七十四話 貴方の名は
何を求め、何に付き従う印だろうか。
時代を導き象徴となったものは、神子のように大切に、美と神聖を持たせた旗印を長に据えるのか。それとも、自ら血を被り、共に闘い導く者を長にするのか。
答えなど無いものであり……どちらも「長」に相応しく、そして危うい。
戦火の中で、「正義」という幻のために死を厭わない人造的英雄を増産させるためにも、偶像となる長を作らなければならない。
それが、栄光に美徳として語られる英雄像になるか、悲劇の物語になるかの二つだろう。
その運命の子を作ると言う事を、否定も肯定もできない。危機が有ろうと無かろうと、作る必要性が小さくともある事を知っているからだ。
人間は醜い獣なのだから……一人の人間で大勢の民草を救えるのなら、安い駒以下の象徴に過ぎない。
人間の歴史は、太古から未来永劫に渡って変わる事がない戦略の一つだろう。
神聖アウグスタ帝国・帝都アエテルナ近郊 ―アシルアの森―
夏の色香が徐々に薄れ、実りの季節への変化を示す木々。
青々といまだ力強い葉を茂らせた木々もあれば、紅葉になろうと緑から変容しつつある葉もあり、季節の狭間に立っている事を実感させられる。
捉えようがなく、ただ薄く存在を感じる事しかできない……獣が住まう森へと、足を踏み入れようとしていた。
「ランテ様、ここが狩場って事でしょうか?」
「えぇ、ここがとてもいい狩場でしてね……大物が今、暴れておりまして」
「大物?」
「えぇ、狩人を喰らう猪がね」
「狩人を喰らう……その魔獣を狩れば勝ちですか?」
「その通りですよ、世間知らず……どちらが先に殺せるかの勝負です。時間制限もなければ、距離の指定もない。ただ殺せば勝ちの単純なゲームです」
「……」
「怖くなりましたか?」
「ッ……いえ。私はこれでも聖遺物所有者ですから、その程度をこなしてこそです」
「……フッ……貴方は、とても面白い」
「面白い?」
「安心して、姫様……貴方には、巨大な獣がついている。迷わずに進みなさい」
「……どういう事ですか?」
「祝詞みたいなものよ。さぁ……狩人となりたくば進みなさい」
「はい」
銀色の髪が決意と共に靡く。その表情には、不安の色が多少なりとも残っているが、強い意志と使命感に駆られて薄まっていた。
草や枯れ葉を踏みしめる乾いた音を響かせ、強い足取りで、先陣を切るように森の中へと潜り込んでいく。
後ろを振り返ることもなく、目的の為に黄金の弓と共に歩みが強く、早くなり、見回しても見えないほど奥へと進んでいったのだ。
「さて、面倒な獣を炙り出そうかな……アソコだな、フゥー」
明るい栗色の髪をした女、ランテは静かに、的確に弓を構えた。
弦が弾ける炸裂音と共に放たれた矢が、鋭く風を切り裂き音を響かせて虚空を走り、大木に突き刺さった。
「……はぁ、いつまで隠れているつもりなのかなぁ」
ランテの言葉に答えるように、大木から二つの影が飛び降りた。
一名は、軽装の鎧を身に纏った癖毛の男。もう一人は、全身を黒の礼服に包み、目を覆うような角付きの仮面をつけ、右耳に二つの耳飾りをつけた黒髪の少年。
「……」
「いつから気づいてたんだ、ランテ?」
「最初から……場所に関しては、姫様と獲物について話していた時かな。黒髪の君が放つ威圧感というか……威嚇と表すべきか分からないけど、感じたからで。あと一人いると思うけど、出てこないの?」
「いえ、彼にはジャンヌの見張りと側にいる事を命じましたので。貴方様の目の前に出てくるのは、スキピオと俺だけです」
「……君、宮殿にいた子と同一人物?」
「同一人物ですよ……俺は、貴方に謝罪と願いを乞う立場にございます」
龍閻は膝を突き頭を下げて、まるで皇帝が目の前にいるかのように平伏している。
「宮殿の中庭で私が行った無礼を謝罪いたします……申し訳ございませんでした」
「あの時のはもう許しているから、頭を上げてよ」
「いえ、俺にはまだ貴方様に願いがありますので……どうか我が主人に、貴方様の『技』と『知』を教えてあげてください」
「ッ……私達や国が、姫様になにになって欲しいのか分かっているの?」
「理解の上での願いです……忠義者の騎士ならば、傀儡に変容させようとする国家や制度に立ち向かうべきでしょうが、俺は上の考えに同感しますし、仕方が無いと思ってしまう」
「それだから、姫様を傀儡にしろと?」
「いえ、傀儡になるかは主人次第でございます。俺の忠義は、主人を信じ未来を守ることにあります……だから貴方様の力を主人に見せつけ、学びを与えてください」
「……」
「どうかお願いいたします……偉大なる狩人よ」
「……はぁ、今だけ聞いてあげる」
「何をでしょうか?」
「君は、私を殺せるっていつ判断できたの?」
「……条件次第であって、俺が完全に貴方を殺す事は出来ません。『逃げ、退避、守護』ならば俺に勝ち目はございませんが……今ここでなら、貴方様の首を切り落とせるぐらい簡単な事ですよ」
「私の負けよ……君の願いを聞くけど、条件を出すわね」
「条件ですか?」
「金時って子も含めて、姫様に手助けするのはダメ。特に君とスキピオは、ここから離れないって約束して」
「……」
「俺はいいぞ、龍閻」
「分かりました。その条件を飲みましょう」
「なら……これで話は終わりね」
ランテが後ろを振り返り、森の奥へと歩みを進めようとする。
「お待ちください、偉大なる狩人よ」
「何? 話は終わったでしょ?」
「最後に教えてください。貴方様の真の名を」
「そうね、君も面白いから教えてあげる……私の名は―――――よ」
「ッ!……名を教えていただきありがとうございます。貴方様のご武運をお祈りいたします」
明るい栗色の髪をした女は、森の奥へと歩み出し消えていく。その後ろ姿は、女性の美しさと「狩人」としての強さを見せつけながら闇に溶けていった。
「スキピオ……俺って今、どんな顔をしているのかなぁ?」
「大分嬉しそうだな」
「やっぱり、英雄譚好きには堪らないよ……なんで最初に気付かなかったか不思議なぐらい」
「ランテは、そういった話に残るのはあまり好きじゃねぇからな……まぁ、ウチの『狩人』が付いているから安心しろよ、龍閻」
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孤独に森を歩くほど……怖いものはそうそうないと思わされる。
小さな音にでさえも過剰に反応し、弓を構えてしまう。その音を立てたのが小さな虫であろうとも。
未だに影も形もない「獣」の存在がいるのかも分からない……木霊する音が、気味の悪い獣の呻き声に聞こえる。
「ッ……」
緊張が、弓のライザーを強く握り締めていく……足がすくみそうになるが、要らない誇りが許す事がない。
ただただ闇雲に獲物を探し、森の奥へ奥へと、さらに深く入り込んでいく。
「ここ……何処かしら?」
方角も全て分からなくなっている……周りを見回しても同じ景色。幻や悪夢の中へ潜り込んでしまったと言い訳したいほどに、現実が曖昧に感じる。
「私は皇女で聖遺物所有者なんだから、しっかりしないと……龍閻の主人として、狩人を喰らう猪を倒さないと」
言葉にして自身に言い聞かせるように繰り返す。
不安に駆られないように、何度も何度も繰り返す……それしか出来ない。
湯水のように不安と恐怖が溢れ出てくるのを感じながらも、自身の「誇り」が混じり合い、泥のように沈澱し、汚染していく。
「龍閻なら、どうするのかな?」
私の騎士ならどうする……どうやって不安を消すのかな?
それとも、不安とも感じないのかなぁ……私は……私の英雄は、こんな場面になったらどう行動するのか。
「……」
答えが出ない……当たり前のように出てくると思いながら想像したが、出てこない。
不安だからか……彼を何も知らない事の裏返しなのかも……出てこない。
さらに心が「恐怖」に汚染されていく……自身が抱える英雄像の彼を描けないほどに恐怖しているのか、元々のものなのかも判断が付かない。
「……」
歩みを止めて……誰かを待つかのように周りを見回す。
延々と続く変わらぬ木々を見比べ、隙間を探し、音を聞き分けて、聞き慣れた情景の英雄の音を探す。
目的を片隅に置きながら……誰かを探す。
情景の人か、それとも自身が描く英雄像か、それも分からない……今の孤独に耐えられないのか、逃げ出したいのかも……分からない。
「どうして……私は、龍閻を探しているの?」
目的がすり替わり始め、自身が何のためにこの森に入ったのかも曖昧だった。
深層心理に溢れる泥が、自身がどうしたいかを見極めようと毒をばら撒く……それが情景を求めるものなのかも分からない。
それとも、自身の繋がりが強くなった黄金の弓の想いが表に出始めているのかもしれない。
ただ……あの女に見せつけたかった……私の騎士が不敬を働いて当然受ける罰だった……だけど、何処かで納得ができなかった。
挑発されたとは思わなかったけど……私の方が強いって思ってた……何で私はこの狩りで勝ちを欲して……どうして今、龍閻を求めるの?
私は、誰で、何のために弓を握るの?……龍閻の主人たるため?
誇り?……意地?……皇族としての務め?
【貴方の名は?】
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