十七話 銀の薔薇は愛と矛盾を抱いて
神暦763年 三月三日 神聖アウグスタ帝国・宮殿
早朝、宮殿の庭で鍛錬をする。基礎の走り込みから父上に教わった型を、丁寧に一つ一つ繰り返す。最後に木刀を50回振って終了。意外に軽いメニュー?と思ったそこの人、その通りだ。ゆっくりでも良いと思えたので、体に合わせた鍛錬をすることにした。朝の鍛錬が終わったら風呂場に行く。この国では、風呂が当たり前に入れる贅沢な環境だ。俺は、皇族用の風呂を許可してもらっているけど、誰もいない時間に入るようにしている。日が昇る前の朝と深夜の2回に分けて入っている。たまにジャンヌやエイレーネー様に捕まって一緒に入ることもあるが、基本は一人だ。熱いガルダリウムも好きだが、鍛錬の後は冷水のフリギダリウムに入る。……やっぱりお湯の方がいいなあ、と思いながら風呂を上がる。服を着替えて自室に戻り、出雲語と神聖アウグスタ語を復習する。素晴らしい朝の日程だ。そう思っていた俺は、甘かった。部屋の扉がバンと強く開かれる。
「ナイト!」
そうやって大声で呼ぶのは、銀髪を靡かせた美
少女の皇女ジャンヌだ。
「なに?……なんか俺、やったか?」
「ナイト、今から私に付き合いなさい。」
「なんで?」
「なんでって、貴方が必要だからよ、ナイト。」
まあ、断ることは……できないからやるしかない。俺が返答する前にジャンヌは腕を引っ張り、移動し始めた。この道は、エイレーネー様の部屋に向かっているのがわかる。なぜだろう、嫌な予感がする。
そうやって不安になりながらも、豪華な扉の前に立つ。皇后様の部屋に着いたのだ。ジャンヌが扉をコンコンと叩く。
「お母様、ジャンヌです。ナイトを連れてまいりました。」
「入っていいわよ。」
ジャンヌは扉を開く。豪華な部屋には、紅茶を静かに飲む美人がいた。ジャンヌに似た容姿の、美しい銀髪の女性だ。
「龍閻くん、貴方には大切なお話があります。」
「なんでしょうか、エイレーネー様?」
「貴方は、皇女のナイトとして今後は礼儀作法を学んでもらいます。私が一から丁寧に教えてあげますので、安心してください。」
「ありがとうございます。しかし、なぜエイレーネー様が俺に礼儀作法を教えるのでしょうか?」
「それは、ジャンヌの初めての舞踏会があるからですね。舞踏会とは、皇族貴族にとって社交の場です。それに、貴方はジャンヌのナイトですし、ジャンヌの晴れ舞台を見る権利があります。……そして、私は貴方がお気に入りです。私には息子がいませんが、貴方を息子のように思っているので。」
「あ、ありがとうございます……」
「あら、ナイトったら照れてるのね。」
「照れている龍閻も可愛いわよ。」
待て、ちょっと待て。なんか状況が整理できない。シンプルに……いきなりなんなんだ? 照れる……
「お母様、ナイトを息子のように思うなら、私とナイトが姉弟になってしまいます。」
「そうですね。でも、実の姉弟じゃないから、気にしなくていいんじゃない?」
「それもそうですね。」
「なんだ……この状況……」
はい、皆さんも混乱しているでしょう。俺もだ。なぜっていきなり呼ばれて、礼儀作法を覚えてもらいます→わかる。私が教えます→少し判断に迷うが……わかる。お気に入りを超えて息子発言→わからん……何がどうしてそうなった?。
「あの……とりあえず、礼儀作法ってやつをやりましょうよ。」
「そうですね。ジャンヌは、スキピオに弓術を教えてもらいに行きなさい。」
「はい、お母様。」
ジャンヌは、小走りで部屋を出て行った。俺は、ふと浮かんだ疑問をぶつけることにした。最近気になっていたことを。
「最近気づいたのですが……俺とジャンヌが二人きりになるのを避けていますか?」
エイレーネー様は、少し驚いた顔になるが、数秒後に面白そうに、まるで新作の小説を読み始めるようなワクワクした顔になった。
「龍閻くん、意外に鋭いわね。ええ、わざと最近は避けているわね。」
「なぜでしょうか?……俺が悪いのですか?」
「いいえ、違います。答えを出すなら身分によるものです。」
エイレーネー様は、こちらに来るように手を動かし、俺を椅子に座らせる。
「身分ですか……それも含めて俺の礼儀作法がなっていないからでしょうか?」
「いいえ、違います。龍閻くん、貴方は、意外に礼儀作法はできています。武芸が体に表れていて、動きも綺麗で行動も礼儀ができています。」
「なら、なぜ俺をジャンヌと近づかせないようにするのでしょうか? それに礼儀作法を教えるとは?」
「あれは、ジャンヌを納得させる嘘です。まず理由はいくつかありますね。一つ目は、龍閻くんと二人だけで過ごす時間が欲しかったからです。二つ目は、貴方に文化と社交的、政治的な駆け引きを教える為ですね。」
「エイレーネー様……まだ俺とジャンヌを二人きりにさせないようにしている理由はなんですか? まだそこを教えてもらってませんよ。」
「焦らないで龍閻くん……でもいいでしょう。貴方は、なんとなく察していますね。」
「察していませんよ。れっきとした理由があると思っているだけです。」
「なら答えてあげます。今避けさせる理由はシンプルです。ジャンヌが貴方に依存させない為です。」
「依存ですか……俺じゃなくて、ジャンヌですか?」
「ジャンヌです……皇族という地位は、多くの人間を平等に見なければならないものです。そして宮殿内でも裏切りや内部で揉めあったりもします。それを乗り越えるのは、観察力……人間観察です。」
「人間観察……」
「そうです。なのでジャンヌが貴方にべったりだと困るのですよ。だから、わざと離して他の人の元で学ばせたりさせています。そこで人間の観察力を養わせる為ですよ。」
「でも……ジャンヌが俺に依存するって、なぜでしょうか?」
「皇族が主に奴隷を早めに与える理由は、唯一の信頼のおける人を持たせる為です。ジャンヌにとっては、貴方が一番信頼に値する人になるのですよ。依存するなっていうのが酷なものでしょう。」
「……」
「それにしても龍閻くんは、凄いですね。6歳とは思えないわ。初めて会った時は、心を壊した子に見えましたが……今では、心身の急激な成長を見せる。ここに来る前にどんな経験をしたか知りませんが、大変だったのですね。」
「……」
何も答えることはできない……事実だし、言うべきことがわからないし……言いたくない。
「それに貴方、味覚も死んでいますよね。」
「‼︎……」
「驚く必要はないわ。なんとなくわかったからね。一度だけ貴方の食事だけに岩塩を沢山入れた物を朝食に出したの。果物も酸味が強い物を選んで貴方に与えました。」
気づかなかった……と言うか、それすらわからないほど味覚が死んでいたのか……
「別に責めているわけじゃありません。しかし、貴方が失ったものは、経験として深いほどわかりました。」
「……」
「しかし、貴方を誇りに思えます。そこまで深い傷を負いながらも立ち上がろうとする貴方を、歩みを止めない貴方を、エイレーネー・アウグスタは誇りに思います。一人の人間として。」
ヤバい……泣きそう。そうやって褒められるのは、慣れていない。本当に泣きそうだ……目頭が熱くなるが、男なので女性の前では泣きたくない。なんとか涙を堪え、
「お褒めの言葉、ありがとうございます。」
「本心ですから……じゃあ、始めましょうか。レッスンを。」
その日は、エイレーネー様の部屋で礼儀作法やマナーを優しく教えてもらえた、いい日だった。
俺はこの日、何かポカポカした気持ちで就寝した。
神聖アウグスタ帝国・宮殿 皇后の部屋
月明かりが部屋を照らす。その部屋には、一人の女性がワインを飲みながら月を見上げる。
「龍閻……あの子は、とてもいい子ね……」
彼女は独り言をこぼしながらワインを飲む。部屋には彼女一人だけで、のんびりとした時間が過ぎていく。
「龍閻……あの子は、いい……好みの男に成長しそうだわ。あの子が精通するのは何年後かしら、八年から十年後が食べ頃ね。」
彼女は、舌なめずりをしながら妄想が捗る。優美な皇后は、小さな子に夢中なのだ。母性が刺激され、そして女を刺激される。この高鳴りを彼女は知っている。まだ幼い子が成長するのを待っている。その日を待ち焦がれたのだ。
「私もアウグスタ帝国の女ね……嫌いじゃないけど。ジャンヌと一緒に龍閻を味わう日を待つとしましょう。あの子は、実の子のように可愛く、格好の良い男の子だ。」
そうやって夜は、深くなる。
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