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居城の花  作者: 透水
第二章「テルデの館」
6/23

世話係

 生まれて初めての豪勢な食事を堪能したゼルは、晩餐の終幕と同時に、フェルティアードから書斎に来るよう命ぜられた。彼についていく形で向かってもよかったのだが、数時間前の馬車の旅が思い出されたので、飲み物を一杯もらい、それをゆっくりと、何回かに分けて飲み切ってから席を立った。

 食堂に向かう道すがら、フェルティアードの書斎は使用人から聞いていたので、ゼルは迷わずそこへたどり着いた。入口のそばに控えていた使用人は、ゼルを見つけるとすぐさま部屋の扉を叩き、騎士の到着を告げていた。

 書斎は、フェルティアード自身の屋敷ということもあってか、王宮の倍の広さはあった。カーテンが引かれた窓が並び、その反対側の壁の大部分は、本棚で占められている。それらを従えるように堂々と、やはり大きな机が佇んでいたが、フェルティアードはその席にはいなかった。明かりが届きにくい部屋の隅、そこにある本棚から一冊を取り出し、振り向こうとしていたところだった。

「来たか。早速だが、明日からの生活の流れと、おまえの世話をする使用人について話しておく」

 ゼルの口元が引き締まった。まるで来賓(らいひん)のごとくもてなされたが、そもそもゼルは騎士として、フェルティアードの休暇を利用し、学びを得るためここに来ているのだ。厳格と噂に高く、そしてまさにその通りであるフェルティアードが、ほんの二週間程度の期間であっても、何の予定も立てていないはずがないのだ。

 ともあれ、たったの二週間程度であらゆる知識を習得するのが現実的でないのも確かである。それも織り込まれてか、フェルティアードが話した詳しい予定の流れは、思っていたよりも窮屈ではなかった。

 もとより、このテルデへの帰還は、彼の療養という名目である。よって彼が担当するのは、一部の座学と剣術程度であった。ほとんどは、あのシトーレが教鞭を取るということだった。

 ゼルが少し気になったのは、使用人たちと接する時間が割かれていたことだった。確かに彼らは、それぞれの職については自分よりも豊富な知識を持っているはずだ。けれど、あのフェルティアードが、彼らにまで教師の紛いごとをさせるのだろうか?

 首をかしげるまでには至らなかったが、わずかな逡巡を見せたゼルに、椅子に腰かけていたフェルティアードは短い補足をつけ加えた。

「屋敷の者との時間は、休憩の雑談と思って構わん。彼らの目から見たものも、知識の足しにはなるだろう。これに関しては日ごとの報告は不要だ」

 勉学漬けにしたところで、所詮は地方の出身、会得しきれるわけがないと思われているのか。そんな想像をしてしまうほど、肩に力を入れる必要のない、落ち着いた生活になりそうであった。

「もうひとつ、おまえにつく使用人についてだ。誰か気に入った者はいたか」

「はっ? 気に入る、って……急に何の話だよ」

 てっきり、フェルティアードがすでに取り決めていたと思い込んでいただけに、この問いかけは意表を突かれるものだった。

「彼らはずいぶんとおまえを歓迎しているようだ。誰が担うことになろうと、存分に働いてくれるだろう。あとはおまえが、自分の意思で選べ。頼もしそうな者、話しやすそうな者、基準は好きにするがいい。ああ、もちろんシトーレは除外のうえでだ」

 どうやらフェルティアードは、自分の使用人を選ばせてくれるらしい。言われて思い起こしてみると、浮かぶ顔は年長者ばかりだ。誰もかれもが頼もしく、親しみやすいように感じられてくる。

 無意識のうちに片手が顎に触れる。毎日対話をし、顔を合わせるとしたら――と想像を巡らせる中で、ふとひとりの使用人が引っかかった。

「気に、なっただけなんだけど、おれくらいの歳の人もいたよな。確か、食べられる花が乗ってた料理を運んでくれた」

「彼女か。シトーレから聞いていたが、わたしも会うのは今日が初めてだった。働き始めてまだ日も浅いようだ」

 料理を落としたとか、派手に転んだとかではないが、注意を受ける場面が見られたのも納得できた。今日まで(あるじ)が不在だったのだから、当然客人をもてなすような食事も、茶会の類もなかったはずだ。きっと、本番の空気に緊張していたのだろう。

「基本的な仕事がやっと身についてきたところ、というのがシトーレの見立てだそうだ。多少の仕事の漏れや勘違いが起きる可能性はあるが、そこはわたしの関知するところではない。おまえが寛容であるなら、大した問題ではないだろう」

 熟練の者を推すこともなく、かと言って新人を揶揄(やゆ)する真似もせず、フェルティアードは淡々と続けた。選択するのはあくまでもゼルであり、その材料になる事柄を、平等に与えようとしているようだった。

「悩む時間は取っていないぞ。おまえが誰かを選んだならば、外の者がすぐに知らせることになっている」

 再び立ち上がったフェルティアードの手には、さっき本棚から取り上げていたものとは別の本があった。彼はそれを、部屋の扉に近い棚へ戻しに歩いただけだったが、その動きすら、ゼルは急かされているように感じられた。

 フェルティアードの言うように、彼女は失敗を犯す可能性が考えられた。本来なら不要な、心配や不安の種を持つことになるかもしれない。教示を得ることに集中したいのであれば、わずかなものでも懸念事項は排するべきだ。

 だが、ゼルはそこまで理屈で固められた男ではなかった。確かにこの屋敷の使用人たちは素晴らしい。フェルティアードに仕えているのが不思議なほど堅苦しくなく、(ほが)らかだ。安心してあらゆることを任せられるに決まっている。けれども――失礼だとも思いつつ――どこか味気ないようにも見えたのだ。

 ゼルは、そう考えてしまった理由に気づいた。自分はどうやら、気軽に話せる友人を求めているらしい。年格好が近いだけで、彼女に対し、無意識のうちに同期のデュレイやエリオを重ねていたのだ。

 そんな奇妙な下心に、うしろ髪を引かれる思いはあったが、ゼルはそのひと言を声に出した。

「わかった。その人にしてくれ」

 ゼルの胸中がいかなものか、フェルティアードに推し量れたのかはわからないが、己の決断を口にしたゼルの目を見た彼は、ただ「よかろう」と返した。

 自ら扉を開け、フェルティアードは控えていた使用人に何かを伝えていたが、ゼルの立っていた場所からはその内容は聞き取れなかった。使用人が離れていった様子は、開けられたままになった扉から見えていた。

「わたしからの話は以上だ。おまえは部屋に戻れ。十分後に、彼女が改めて挨拶にやってくる」

「名前はなんていうんだ?」

「本人の口から聞くがいい。騎士に直接名乗れる、またとない機会だ。わたしが奪うわけにはいかんだろう」

 几帳面そうなフェルティアードが、扉を閉めないままにしていたのは、使用人を出迎える身なりと心の準備を整えに早く戻れ、という、無言の指示だったのかもしれない。そうでなくても、いよいよ自分に世話をする人間が与えられるという現実は、ゼルの心をはやらせていた。

 退室の言葉もそこそこに、ゼルは自室へと戻った。十分といったらそう長くはない時間だが、することがないと長いものである。部屋の手入れや整理といった雑用があるわけもなく――そんなものはすでに使用人が済ませていた――部屋をぐるぐる歩き回ったりしつつ、何度目かの着席をしたところで、聞き逃してしまいそうな小さなノックの音が聞こえてきた。

 気のせいだろうか、と身体のすべての動きを止めてみる。呼吸まで止めてしまいそうな静寂の中に、それは再び控えめに響いた。

 ゼルは足をもつれさせそうになりながら、扉へと駆けた。その途中で、部屋へ入ってもいいということを伝えようと思ったが、ふさわしそうな言葉が見つけられず、およそ騎士らしくない「どうぞ入って」という声かけしかできなかった。

 失礼いたします、という高い声がか細く聞こえたのは、そのほとんどが眼前の扉に吸い込まれてしまったからだろう。声の(あるじ)は、扉にぴったりと身を寄せながら、その姿を現した。

 顔色を窺うように身を縮こまらせ、そのせいで上目遣いになっている黒瞳は、媚びるどころかどう見ても不安で満たされていた。晩餐での挨拶の時は、こんな様子ではなかったはずだ。少なくとも、引け腰で自分のところに来た使用人は、ひとりとしていなかった。

 名残惜しむように、少女は扉から身を離し、ようやく背筋を伸ばしてゼルと向き合った。それも緩慢だったが、ここにいることが嫌でしょうがない、という理由からではないのはすぐにわかることになった。

「あ、改めまして、お初にお目にかかります。(わたくし)、フェルティアード様のお屋敷に務めております、キャスリーン・オルクと申します。このたびは、私めをお世話係に任じていただき、本当に、大変に感謝しております」

 ゼルがおぼろげだった晩餐での挨拶の記憶をなぞるように、化粧の施された顔と、スカートの上で重ねられたか細い手、そして薄く紅がさされた唇に目を移していたところで、少女はさっと頭を下げた。こうして面と向かって、歳が近いはずの人にへりくだられるのは、落ち着かない気分になる。ほんの数週間前までは、やっと兵になったばかりの平民だったのに。

「こちらこそよろしく。ぼくはジュオール・ゼレセアンと……いや、もうみんな知ってるか」

 兵であることに変わりはないが、騎士として相応の態度を保つことは必要なはずだ。少しは胸を張った物言いをしなくては。そう自分に言い聞かせ、話し方を変えてみようと思ったが、それもつくろえずに失敗してしまった。慣れないことは急にするものではない。

 少女はというと、笑いをこぼすこともなく、いたって真面目に言葉を拾い返した。

「はい、おふた方が到着される前から、お屋敷はゼレセアン様の話でもちきりでございました。騎士様のご来訪をお迎えするだけでも信じられませんでしたのに、まさか……私が騎士様のお手伝いをできるなんて」

 ようやく実感が湧いたのだろうか。白い頬が赤らみ、大きな目が所在なさげにあちこちへ向けられる。

「その、もちきりだったってことはもう知ってると思うけど、ぼくはこういうところで暮らすのは初めてなんだ。支度や整理をしてもらうのに、決まり事とかがあれば、遠慮なく教えてくれないかな。ええと……キャスリーン?」

「はい、承りましたわ。私のことは、どうぞケイトとお呼びいただければ。先輩方にも、そのように呼ばれていますので」

 わかった、とゼルが頷くと、ケイトは一歩あとずさった。

「それでは、今宵はもう遅い時間ですので、これにて失礼いたします。明朝は七時に伺いますわ」

 振り向こうとしたところで、ケイトの動きがぴたりと止まった。ゼルから視線を外したまま、二、三度まばたきをする。言い忘れたことでもあったのだろうかと、ゼルが声をかけようとすると、

「……あの、ひとつだけ、お尋ねしたいことがございます。よろしいでしょうか?」

「もちろん」

「どうして、私を選んでいただいたのでしょうか」

 え、と間抜けた声が出た。ケイトはそれに構わず続ける。

「だって、晩餐の席では食器を落としてしまうし、危うく転んでしまいそうになるし……。ゼレセアン様もお気づきでしたでしょう?」

 しっかり見てしまっていた手前、否定はできなかった。ケイトの顔は、先ほどよりも真っ赤になっている。小さな手が頬を覆っていたが、とても隠しきれていない。羞恥の熱は、緊張や喜びよりもずっと激しいようだ。

「うん、でも……きみは怠けてたわけじゃなかった。一生懸命に仕事をしようとして、うっかり失敗しただけだよ。きみはがんばってた。だから、応援したいと思って」

 まさか友人になりたいから、とは言えないと判断し、ゼルはほかの理由を考えようとしたが、自分でも驚くほどすんなりと、言葉が口を突いて出て行った。そうか、これが彼女が気になったもうひとつの、いやもしかしたら、本当の理由なのかもしれない。

 答えを聞いたケイトは、まじまじとゼルを見つめた。騎士が言うには程度の低い返答だったか、と焦ったが、それは束の間に過ぎなかった。

「そんな、応援だなんて。仕事も道半ばの使用人には、過ぎるお言葉でございます。ですが……嬉しゅうございます。ゼレセアン様は、こう言っては大変失礼ですが、私たちと同じ目線でおられるように思えてきますわ」

「そりゃそうさ、ぼくも騎士になったばかりで、そんなにすぐ心まで貴族にはなれないよ。だから、きみも少し気を楽にしてくれれば、ぼくも助かる。緊張する相手は、フェルティアード卿だけにしたいからさ」

 この時、ケイトは初めて笑顔を見せた。ゼルは彼女を選んだことを後悔するどころか、叔父への手紙の話題が、この使用人のことばかりになるだろうと、確信めいたものを感じたのだった。

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