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オープン・ザ・ルーフ

「涼子さんも同じやと思うわ。土砂崩れの土砂も少しずつ崩れてるもんや」

「気づかんもんやな。気づいてたんやけど認めたなかったんかもしれんな」

「あなたは夢を見て、相手は現実を見てた」

「やな。うちは夢と現実のラインを越えられんまま捨てられたという話や」

 涼子は紙巻きの上から匂いを嗅いだ。何か考えているのかもしれない。しばらくどこにも焦点の合わない目をしていた。紗弥は一ヶ月ずっと考えていたが、涼子は今日のことだ。

「わたしね、十ヶ月以内に別れる呪いがかけられてるねん。涼子さんは彼女とは何年くらいお付き合いしたん?トイレ休憩しよう」

「うちは二年くらいかな」

 アジサイが植えられた敷地にトイレと御当地の名産を詰め込んだ店が並んでいた。店は閉めかけようとしていたが、紗弥と涼子はトイレから出ると、傷心の二人で紀伊山地の深い山を見ながら煙草を吹かした。ここは世界遺産に選ばれた土地だが、紗弥がこんな広い土地を選ぶなら奈良京都と繋いで近畿全体でもいいのではと言うと、涼子は「滅んだらええ」と答えた。

「何でやねん。わからんでもないけど」

 紗弥は呟いた。

 急に涼子は立つと、

「世界なんて滅びたらええねん!わたし以外死んでしまえばええんや!」

 深い山に向けて叫んだ。

 やまびこもない。

 彼女の恨みは吸い込まれた。

 涼子の背を見つめていた紗弥は煙草をやめようと決めた。頻繁に喫煙所に行く彼氏と一緒にいるために吸うようになった。高野龍神スカイラインまで来て吸うと、臭いだけでおいしくとも何ともない。もう吸わないと決めた。

「お疲れ様でした。わたしにはいらないからあげるわ。もう吸うこともないし」

「うちもやめるわ」

「やめないと思うから持っていて。わたしはあなたの姿を見て、別れを受け入れた。もっと言えばわたしというものに気づいたかも」

「お役に立てれば光栄や」

「そろそろ戻ろか」

 コペンに戻ると、再び龍神スカイラインを南下した。このスカイラインは高野山から標高八〇〇メートル級の紀伊山地を南北に縦断する道路で、起伏とカーブ、気候などの条件から関西南部ではツーリングやドライブの定番コースとなっていた。不思議なことに隣接する奈良県の十津川や天河などへはアクセスが悪い。

「仲悪いんやないかな」と涼子。「奈良県と和歌山県。京都府民には関係ないけど」

「わたしは八尾だから大阪府民」

 もしここから十津川へ行くためには、ほとんどの道が土砂崩れなどて封鎖されたまま放置されているので、いったん高野山から麓の橋本市まで降りて紀ノ川、有吉佐和子の小説に出てくる川沿いに行かなければならない。

「この狭さがええんやな」

「わかる?」

「つつまれてたい」涼子は紗弥の前に腕を伸ばしてきた。「うちは世間で言われるまともな恋なんてしたことないねん」

「初恋は?異性?」

「告られたのは異性やな」

「お付き合いしたの?」

「した。セックスもした。でもおかしいなとは思うてん。ドキドキせん。悩んだよ。うちは彼氏のために女を演じてたんやと」

「どちらから別れたの?」

「何度かのセックスしてるとき、過呼吸?になってん。死ぬかと思ったな」

 紗弥は自分がついさっき失恋した涼子の何をどこまで知っているのかと反省した。このまま興味だけで聞きすぎるのは良くない。

「気づくのはいつなんかな。遅くても思春期くらいなのか。涼子さんはどうなん?」

「教育心理で学ぶんやけど、あれ?どこで習うんかな。思春期は同性好きになることもあるということや。迷いみたいなこと。わからん」

 紗弥は前を向いたまま、

「ごめんなさい」

 と謝ると、ゆっくりとコペンを路肩に寄せた。そしてトランクからトートバッグを持ち出して、涼子の膝に預けるように置いた。

「オープン・ザ・ルーフ!」

 運転席に戻ると、屋根を開閉するボタンを押した。途中でルーフが折れ、後ろのトランクに収納されると、頭上に青い空が現れた。紗弥はグローブボックスからゴムを出して髪を後ろでくくると、涼子に笑ってみせた。

「おお!?メチャ空やん!」

 涼子は紗弥がうれしくなるくらいテンションを上げた。持ち主が褒められた気持ちになる。

「わたしらの上には空があるねんや!どこまでも広がる空!宇宙まで飛んでいけるんや!」

「走ろう、我がコペン!」

 クラッチを繋ぐと、タイヤが砂を弾いてスカイラインへと戻った。これまでにないくらい紗弥自身にしては乱暴な運転だと思うが、世間から見ればおとなしい部類だ。涼子は両手を空に広げてはしゃいだ。紗弥は後ろから来たバイクに抜けと合図すると、数台が一気に抜いた。すべてがハンドサインをしてくれた。

「あれ何なん?」と涼子。

「抜かせてくれたお礼やないかな。わたしもようわからんねん。悪い意味ではない」

「バイク乗ってるとかっこええのにな」

「道の駅とかでは変わるな。ずっとヘルメットかぶらせてたらええんやないかな」

「ド偏見やん」

 涼子はサングラスをかけた。こうして見ると風であおられるシャギーの髪と黒いサングラスで際立つ白い頬が儚く見えてくる。

「なあ」紗弥は耳を寄せた。「聞いてもええんかどうかわからんけど。何でレズなん?」

「わからん。男の人を好きにならん。別に男の人が嫌いなわけでもないけど、恋愛としては好きにはならんねん。今んところはや」

「彼女さんも?」

「子ども欲しい言うんなら、そういうことやないんかな。うちらの間に子どもはできんし」

 涼子はトートバッグを抱きながら笑みを浮かべて答えた。特に不機嫌な様子もない。どこまでも純粋に人を信じてきた人だ。紗弥は彼氏に好かれようとして必死に生きてきた。どうしてもうまくいかないときは自分を責めた。自責で疲れ果てているとき、別れを告げられた。

「まだ未練あるん?」と涼子。「フラられた彼氏に会いたい?会えばセフレコースやで」

「かもしれん」

「そうか。会わん方がええな。うちはセフレはいらんからな。それでもなら止めんけど」

「初対面で心配してくれるんやな」

 減速してエンジンの回転数が上がる。三速に落としてから、四速、また三速から四速、五速に上げると、やたらと長い下り坂でアクセルを踏んだ。勢いで空にめがけて駆け上がる。

「このまま空へ飛ぼうや!」

「羽準備して」と紗弥。

 対向のバイクのハンドサインで、ブレーキとクラッチとシフトを操作して減速した。

「どうしたん?」

「検問みたいや」

「何でわかるねん」

「対向車のバイクの人教えてくれてん」

 空との継ぎ目、坂道を越えたところの待機所で一台のパトカーがいた。特に捕まえようという気もないのか、ただ待機していた。

 コペンはこそっと抜けた。

 パトカーが小さくなると、紗弥も涼子もゲラゲラ笑った。なぜこんな何でもないことがおもしろいのかわからない。こうして息を潜めてすれ違うことが笑えてきたのだ。あのまま速度を出していたら追いかけられていたかもしれないと思うと、見知らぬ誰かのハンドサインで救われもしたが、そんなことではない。ほんの小さなイタズラを二人で共有している喜びだ。

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