汗をかくのだ
部室のエアコンが、うなっている。老いた体に鞭打つその生き様に、胸を打たれる人間もいるだろう。
しかし爆音でビートを刻む彼らに、そんな余裕はなく。
「うひゃー! 今の俺、超汗臭い!」
「この後予定あるのに……」
「じいさんがんばれー」
設定温度は最高出力の十八度。風量マックス。流行のエコとは無縁なり。
ブブ、ブ、プスン。
「あ、止まった」
温帯から亜熱帯へと変貌を遂げた日本の夏に、老エアコンは力尽きた。
「なんてこったい……」
「これは熱中症の危険があるね。どうする、サキ」
「うーんと、うーんと、撤収!」
「「「「お疲れ様でしたー」」」」
エアコン殿、大儀であった。
日本の夏は、いつから火力が上がったのだろう。軽音楽サークルの部室でベースを片付けながら、スミレはぼんやりと思いを巡らせていた。
首筋にかいた汗を、水色のタオルで拭う。短く切りそろえた黒髪が、首筋にまとわりついてくる。
蛍光灯の一本切れた、少し湿っぽい部室を見渡す。高い位置で髪を結わえたサキは、ドラム席に備え付けられた扇風機で宇宙人ごっこをしていたし、細身なショウゴはギターとTシャツを投げ出して、筋肉質な上半身があらわに。シルバーフレームの眼鏡を外したセイヤはキーボードを片付けていたが、やはり額に玉のような汗をかいていた。
ここで一生懸命なのがソウタ。中肉中背、黒髪猫毛。デオドラントシートと制汗スプレーを駆使して、なんとか汗の痕跡を隠滅しようと格闘していた。
「その様子だとソウタ、さてはこの後デートだな?」
「なんでバレたの!?」
わたわたとシャツを着替えながら、ソウタが答える。
「そりゃあお前、年下の彼女が出来たって浮かれてりゃ想像もつくさ。さすがに汗臭い彼氏って嫌だよなぁ、スミレ」
ショウゴから急に振られたスミレだが、ソウタを傷つけない良い言葉が思いつかない。
「一般的にはデリカシーがないって言われるよねー」
助け舟を出してくれたのは、さっきまでUFOと交信していたサキだった。口では批判しているものの、ソウタがどんなリアクションをするのか楽しみだと目が笑っている。
「やっぱそうだよね! ここまでやれば、きっときっと大丈夫だと信じたい!」
クンクンと、手首や腕の匂いを嗅ぐソウタ。シャワーを浴びるのが一番早いのだろうが、残念ながら彼は実家住まいで、大学からは一時間かかる。
「お、お疲れ様でーす!」
ソウタ、そそくさと退場。ショウゴはアメリカンなジェスチャーで肩をすくめ、セイヤは特に何を言うでもなく、サキは何やら思案顔。
刻一刻とサウナに化けつつある部室。残りのメンバーも各自の荷物を持ち、早々に脱出した。
「あとごじゅうめーとるー」
「わー」
力のないかけ声ふたつ。赤く燃える夕日を背にサキとスミレは買い物袋を提げ、一路スミレの下宿を目指していた。
軽音楽部の新入生歓迎ライブ、と言う名の飲み会で知り合った二人は、好きな音楽や漫画の話で意気投合し、既に半年の付き合いになる。スミレの下宿が大学から近く、実家から通うサキはしょっちゅう転がり込んでは寝食を共にしていた。
「今夜はマーボー」
「まーぼー」
会話がアホである。暑さにやられているのかもしれない。
それでもなんとかゴールに到着。スミレが鍵を開け、サキが倒れ込むように室内へ。大変不幸な事に、外と気温が変わらない。
ドアに身体を差し入れ、スミレも玄関へと踏み込む。バタンとドアが閉まったのと同時に、スミレはサキに抱かれた。
背中に回されるサキの左腕。肩に乗る小さな顔。右手はスミレの首筋から、後頭部へと回る。
「んっ……」
鼓動が、吐息が聞こえる。
「何……」
「……汗臭い」
「ぶっ」
引きはがしたサキは、いたずらの見つかった少年のように、小さく舌を出して笑っていた。
「もー、びっくりするじゃん」
「てへ☆」
「かわいこぶってもダメです」
「むー」
「ほら、ご飯作っておくからシャワー浴びておいでよ」
「はーい」
元気よく返事をしたサキは買い物袋から六本入りの棒アイスを取り出し、二本抜いて冷凍庫へ。一本はスミレに、もう一本は自分で銜えると、服を脱ぎ始めた。
Tシャツからショートパンツ、下着に至るまで、ぽいぽいぽーいと洗濯機に投げ入れると、サキは風呂場へと消えていく。
一人残されたスミレは、同じく買い物袋から豆腐とひき肉を取り出し、他の食材を冷蔵庫に収納していく。アイスの溶け行くスピードが半端ない。
今にも垂れそうなバニラアイスを慌てて舐め終えると、備え付けのエアコンを起動し、足下の扇風機もスイッチオン。このコンビはなかなか強力なタッグを組んで、夏の乙女達を癒してくれるのだ。
出かける前に予約を掛けておいた炊飯器は、あと二十分でフィニッシュするらしい。この半年で少し仲良くなれた包丁を取り出すと、手のひらの上で豆腐を一口大に切っていく。
フライパンに油を引いて、ひき肉をダイブ。簡単便利な麻婆豆腐の素を入れ、ジャンジャカ炒める。
続いて豆腐も飛び込んだ。がっしり中火、湯気踊る。なかなか間違えようのない鉄板メニュー。文明の利器って素晴らしい。
程よく頬を染めた豆腐達。火を止め、水溶き片栗粉を回し掛け。とろとろとろみに再着火。細かく刻んだ長ネギを散らし、ぐるりとかき混ぜれば完成。
「お姉ちゃん、キミ、美味しそうやな」
気がつくと、首にタオルを巻いたサキが立っていた。その顔たるや、まさにエロオヤジ。
「私はおいしくないですー麻婆さんですー」
「なに! キミと違うんか! それはおいちゃんのうっかりやー」
濡れた黒髪を無造作に下ろしたサキは両手を振り上げ、コントばりのオーバーリアクションで驚いてみせた。
「お詫びになんか作らせてーな」
さっと揉み手に変わる。
「ん、じゃあ棒棒鶏よろしく」
「よっしゃ、合点承知や! お姉ちゃんはお風呂行っといで!」
「ありがと、じゃあお言葉に甘えて」
サキは流石に気兼ねしたのか、シャツとスカートを洗濯機に入れると下着のまま浴室へ。
一度ドアが閉まり、がさごそと音がした後、そっと空いたドアの隙間から可愛らしい下着だけがちょこんと出てきた。
「なぁなぁお姉ちゃん、おいちゃん、この下着もろてもえーかー?」
「だめー!」
お風呂場エコーたっぷりの悲鳴を聞いて、ニヤニヤが止まらないサキであった。
「ところでスミレ君」
「なんですかサキ教授」
「君は最近、汗をかいたことはあるかね?」
「さっきもかいてたけど」
「じゃあ質問を変えよう。気持ちよく汗をかいた事は?」
「あー、全然ないかも」
「ふむ。ご飯おかわり」
「はーい」
からりと晴れた日だったので、夜は意外と風が抜けた。暑いに変わりはないが、扇風機で戦える気温だ。
タンクトップのサキとキャミソールのスミレ。育ち盛りこそ過ぎたが、夏バテするわけにもいかず。またバンドの練習で消費したエネルギーを補充すべく、もりもりとご飯を頬張る二人。
「そんなわけでだな」
「はい」
「気持ちよく汗をかくイベントがやりたい」
「ほう」
「そしてアタシは肉が好きだ」
「と言う事は」
「バンドのメンバーでバーベキューしよう」
「びーびーきゅー」
「いくか」
「いくよ」
「よし。とりあえずお茶碗返してくれ」
「あ、ごめんごめん」
「ありがと。来週の練習の時に告知しよう。あと制汗スプレーとか一切禁止で」
「えー、マジすか教授」
怪訝そうなスミレ。
「現代人は汗をかく事に神経質になりすぎだと思うんだ」
「ほうほう」
「今日のソウタを見ただろう? 女なんぞにうつつを抜かしよって」
「あなたも私も女ですよ?」
「ともかくだ」
華麗にスルー。
「はい」
「不潔だとか臭いとか言われがちな汗だけど、動物的には気持ち良くかくべきだと思うんだ」
「そうだね」
「というわけでバベろう」
「弱肉強食ですね」
「本能だからな」
「タンが食べたいです」
「おー食えー」
「よっしゃ」
小さくガッツポーズするスミレ。
「あとは男の子達が乗って来るかどうかだねー」
「実は、そこもキーなのよ」
「そうなの?」
「うん」
「そっか。楽しみだね」
「楽しみ」
一人の食事より、二人の食事の方が楽しい。一緒に作るのも楽しい。
二人で分担した晩ご飯は、跡形もなく食べ尽くされていた。
一週間後の練習で、正式に出欠確認。ショウゴはノリノリ、セイヤは淡々と二つ返事。年下の彼女に寝返りそうなメロメロ少年ソウタには事前にメールで確約を取り付けていたので、これもクリア。
かくして一週間後、彼らは汗まみれの大行軍を繰り広げる事になる。ちょっと大げさ。
作戦決行日、午前八時。スミレ達五人は、学校の前にあるスーパーマーケットに集合していた。
「これより、食料の調達を開始する」
「オー!」
「誰か、カゴを持つ者はないか!」
「僭越ながら私がお持ち致しましょう、サキお嬢様」
「うむ、しかと頼んだ」
「御意!」
軍隊ごっこだかお屋敷ごっこだか、ともかく楽しそうなサキとショウゴを先頭に、ゾロゾロと店内へ。この二人の瞳はいつだってキラキラしていて、スミレには時に眩しかった。
「いいよな、ああいうの」
ボソッと呟いたのは、セイヤだった。今日は紺色のポロシャツを着ている。
「あの二人のミニお芝居?」
「というか、ああやって本気でバカやれるところ。簡単に自分を出せるところ、って言った方が分かりやすいかな」
スミレには、意外な言葉だった。頭が良く、鍵盤が上手くて、大人な考え方を持っていて、いつも落ち着いているというのが、セイヤに対する印象だった。
「ちょっと頑張れば、誰でも自分に素直になれるんじゃないかな」
遠慮がちにだが、スミレは率直な感想を述べた。先を行く二人がソウタをからかっている。サッと買い物カゴを持つぐらいの気遣いがないと、女の子にはフられてしまうらしい。えっ、そうなの? とソウタがわたわたしている。
「会った当初、っていうか今もだけど、ソウタって割とヘタレじゃん」
「お前、なかなか酷い事言うな」
「へへっ。でもさ、なんだかんだ言いながら彼女が出来たり、たまにはサキやショウゴに言い返せるようになったりしてきたじゃない?」
「確かにな」
なるほどと、セイヤが頷く。
「だから、セイヤ君も全然出来るんじゃないかな」
気がつくと、ショウゴの持つカゴに食材を放り込んでいるのはソウタだった。
「素直にミニ芝居が?」
「あそこまでやれとは言わないけど、でも自分を出すのって全然不可能な事じゃないと思う」
スミレは隣を歩くセイヤの顔を見上げた。セイヤは立ち止まり、スミレの顔を見る。
「セイヤ君って、いいとこ一杯あると思う。もっともっと出していくべきだよ」
「……そんなに上目遣いで言われると、ドキッとするな」
真顔でそんな事を言うもんだから、スミレこそ思わずドキッとした。
「私の背が低いからって、そんなぁー」
「悪い、冗談だ」
セイヤは笑って軽く右手を上げ、所在なげに振り、そして下ろした。あの右手はどこに行きたかったのだろうか。
「いちゃついてると置いてくぞー」
「お前らの肉ねーぞー」
それは困る。二人は顔を見合わせると、同時に頷き、ぶんぶんと手を振るサキ達の元へと急いだ。いつかあの右手の行き先を聞こう。スミレはそう心に決めた。
「ねね、何話してたの?」
食材を男子チームに任せ、サキとスミレは備品コーナーに来ていた。ジュースや紙コップ、紙皿、ゴミ袋等をカゴに放り込みながら、探りを入れて来る。
「セイヤ君、羨ましいんだって」
「何が?」
「サキやショウゴみたいに、自分に素直に居られる事」
「ふーん。ま、思ったより難しいからね」
「そうなの?」
これも、スミレには意外だった。
「そうよー? もし自分を出してダメだったら、逃げ道ないんだもん。簡単に切れる間柄ならいいけど、ずっと付き合っていかなきゃなんない相手だったらリスク高いし」
「そんなこと考えてたんだ」
「うん。だから、今の関係って凄く楽しいんだ。素直な自分を出して、好きな人と好きな事がやれてる。ありがとね」
「そんな改めて言われると、照れるじゃん」
「テレロテレロー」
イヒヒと、サキが笑う。スミレも、つられて笑う。
「しかし素直になりたい少年かー。ふむ、ここはサキ先生に任せなさい」
「ほほう、何か秘策でもあるのかね?」
「まぁ見てなって。続きはCMの後で!」
買い物が終わり、一同車の中へ。運転席にはソウタ、父親のワゴン車を借りてきてくれていた。
助手席にはサキが、後部座席にはスミレ、ショウゴ、セイヤ。スミレとショウゴが両端に、セイヤが中央に座る。
危なげなく滑り出した車は、人と食材とバーベキュー用品を載せ、一路北へ。
わいわいと、お菓子を開けたりジュースを飲んだり運転手のソウタにアーンしたり。スミレがちらりと見上げたセイヤは、心なしか頬が緩み、楽しそうにしている。
一通り騒いで落ち着いた頃に、サキがカバンを開き、ごそごそと中身を漁っている。目的のブツに行き当たったらしく、後部座席のメンバーの前に取り出して見せると、
「イントロクーイズ!」
「パフパフパフパフー!」
高らかにタイトルコールをしたサキに、器用な口真似で効果音を入れたショウゴ。漫才コンビもビックリの息の合い方である。
サキが両手で扇状に持っているのは、五人が組んでいるバンド「ぺんたごん」がカバー演奏している、「Pentagon Star」という日本のロックバンドのCDだった。
「Pentagon Star」は、今年二十周年を迎え、ますます勢いに乗っている五人組バンド。耳に残るキャッチーなメロディと暖かなサウンド、そして安定した演奏力がウリの実力派で、ファンだと公言するミュージシャンが多く存在する。
「自分たちがカバーしてるバンドの音源くらい、隅々まで聞いてるよね? イントロ数秒でタイトルを当ててみよー。一位の人は後でお菓子買ってあげる!」
「「よっしゃー!」」
ガッツポーズのショウゴとソウタ。いやソウタはダメだろ、ちゃんとハンドル握ってくれ。
一曲目、印象的なギターリフから始まるアップテンポなロックナンバー。ドラマの主題歌にもなったヒットソング。
「虹色の世界!」
「正解!」
正解者はショウゴ。しかし流石に全員が分かっていたようだ。肩慣らしと言ったところだろう。
二曲目、リズムセクションから始まるミディアムナンバー。どっしりと構えたバスドラムに、うねるようなベースライン。
「君と夏風!」
「お、スミレやるねぇ」
正解。この後、オープニングSEや隠しトラックなど難問も交えながら、イントロクイズは進行していく。
「次の曲はー、これだ!」
カーステレオから流れてきたのは、少し癖のある音の粒。決して派手ではないが、力強い意志を持ったコシのあるピアノが、車内を充たしていく。
「さー、これは難問だよー?」
フフンと、サキが笑っている。音楽は消え、車の走行音だけが聞こえる。一様に考え込むメンバーだが、答えが出ない。ただ一人を除いて。
「夕暮れの月、だろ」
セイヤだった。
「正解! 凄いね、インディーズ時代の音源だよ?」
くりくりした目を更に丸くして、サキが驚く。
「以前サキに借りた時、一番印象に残ってて。ピアノのフレーズが好きなんだ」
「ふむ。じゃあ次にカバーする曲はこれに決定!」
ビシッと人差し指を突き出し、サキが満面の笑みで告げる。
「お、早速練習しなきゃな!」
ショウゴが乗ってきた。歌詞を覚えたいソウタは、フルコーラスでかけてくれるようサキに頼んでいる。
「良かったね」
スミレは、セイヤに笑いかけた。セイヤは少し戸惑った表情をしていたが、口元が優しく緩んでいる。
「これも、素直のうちに入るのか?」
セイヤは、やんやと騒ぐ三人を横目に、スミレにだけ聞こえるように尋ねた。スミレは頷くと、肘でセイヤの腕を軽くつつく。
「そう、か」
セイヤは前を向くと、無意識に眼鏡を直した。心なしか背筋を伸ばしたように見える。
それぞれの思いを抱いた五人を乗せたワゴン車は、木々生い茂る深い山奥へ。
ジャリジャリジャリジャリ、ガチャガチャガチャ、バタンバタン。
「「川やー!!」」
豹も驚く超速度で走り出したは、ご存知サキとショウゴ也。一心不乱の一目散、河原を浅瀬を駆け去って、膝上浸かりし深さでドボン。
「っひゃー!」
「超真水! 超清水!」
「はやくおいでよー!」
相変わらずのハイテンション。残された三人も荷物は後にして、川辺に行ってみる事にする。
大小様々な石がごろごろとしている河原。川は広く、十メートルは裕にあろうか。対岸には広葉樹が堂々と立ち並んで、緑と茶色の壁を作っている。
スミレ達と同じようなバーベキュー客は、他に二組程。若者グループと家族連れ、どちらも気楽に会話をしながら宴の準備をしている。
「ソウタ!」
声がする方をみると、サキだ。河原から三メートル程の水面から生えている。両足を軽く開き、両の手は腰に、そして胸元は透けていた。
「どうだ! アタシと彼女さん、どっちがエロい!」
裾に原色のパターン模様が入った、シンプルな白地のTシャツ。細身の身体には十分すぎる二つのふくらみを、パステルピンクのブラが抱いている。
濡れたTシャツは身体のラインにぴたりと張り付く。引き締まったお腹が健康的。ショートパンツからスラリと伸びるしなやかな脚、弾けた水滴が輝く太もも。
未だ衰えぬ太陽の光に包まれて、サキは麗しく、艶やかだった。
さて、ソウタは。
「エロいのはサキさんです! でも、好きなのは彼女です!!」
「よっしゃーよく言ったー! アタシの胸に飛び込んでこい!」
「やった、やったぞー!」
大きく両腕を開いたサキに向かって、ソウタは走り出した。その顔は、確かにやりきっていた。
サキに届くまで後一歩のところで、ソウタは宙を舞った。
側に控えていたショウゴが、水の浮力と走り来るソウタのエネルギーを上手く利用して、より深い川の中央部へと投げ飛ばしたのだ。
「あー」
「わー」
一際大きな水音を立てて、ソウタは沈んだ。お祭りコンビはからからと笑っている。
置いてきぼりのスミレとセイヤは顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出した。夏は良い。広い。開放的だ。
「僕らも行こうか」
「うん!」
二人は走り出し、三人の元へ。今度はショウゴが腕を広げ、サキは挑戦的な手招き。ソウタはぐっしょりと濡れた髪を振り、走り込んできた二人に気付くと、ここぞとばかりに水をかけ始めた。
負けじとセイヤがかけかえす。サキはスミレの頭を撫でた後、手の平でお椀を作ると水をすくい、頭からザパン。
髪を伝ってくる、心地よい冷や水。パシャパシャとかけ返すスミレ。
一閃、横から鋭く飛んできたのは、ショウゴの水鉄砲だった。サキとスミレの頬に一発ずつ当たる。両手の指を交互に組み、手の平の間でポンプを作る、原始的な水鉄砲。
やったなー、と、水をもの凄い勢いでかけ始めるサキ、スミレ。セイヤとソウタも加わり、大混戦。
五人がひとつになって、皆が笑顔で。幸せだと、スミレは思った。
「じゃあソウタとスミレは、食材の準備をお願い。アタシは後の二人と火の準備して待ち構えてる」
「「了解!」」
川遊び中放置していたワゴン車から、コンロや炭、クーラーボックス、調理器具もろもろを運び出す。シャツもパンツもびしょびしょだったが、照り付ける太陽の熱い眼差しがすぐに乾かしてくれるだろう。
「スミレ、荷物持つよ」
ちょっぴり男らしくなった気のするソウタが声をかけ、食材の調理に必要な諸々を一気に全部持ち上げようとした。
任せてしまえばスミレは楽が出来る、しかし。
「チッチッチ、甘いなソウタ君。それは優しさじゃないんですよ、便利な人なんですよ」
「???」
ソウタの頭上にクエスチョン。
「全部持ってくれたら確かに私はラクチンだけど、私とソウタでは何も共有出来ないじゃん」
「共有? 嬉しい事じゃなくても?」
「もちろん。学園祭や文化祭の準備なんかを一緒に頑張ったメンバーで、付き合い始めたりする事あるじゃんね」
「な、なぜそれを」
「あ、彼女さんとの馴れ初めはそこなんだ」
「えへへ、まあ、ね」
分かりやすく照れるソウタ。可愛いな、こやつ。
「だから、楽しい事も辛い事も、一緒に向き合って乗りこえたってのが大事なの。両思いなら、尚更なんだよね」
「あ、そっか。スミレは俺に惚れ「違うけど」」
かぶせ気味にさえぎる。
「恋愛感情じゃないけど、ソウタのことは好きだよ。そうじゃなかったらこうやって山奥まで遊びに来たりしないし」
「お、おう、真顔で言われるとドキッとするな」
「彼女さんが嫉妬しちゃうから、他の女の子にはあんまりデレデレしちゃダメだよ?」
「……了解であります、先輩!」
なぜか改まって敬礼をするソウタ。
「ま、そんな訳でクーラーボックスよろしく。私はこっちの包丁とか持っていくね」
「はいよ!」
かくして水場に食材と調理器具を持ち込み、早速調理スタート。屋根があるとは言え、やはり熱気が身体を包む。ソウタもスミレも、首に腕に汗をかき始めていた。
調理とは言ったものの、バーベキューだ。難しい事は考えず、食べやすい大きさにカットするだけ。
人参は輪切り、ピーマンは二等分し、ワタと種を取り除く。椎茸は石づきを根元から切り落とし、十文字の切れ込みを。
タマネギの涙腺攻撃、これはやはりためらわれる。と思っていたら、ソウタが華麗にやっつけてくれていた。
「それは優しさだと思う!」
スミレは、素直に褒めた。おだてたとも言う。
「何のこれしき。ところで、さっきの話の続きだけど」
「うん」
「その、デートって何したいもん?」
「うーん、自分の出来る事で良いんじゃない?」
大きなプラスチックのバットに切り終えた食材を載せながら、スミレは小首をかしげた。
「出来る事?」
「うん。例えば高級レストランでディナーとか、ちょっとハードル高いじゃん」
「無理—」
「でしょ? ソウタは車運転出来るんだし、ドライブとかいいじゃん」
「遊園地は行ったし楽しかったんだけど、なんかこう、ありきたりな感じがしちゃって。なんか、僕にしか出来ない事とかしてみたい」
ロマンチストか。
「うーん、そうだなぁ」
スミレはふと手を止め、均一に切り揃えられた色とりどりの野菜が踊るバットを見つめた。
「ソウタって、ひょっとして料理得意?」
「実家が小料理屋だから、自宅がそのままバイト先だよ」
「それでいいじゃん。高原でも自然公園でもいいから、お弁当作って景色のいいとこに行けば良いよ」
「ほー!」
「料理の出来る男性は、将来家庭の事をちゃんと気にしてくれそうな印象があって、漠然と結婚まで視野に入って来るよ!」
「どこで挙式しよう」
「それは早計だけど」
「やっぱり?」
「うん」
アメリカンなオーバーリアクションで、がっくし肩を落とすソウタ。しかしその顔には、確かに何かをつかんだような表情が浮かんでいた。
「すげー! セイヤすげー!」
「火じゃ、火が起こったぞ!」
「皆の者、宴の用意じゃ! 急げ!」
「うぉー!」
雄叫びが、聞こえた。その主は言うまでもない、どこまで行ってもお祭り騒ぎ。底なしの体力だ。
汗ぐっしょりのヒーローであるセイヤは眼鏡を右手に持ち、左腕で顔の汗を拭っていた。彼も、何かをやりきった達成感で表情が輝いている。
もちろんサキとショウゴの額にも、キラリと光る汗の粒が。汗、汗、汗の五人組、いざ行かん、肉焼き合戦。
スミレはクーラーボックスからロックアイスを取り出すと、スーパーマーケットで購入した背の高いプラスチックカップに二、三個ずつ入れ、同じく冷やしておいたペットボトルの蓋を空け、五人分のドリンクを作っていく。
「はいっ」
「うおっ!」
後ろから忍び寄ったスミレは、セイヤの首筋に冷えたジュースを押し当ててやった。
「普通に渡してくれればいいのに」
「たまには変化球も良くない?」
「たまには、な」
口では文句を言うが、まんざらでもなさそうだ。
「セイヤだけズールーイー」
「アタシにもジュースくれー」
「はいよー」
残りの三人にもカップを渡す。自分の分も持つ。
「肉食うぞ! 乾杯!」
「「「「カンパーイ!!!!」」」」
汗と、油と、炭と、ジュースと、その他もろもろで、ちょっぴり汚れてしまった五人。全員が全員、満腹だった。
男衆を連れて真っ先に川に飛び込んだショウゴは、流れに逆らったり流されたり横断したりと一通り格闘した後、ジュースを飲みに帰ってきて、残された炭で火遊びをしていた。
セイヤとソウタはまだ水の掛け合いバトルをしている。セイヤの眼鏡はクーラーボックスの上に安置されていた。
少し離れた所にある大きな平岩の上で、サキはぼんやりと座っていた。川の方を向いて足を投げ出し、再びショウゴが参戦した水辺の男体戦を眺めている。
スミレはサキに近付くと、その右肩に頭をうずめ、華奢な背中を優しく抱いた。
「……汗臭い」
「おっぱい」
「ぶっ」
サキは肩に乗ったスミレの頭を右腕で軽く包み、なだめるように髪を撫でる。
「大成功だね」
「うん、良かった。これ、皆が乗ってこなかったら、バンドの解散も考えたんだよね」
「そうなの?」
「どうしても九月って、ダレやすい時期だからさ。部室以外でこうやって騒げて、ホントに良かった」
「うん」
「何かを共有するって、楽しいね」
「うん」
大きく頷くスミレ。
「ねぇサキ、私、サキの事好きだよ」
「素直で大変よろしい」
サキ先生が、スミレを褒める。
「私も好きだよ。でもそれは、セイヤに言ってあげなよ」
「えっ?」
スミレは驚いて、サキの顔を覗き込む。サキはイヒヒと笑っていたが、少し影がかかっていて、そう、切なそうだった。
「ひょっとして、サキもセイヤの事?」
「うん、実はね」
「ショウゴだと思ってた」
「バカやるのはショウゴだね。一緒に居て楽しいし」
「でもセイヤなんだ」
「私には持ってないとこ持ってるし」
ふと、真顔になるサキ。
「でも、スミレとなら真っ向勝負したい」
スミレも、真顔。
「なんてねー」
ふーっと、スミレが長い息を吐く。
「私は今の空気が好きだし、例えばスミレがセイヤと付き合う事になったってその空気が好き」
何か言おうとして、言うべき単語が出てこないスミレ。
「でもフられたら承知しないから。こんな可愛い子と付き合わないセイヤなんて許さない!」
ビシッ! にへらっ。
「サキ……」
「と言う訳で、告白するもしないも自由にすればいいよ。ダメだったらスミレ、あたしと付き合おう」
素直じゃないね。そんな言葉を、スミレは飲み込んだ。
「でも、今日はみんな何かしら素直になれたんじゃないかなぁ。アタシとショウゴは普段通りかもだけど、セイヤとソウタはちょっと顔つき変わったんじゃない?」
「うん、私もそう思う」
複雑な表情で、スミレは答える。
「ほらほら、そんな顔しないの。アタシもちゃんと心の準備出来たら、セイヤにアタックするから」
「絶対?」
「絶対。ほら、これで公平でしょ? 素直じゃないって思ったならちゃんと言ってくれていいんだよ。スミレも、変な気を使わず素直になって良いんだよ」
満面の笑顔を、サキは披露した。スミレはおもむろに立ち上がると、サキの正面に回り、投げ出されたその太ももをまたいで、再びしゃがみ込んだ。
「約束だからね?」
ぎゅっ。
「もっちろん」
ぎゅっ。
「ありがとっ」
「どういたしまして」
「うん」
「さ、もう一暴れしてこようか」
「うんっ!」
スミレは立ち上がり、手を差し伸べる。サキはその手を取り、勢い良く引っ張って立ち上がった。
ヨーイ、ドン。
水上の男衆が、再び走り出した二人の乙女に気付き、大きく手を振っている。
汗びっしょりの五人の笑顔は、沈み行く夕日よりも眩しかった。
汗にまつわる爽やかな青春群像劇を書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
私も最近運動不足なので、たまにはお日様の下で汗を流したいなぁと思いつつ、寒空とコタツさんでは断然後者が好きです。
お読みいただき、ありがとうございました。