その3
装甲幌馬車に乗ってから数日が経った。
俺たちは山間を通過し、川を越え、宿場町で補給し、荒野に入った。
その荒野のなかに、城塞都市デモニオンヒルはある。
俺を乗せた装甲幌馬車は、モンスターや盗賊に襲われることなく、なにごともなく、ただ予定通り、順調にデモニオンヒルへと進んだ。
俺はずっとワゴンに座っていた。
そして、ずっと魔法を研究していた。
さて。
俺が手に入れた魔法は、結論から言うと、それは『振動』させる魔法だった。
俺は、なにかを『振動』させることによって、熱や炎を生み出すことができた。
さらには、物にふれなくても振動・発熱・発火ができた。
その方法は、カメラのピントを照準するのによく似ていた。
俺は、対象を見つめ、ぎゅっと焦点をしぼるようにそこに集中すると、それだけで振動・発熱・発火させることができた。
魔力を封じられた今はさすがに発火は無理だけど、しかし、低温火傷させる程度の熱なら生み出せた。細胞を振動させることによって、風邪のような症状を生み出すこともできた。
ようするに俺は、このネクタイを締めていても――魔力を封じられた状態でも――睨んだだけで、人に致命傷をあたえることができる。
このことを知ったとき、俺は笑いをこらえるのに苦労した。
城塞都市だかなんだか知らないが、俺はその気になればいつでも抜け出せるじゃないか。
騎士たちを悪夢のような高熱症状で、無力化できるじゃないか。
しかもアンジェリーチカたちは、俺のこの理不尽な、まさにチートというほかないエグイ能力を、まったく理解していない。
さわらせなければ大丈夫――と、安心しきっている。
管理しやすいカテゴリーよ――と、油断しきっている。
俺の全身に、どよめくような快感が走った。
俺は手錠をかけられているのにも関わらず、まるで神になったような気分だった。――
デモニオンヒル到着を明日にひかえた夜。
アンジェリーチカが、ワゴンに来た。
そして穏やかな笑みで言った。
「いよいよ明日、城塞都市に着くのだけれど。まずは、ここまで暴れることなく、誇りある態度を保ってくれたことに感謝するわ」
「……当然だ」
「ふふっ。この感謝の気持ちは、護送の関係者すべてを代表しての言葉よ。私や騎士はもちろん、先日に通過した宿場町『ザヴィレッジ』の方々も、あなたの堂々とした態度を褒めていたわ」
「ザヴィレッジ……ああ、あの宿場町というには、あまりにも豪華で金持ちの多そうな都市」
「ふふっ、まあ、お金持ちが多いのは否定しないわよ」
そう言って、アンジェリーチカは髪を指でもてあそんだ。
美しい金髪のポニーテールが、彼女の美しい指先にからまった。
それがするりと解けたとき、ふわりと好い匂いがしたような――気がした。
しばらくすると、アンジェリーチカは微笑んで言った。
「やはり、あなたは特別ね。まさにユニークだわ」
「……それは、俺の魔力が高いことをさしての言葉か」
「ふふっ、それもあるけど。いえ、もしかしたらそのことと因果関係があるのかもしれないけれど」
俺が首をかしげると、彼女は言った。
「男性の魔法使いは、あなたが初めてなのよ」
俺は、しばらくこの言葉の意味が分からなかった。
このことがもたらす城塞都市での生活を、俺はしばらく理解できずにいた。
が。
やがて、俺はアホみたいな声をあげた。
「男は、俺ひとりィ!?」
俺はおそらくアホみたいな顔をしていたに違いない。
しかし、アンジェリーチカは微笑んだままで話を続けた。
「ええ、そうよ。まあ、あなたの住んでいた村は、魔法使いが少なかったから、知らないのも無理ないわね。でも、魔法使いになった者、突然魔力に目覚めた者たちがすべて女性だということは事実なの。すくなくともアダマヒア王国の領土では」
「……それって、城塞都市には女しかいないってことじゃ」
「ふふっ、魔法使いは女性だけだから、居住者は女性だけよ。それに、デモニオンヒルの都市会長は私だし、私の従者は女性ばかりだわ。もちろん、騎士団や教会の方々は男性よ。でも、あなたの言う通り、居住者が女性ばかりで、しかもその代表の私も女性だから、自然と出入りする人間は女性ばかりになってしまったわ」
「そ、そんなっ」
「別に心配することないわ。魔法使いの居住区といっても、彼女たちはとても理性的よ。野蛮なふるまいなどしないわよ。それに、あなたの権利は守られる。尊厳を失わないよう――私たちは配慮するわ。ふふっ、それは、はじめに言ったとは思うけど」
「しかしっ」
女ばかりの城塞都市に、十七歳の男がひとり放り込まれる。
このことが、そもそも人の道から大きく外れていると思うのだ。
「大丈夫。あなたなら、大丈夫」
「いやっ」
「それとも、女性は嫌い?」
「いやっ、好きだけど。って、ホモではないという意味だけど」
「だったら大丈夫よ。城塞都市は自由恋愛よ。もし、愛が芽生えたなら私たちは歓迎するわ。結婚やその後の生活も助力する、喜んで助力するわよ」
と、アンジェリーチカは、瞳を輝かせて、まるで可憐な少女のように言った。
結婚という言葉に心ときめかせて、アンジェリーチカは夢見るように言った。
「お父さまからも言われているの。あなたの恋愛活動に助力するようにってね」
「はァ?」
「さっきも言ったけど、男の魔法使いは初めてなの。だから王国は、あなたの存在が、魔法使いの生態研究を大きく押し進めると期待しているわ」
「生態研究?」
「ハッキリ言うと『生殖活動』ね。魔法使いは、どういうわけか妊娠しないのよ。人間男性が相手だと子供が生まれないのよ」
「それが」
「まだ、もしかしたらの話なんだけどね。男の魔法使いと女の魔法使いが生殖行為をしたら妊娠するかもしれないと、お父さまたちは期待しているわ」
「はァ」
「早く成果をあげろと、言われているのよ。一ヶ月で成果を上げないと、豚の種付け師を派遣すると言われたわ。その王国一の種付け師に、あなたを管理させると言って、父は私を脅したのよ」
と、アンジェリーチカは俺を見て言った。
俺は不快に眉をくもらせた。
すると彼女は慌てて、こうつけ加えた。
「ごめんなさい、失礼な話よね。もちろん私は怒ったわ。豚の種付け師など彼を愚弄していると。そして、言ってやったのよ。馬の種付け師にしなさいってね」
そう言って、アンジェリーチカは誇らしげに胸をはった。
言ってやったわ、言ってやったのよ――って、感じの笑みをした。
そして褒めて欲しそうな顔をして、しばらく俺を見た。
当然、俺はなにも言わなかった。
あまりにも失礼だった。
しばらくすると、失礼すぎて笑えてきた。
なんだその思いっきり滑ったアメリカン・ジョークは。
どこらへんが、あなたのために言った――のか分からない。
俺は失笑しながら、「豚か馬かは問題ではない。種付け師をつけるという発想自体が失礼なのだ」と、アンジェリーチカに言おうとした。
が。
このとき、俺はようやく気がついた。
ああ、この女にとって、魔法使いは家畜と同じカテゴリーなのだ、と。
俺に笑顔を向けるのも、ペットに笑顔を向けているのと同じなのだ、と。
俺は、アンジェリーチカのこの悪気のない、しかし揺るぎない差別感情に激しい怒りをおぼえた。
屈辱を感じた。
しかし、このとき沸き上がった俺の怒りは静かなものだった。
そして仕返しは、誰にも気付かれないような、とても打算に満ちたものだった。
その夜。
俺は魔法で、アンジェリーチカの下腹部を微細に振動させた。
そのことで彼女は、尿意をもよおした。目を覚ました。
彼女は羞恥にみちた消え入るような声で、従者を起こした。
貴賓ボックスから出て、お手洗いに行った。
そして。
この魔法による利尿攻撃は、朝までずっと続いたのだった。――
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
馬の種付け師をつけると、アンジェリーチカに言われた。
→下腹部を振動させて、尿意をもよおさせた。
……悪気はないようだから、このことの仕返しは、この程度でいいだろう。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
城塞都市からの使者・アンジェリーチカ第一王女に、まるで汚物でも見るような目で見られた。