その3
「本日は、ザヴィレッジ邸からご子息とご息女がお見えになっています。王国からも王家の皆さまが来られておりますので、若い皆さまで軽食をなされているのでしょう」
と、女騎士が言った。
俺たちは、声のするほうを見た。
垣根にさえぎられてよく分からないが、たしかに向こう側では若者がはしゃいでいた。
「ははあ。言われてみれば、いい匂いがするねえ。お肉が焼ける匂いかねえ」
と、オバチャンは朗らかに言った。
そして俺の肩に手をのせ、しんみりと言った。
「あんた、悪いことしたねえ。こんな仕事をさせちゃって。うちらの姉さんが体調を崩さなければ、こんな場面に出くわすこともなかったのに」
「……なにがですか?」
「だって、あんた。あの垣根の向こうで楽しんでいるご子息たちと同じ年頃だろう。つい最近まで魔法使いじゃなかったんだろう?」
「はあ、まあそうですけど」
「すまないねえ。なんなら後は、あたいらに任せて斡旋所で待っててもかまわないよ。なあ、受付ちゃん? あたいらこの子の分まで働くからいいだろう? それでお給金は三等分してもらってさあ?」
オバチャンは、優しげな、しかし大きな声で言った。
女の子は、ぎこちない笑みで固まった。
その横で、女騎士は気まずそうに視線を逸らしていた。
オバチャンには、まったく悪気がなった。
嫌味のつもりでもなんでもなく、ただ、親切から言っただけだった。
それだけに、余計にいたたまれない空気になった。
だから俺は朗らかに言った。
「お気遣いありがとうございます。でも、このまま仕事をさせてください。人の生まれつきの運不運がいろいろだってことは、俺も知ってます。それでふてくされるほど俺はガキではありません」
「はあ……。あんた立派だねえ」
「いえっ」
「こんどオバチャンたちがヤキトリでも奢ってやるよう。ははは、オバチャン相手はイヤだって?」
「いえっ、そんなことは」
言ってない。
思っただけで。
「なあに、そこの受付ちゃんも若い娘たちも誘ってやるから心配しなくてさあ」
「ああ、はい」
「それにあんた、いつか立派になるよ。こんなお屋敷がもてるくらい、立派な魔法使いになるよ」
オバチャンは大らかに言った。
「そのときには、ヤキトリをたっぷりご馳走しておくれ」
「そうそう、倍にして返しておくれ」
オバチャンふたりは、カラッとした大きな声で笑った。
その騒々しさに、女騎士と女の子はそわそわした。
ご子息たちに聞こえないかと心配したのだ。
俺も苦笑いしながら、チラチラと垣根のほうを見た。
すると、そこから突然、金髪のポニーテールが飛びだした。
「あら、テンショウ」
アダマヒア王国第一王女アンジェリーチカだった。
垣根のわきから飛びだしたアンジェリーチカは、爽やかな青のドレスを着ていた。その胸もとには大きな宝石が輝いていた。
まっ白な頬を上気させていた。
俺を見て、彼女は青い瞳を大きく見開き、口をぽっかり開けた。
その表情のまま、ゆっくりしゃがみ、ボールを広い、ゆっくり立ち上がった。
そして、きゅっと眉を絞った。
アンジェリーチカは気取った感じで、こう言った。
「あら、テンショウ。お久しぶりね」
その言葉に俺は自然と背筋が伸びた。
声が出ず、つばを呑みこむように頷いた。
そんな俺の態度を見て、アンジェリーチカの表情が一気に和らいだ。
このちょっとしたやりとりの末に、俺は首輪を付けられたような気がした。
アンジェリーチカは、俺の首輪にヒモを付けてそれをしっかりと握ったような、そんな気になっていた。
それが、アンジェリーチカの表情から見てとれた。
そして恐ろしいことに、俺も彼女もそのことによって、ほっとした。
「こっちで、ちょっとしたパーティーをやってるのよ。好かったら来ない?」
そう言って、アンジェリーチカは眉をキリッとしたままニコリと笑った。
女の子と女騎士のほうを見た。
「かかかっ、かしこまりましたぁ!」
ふたりは勢いよく頭を下げて、俺のところに来た。
慌てて俺の背中を押して、
「後のことはまかせて、はやくアンジェリーチカ様と一緒に行って」
と、小声で器用に叫んだ。
するとオバチャンが、女の子に向かって大らかにこう言った。
「あんたも一緒に行ってやんな」
「ええーっ!?」
女の子は声を裏返して悲鳴のような声をあげた。
アンジェリーチカは微笑んで、「ふたりとも行くわよ」と言った。
くるっと軽やかに舞うようにして、垣根の向こうに去った。
俺と女の子は、慌てて追いかけた。――
垣根の向こうでは、ちょっとした立食パーティーが行われていた。
アンジェリーチカが俺たちを連れて戻ると、そこにいた若者たちは驚いた。
彼らは、俺たちを好奇の目で見た。
そんななか、アンジェリーチカは言った。
「ちょうどそこで庭仕事をしていたから連れてきたの。彼女は、斡旋所の受付をしているメチャシコ。そして彼は、この前ここに来たばかりの魔法使いテンショウよ」
「こんにちは」
と、メチャシコと紹介された女の子は頭を下げた。
「って、メチャシコ!?」
「えっ? わたし名前言ってませんでしたっけ?」
「いやっ、聞いてないと思うけど」
というか絶対聞いてない。
そんなおもしろい名前だったら一度聞いたら絶対に忘れない。
そう思って俺が眉をひそめていると、アンジェリーチカが、まるで鬼の首を取ったかのように言った。
「あなた、人の名前を忘れるなんて酷いわね」
「いやっ」
俺が口を尖らせると、アンジェリーチカの隣から好青年が顔を出した。
そして話に割り込んだ。
「いやいや、彼も来たばかりで覚えることが色々あるんだろう。なあ、キミ。僕のことを覚えてるかい?」
「ああ、あなたは」
「ふふっ、一度、モンスター討伐に一緒に行ったことがある。僕はあのときのキミの活躍を見て、一発で顔と名前を覚えたよ。ちなみに、あのとき一緒にいた魔法使いは、ソクハメボンバとグウヌケルというんだが」
「グウヌケルぅ!?」
「あはは、その様子じゃ彼女たちの名前も覚えてないようだ。なあ、アンジェリーチカ、あとでこっそり、彼に僕の名前を教えてあげてはくれないか」
傷付きたくないのでね――と、好青年は言ってウインクをした。
すると、アンジェリーチカが間髪入れずに、こう言った。
「分かりましたわ、アダマヒア王国第八公子・アハト義兄さま」
「あはは、やるじゃないか。アンジェリーチカ」
このやりとりに若者たち……貴族の子女は、どっと笑った。
俺とメチャシコは、面白いとは思えず困り顔で無理やり笑っていた。
すると、アハト "義兄さま" が、ねちゃっとした言いかたで話しかけてきた。
「なあ、テンショウ君。キミは来たばかりだから知らないだろうが、ここデモニオンヒルに来た魔法使いは、新しい名前を我々王族から授かるんだよ」
「はァ。そうなんですか」
「そうなんだ。ここの魔法使いは、アダマヒア、ザヴィレッジ、それに穂村といった様々なところから集められている。様々な職業・身分だったりする。過去に敵対関係にあった者同士だったりするんだよ。だからね、そういったシガラミから解放する意味もあって、キミたち魔法使いは新しい名前になるんだ」
「なるほど」
「それでキミの名前なんだが、少し悩んでいてね。ほら、キミは魔法使いのなかで唯一の男じゃないか。まあ、なんというか、アンジェリーチカからは聞いていると思うけど」
「義兄さま?」
と、ここでアンジェリーチカがアハト義兄さまを止めた。
しかし、アハト義兄さまは根性の悪い笑みで続けた。
「僕はね、『スタリオン』が良いと言っているんだが、格好良すぎるってみんな言うんだよ。もっと分かりやすく『タネウマン』みたいな、そんな名前が良いんじゃないかって。まあ、スタリオンもタネウマンも同じ意味なんだけど」
「義兄さま!」
アンジェリーチカが怒りをあらわにして叫んだ。
すると、どっと笑いが起こった。
それで笑われている俺はというと――。
怒りに震えるといったことはなく、妙に冷静でいた。
冷淡に、さりげなく、しかし蛇のような陰湿さでアハト義兄さまの睾丸を魔法で温めていた。
たぶん、アンジェリーチカが激しく怒ったせいだと思う。
彼女の怒った姿を見ることによって、俺は冷めてしまった。
怒る機会を失ってしまったのだ。
で。
そんな感じで俺がこっそり魔法を使っていると、アンジェリーチカが凜として言った。
「彼の名前は、これからもテンショウです。それと、魔法使いの改名は廃止します。これはデモニオンヒル都市会長アンジェリーチカ第一王女の命令です」
この言葉で貴族の子女たちは、しゅんとなった。
俺は、まるで飼い主に助けてもらったような――そんな惨めな気持ちだった。
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
アハト義兄さまに種馬だと言われた。
→気付かれないよう睾丸を温めてやった。
……『精巣を温めると不妊になる』というウワサをふと思い出しての仕返しだった。そのウワサの真偽はどうであれ、俺の気が晴れたことにかわりはなかった。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
城塞都市からの使者・アンジェリーチカ第一王女に、まるで汚物でも見るような目で見られた。
屈辱的な姿勢で、後ろから指をつっこまれた。