境なくし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
境界線。
意味を考えてみると、なかなか胸がおどってこないかい、つぶらやくん?
境とは、自分と他を異にする大切な役割を表している。こっからは自分、そっからは別と決まっていれば、あるいは自分の領域を好き勝手いじるのに問題なく、あるいは相手を侵略して領域を広げていく欲望も湧く。
当然、自分が考えることは相手も考えているだろうから、向こうから脅威が迫ってくるかもしれない。そして我々は誰しも、四六時中おびやかされている境界線を所持している。
自分の身体。
せきとか、くしゃみとか、鼻水などは身体の防衛機能の一種。こうしている間も、こちらを侵略せんとするものたちから戦っている証だ。
世界すべてに比べれば、この身は砂のひとつぶにすら及ばない小ささ。だが、それを絶対防衛ラインとして守らんとしている。すさまじいストレスがかかるだろう。
リフレッシュの方法はいろいろあるけれど、ちょっと前に友達から聞いた不可思議なものがあるんだ。ちょっと聞いてみないかい?
それは学校で、クラスメートと二人で居残っていたときだという。
二人とも美術の課題の締切日が近づいていて、その日のうちに出さないと評価をもらえないという瀬戸際であったそうだ。
放課後でも開放された美術室でもって、どうにか色塗りまでこぎつけたものの、元からあまり好きではない作業だった。自分の得手不得手を、様々な学習を経て判明させるというのは学校授業の役目のひとつだろうが、分かりきったものには苦行だ。
半分ほど塗り終わったあたりで、クラスメートが「あ~あ」と声をあげて、大きく伸びをしたかと思うと、
「ちょっと、空気吸ってくんわ」
と美術室を後にしたようだ。
友達は休むにしても、自分の仕事を片付けてからでないと安心できないタチだったから、付き合うつもりはなかった。ああやって席を外したとき、故意にせよ偶然にせよ自分が感知できないトラブルで成果を台無しにされることが、心情的に耐えられないと。
そのために、自分は席を外さずにもくもくと作業を続け、完成にこぎつけた時にはそこから更に30分あまりが過ぎていたそうだ。
まだ友達は戻ってきていない。トラブルがあってはまずいし、絵に関しては職員室の先生へじかに出しに行ったのだそうだ。
その帰りに校舎を見て回ろうとする友達。クラスメートがどこにいるのか把握しようとしたらしいのさ。
下駄箱には外履きが残っている。外へ出たりはしていないはずだ。
美術室のある東校舎にはいる気配がなかったらしく、ならばと渡り廊下をはさんで、向かいの西校舎を見て回る。
その一階から二階へ上がるときに。
階段で、むずっと踏んづけたものが。上部ばかりを見ていて足元をおろそかにしていたんだ。
が、その踏んだものを見て友達は目を丸くする。それはクラスメートの上履きの片割れだったのだから。もう片方は近くに落ちてはいない。
こちらの校舎まで来ていて、上履きが脱げたことに気付かない。あるいは拾うことがためらわれる状況……。
友達は脳裏に「不審者」の文字が浮かんだのだそうだ。当時はまだ校舎へ外部の人が出入りしやすい環境だったから、こっそり入るやつがいてもおかしくなかった。
護身用に、近くの掃除用具入れからほうきを一本取り出し、足音を忍ばせながら友達は階段を登っていく。
自身の悪い想像を裏付けるかのような光景が続いた。
踊り場の掲示板に始まり、壁や廊下のそこかしこに制服のものと思しき布切れや赤い血痕、大小の肉らしきものの塊がちらほらと……。
シンプルな血の海などとは違い、バラバラに置かれる破片たちというのもまた気味の悪さを後押しする。友達は自身がグロ耐性のあることに、このときばかりは感謝したらしい。
先生を呼んで助けを求めるのが常道だろうけど、友達はなお先へ進むことを優先した。自分が踵を返したとたんに、いきなり不審者に背後から襲われるとかが最悪だ。少なくともターゲットがどこにいるかを目視しなくては……と、自分をせっついていたらしい。
その破片たちは三階へ上るところで途切れてしまい、ひょっとしたら……と足を運びかけたところで。
「おう、大丈夫か」
背後から肩たたきされる。そこにはクラスメートの姿があったそうだ。
目をぱちくりする友達に「お、上履き拾ってくれたんか、サンキュー」と、握りしめられていた上履きを取ると、履き直す。
また「あ~あ」と伸びをしながら、とってもいい気分だぜ、一気に仕上げるかと美術室へようようと歩き出したクラスメートだけど、その制服の左ひじの部分はなぜか踊り場の掲示板にかぶせてあるカバーが張り付いていたんだ。
取って返してみると、あの破片たちはいつの間にやら消えている。ただ掲示板の一角はあの友達の制服の生地が張り付き……いや、うずまっていて容易にとれなかったとか。
身体をリフレッシュさせる、とはよくきく。
しかし、クラスメートにとってのリフレッシュ法は境をなくす、得体のしれないものだったのではないか……と思っているとか。




