言い終えると、魔法使いたちが悲鳴のような喜びの声をあげた。
そんななか、アンジェはアホみたいに口をぽっかり開けていた。
「行くぞ、アンジェ」
「待って、まだ聞いてないわあ」
アンジェが口を尖らせた。
するとその横から、グウヌケルがピシャリと言った。
「死がふたりを分かつまで、共に暮らそう――って、今、言ったんですよ」
「えっ!?」
「愛の誓約ですっ。プロポーズですよ」
グウヌケルが、ため息混じりにそう言った。
それから彼女はイタズラな笑みで俺を見た。
「あー」
アンジェは、ぽんと手を叩き、それから、ぱっと花の咲いたような笑みをした。
そして誇らしげに胸を張り、得意げな顔をして俺のもとに歩いてきた。
それを魔法使いたちは夢見るような瞳で見送った。
俺の後ろからは、緒菜穂やメチャシコたちの母性に満ちたため息が漏れた。
アンジェはまるでレッドカーペットを進むハリウッド女優のようにキラキラとした笑顔をしていた。俺は苦笑いをした。
そして。
俺はアンジェに向かいながら、笑い混じりにこう言った。
「どこまでもコウマンな "愛おしい" クズ姫様だよ」
俺は手を差しのべた。
アンジェは全身全霊を浴びせるように、俺の胸に飛びこんできた。
大歓声、大喝采がおこった。
俺たちは大いなる祝福につつまれて、城門をくぐるのだった。――




