第14話
夏休みも半分過ぎ去り、いよいよ暑くなってきた夏真っ盛りの8月中旬。
月野本家最奥部。
「太陽が熱い…溶ける…むしろ溶かして…」
零の独白に答える声はない。
それもそのはず、零は独りきりだから。だからこその独白なのだが。部屋にこもって、たまりにたまった書類と格闘している。
一人であるがために零は、クーラーをつけるのはもったいないと親戚に部屋の冷房を入れることを禁止されている。許されているのは窓を開けることぐらいで、少しでも熱を逃がそうとする。が、いかんせん日当たりのいい部屋なので、効果がないどころかむしろ熱くなっている気しかしない零だった。
「何が悲しくて、夏休みにこんなことをしなくてはならないのさ。僕だって外で遊びた…ないものねだりをしても仕方がないよねえ」
はぁ、と重いため息をついて零は「外で遊ぶ」という行為を断念する。
「断っちゃったなぁ…今日は、夏祭りなんだっけ?僕にも時間があれば…ないんだけど」
はぁ、ともう一度ため息をつくと、零は筆を机において開け放った窓の外へ視線を向ける。
開け放たれた窓からは当然のように、ぎらぎらと無駄にまぶしい太陽の光が室内に注ぎ込んでいた。
「カーテン、閉めたら少しは涼しくなるかな…でも、遮光カーテンって風通し悪いよね」
だらだらと流れ落ちる汗をぬぐって、零は避暑方法を考える。
「扇風機…冷房、つけたいな…外で遊びたいな…。夏祭り、かぁ…」
どこからか響いてきた御囃子に、零は若干悲しそうにうなだれると、再び筆を執る。
「さ、終わらせちゃわないと。何か面白い刺激はないか…っ!?」
窓から飛び込んできた黒い物体に零は言葉を詰まらせる。
飛来したソレは、零の肩を押して床に抑え込む。
「…」
「あ…あ、ああ…」
黒い物体…いや、男は抑え込んだ零を見下ろす。見下ろされた零はプルプルと震える。
「…」
「あ、ああ…暑い!!やめてっ!?何、なんなの!?僕のライフはもう真赤だよ!どうしてそんな真っ黒な衣装をこんなくそ暑い真夏日に着込んでられるのさっ!お馬鹿!?いや、お馬鹿!!見てるこっちが暑いだろ!!誘拐とか、襲おうとか思うならもうちょっと涼しげな服着てきてくれる!?出直せよっ!!」
男の拘束からたやすく抜け出した零は、涙目で誘拐犯(?)を指さして叫ぶ。その勢いのまま、零は誘拐犯(笑)を窓の向こうへ叩きだした。
「確かに面白い刺激…いや、面白いというかくそ暑い刺激だったけど…そんなの僕は求めてないんだ!もっと涼しそうな…ああでもお化けはなしね。そんな出来事が起きてほしいんだ!」
畜生!と自分の境遇を嘆くと、零は散らばった紙を集めて、乱雑な字で書きこみを入れていく。
『Prrrrrrrrrrr』
しばらく経っただろうか。いきなりその存在を主張し始めた携帯端末を、零は半ギレ状態で取る。
「うるさいな!今度は何!」
『零!!』
回線がつながった途端満面野笑みを浮かべた水樹が画面いっぱいに映る。
「…」
無言で零は即座に回線を切り落とした。
『Prrrrrr』
めげずにもう一度かかってきた。
「もうっ!!なんだよ水樹君!」
『ひどいじゃないか、零!いきなり切ったな!?』
「僕は時間ないの!要件は?10秒以内に答えてっ!」
『夏祭り行こうぜ!』
零の要望に応えて水樹は簡潔に答えた。
「え…?あ、や…そ、そんな時間ないから!時間…ない、から…」
うぅ、と悲しそうに目を伏せて零は水樹の誘いを断ろうとする。
『誰かに手伝ってもらえばいいんじゃねぇの?俺だって、手伝うし…零王さん?とかでもいいんじゃね?』
名案じゃん、と言いたげな表情で水樹は零に勧める。
「なっ、ア、アイツに手伝ってもらう!?そ、そんなの嫌に決まってる!」
『えー。でも俺零と一緒に夏祭り行きたいし』
「僕は無理だって言ってるだろ!」
声を荒げてから、零はしまったと顔を顰める。
「当主、何かもめごとでも?」
「い、いや何でもないんだよ」
大声を聞いて入ってきた整った顔立ちをしたスーツ姿の黒縁メガネをかけた青年に、見えないよう画面を背に隠して立った零はごまかそうとする。
「そうですか?私にはあなたが遊んでいるようにしか見えませんが…ホラ」
ろくな抵抗もできないまま零は彼に引き寄せられ床に倒れこむ。当然、隠そうとした水樹との通信は丸見えになるわけで。
「っ、あ…そ、それは」
俯こうとした零の髪を引っ張って、青年は無理やり零の顔をあげさせる。
『零になにしてんだ!』
「下らない人間と付き合っていないで貴方は、仕事をこなしていればいいのです。そこの君も。当主に話しかけないでいただこう」
画面に映る怒った顔の水樹へ、青年は忠告をする。
『は、ぁ!?お前何様のつもりだよ!零のことは零が決めればいいだろ!?』
「当主のことは我々がすべて決めるのです。当主は、我々の言うなりになっていればよい。ですよね、当主」
青年の言い聞かせるような言葉に、零は同意する。
「……そ、うだね。月代、彼は、悪気があったわけじゃないんだ。だから…」
殺さないで、と零は水樹に聞こえないよう小さな声でつぶやいた。
「当主がわれわれにさらなる献身をしてくださるのならば、考えてあげてもよろしいのですよ」
月代はさも当然のように零へ条件を提示した。
『零、やめろよ!』
「する、から。…お願い、もうやめて水樹君。君には関係ない」
水樹が零に何か言うよりも早く、月代が通信を切断させた。
「あなたは、あんな下らないバカとつるんでていいはずがないだろ。当主、我々にばれていないとでも」
「そんなことは、ないよ。大丈夫、僕は…父みたいに反抗なんか、したり…しない、から」
消え入りそうに紡がれた零の言葉を月代は端で笑い、小バカにした表情を見せる。
「あたりまえでしょう。何をいまさら。そんなことを我々は求めていない。《月》の名を冠する者の利益になることだけを行えばいいのですよ、あなたは。わかっておりますよね」
念を押してから月代は部屋をでて行った。
「………世界は、僕に優しくない」
月代の気配が十分に離れたのを感じてから、零はボソリと呟くと部屋に山積みになる書類の処理を再開した。
廊下を歩く月代へ、ためらいがちな声がかけられる。
「ああ、月代様。丁度いいところに」
「なんだ、レベル4如きのクズが」
露骨に見下した表情で、月代は話しかけてきた女性を嘲った。
「悪魔の動きが活発化してきました」
「放っとけ」
思い直した月代は、零に悪魔退治をさせることに決め、訂正する。
「…いや、当主にでもやらせておけ」
「かしこまりました」
スッと綺麗な礼を見せると、女性は廊下の影に紛れて消えた。
「すべては我々《月》の思い通りになればよいのだ」
「どいつもこいつも口を開けば自分至極主義か…クズっぷりは変わらないな。さ、俺の零姫はどうしたものか」
同じく廊下の影で聞き耳を立てていた零王は月代の言葉に眉をひそめると、零の部屋へ急ぐ。
部屋の中の気配を探った零王は、零の気配が深い紺色に見えたので更に眉をひそめる。
「零姫…」
誰も周りに人がいないこと、監視を妨害したことを確かめてから零王は素早く零の部屋の中へ侵入した。
「…ぅ……零、王?な、んで」
零王は、自分を見た零の瞳がユラリと揺れたことに気付く。
こんな状態になるまで零姫を追い詰めた月代に後で何かしらの仕返しをしてやる。今決めた。絶対やろう。俺のかわいい零姫を…。とりあえずはなぐさめるか。
口には出して言えないことを零王は考える。
「泣け」
「っ…」
いきなり零王に抱きしめられた零は、唇を強く噛んで息を止める。
「そうやって我慢するのはお前の悪い癖だ。泣きたいときに泣かないと、泣けなくなる。泣けなくなった人間は、心から笑えなくなるんだぞ」
俺みたいに、と零王はしばらく考えてから言葉を付け足す。
「僕は、泣かない!泣けないんじゃない。泣かないんだ。だから、もう来ないで。やめてよ、決心が鈍ってしまうじゃないか。僕は、この道を進むって決めたんだ。誰にも邪魔させない」
首を横に振ると、零は零王の腕の中から抜け出した。
「…鳥籠の中からは逃げ出せない、か。せっかくの翼が無意味だな」
「僕に、翼なんかない」
ちょっとは元気になったか?そうだといいが。
固い零の声音に零王は苦笑して窓枠に足をかける。
「いつか、お前を連れて逃げ出して天をはばたく姿が見られることを…。じゃあ、俺はこれで。今日の夏祭り、楽しめよ」
「えっ?な、なんのこと?」
ヒラリと手を振って外に飛び降りた零王に、零は戸惑った声をかけるが彼はもういないのだった。
零王の代わりに水樹がボロボロの私服姿で、庭の垣根を掻い潜って現れる。
窓に駆け寄った水樹は、頭に着いた葉を払い落とす。
「や、やぁ零」
気まずそうに水樹は、目を丸くして驚く零に挨拶した。
「え?な、なんで水樹君が」
「…あんなの聞かされたら、諦めきれないっつか。大丈夫、お前のことは俺が連れ出してやるから!とりあえず今日の夏祭りからだな」
「ちょ、ちょっと?どういうこと?」
手を引かれてかなり強引に零は水樹に屋敷の外へ連れ出される。
「遊ぼうぜ!!」
町まで一気にかけると、水樹は誰かをキョロキョロと探すようにあたりを見回す。
「え、え?抜け出したのがばれたら、僕は…」
その間にも零は必死に水樹の拘束から逃れようと、腕を引き抜こうとする。
「そしたら俺も一緒に怒られてやるから!」
「でも…それじゃ、だって君が」
いつになく煮え切らない零の態度に、水樹がキレる。
「ええい!グダグダグダグダ言うな!もう抜け出しちまったんだし、おせぇんだよ!良いから今日は俺と遊ぶの!いいな!?」
「それは、君が連れてきたからで…今からでも間に合うし、僕は、終わらせないといけないし」
「うるさい!!チッ、スバルの奴案の定いねぇじゃんか。仕方ねぇ…行くぞ」
「ど、どこに?ねぇ水樹君、放してよ。僕は」
零がまだ抵抗してくるのを感じた水樹は、零を無視して家まで連れて行く。
自分の家に入るなり、水樹は零が逃げだせないようにしっかりと鍵をかけた。
「風香、浴衣出しといてくれた?」
「もちろんですわ、お兄様!」
パタパタとツインテールをなびかせながら、水樹声に反応して妹、風香が現れ、零の手を取る。
「風香…?えと、君の妹?」
「そうだ、かわいいだろ!じゃ、よろしく風香」
「はい、お兄様!」
水樹の確認にしっかりと頷いた彼女は、まだ状況を把握しきれていない零を連れて奥に引っ込む。
「ちょ、な、なに!?や、やめっ、オイこら!」
「大人しくしてください!貴方はただ私にひん剥かれればいいんです!これに着替えてお兄様と一緒に夏祭りに行くんですよ!」
キャアキャアと騒ぐ声が聞こえてきたが、水樹は無視。いちいち気にしてられないし。
30分後。
「お兄様、褒めてくださいまし!」
「…君の妹って、色々とパワフルだね」
黒色の生地に淡い水色の小鳥が書かれた浴衣を着させられた零が、ぐったりと奥から風香に連れられてきた。
肩辺りまで伸びた黒髪に、水色がベースのトンボ玉が着いた簪をさして、ほんのりと頬を赤く染めた零に水樹は見惚れる。
「かわいいな…」
「妹が?水樹君ってさっきもちょっとだけ思ったけど、シスコンだよね」
「そっちじゃないんだけど」
水樹の否定を故意に無視して零は、ゴソゴソと靴箱をあさる風香の動きを見守る。
「零…姫ってさ、意外と胸大きいよな」
無視されて気まずい水樹は、会話をしようと口を開いた。
言ってから、チョイス間違えたな…と冷や汗をかく。
「バッ!!な、なな何言ってるんだい!セクハラだよ!?セクシャルハラスメントだよ!」
「ご、ごめん!!」
顔を真っ赤にして零は水樹を怒る。素直に水樹は非を認め謝罪した。
零は一回深呼吸してから、水樹の言葉をなかったことにする。
「ああ、そうだ…。僕のことは零姫って言って。間違っても零、なんて口走らないでね」
「お、おう!」
ここまでお膳立てされたら開き直るしかない零は、水樹に指を突き立てて注意した。
「下駄、見つけました!」
「でかした風香!零…姫。それ履いて夏祭り、行こう!」
零と言いかけて水樹は慌てて姫も付け足した。
「仕方ないからね。君が、どうしても…っていうか、ここまでされたらいかないわけにはいかないものね」
「ツンデレ!…ごめん謝るから、殴るなっ!ちょ、待て!」
顔を真っ赤にした零は、水樹のことを軽くポカポカと殴りつけるのだった。




