その2
ギルドの路地に戻った。
屋台は相変わらずそこにあった。
俺はカウンターにお金をおいて、なかを覗きこんだ。
すると女が振り向いた。
女は俺を見て眉を上げ、硬貨に視線を落とすと、
「ああ、ありがと」
と、ため息をつくように言った。
素っ気ない感じだったが、くちもとは嬉しそうだった。
「足りたかな」
と言ったら、女は微笑んで硬貨をしまった。
そして顔をあげたそのとき、俺の後ろをちらっと見た。
さっと顔色を変えた。慌てて屋台の横に出た。
俺の手をつかみ、屋台の内側……柱のかげに引き入れた。
「あんた、村民証もってないだろ」
「……ああ」
「めんどくさい女が来たから、ちょっと隠れてな」
「めんどくさい?」
そう呟いて俺は顔を出した。
「あ"!?」
アンジェリーチカだった。
彼女は騎士の格好をしていた。金髪をベレー帽のなかに入れていた。
そのアンジェリーチカが、超上からの目線で労働者たちを見まわしながら、屋台に向かってきた。
労働者たちはギルド前に座り込んでいたが、アンジェリーチカが近づくと、パッとクモの子を散らしたように逃げ去った。
アンジェリーチカは誇らしげな笑みをしていた。
「あいつっ」
俺は慌てて柱のかげに隠れた。
すると屋台の女はニヤリと笑い、俺にしゃがむよう言った。
カウンターの真下にスペースがあった。
俺は、よつんばいになって這い入った。
顔を上げると、なにかがあたった。
「ちょっと、お尻をこっちに向けなよ」
女に背中を叩かれた。
どうやら女の股間を、頭で突き上げてしまったようだ。
俺は慌てて逆向きになった。
お尻をぺろんと撫でられ、太ももでガシッと挟まれた。
非難の意味を込めて咳をすると、ふふっと笑われた。
眉をひそめて顔を上げた。
カウンターの下には隙間があった。
目の前に騎士の足があった。
これはもしかして? ――と、思うと同時に頭上から声がした。
「安全なパンと、安全なお水が欲しいわあ」
アンジェリーチカの大らかな声だった。
彼女はそう言って、カウンターをこつんと叩いた。
目の前でむちっとした腰が、くいっとひねられた。
「ねえ、安全なパンと安全なお水が欲しいのだけど」
「……お水はないよ」
女の声は明らかに不機嫌だった。
アンジェリーチカは、それをかるく流してこう言った。
「じゃあ、アルコールの入ってない安全な飲み物」
「…………」
女は腰をひねり、横を向いてなにか作業をしはじめた。
ずっと無言だが、おそらく "安全な" 飲み物を用意しているのだろう。
なんだか嫌な空気だなと思っていたら、アンジェリーチカが挑むように言った。
「ツバは入れなくていいわよ」
すると女が地面に向かって思いっきりツバを吐いた。
カウンターに、ドンッと飲み物を置いた。
そして言った。
「飲み物が欲しくて来たわけじゃあ……ないよね?」
「いいえ、そんなことないわよ。安くてマズイ飲み物が好きなのよ」
「……ふう」
「あら、ごめんなさい。でも嫌味でもなんでもなくて、ほんとに好きなのよ」
「…………」
「私ね、婚約者がいるのよ。その人の家で飲んだ飲み物が忘れられないの。ええ、安くてマズイのだけど、でも……ってあらごめんなさい、惚気ちゃったわあ」
と、アンジェリーチカは嬉しそうに言った。
彼女は騎士装束のエプロンのすそを、まるでミニスカのように握り、まるで女子高の生徒のようにめくってパタパタさせた。
無意識かつ、外からは見えないと油断しての行動だと思うが、しかし、俺の眼前であった。アンジェリーチカのむせかえるようなパツンパツンの股間は、今、俺の目の前にある。
「それで?」
女がため息をつくように言った。
「えっ? 婚約者のこと?」
アンジェリーチカが夢見るような、おめでたい声で言った。
すると屋台の女は、ピシャリと言った。
「気にいらない客は拒否できる……それがザヴィレッジ流」
「本当の村民ならね」
「ふう……」
「村民証はあるのかしら?」
アンジェリーチカの挑発的な声に、女は大きくため息をついた。
ドンとカウンターが音を立てた。
「昨日の夕方に見せた村民証。昨日のお昼に見せた村民証と同じ、村民証。そして昨日の朝に見せたのと同じで、一昨日の夜とも夕方とも昼とも朝とも同じ、村民証」
「あらほんとだ」
「あんたのは?」
女が挑むように言うと、アンジェリーチカが嬉々として言った。
「昨日の夕方に見せたのと同じよ」
「……騎士の叙任勲章」
「うちでは10歳のとき、みんな授かることになっているのよ」
おそらく王位を継承する準備としてだろう。
「へえ、いいとこのオジョーチャンは違うねえ」
「あら、そんなことないわよ」
「ほかの騎士は、そんな態度を取らないよ。やっぱり違うんだねえ」
「あら、血統は隠しきれないのね」
アンジェリーチカはまるで女児のような喜びかたをした。
嫌味にまったく動じない第一王女であった。
女は笑いの混じったため息をついた。
そして物わかりの悪い子供を諭すよう、こう言った。
「あんた、正しいと思ってんの? 自分がいつ魔法使いになるか分からないのに。いつ家族が魔法使いになるか分からないのに。追い出されてこのザヴィレッジに流れ着くかもしれないに、それなのに。村民証でこの村を締め上げて、ガチガチに管理してさ、それじゃあ、王国や穂村を追い出された者たちはどこに行けばいいのさ」
「だから村民証を作ればいいじゃない」
「はあ」
「魔法使いじゃないなら、すぐに作れるわあ」
と、魔法使いのアンジェリーチカがぬけぬけと言った。
「はあぁ、あんた何も分かっちゃいない。たしかに村民証はタダで作れる、それで魔法使いじゃないことを証明できる。でも、一度作ったら一ヶ月毎に教会で魔力チェックを受けることになる。もし、魔法使いになってしまったらすぐに見つかってしまう」
「良いじゃない」
「はぁン?」
「デモニオンヒルに行けばいいじゃない」
「ちっ」
「良いところよっ。いえ、良いところだと思うわよ」
「……それに村民証を作ったら、税の取り立てが容易になる。新たな税や労役を課すことができる。その日その日をギリギリで生きている者……移民たちはそれを警戒してるのさ」
「だからって村に不法侵入していい――ってことにはならないわあ」
「昔は不法侵入ではなかったよ」
「でも今は不法入村者よ」
アンジェリーチカは、ドヤッとした声で言った。
たぶん笑顔で眉をキリッとしている。
しかし、こんな場所までわざわざ出向いて、大声で言うのは……。
「ねえ、パンはまだかしら?」
「ふう……」
女は腰をひねった。
そして作業をしはじめた。
その苛々がカウンターの下にいる俺にも伝わってきたが、アンジェリーチカは気にせず話を続けた。
「マジョッコって誰? 地下組織のリーダーだって聞いてるけれど」
「…………知るわけないじゃん? 私はパン屋、ここらの貧民にパンを売っているパン屋だよ。私は彼らに――村民証を作れなくて貧しい暮らししかできない彼らに――パンを売っている。そう。私は、家族から魔法使いが出た者たちがどれだけ怯えているかを知っている……ただのパン屋だよ」
「あらっ、いかにもマジョッコが言いそうなセリフだわあ」
「…………」
「ねえ、もしマジョッコに会ったら伝えて欲しいのだけど――。村民証の偽造は見逃したとしても、魔法使いをかくまうのだけは、見逃さないわよ」
そう言ってアンジェリーチカは、後ろを向いた。
カッコイイお尻が、俺の眼前にあらわれた。
そしてすぐに遠のいた。
アンジェリーチカは気取ったセリフを残して去ったのだった。――
俺が立ち上がると、屋台の女はウンザリとした顔をした。
そして腰に手をあて苦笑いをして、ゆっくり首を振った。
「ふう」「ふふっ」
俺と女は目と目が逢うと、ともに笑った。
「ごめんね、嫌な気分になったでしょ」
「いえっ」
「また来なよ。あの女が来るのはいつもキリのいい時間だから、その時間以外にさ、また来なよ」
「うん」
俺は苦笑いをしながら手をあげた。そして屋台から出た。
女は身を乗り出して手を振ってくれた。
「さて」
俺は大きくため息をついた。
アンジェリーチカを探した。遠くに彼女を見つけた。
俺は彼女の下腹部をイメージし、照準を絞り、魔法で刺激した。
激しい尿意が彼女を襲った。
そのことでアンジェリーチカは背筋を伸ばした。
やがて内股になって、そわそわしはじめた。
きょろきょろあたりを見まわした。
そして小走りで富裕層エリアへと向かっていった。
「あれは漏らすかもしれないな……」
俺は根性の悪い笑みでそう言った。
彼女とは別の道に入り、しばらく歩いた。
大通りに出ると、目の前に高級な馬車が止まった。
カーテンが開かれ、初老の紳士が俺を見すえた。
俺は思わず立ち止まり、つばを呑みこんだ。
すると紳士は渋い声で、こう言った。
「乗れ」
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
アンジェリーチカが婚約者を気取って好き勝手なことを言っていた。
→久しぶりに尿意攻撃をしてやった。
……なにをぷらぷら歩いているんだと思ったが、あいつがぷらぷら歩いているのは、そういえばいつものことだった。ちなみに、王女だとまったく気付かれていなかった。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
フランポワンが女房のごとく振る舞った。
アンジェリーチカが妊娠のことを意識しはじめた。
王国に結婚のことで罠をかけられた。あなどられた。
ゴンブトに親を殺され、『キヨマロの七刀のうち二番刀・菊清麿』を奪われた。
パルティアに情けをかけられた。
 




