七十六話 アキレアの少年
人には、役割があると理解している……人間は、変化する生き物だと知っている。
その変化が急速に螺旋のように唸り、迷いながらも進歩していくのを理解している。
皆……停滞を恐れて、変化を恐れて不変を求めるようになるが……結局は、不変も変化の一つ。
輝く光を守る龍になりたかった……誰かを脅かし、恐れられても大切な人を守る鬼になりたかった。
未だに自分が弱いと理解しながらも……強い獣だと吠えたかった。
必要とされる様に……いつか不要と言われぬためにも、あの後悔も……今の変化も……俺は、傍観者でいるしかない。
理解していても変わらない……俺は、英雄になりたい。
もう必要とされぬ英雄だろうと、違う形で守る姿を得たい。
これが傲慢だろうと、強欲と言われようとも……俺の野心は、止められない。
哀れで惨めな、絶望の記憶に由来するものであろうとも……誓いが許さない。
だから……死ねよ俺。
神暦767年九月二十二日 神聖アウグスタ帝国・宮殿
「ゔぅ……朝か、変な夢を見たなぁ」
朝日の淡い光が部屋を照らし、自室の汚らしい空間が視界に溢れた。
「……こんなに汚かったっけ?」
眠い瞼を擦りながらも部屋の光景を見渡す。
元々は小さな部屋だが、宮殿の一室であり高級な雰囲気を持っていた部屋だった。だが……今は歴史書や英雄譚で散らかっており、床を軽く蹴れば埃が立つほどまでに汚部屋と化していた。
「……汚いなぁ」
ベッドの上で座りながら、何もする気力も湧かないまま床を見続ける。
本来なら、この汚部屋だろうと気にする余裕も時間もなく鍛錬したり仕事が立て込んでいるが。
「はぁ……暇ってやだなぁ」
そう暇なのだ。数日前にジャンヌに、アタランテという弓の師ができてから基本業務が無くなってしまった。
ジャンヌとアタランテは、ここ毎日二人で狩りに出かけるようになってしまい、護衛の任を一時的だが解かれることになった。
俺と金時には、ここ数日の連勤を見兼ねての非番扱いとしての措置の部分もあるだろうが。
「金時は良いなぁ、育兵館の教育課程を行えるし。暇なのは、俺だけかよ」
そう……俺には、何も仕事がないし鍛錬の禁止も言われてしまった。
遅すぎる判断かもしれないが、数ヶ月の間に大怪我を繰り返していたことも含めて、何もするなとエイレーネー様から言いつけられてしまった。
本来なら喜ぶべきだろうし、遊び回ろうとするのが人間だろうけど……。
「四年間を休みなしで過ごした分……落差がひどい」
奴隷として買われてからの静寂が……今の俺を戸惑わせている。
タイミング的にも休みが明けるのは近いと思うが、一分の重みが長すぎて……心に来る。
この一分の重みが、俺を睡魔に代わり眠気を誘ってくる。
ベッドに倒れ込むように横になるが……腹部の方が何か違和感を持つ……吐き気なのかそれとも違うのか……この現象の名前が微妙に出てこない。
「ギュルギュル」とお腹から音を立てて何かを伝える……痛みもない何か……あ!
「腹減ったなぁ……アレ、どのくらい食べてないっけ?」
最後に食べたのいつだっけ?
「一日、いや、二日ぐらいかなぁ?」
言葉に出して記憶を探ろうとする……あまりにも食事の記憶が薄いので、明確に何日間食べていないのか感覚が低い。
「飯食ってもなぁ……一人だとつまらないし……でも食わないと」
……面倒な二択が脳裏を駆けずり回る。食事を取る取らないの、シンプルで悩みようがないものに悩んでしまう。
この考えを巡らせている時だけ自身を人外に落とせて……なんか楽。
「エイレーネー様の所へ行こうかな」
ベッドから立ち上がり、いつもの仕事服である礼服に着替える。
仕事じゃないのにこの服を着てしまうのは、何かしらの病気かもしれない。だが、季節柄の気遣いも含めてこの服装は着心地が良すぎる。
床に散らばる書物を避けながら、愛刀を腰に差し、身体の怠さを感じながら部屋を出た。
硬い床とブーツの底が当たるたびに鈍い足音を廊下に響かせながら、栄華や誇りを表すような装飾が延々と続く廊下を歩いている。
もう四年が経って慣れてしまったのか、宮殿の廊下の殺風景さに暇を感じてしまう。
定期的に置かれている絵画や石像に、開放的な場所なら丁寧に整えられた庭園と、宮殿の広さを生かした技法で飽きないようにしているが、全て似た光景に収まる。
「そもそも宮殿が広すぎるんだよなぁ」
宮殿の広さは、小さな町並みに匹敵するほど広い為に、未だに道を迷う。
構造的に侵入されようとも侵攻を遅らせたり、防御に適したように迷いやすくしているせいで面倒くさいが……とても良い。
美意識と歴史、複雑に絡んだ人間的な欲望がよく現れていて、宮殿の廊下一つをとっても綺麗で汚い。
矛盾のようで合っていると無意識に認識してしまう程に、宮殿の構造は歪に見えてしまうが……それが好きで堪らない。
そう見せる為の絵も石像も好ましくて、戦略的で好きで堪らない……人間という種族がどれ程までに外面に囚われるのか、見栄えを好み、それを強さとしてきたかを歴史が証明する。
英雄譚だろうとあらゆる歴史だろうと、宮殿や王宮などは、どこの国や文化圏でも変わらない。
だからこの生活が堪らなく好き……なんだけどなぁ。
「あ、着いた」
くだらないことを考えていたら、いつの間にかエイレーネー様の部屋に着いていた。
豪華な扉に皇后のシンボルに等しい銀色の薔薇が模様された美しい扉……いつもは気にしないのに、今日に限って妙に気にする。
「……」
何も言う気がせずに、なんの理由で入ろうか何も考えてなかったので硬直してしまう。
目的も理由もないせいで、何を目的にもしないままここまで来てしまった。
「まぁ……気にしても意味ないか」
思考を放棄して扉を叩く。木製の籠った音が外も内部も広がり、来訪者が来たことを伝える。
ノックをやめると「何方?」と優しげで、安心するような声でエイレーネー様が語りかけてくる。
「龍閻です……少しお話したくて」
「……入っていいわよ」
エイレーネー様の返答が返ってきて、俺は扉を開いた。
朝日が部屋全体を照らしており、侍女含めて十人が部屋の中にいた。
部屋は複数の紙束が山のように積み上がっている。机にいるエイレーネー様や、その手伝いをしているのだろう侍女達は、手にインクが付いていて少し疲れている顔をしていた。
「どうしましたか龍閻?」
「……ッ、すみません忙しいところだったんですね。すみません直ぐに出ますから」
「えっ、いいえ大丈夫ですよ龍閻。私達もそろそろ休憩にしたかったのでお茶にしましょう」
「……いいんですか?」
「えぇ、私も貴方とお話ししたかったので」
エイレーネー様は静かに窓側のテーブルに移動し、椅子に座り俺を優しく見つめて、招くように椅子に座るように促す。
侍女達もエイレーネー様の行動を読み手早く動き始め、お茶やお菓子の準備を始めた。
俺は慌しく動く侍女達を見ながら椅子に座る……数分もしないうちにお茶の準備から果物やお菓子といった物が準備され、エイレーネー様の「休んでいいわ」の一言により侍女達が部屋から出て行った。
エイレーネー様はティーカップを持ち上げて紅茶を軽く飲み、「はぁ」と溜息をゆっくり吐いてコチラを見た。
「龍閻くんも好きなの食べていいわよ」
「なら遠慮せずに食べますね」
俺は迷わずに林檎を取り口に運ぶ。味覚を感じない俺だが、林檎のように歯応えや食感が良い食べ物は好きなので自然と美味しい……かな?
無味だからわからん。
「エイレーネー様、なんで先ほどは呼び捨てを?」
「ホルテンシア以外の侍女達の前で、貴方にくん呼びをしては、皇后として何を勘ぐられるか分かりませんので」
「大変ですね……皇族も」
「えぇ、そんな事よりも如何してここに来たのですか?」
「少し……話したかったんです」
「話ですか……何を?」
「すみません。コレといって理由が無くて……急に暇な時間が無性に息苦しかったので」
「……なら、ゆっくり私とお話ししましょうか、龍閻くん」
「はい」
あぁ……やっぱりこの人と話していると、何か懐かしくて落ち着く。
「ジャンヌは、最近どうなんですか?」
「ジャンヌは、孤高の狩人に連れ回されて森で楽しく狩りをしていますよ……別人のように」
「そう……なら嬉しいわ。陛下もこの話を聞けば喜びそうね」
「狩人の女神としてですか?」
「うぅ……少し近いようで大きくズレてもいる気がしますが、私は母として娘の成長を喜ぶしかできません」
「……そうですね」
「龍閻くん、何かありましたか?」
……顔に出てるかなぁ?
「俺って用済みですか?」
「直球ですね、変な事を言うなら怒りますよ?」
「何で急に……俺を休ませるんですか?」
「貴方が大切な人だからですよ龍閻くん。私やジャンヌ……いえ、陛下は、貴方が壊れることを恐れていますから」
「壊れませんよ……俺は、頑丈ですし」
「頑丈だからこそ壊れたら怖いんですよ龍閻くん……貴方が今、何に不安を抱いているかハッキリと分かりませんが、不安に駆られる要因はありませんよ」
「……」
エイレーネー様は立ち上がり、俺の隣に来て優しく頭を撫でる……暖かくて、落ち着いて、嬉しくて何処か嫌で、情けなくなる。
それと同時に、エイレーネー様達が隠している本質にもなんとなく辿り着きそうで、今の幻想が揺れる。
「ねぇ……エイレーネー様、どうして秋に俺を休ませるんですか? 貴方も今月の税金の集計と来月の貴族議会及び元老院……いや、秋にやるべき事に追われている」
「……」
「それだけじゃない、ジャンヌにも慌しく変化を要求している……俺に何を求めてるんですか?」
「貴方は聡い子ですから隠しても無駄なのは分かりますが……少し落ち着いて」
「はい」
「良い子ねぇ……今から話す内容は、内密って程じゃありませんが、陛下と私の決定で本格的に鬼龍衆を騎士団の任につかせ、皇族護衛師団にすることが決まっています」
「なら何故、俺を休ませるんですか?」
「貴方の価値は、他家に知られるわけに行きませんし……貴方には、目線を私達から逸らしたかったからよ」
「……」
「そして、貴方を本格的に陛下と私のの剣として政争に混じり合わせる準備なの」
「だからジャンヌを急いで師を探したと?」
「そう……なるわね。あの子にもなって欲しい姿があるから、相応しい人をスキピオが連れてきたから一時的に安心はしているの」
「そこまで焦る必要があるのですか?」
「私もそう思いますが……陛下の目算だと龍の心臓の動きが激しくなるそうで」
「他国がうるさ……あぁ」
見えてきた……。
「それが何年後の話か、ただの勘なのか私には分かりませんが……貴方には」
「ありがとうございますエイレーネー様……本当に」
「私は何もできていません。貴方に助けてもらってばかりで」
「いえ、スッキリしました」
やる事がある……目的も理由もわかった。
俺がやる事は何も変わらないが……アレの使い方を理解しておかないといけない。
強くあらなきゃいけない……俺は、まだ存在できる。
「エイレーネー様、お菓子など食べて良いですか?」
「えぇ、好きに食べて良いわ」
「それと帝都に行く許可をください」
「えっ?……良いわよ?」
俺は紅茶を飲み干し、用意されている果物とお菓子をある程度食べてエイレーネー様の部屋を出た。
「帝都に行かないと」
今できることが少ないなら手段を増やせば良い……今が弱いなら、弱いを集めて身を固めれば良い。
俺は、衆を引き入れるほどに何かを得なければならない。
過程は物語に……今は、個を知らなきゃダメだ。
「早く鍛冶師の元へ」
七十六話をを読んでいただきありがとうございます。
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今後の神代の贈り物を楽しんでください。




