その4
翌日。装甲幌馬車は、デモニオンヒルに到着した。
俺は素直に収監されることにした。
その気になればアンジェリーチカや騎士を倒して、逃亡することはできた。
しかし、無傷で逃げるのは難しそうだし、そもそも逃げ出してどうするのだと、すぐに思った。踏みとどまった。
俺はたしかにチート的な魔力を手に入れたが、しかし、この広大な大自然のなか、それでどうやって生きていくというのか。
もし逃亡すれば、すぐさま王国全土に指名手配がされるだろう。
しかもその罪状は、第一王女・アンジェリーチカの指揮する装甲幌馬車からの逃亡である。
たとえ彼女を傷付けなかったとしても、彼女の名誉に傷を付けることになる。
王国を怒らせることになるだろうし、国民だって王国に協力する。
なぜなら。
アンジェリーチカは――魔法使いへの差別感情を持ってはいるが――礼儀正しくて微笑みを絶やさない、誰にでも愛されるような王女だからだ。
しかも金髪に青い瞳、まっ白な肌に迫力のあるバスト。美人である。
おそらくは十代後半、世間ズレしていないところが少し心配な――お姫さまである。
そんなアンジェリーチカに、国民は必ず味方する。
だから逃亡すれば、王国すべてを敵にまわすことになる。
逃亡できるわけがない。
こんな仕事を第一王女にさせるなよ――と、心から思う。
心から恨めしく思う。
ほんと、そう思うのだけれども。
しかし。
そのアンジェリーチカが都市会長だということが、俺を踏みとどまらせてもいた。
このお人好しで、名誉や規則を重んじるお姫さま――アンジェリーチカがトップなら、城塞都市の暮らしはそれほど悪くはないはずだ。
それに、たとえ劣悪な環境だったとしても、アンジェリーチカがトップなら抜け出すことは容易だろう。このお姫さまのワキの甘さ、チョロさは、城塞都市で働く者たちにも伝わっているはずである。自然と警備はゆるくなっているだろう。
だから簡単に逃亡できる、と。
俺はそう思った。
おとなしく収監されることにした。
それがベストだと思った。
俺はそう判断したのだ。
が。
しかし、その判断は間違いだった。――
「止めろォォオオオ!!!!」
デモニオンヒルの城門、その一室で俺は叫んでいた。
机に上半身を押さえつけられていた。
手錠に鎖が付けられ、机に固定されていた。
そしてお尻をつきだした状態で、俺は後ろに向かって叫んでいた。
「止めろォォオオオ!!!!」
しかし返事はなかった。
ただ、部屋から騎士たちが出たことは分かった。
チェイン・メイルがこすれる音が遠のき、そして、しなくなったからだ。
「失礼します」
と、女の声がした。
それと同時に、俺は服を脱がされた。
あっという間に裸にされた。
俺は全裸で机に突っ伏し、お尻をつきだした状態になったのである。
「ふざけるなッ!」
俺は一心不乱に叫んだ。
しかし、部屋の様子が分からない。
首をねじ向け後ろを見たが、見えるのはただ壁と天井だけである。
そのことが俺をいっそう焦らせた。
これでは魔法を上手く使えない。
振動し発熱させる場所に、照準を合わせることができないからだ。
「……ふざけるな」
俺が屈辱に震えていると、背後からアンジェリーチカの声がした。
彼女は、俺を落ち着かせるような優しげな声で言った。
「ごめんなさい。とても失礼なことをしているのは分かっているわ。でも、これは規則なの。城塞都市に初めて来た魔法使いは、必ずこの身体検査をしなければならないのよ」
「ふざけんなよ!」
「いいえ、ふざけてないわ。デモニオンヒルに入る魔法使いが、病気や武器を持ち込まないか、それを調べることは、とても大切なことなのよ」
「でも、こんなっ!」
「ええ、分かってる。だから、あなたの尊厳には最大限の配慮をしたつもりよ。騎士たちを退出させたし、私の従者もみんな退出させたのよ」
「………………」
「この部屋には、私とあなたしかいないわ。あなたは、この身体検査を恥ずかしいと思うかもしれないけれど、でも、私ひとりが行うから心配しなくてもいいわよ。はやく終わらせましょう」
アンジェリーチカは、まるで小学校の先生のように言った。
それと同時に、バチンと音がした。
「止めろォォオオオ!!!!」
口から言葉にならない声が漏れた。
「落ち着いて。あなたは初めてかもしれないけれど、私だって初めてなのよ」
その言葉を聞いてどう落ち着けばいいのか。
俺は、懸命に首をねじ向けた。
後ろの様子は、まるで見えなかったが、魔法を飛ばしてやった。
アンジェリーチカが立っていそうなところを、思いっきり振動させ、発熱させたのだ。
しかし、彼女に変化はみられなかった。
やさしい声で俺をはげましながら、彼女の身体検査は続くのだった。
「とくに問題はなさそうだけど、念のため、もう少し調べるわね」
「ガァァアアア!!!!」
「ふふっ、そんなに暴れないの」
アンジェリーチカは、まるで聖母のような慈愛に満ちた声をしていた。
俺はこの屈辱のなかで、判断を誤ったことを後悔していた。
逃亡しなかったことは、正しい。
デモニオンヒルに来たことは、おそらく正しい。
でも、アンジェリーチカがワキが甘くてチョロいお姫さまだと見立てたことは、間違っていた。
アンジェリーチカは、ワキが甘くてチョロいお姫さまではない。
アンジェリーチカは、ワキが甘くてチョロくて、しかもアホな、お姫さまだったのだ。
「もう少しで終わるわよっ」
アンジェリーチカは、その異常性にまるで気付くことなく、ただ規則に従い、粛々と検査している。
アホだろう。
アホ以外のなにものでもないだろう。
「終わったわよっ」
と、若干上気した声でアンジェリーチカは言った。
そっと、やわらかく俺に着物を被せた。
いたわるように、手を俺の背に乗せた。
そして、俺の手錠に手を伸ばし、アンジェリーチカは鎖を外したのだが。
このとき、首をねじ向けた俺と彼女の目と目が逢った。
俺は憎しみを込めた瞳で睨みつけた。
アンジェリーチカは、はっと息を呑み、しかしすぐに恍惚にふるえた。
俺は恥辱にふるえながら、アンジェリーチカを見上げた。
アンジェリーチカは嗜虐的な快感にふるえながら、俺を見下ろした。
このとき、俺たちの関係がハッキリと定義された。
そして俺は、この日から城塞都市デモニオンヒルで暮らすのだった。――
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
屈辱的な姿勢で検査された。
……アンジェリーチカにも必ず同じことをしてやる。そのことを、俺は今ここに誓うのだった。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
城塞都市からの使者・アンジェリーチカ第一王女に、まるで汚物でも見るような目で見られた。




