八十話 愚者の人形
幻想は日の訪れとともに泡のように消え去り、酒で火照った体がその余韻を知らしめる。
ただ食事と酒を共有する女性達でも、その夢の幻想は、男なら永遠と思えるほどの楽園だったのだろう。
年が若く、その美味を味わい切れない我が身を如何解釈するか自分自身でも分からないが……一つだけ学んだことがある。
『酒は飲んでも飲まれるな』という言葉が真実であり、体質と合わさって地獄を見るのも自分自身だと、身に染みる程に理解できた。
調子に乗って帰った後に最新のアーサー王物語を読んでしまって、情報と酔いがダブルで押し寄せて体に響くとは想定できなかった。
でも二日酔いだけなら良かった……本当にそれだけなら自身の自業自得と割り切り日常を過ごすことができるが……そうは問屋が卸さないらしく、昨夜の幻想を理由に、激昂と言わなくてもお説教を受ける羽目になった。
一輪の銀の薔薇ならまだしも、新たな月女神――もとい、狩人の女神様の説教は、よく分からない恐怖を孕んでいて嫌だ。
神暦767年九月二十三日 神聖アウグスタ帝国宮殿
淀み込み、朝日が見えなくとも日が昇り、地上を照らす静けさのある光が宮殿を照らす曇り空の日。
朝には秋風の色が強まり冷え込む日が増えており、小さな冬が体を涼しくし、昼に掛けて暖かな陽気に変わるのだろうが……今日は、一段と冷え込んでいると感じる。
未だに目眩し目的の非番、もとい貴族達から一時的な無価値宣言を受けている俺だが……本格的に裁定が下りそうな雰囲気と、許してくれるという淡い希望が混ざり合い、昨夜の余韻たる頭の痛みが現実の険しさを知らせてくる。
「……」
「あのー……ジャンヌ?」
「何?」
「怒ってる?」
「答えないと分からない?」
世界最優の宮殿の一室。淑女らしい淡く奏でる花の香りと、美意識と教養が凝縮された皇女のお部屋で、部屋の主たる銀色の髪の少女の、厳しさと嫌悪と表すべき冷たい目が矢のように全身に突き刺さる。
秋風が涼しく感じるべきなのに、全身に感じるのは、氷の世界に閉じ込められたような息苦しさ。妙な吐き気が震えと共に自身に襲いかかる。
言葉で表すなら等しく地獄……いや、「逃げたい」という本能が底から駆け巡って、言葉にすら表すことができない。
良くも悪くも、詰んでいると察してしまう。
「……」
苦しい空間に沈黙の美少女なんて、誰かにとってはご褒美展開なのだろうが……俺には無理。
心臓の鼓動がいつもの様に奏でる事もなければ、早く、そして掴まれた様に苦しくもなる。
喉は冷え込み、胃から出たがる異物達が頭の中にぐるぐると廻り続ける。
と言うか泣きそう……本当に怖い。
「龍閻」
「はい」
「何で私が怒っているか理解出来てないみたいねぇ」
「……」
「そもそも貴方は、誰の奴隷なのかしら?」
「ジャンヌのです」
「なら貴方の行いがどう評価されると思っているの?」
「全部ジャンヌに還元されます」
「よろしい……私はねぇ、貴方が非番の日を好きに過ごしていいと思うの」
「じゃ何に怒ってるの?」
「夜」
「……はい、すみません」
「まだ、夜としか言ってないわよ」
「あぁスゥ」
言葉が詰まる。何を言っても無駄である事を決定付けているに等しい。
そもそもスキピオが全部悪いと言っても、責任問題は俺に帰ってくるからタチが悪い。
何を返答しても「品位を汚した」で、全ての言い訳が無に帰す。
「はぁ……龍閻の人生だから好きにしてもいいけれど、皇族の奴隷が商売女と過ごすってのは、どう言った評判になるのかなぁ?」
「ごめんなさい」
「次から気をつけてね……龍閻」
「はい」
ジャンヌの小さな妥協と締めくくりが、さらに自分を惨めに変えていくのを感じながら、反省という泥沼に溺れてる。
冷たい目線も無くなった代わりに、呆れと納得できていない怒りに似た視線は、心の奥からの恐怖を縫い付ける。
新しい悪夢になりそう。
新たな恐怖を心の底から刻みつけられ、冷たい目線が延々と終わらないのだろうかと、更なる思いでジャンヌに頭が上がらない。
「でぇ、スキピオと娼館で何を話してたの?」
「ッ!……何で?」
「噂を舐めていたわねぇ、昨日の事なんて即座に拡散されるわよ」
「ふぅー……林檎に群がる騎士の在り方さぁ」
「また面倒事が進行してるのね」
「ちっと読み誤りかなぁ」
「……」
「今回、いや違うなぁ……元々進行していた影さんが動きを強め、同調か共鳴か知らないが、可視化され始めてるだけだよ」
「可視化?」
「そう可視化。わざと噂を流して撹乱なのか、何かを知らせたくて流したのか。流出……色々あるだろうけど、嘘も方便、わざとに違いない」
「……楽しそうね」
「楽しいねぇ、こう言った物語的な現実が好きだから英雄譚が好きなんだよ」
「私よりも?」
「さぁどうだろうね」
「何で誤魔化すのよ」
「誤魔化しなんかしてねぇよ、今の関係がもろ答えだろうにぃ」
「どう言う事?」
「嫌いで誰が命かけて守るってんだよ、ド阿保」
「誰がアホよ!」
「阿呆にアホと罵って何が悪いんでしょうねぇ?」
「何を勝ち誇った様に言うのよ。貴方は、私に説教されていた癖に」
「本題を変えたのはジャンヌでしょうが。説教は、終わったとして認識してまーす」
「はぁ? 何言ってるのよまだ終わってないわ。そもそもねぇ、貴方が私の騎士であるのに平然と分不相応に娼館に出入りした事に怒ってるのよ」
「理由を知っているのに変なところに拘るなっての」
「知っていても貴方の行動が間違っているから言ってるのよ」
「アーアーウルセェ」
「耳を塞ぐな龍閻」
ギャーギャーと喚き散らかすジャンヌを放置し、両手で耳を塞いで音を閉ざす。少しの遊びを満喫しながらも、妄想と考察が脳内に巡り、頭痛すらも楽しくなってきた。
先程までの説教の雰囲気も全て、色変わりしてきている。
どうやらジャンヌの機嫌も多少なりとも直ったらしいし、まぁ偶には怒られるのも悪くないのかも?
……いや、無いな。
そんなどうでも良い事を考えていた頃、木製特有の鈍いノック音が部屋に響き、聞き覚えのある、獣の気配に似た男の声が部屋に響き渡った。
「姫」
「金時ね、中に入っていいわよ」
ジャンヌの一声で扉が開かれ、予想通り見慣れた獣野郎の坂田金時が現れた……コイツ、育兵館にいるんじゃねぇのか?
「若、お疲れ様です」
「おぉう……何でお前仕事してるの?」
「はい! アタランテ様と姫様の授業以外は、若の非番期間は俺が若の仕事も含めて担当しております」
「……あっそう」
「で、金時なんの用?」
「姫、お時間ですので」
「もう……そんな時間なのねぇ、わかったわ」
「……」
ジャンヌと金時が主従関係らしく、皇族と騎士としての仕事の顔と色香を纏わせていく中で、疎外感と金時に向ける謎の不快感が心を駆け巡る。
理由は理解できるせいで、面倒な性格だと自覚できる様になってしまった。
俺は、金時に仕事を取られた……いや、目隠し要因に使われた獣に、謎の誇りと、暇人の自身と仕事を持つ部下たる金時。
「あぁ情けねぇ」
小さく、喉笛から最小限で出される掠れた本音が口からポロリと溢れてしまうが、誰にも聞こえてないのが幸いと言えるのか……辛いと表すべきか。
悶々と考えている時にジャンヌが「あっ!」と何かを思い出したように俺の方に向き直り
「そう言えば龍閻、お父様が暇な時でもいいから玉座の間に来いと言ってたわ」
「……何で今更?」
「だって、そんな事よりも貴方に怒るべき事があったから忘れてたのよ」
「あのなぁ……いや、はぁ――皇帝は、何で俺を呼んでるんだぁ?」
「知らないけどねぇ……貴方が選んだ道なんじゃ無い?」
「……」
「龍閻、そんな嫌そうな顔をしないの……お父様の事だから暇つぶしでしょ?」
「暇つぶし……」
「頑張って。私もそろそろ行かないといけないから出るけど、ちゃんとお父様の所行ってよ」
「ハイハイ頑張ってくだゼェ」
ジャンヌは多少心配そうで、呆れに近くて遠い顔をしながらも優しく微笑んで、金時と共に部屋を出ていった。
余韻は残り……淀んでいた曇り空は、静かで激しい雨音と塩の香りを宮殿に漂わせ、気品と不気味さを醸し出す。
前座話がここで〆る様に、雨音と共に退屈と現状を変える予感を残して、歩みを始めた。
向かうは、玉座の間へ。
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雨音が宮殿に響き渡り、雨特有の潮の匂いが宮殿内に充満し、雨特有の気品と静寂を生んでいた。
そんな宮廷のとある一室にて、姫と皇后、そして騎士の三名が揃っていた。
潮の香りをかき消す様に焚かれた香料の匂いと紅茶の匂い。お茶会と言わんばかりに用意された菓子たちを前に、銀の薔薇と狩人の女神は、互いに渋い顔を並べ、心の底からの想いを押し殺している。
「……」
「ジャンヌ、貴女自身が決めた事にウジウジと悩まない……それでも彼の主人ですか?」
「申し訳ございませんお母様」
「わかっているならそれで良いわ」
「でも何故、龍閻だけにこうも試練が集中するのですか?」
「……彼が私達に愛されたからよ」
「……」
「龍閻くんには、皇族の為にある見栄としての役目と、我々の敵を殲滅させる殺人鬼になって貰わないといけない」
「わかってますけど……また何でスキピオと」
「彼が昨夜頼み込んだと聞いているわ。嘘か本当か知らないけれども陛下が承認した以上は、何も言えないし傍観に徹しなさい」
「私の私兵団、龍閻の兵隊……鬼龍衆を形にする為ですか?」
「可能性はあると思いますが、真実は英雄と陛下の二人だけでしょうし……あの二人は、彼に将としての価値を見出したいのかもねぇ」
「将としての価値……ねぇ金時、貴方は、なんで龍閻に付き従うの?」
「俺ですかぁ?」
「えぇ、貴方に聞きたいから聞いてるのよ」
「……失礼な事しか言いませんよ?」
「構わないわ、私の従者と思っていないし」
「コレは、ひでぇ」
「酷くもないでしょ……貴方自身がよく龍閻に語りかけているの聞いているもの」
「はぁ――姫様、男同士の会話を聞くのは、野暮ってもんですよ」
「良いから説明しなさい、貴方が主人と認めたコロッセオの剣闘士を」
「俺は、若から貰った名『坂田金時』です……まぁ良いでしょう答えます」
「……」
「俺は、若に本能的に負けたから付き従う」
金時は、右肩を押さえて誇らしそうに、そして群れの長を尊敬する様な眼差しで熱弁を畳み掛ける。
「あの戦いの優勢有無や重傷具合も全て抜き、勝敗も関係ない……俺は、ただ単に若と言う獣に魂の底まで恐怖を刻み込まれ従属したにすぎない。だからこそ獣らしく、群れの長に盲目的に付き従う事こそ私情であり、主人の為に死ねる」
「勝ったから? 助けられたとかでなく?」
「命も恩よりも……鮮烈に与えられた恐怖と尊敬に比べたら、俺にとって低いものです」
「……」
「俺は、若の獣として死ぬ為に生まれたと悟ったのですから、若の主人も守る使命も変わりません。……コレで満足ですか姫様?」
「えぇ……もう良いわ」
金時としての従者の決め事は、尋常までになく徹底された本能に等しい……私も龍閻の主人として。
「ジャンヌ」
「お母様?」
「私から言えるのは、ただ待つしかできませんよ」
「……はい」
どうか何も起きずに平穏のままで終わって欲しいと願わずに居られない。
騎士としての彼が何処まで進まされるのかも理解できない……私は、龍閻の主人として相応しくありたいけれど――
答えは雨水の様に降ってくるが、他の願いや欲望により混ざり、濁り、本質を失って行く。
ただ想う、くだらない生活への願望は、変えようもない時間と共に前に向き直される。
「物語の行方は、私達よりも陛下の手の中ね」
八十話を読んでいただきありがとうございます。
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今後の神代の贈り物を楽しんでください。




