七十五話 私の名は
神聖アウグスタ帝国・帝都アエテルナ近郊 ―アシルアの森―
季節の変わり目。紅葉の兆しが溢れる木々に囲まれ、自然の力が漲るのを肌で感じる。
風は夏の香りを残しつつ、ひんやりとした秋の色香を増していく……。
このアシルアの森には、ただ終わりを待つしかない情けない男が一人と、試練の終わりをただ楽しそうに待つ男が一人の姿があった。
「……」
「そんなに心配そうにしても、状況は変わらんぞ龍閻」
「あぁ……わかってるよスキピオ」
木々に体を預けながら二人は、静かに時が過ぎるのを待つ。
ただ出来ることはなく、見守る事さえも許されないためでもある。
葉が靡く風の音で、何かを勘ぐり……否定し、ただ待つしかできない哀れなものだ。
「……はぁ」
「若」
風と共に木々を掻き分けて、獣のように飛び降り現れたのは、自身と同じ服と格好をした獣のような少年、部下の金時だ。
「若、ため息だけはやめてください」
「……すまん」
「そんな事より、何で俺を呼び戻すんですか?」
「しょうがない……ジャンヌの試練に水を差すわけにもいかんしな」
「……厳しいですね」
「ッ……仕方がない。俺達にも何かしらの死闘や命を懸けた戦いがあるように、ジャンヌの戦に俺らが生半可で水を差すのはお門違いだ」
「……」
「金時、来る途中で何かを見たか?」
「見ました。化け物を」
「……そうか」
あぁ……嫌になる……心臓が薄く嫌な鼓動を奏でるこの感覚が、呼吸が早まり喉の奥が冷たく苦しいものに変わる感覚が……死ぬほど嫌いだ。
自己嫌悪に飲まれそうで……でも必要な事だと割り切っている自身を殺したくなるほどに、何か嫌だ。
一時期は、狩人がいるから安心だと自身の感情を昂らせていたのに……今は……どんな顔をしているのかも分からん。
木の葉から溢れる光に照らされると、影に逃げ出しそうで怖くなる。
ただの人だと……ただの傍観者だと、何度も痛感させられる。
変化の時だとわかっているからこそ……ただ祈ることさえも許されない。ジャンヌの為にも鬼になってでも、不動で待っていなければならない。
騎士でも武士でもない……ただの人として……
「俺ってなんか……今日……情けねぇなぁ……本当に」
「龍閻、男なんて情けないもんだ。諦めろ」
「あぁ……わかってる。だから後は、『孤高の狩人』の縄張りだから」
――――――――――――――――――――
暗い影に覆われた森の中。昼のはずなのに暗く、ひんやりと嫌な空気が漂う感じが気持ち悪い。
一本の木に体を預けて、丸まるように座り込む。
黄金の弓を取り出し、自身を確かめるように、鎮めるように強く抱きしめる。
「アルテミス……貴方も幻影として現れるのね」
私の目の前には、幻影の人影のように、銀色の月光のような女性がいる。
彼女からは、歪で複数の何かが混ざり縫い合わせたような異様さがあるが、恐怖は感じない。
敵意もなければ悪意もない……ただ私を慕うようで、見守るようで、嫌な感じがしない。
「あ……るじ……様は、だれ……ですか?」
私は、誰か……黄金の弓の質問は、たぶん私が今迫られている問いを言おうとしている。
私は誰で……誰になりたいのか。
ただ皇女として生まれて……人形のように大切に育って……龍閻を買ってもらって、助けられて……龍閻が私の理想とする「騎士」へと変貌していった。
私が心配しても、龍閻は傷付きながらも我が道を進むように……楽しそうに、我儘に私を置いて進んでいくのが嫌だった。
私の騎士……私の英雄が、皆に認められて特別な人になるのが嫌だった。
私が彼無しで表現出来ないのが嬉しいようで嫌で……幸福で、不幸だったことだけ今になってよく分かる。
「龍閻……寂しい……」
私は、彼無しで生き抜くのが難しい……この世界で存在して良いと思えることができない。
龍閻に酷い人生を歩んでいて……私は、ただただ安全な道をゆったりと幸せそうに、辛そうに笑顔を作って歩くだけ……。
【それで良いの?】
よくない……良い訳がない。私は皇族で、黄金の弓の主人……そして私の英雄の主人。
【なら何故、貴方は悩むの?】
……アレ? 確かになんで私……悩んでるの?
【答えが見えてきた?】
私の今やるべき事は、ただウジウジとだらし無くいて良いような立場でもない……私は、誰かの上に立つ為に……私がみんなから認められる女帝にならないといけない。
【その為には?】
真の英雄にならないといけない……私には、まだ政治的力は乏しい。
武力となる力があっても、扱い切れているのかもわからない。
だからこの狩りで、私を知らないといけない。
【もう道が見えた?】
「見えてきた……私は、狩りで道を見出す」
【それでこそ……主人の血を継ぐに相応しい人だ】
「主人?……え?」
私は、何と会話して……何と答え合わせをしていたの?
森に居たのに……周りの視界は真っ暗で光を通さないように、瞼を閉じたように暗い……幻のようで、夢のようで実感が薄いのに、手から伝わる感覚がそこに草と土の感触を伝える。
夢じゃない、現実なのに……幻を見ている。
アルテミスのような歪な人影とは違い、彼女は人らしい輪郭と雰囲気を纏っている……彼女の服装は、血に染まったような赤黒く生臭い雰囲気のドレス。
身体の節々は、表現できていないように異様な形をしている。
【怖い?】
『何か』は、私に語りかけてくる……その顔は、元がとても整った綺麗な顔立ちだったのだろうと少し思わせるが、口は裂けており、目がくり抜かれた後のように無惨……口や目から血を流してこちらを観察する。
「怖くないよ」
異様で……本来なら駆け出すほどに恐怖を感じるはずなのに……怖くない……それが一番おかしいのに、不自然に受け入れてしまう。
この感覚は、何処かで一度味わった気がする……何処だっけ?
【貴方の名は?】
「私の名前は、ジャンヌ・アウグスタ」
【……】
『何か』は、静かに目的を終えたように黙り、一点を指差した――――〜///――//―ーー「ッ?……ハァ……ッ、ハァ……何?」
私は目を逸らしていなかった……急激に元の森に戻された……何もなかったかのように、すべてが元に戻っていた。
「この森……明るいわね」
先程までの森と違い、太陽の日差しが淡い緑の光となり、木漏れ日が照らす綺麗な森へと回帰していた。
先程までの幻覚で何も処理できないが……心がとても軽くなっているのだけはわかる。
先ほどの悩みも不安も、全て馬鹿らしくなってくるほどに軽い。
「狩りをしないと……」
私は立ち上がり、黄金の弓のライザーを握り締めて、『何か』が差し示した方角へと歩みを進めた。
「ふ〜」
草道を歩くたびに、夏の色香が薄まり秋の色香へと変わる風を涼しく感じて心地いい……先程まで何も感じなかったのに、とても心地がいい。
心地のよさに、鼻歌までもが無意識に出てくる。
「なんか……いけそうな気がする」
森を一直線に、示された道を歩き続ける。その足には迷いが無く、決意が前に進めてくれる。
夢中で探検するように森を見回してしまう……ここまで軽くなるのは、龍閻と出会った頃以来のようなワクワク感が襲ってくる。
段々と森の木々が少なくなっていき、大きな池を見つけた。
「綺麗……なんか臭い?……ッ!」
私は草むらに潜り込み、隠れた……私は、ただ綺麗な池を見つけたと思ったら……化け物も見つけてしまった。
とても大きく、何かを食い散らかす化け物を。
その魔獣は、腐乱死体らしい何かに一心不乱に食いつき、私に気づいていない。
「……」
その魔獣は赤茶色の体毛をしており、白の斑点模様の毛皮をしている……太陽の光と池の静けさ、そしてその魔獣が混じり合うことで何とも神聖な空間が広がり……心の開放感と交わって判断が鈍る。
「どうしよう……アレが狩人を喰らう猪?」
龍閻ならどうする……私の騎士なら観察をするはず……本当に私が狙うものなのか、どのタイミングで殺せるかを観察すると思う。
黄金の弓を強く握り締め、矢筒から矢を一本抜いた。
いつでも撃てるように……いつでも殺せるように……。
神経が逆立ち、静かに意識が奥底に落ちていく感覚がはっきりと認識できる……これがいわゆる集中という感覚かもしれないし、龍閻が味わっているものかもしれない。
「フゥ―……」
息を静かに吐く……私は、ただ獲物を捉えてただ動きを見続ける。
「……!」
魔獣が腐乱死体を食うのを一旦止めて、キョロキョロと周りを探すように体を動かした……アレは、猪に間違いない。
「アレが狩人を喰らう猪ね」
狩人を喰らう猪は大きく、岩のようで、私よりも大きい……。
狩人を喰らう猪は私の方向に顔を向け、耳をピンと立て、鼻を高くして匂いを嗅ぐような動作を行い始めた。
私は念の為に息を潜ませて……何も動かずにただ静観し続ける。
すると次には、何かを探しているのか、前足を地面に擦り付けて掘る行動をしている……こちらを見ながらだが……何かに当てたように[カチ……カチ]と鋭い音が周囲に響き渡る。
「ヴゥゥ……」
小さな唸り声のようなものも聞こえ始め……コレ、私に威嚇している?
「!」
威嚇だと認識するのが少しでも遅れていたら……死んでいた。
私は、狩人を喰らう猪に危うく殺されて食われるところだった……あの魔獣が、私を目掛けて一直線に突進してきて……逃げられないと思い、左に飛び込むように避けて難を逃れた。
「ハァハァ……ッ……ハァ」
先程までの全能感を打ち消すように……死ぬ思いを体験させられた。
狩人を喰らう猪は、木々を薙ぎ倒しながら真っ直ぐと進んでいったが、たった三秒後にピタッと止まった。
しかし……何故か見られている感覚が強くある。
「グヴオオオオオーン!」
森中に響くような鳴き声が、耳を貫き痛みをもたらしながら響き渡る……。
「ッ……」
私は黄金の弓を構え、矢を番い弦を引く……弦が限界までに引かれ、一度は闇雲に撃ってしまう。
「グヴオオオオオーン!」
当たったのか、狩人を喰らう猪の大きな鳴き声が再び森中に響き渡った……ドスンと重く力がこもった足音が、森中を木霊するように近づいてくる。
木々の間から現れたあの魔獣は、右腹に私の矢が刺さっているが……特に痛がる様子もなく静かに私を睨みつける。
「フゥ……」
息を吐き……弓を構え矢を番える。弦を引き次の攻撃を構える……そこには、恐怖よりも、逃げられないという現実に抗うように構える自分がいた。
狩人を喰らう猪は、再び前足で地面を掘り始め……頭を低くして、真っ直ぐ私を向いている。
「今……」
私は、また狩人を喰らう猪の突進が来ると思い、矢を脳天目掛けて放った。
「ッ……」
しかし私の狙いは、一瞬にしてアッサリと消えてしまった。
狩人を喰らう猪の突進のせいかわからないが、私の矢は簡単に弾かれてしまい、突進が迫り来る。
私は一心不乱に横に飛び、何とか回避するが……あの魔獣は諦めないのか、途中で走るのを止めて……私の方を向き、狙いを定めた。
「どうしよう……」
勝てる気もしないし……逃げる方法もない、詰みの状態になっていた……考えたら私は、森に入っていい事がない気がするが、諦めるわけにもいかずに矢を番えることしかできない。
[ザァザァ]と前足で地面を再び掘り始める狩人を喰らう猪……この音が私の墓穴を掘るようで嫌だ。
「……どうしよう……ぇ?」
轟音が鳴り響き、獣の突進よりも激しくうねる雷、木々を薙ぎ払い……一心不乱に獲物を捕らえる矢。
ジャンヌが目撃したのは、その光景に等しい……何が起こったかじゃない……何が起こっているのかが理解できなかったのだ。
突然現れた轟音は、木々を薙ぎ払い狩人を喰らう猪目掛けてこの場所まで辿り着いた。
狩人を喰らう猪の横腹を食い破るように雷撃が当たったと思えば、視界からあの魔獣が消え、池の方で土煙と水しぶきが立ち上った。
「間に合ってよかった」
その声は、私を挑発しこの森に招き入れた女性の声。
「ランテ様?」
狩人の彼女の姿が目に入った瞬間に、彼女を称賛するように風が靡く。
「お姫様、中々やるね……でもここからは、私の狩だから見ててね」
ランテ様は、紅色と黄色の配色がある弓を構えて……静かに集中したように獲物に向けて弓を構える。
矢を番えて、弦を引く……その構えは、美しく洗練されていた。
矢に魔力が絡み合い、纏わりつく……それは、龍閻やスキピオが武器に行うように魔力を纏わせていた。
「フゥ――」
「グヴオオオオオーン」
狩人を喰らう猪は、池から荒ぶるように現れ水しぶきを立てて、私達に向かって突進してくる。
「"狩人の一矢"」
彼女が小さく何かを言った直後に、矢が放たれた……弦の破裂音や弓が風を切り裂く音が、後から強風と轟音となって返ってくるまで、理解する事ができなかった。
狩人を喰らう猪は、脳天に拳ぐらいの大きさの穴が空いて、池に沈んだ……。
「ランテ様……貴方は?」
「私の名前は、アタランテ……もう一つの名は、孤高の狩人。貴方の師匠よ」
私はこの日……先生を得た。
七十五話を読んでいただきありがとうございます。
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今後の神代の贈り物を楽しんでください。




