朝焼けに剣を捧ぐ
私の名はエレノワ。
誇り高きエインデル帝国に忠誠を誓い、皇帝の末娘ミレイユ様の近衛騎士として仕官している。
私は中流の貴族家の生まれだ。
私たちは年のころが近く、同性ということで、最初は姫のお付きとして召し抱えられた。
初めて姫にお会いした、あの日。その朝焼け色の瞳を見たときに、私は胸を貫かれるような衝撃を受けた。
これほどまでに美しい人が、存在するなんて。
それからだ。私は姫の特別な存在になるために、もとより得意としていた剣技を磨いた。
全てを投げ打って、ひたすら剣を振るった。努力に努力を重ねて、騎士団員すら負かせられる実力をつけたとき、姫のために剣を捧げることを許された。
以来ずっと、姫のお側でその御身をお守りすることが私の全てだった。私も、その役目を誰にも奪わせないために、あらゆる方面への研鑽を積み続けた。
ミレイユ様は、美しく成長された。豊かに揺れる黒髪は母君譲り、勇ましく、しかしあたたかな瞳は父君によく似ていらした。
父君が早逝されてから、三人の兄君と国を治めていらっしゃるが、彼らとはずっと折り合いが悪かった。
女性であり末の妹である姫があまりに優秀だったから、無理もない話なのかもしれない。しかし、敬愛する姫が目の敵にされるさまは気持ちの良いものではない。
「女だてらに国政に関わろうとするなど、言語道断だ。お前は大人しく後ろに控えて、黙って媚びて笑っていればいいんだ」
下卑た笑いを浮かべて長兄が言う。それにあわせて、残りの二人もゲラゲラと下品に笑う。
何度、あの愚鈍どもを切り捨てようと思ったか知れない。舐めた態度で姫を侮辱されるたび、私の理性は消え失せてしまいそうだった。
思わず剣に手をかけることもあった。しかし姫は、私の手にご自身の透けてしまいそうなほど白い手を重ね、目を合わせて微笑んでくださった。
その笑みにつつまれてしまえば、私の感情は押し込めるほかない。姫に恥をかかせるなんて、あってはならない。
「いいの、エレン。あんなのには言わせておけばいい」
寝室に戻り、髪飾りをひとつひとつ丁寧に外しながら、姫は言う。
「あの三馬鹿に、この国と大事な民をまかせてなどおけない。私は私のすべきことをするまで。放っておいて構わないよ」
姫は花開くように優美に笑った。
顔に似合わぬはっきりとした物言いも、私は好きだ。
姫に任された領地は、国の辺境にある実りの薄い荒れ地だった。痩せた土は穀物を育まず、冬は長く、街道も離れていて便が悪い。
だが姫は、作物が育たぬなら別の営みを育てればよいと言った。
風の強い丘には風車を建て、荒野には羊を放ち、王都では安く使い捨てられていた職人たちを呼び寄せて、小さな工房の町を作らせた。
行き場をなくした者たちはやがて集まり、荒れ地だった土地には灯りが増えていった。
兄たちは重い税と無策な政で民を苦しめ続けたが、姫は集めた税で施設を整え、生活の仕組みを作り上げ、それ以上の価値で民に還元した。
辺境に生きる民は姫を深く愛した。民とともに、生きる意味を作ったのだ。
あれは共に愛馬で遠乗りに出かけたときだった。
すらと背を伸ばし、馬と呼吸を合わせ風に溶けるように草原を駆ける姫は、あまりにも荘厳で眩いほどだった。
「私はね、エレン。お前がいるから掃き溜めのようなこの世界でも息ができる」
二人だけでたどり着いた見晴らしのよい丘で、やわらかな風を受けながらまっすぐに前を向いたまま、姫は言った。
凛とした横顔のその造形は、神の寵愛を受けた存在であることを物語っていた。
「……もったいないお言葉にございます」
私は心の底から湧き上がるよろこびに溺れてしまいそうで、ようやくそれだけを返した。
「女であると言うことは、この世界では枷でしかないね。うっとうしく、不自由だ。いっそ捨てられたらいいのに」
わずかに目を伏せて、姫は呟く。
その目には、その心には何が映っているのか。私はこの方のために何ができるのだろう。命を投げ打つ以外に。
「ねえ、エレン。この世界から、人と人を隔てるもの、縛る枷、全てをなくしたい。みながそれぞれらしく生きられる世にしたい。私なら、それは成し得るのではないかと思うの」
姫の理想は崇高で、しかしこの方ならそれも実現させてしまうのではないかと思った。そう思わせる不思議な力が、姫にはあった。
同じ女であるからこそ私にできることがあるかもしれない。理想に向かって歩む姫の苦しみも背負わされたものの重さも、わずかでも肩代わりし、お心の慰めになれたなら。
私は、あなたのために生きたい。
「エレン。そのために、お前の力を貸して。私は必ず手に入れてみせるよ」
「もちろんです。私の命も心も、その全てはあなたのために」
それは夏の暑さも落ち着き、草木が色を落とし始めたある日のことだった。
姫は受け取った書簡を仇を見るかのような目で睨みつけ、しばらく思案されたあと、私をそばに呼んだ。
「エレン。偉大な兄上たちが、同士討ちを始めたよ。馬鹿が討ち合う分には一向に構わないが、割を食うのは民だ。もはや看過できない。兵を挙げ、兄を討つ」
そう言って、私をまっすぐに見る。
「お前の命、私が預かる」
「御意に」
当たり前のように私をお連れくださる、その栄光に胸を焼かれながら、私はただ跪き、頭を垂れる。
私にも、迷いなどない。
姫の采配は見事としか言いようがなかった。
民はその全てが未来を共に歩む存在であり、犠牲を出してはならないと、とにかく民を巻き込むことを避けた。
混乱に乗じて、その身分故に扱いに苦慮していた奸臣を次々に粛清した。
そして、これは自らの罪でもあるから誰の手も汚させないと、情け容赦なく、兄たちを自らの手で討った。
四つに分かたれた領地は統合され、帝位についたミレイユ様の収める大国が建つこととなった。
民に厚く情をかける慈しみの女帝の治世は、圧政に苦しんできた民から熱狂を持って迎えられ、戦で荒れた土地はみるみる息を吹き返していった。
私は、役目を終えた。
ミレイユ様には、そう遠くない先に血筋の確かな世継ぎが必要となる。
あの方とは、もとよりあまりに身分が違いすぎる。その上、私にはあの方と子を成すことは、できない。
ずっと、この秘めた想いを拠り所に生きてきた。
あなたを想うだけで、どんな苦難も乗り越えられた。
だがそれももう終わりだ。
こんな思いを抱えた愚か者がそばにいては、ゆくゆくの婚姻にも障りがあるだろう。
私の忠誠は、もはや国ではなくあの方に捧げられたもの。最後まで忠義を徹して、せめて美しく去りたい。
「姫。私は、暇をいただきます」
戴冠の熱気も落ち着き、国が活気を見せ始めた頃。
澄んだ空気の中に広がる星降る夜に、二人きりの露台で告げた私を、姫は静かに見つめた。
「なぜ?」
「あなたの治める世はもはや泰平が約束されました。私のような武人をそばに置く必要もないでしょう。いずれお迎えになる婿君にとって、邪魔でしかありません」
姫のお顔を見ることができない。
きっと、決意が揺らいでしまうから。
本当に、なんと愚かだろう、私は。
あなたを想うことで誰にも負けぬ力を手に入れたと思ったのに、あなたを想うがゆえにこんなにも脆く弱い自分を、いやでも思い知らされる。
しばしの沈黙、そののちに、小さなため息が聞こえた気がした。
「エレン、お前、ずっと私のそばにいて何を見てきたの?」
はっと顔を上げた私を、姫はその美しい眉を寄せ、呆れたように見ていた。その細められた目も、美しかった。
燃える赤のドレスの裾を揺らし、私との距離を一歩、縮めた。
「私はずっと、性別だとか身分だとかで生き方を決められることのない世界を作りたいと言い続けたでしょう。命をかけてそれを成したのは、なんのためだと思っているの?」
また一歩、私たちは近くなる。
その朝焼け色の瞳から、目を離すことなどできなかった。縫い付けられたように、私は、動けずにいた。
「私がお前を選ぶことを、誰にも何も言わせないためだよ」
姫の唇が、笑みの形に変わる。
悪戯っぽく、どこか妖艶さすら感じさせる笑みに、胸が激しく鳴りだす。
少しでも気を抜けば、へたり込んでしまいそうだった。
「自分のために作り上げた理想の世界が、巡ってやがて民の求める世界になっていく。ああ、この世はなんて素晴らしいんだろうね」
姫は、声をあげて笑った。
「お前の想いに、気づいていないとでも思った?」
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。姫の指先が、私の頬を捉える。
「幼いころから私に剣を捧げてくれたお前に、私ができることだ。私たちが共に生きられる国を、お前に捧げよう」
姫の言葉が持つ意味が、わからなかった。自惚れだ。そんなはずがない。到底、あり得ない話だ。
混乱する私に、頬に触れた手のひらの冷たさが、これが現実であることを突き付けてくれた。
そしてまっすぐに私を見つめ、少しだけ背伸びをして、顔を寄せた。
「エレノワ、私はお前が欲しい。お前の生涯を、預けてくれないか」
私の名はエレノワ。
愛するミレイユ様の一番近くで、その生涯を共にすることを許された、ただ一人の人間だ。




