七十八話 欲と噂話を求めて
夕暮れの時、昼間までの暗雲が嘘のように、空は秋の紅に染まり、太陽は雲に隠れることなく沈んで月の時間へと移ろいつつある。
帝都全体では、夜の冷え込むような風が少しずつ増しているが、夕焼けの暖かさが今日の余韻を残し、建物すべてが紅に染まっている。
街に住まう人々も、今日の仕事が終わる者、今から仕事のために気を引き締める者と様々だが、表情には笑顔が見える。
ただの小さな日常の光景に過ぎないが、達人の画家が描いた作品と同等の価値を持っていると思う。
そんな小さな日常の中で、俺はただの少年のように興奮し、高価な書物を専門とするレオ商会の店内で、目を輝かせて品を吟味していた。
帝都アエテルナ 中央区――レオ商会
「あぁ最高だなぁ、現役の英雄譚が最先端……アーサー王物語から王道の十二の試練、神々の争い……最高」
本が並び、紙の重厚さと防腐剤の匂いが少し漂う店内、貴族服に身を包んだ貴婦人や貴族達が自然と足を運び品を見る。
静かな時間の中に流れる歴史と知識の具現化が此処にある……人が歩んだ物語が紙に宿り、書物として、商品として並べられている。
感動しかない。安い巻物状の英雄譚でなく、清書された本として揃っているのが感激に値する。
宮殿やホルテンシアの私物も、本だと何世代も亘った物もあれば、新しいと言っても雑な作りの物も多い。だから新品の本に触れるのは、新鮮な気持ちだ。
「どれにするか迷ってしまう……十二に関しては持っているし、持っていない征服王かぁ? それともアーサー王物語かぁ……」
悩む。こんな贅沢な悩みは、人生でそうそうない二択。
未だ偉業を成し続ける騎士王アーサー、若き王でありながら他国に攻め入り征服を成すアレキサンドロス大王。
他国で現在に渡って活躍する英雄達の記録が今此処にある時点で、買う一択を選べと脳が叫ぶ。
「いつ国内の出版社や持ち込みの禁止が言われるか分からないしなぁ」
しかし本二冊を買おうという考えに至りにくいのが、書物の価値であり難儀なところだ。
「一冊銀貨三十枚ぐらいかぁ?」
*銀貨一枚=一万円相当*
一般市民はおろか、貴族だってこの値段には手が伸びにくい。
このぐらいの銀貨が有れば領地の維持や商人との交易の負担とかに使うかぁ?……いや、俺が知らないだけで普通に買える値段なのか?
そもそも皇族がお茶会をするのに銀貨六十枚使うのが普通ぐらいだし、割と貴族ならお手軽価格?
「所持金が銀貨七十枚だしなぁ。買おうと思えばいけるけど、違うしなぁ」
荷物が嵩張るし、念のために幾らかは持っておきたい。
「でも……欲しい」
本当にアーサー王物語かアレキサンドロス大王の英雄譚は、そうそう出てこない。
と言うか現在活躍する英雄の記録は、滅多に出てくる様な物じゃない。
彼等は生きていて、その終わりを誰も観ていない……だから終わりが書けずに中途半端な駄作になりがちだが、それもまたいい。
完成された物を手に入れるまでの過程の一冊なら、時の経過につれて価値は計り知れない物になる。
今しか買えない安い物が、後世でこの世に幾つ残っているのかと疑問視される程に、珍しく貴重な記録になる。
だから買いたい……けど迷う。
一冊でいいやって思っているが、この二人が奏でている物語は、神秘的で力がある物であり……相手の力を想像しやすい物でもある。
物語とした調査書、彼等が紡いだ偉業を理解し自身の糧に出来る可能性もある。
「あぁ迷う」
両方に、かっこいい興奮が詰まっている事を知っているからこそ、作家による手癖や表現の仕方に興味を持つし、新たな追加があるかも知れないと思うとさらに沼に引き摺り込まれる。
「アーサー王物語にしろよ」
「……」
甘美な迷いを邪魔する様に、聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。
後ろを振り向きたくないが、そんな事をしたら面倒そうなので振り向くしかない。
後ろの光景は、似合わない場所にいる癖毛のイケメン野郎が、ニヤニヤと憎たらしい顔をして俺を見下ろす姿。
「スキピオ」
「一人で盛り上がってるなぁ龍閻」
「ウルセェな、ジャンヌの護衛云々とかねぇの?」
「アレは、姫様の師匠たるアタランテに任せてるから良いんだよ」
「なら北西に上がらなくて良いのかぁ? 偉大な龍の心臓が激しいとか聞いたぞ」
「あぁ良いんだよ、お前好みの英雄なんぞはそうそう出張ってこねぇし、五月蝿いのはどちらかと言えば獅子の心臓だろう」
「……はぁ、相当に内政が荒れてるのかよ」
「屋根裏のネズミがチュチュと五月蝿くて、面倒な肉食獣がネズミに釣られて大物狙いだ」
「それを俺に言って良いのかよ?」
「確かに少し困るかもなぁ、後で酒に付き合ってもらう事にするよ」
「金なら払わんからなぁ」
「師匠なんだ、弟子にお酒と女の遊び方を学ばせるのも仕事の内よ」
「あっそう」
何かを企むスキピオを一旦放置し、俺はアーサー王物語を手に取り会計する事にした。
重厚な悩みはもう無くなっているせいで、満足感も薄れている気がする。後悔しそうな感情が心の何処かで沸き上がりそうで嫌だが……まぁ、こんな買い物も良しとしよう。
更に面白そうな……噂話が聞けそうだから。
帝都アエテルナ 西区
太陽は沈み、星月夜が広がる。
夜空の月光には、太陽のような強烈で誰もを輝かせる力は無いが、優しく夜の世界を照らし、星達が夜空を宝石へと変える。
夜空が静かな主張を強める中で街並みは、娯楽と誘惑広がる宴に飲み込まれている。
大小構わずに建物からは淡い蝋燭の光が窓から溢れ、酒や料理の匂いが街全体に広がり、人々を魅了していく。
西区は、娯楽の街……一日の疲れを酒と食事、女と男で癒やし、欲に溺れることを主体とした街。
中央区の様な品格とはまた違った雰囲気と空気を纏い、南東区の様な鉄と汗による職人の色さえない。
ただ夜に咲く花のように一瞬の輝きを放つだけであり、その魅力は貴族だろうとただの市民でさえ、この街で金を落としていくほどだ。
それ故に娯楽、誘惑と魅了が入り混じる、天国とも地獄とも言える空間が西区では基本であり日常。
だから英雄が入り浸る魔境となっていると感じると、泣けてくるのが不思議だ。
「なんで目を抑えてるんだよ」
「いやぁ……なんか、英雄の弟子で恥ずかしくなったの初めてで」
「恥ずかしいってなぁ……よく本人の前で言えるなぁ」
「こんな時じゃなきゃ言えない」
歓楽街を、謎の恥ずかしさと無性に悲しくなる現実を受け止めながら、本を抱えてスキピオの背中に付いていく。
スキピオは貴族らしい外出用の服装に身を包んでいて、この街に繰り出すための服だと理解した時には、この感情が湧き上がっていた。
たまたま移動中に俺を見つけて連れ回す行為をなんと表すのか知らないが……無性に腹立つ。
幸いな事は、奢りという部分だろう。
「流石に何処の店に行くのか教えてくれない?」
「そうだなぁ……お前がよく言う高級娼館」
「マジかぁ……」
女と酒を教えるって、そういう……まぁ良いけど。
「そんなに噂話が面白い事になってるのか?」
「まぁ……それだけでもないが、色々と教えないと師匠じゃないからな」
「……誰かからアタランテさんと比較された?」
「どうかねぇ……まぁ、否定も肯定もしない事にするよ」
されたんだなぁ。誰だろうか……エイレーネー様、ホルテンシアさん、皇帝の三択しかないが、意外に迷うな。
そんなどうでも良い事に頭を悩ましていると、スキピオの行きつけだろうお店に着いてしまった。
その店の名は、絶美の娼館と書いて「ルーパナール・プルケッリムム」と読む館。
阿呆の行きつけ店だからだと言えるのか知らないが、名前が長い。
「ここからは、楽しい噂話と行こうか弟子よ」
「五月蝿いなぁ……共犯者野郎」
女と酒に飲まれながら、噂話が語られるのだろう。
あぁ……人は、噂に勝てない。
館へと踏み入れる足がとても軽く、心の底から欲が溢れ出す。
だからスキピオの弟子は辞めきれない……この欲を堪能できる特権は、英雄譚の思考と変わらない。
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