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コペン&

 紗弥は少し後悔もしつつ、助手席のトートバッグをトランクへ入れた。これで屋根は開けられなくなる。うまくいけは開くかも。屋根を犠牲にするギャンブルはしたくない。

「どうぞ」

 うやうやしく招き入れた。

 他人を乗せるのははじめてだ。

 こうして助手席に並んで座ると、自分の車ながら狭苦しいと思った。もともと紗弥は昔から小さな空間が好きだった。狭苦しいくらいがいい。恋人なら常に腕を組んで歩きたいし、いつも連絡をしていたいが、嫌われるかと思うと遠慮する。遠慮したとしても、距離は近いと言われるが。遠慮した挙げ句、捨てられるのはどうかと思いつつどうすることもできない。

「狭いな」

 屋根を押した。

「やめてよ。ペラいんですから」

「これは開くのかな」

「トランクに荷物がなければね。今は荷物あるからムリです。あなたが荷物抱いてくれるなら開けられるけど。知らない男の人に自分の荷物預けるのは嫌だし」

 ブレーキとクラッチを踏んでギアをNに入れてエンジンをかけて一速に入れた。

「ロードなんとかいう車だね」

「コペンです。中古ですけど」

「確かに白くて丸くてコペンとしてるな」

「コペンとしてる」

 少しうれしい。


 コペンは勢いよく道の駅を出た。お世辞にも紗弥は運転はうまくはない。彼氏がマニュアルが好きで影響されて買うことにした。どうせ一人しか乗らないし、何人も乗るときは彼氏のがあるしと考えたが、一年経たずに別れた。

「自己紹介まだだね」

 助手席で外した革手袋の置き場に困って、細い指でスカジャンのポケットにねじ込んだ。

 肩が触れた。

「うちは涼子や。おたくは?前前見て」

「あ、はい。涼子」

 慌てて前を見た。

 涼子は付け髭を剥がした。さっきから手で口を覆うようにしていたのは剥がれそうになるのを防いでいたらしい。サングラスも外すとまつ毛の美しい目が眩しそうにしていた。

「付け髭?あ、紗弥です」

「紗弥ちゃんか。疲れた。高校と大学で演劇してて、こういうのは嫌いではないんや。しかしやかましい車やな」

「ごめん」

 三速から四速に入れた。

「女の人だったんですね。まさかのことに」

「そやで。あ、あっあ〜♪喉痛いな。低い声は喉に負担かかるねん。ちゃんと出てる?」

「まぁ少しかすれてるけど」

 女の人だと疑っていれば見破れる程度の変装なのかもしれない。何度も低音から高音まで発声してみて、ようやく戻ってきた様子だ。

 もとまとハスキーなのか。

 彼女は結んだ髪をほどくと、それは肩の上で跳ねるように風で泳いだ。女だと話してくれれば乗せてやるのも簡単なのに。

「怖いやんか。うちには女やとさらして男の人に囲まれるのは恐怖でしかないねん」

「悪い人じゃないかと」

「わかってる。でも男は怖い。後ろに抱きつくのは、うちにはムリやねん。しかもいつコケるかわからんのに命は預けたくはないやん」

「確かに。でもこっちの男の人を乗せる覚悟も考えられませんかね」

「だから紳士を演じたんや。演技力や。こうして乗せてくれてるんやからな」

「演技力ねえ。わたしもどこかで女の人だと気づいてたような気がするんですよね。でないと話してもいませんし。心の底で」

 紗弥は急にドキドキしてきた。ハンドルとシフトを握る手にも妙な汗がにじんでいた。どうともすればクラッチを踏む足もおかしい。


「あなたはレズですよね」

「好きに呼んでくれてええ」

「だから一緒にお風呂入ってるときにフラれたんですね。あ、おかしいと感じてたとこ」

「尻向けてオールバックにしてジェル落としてるときやん。追いかけたんやけど」

「変装は趣味なん?」

「彼女の趣味やな。こうして男装とデートしたいんやと。コスプレ?ようわからんけど。よくよく考えたら、存在隠されてたんかな」

「涼子さんは女の格好がええんですか?」

「当然やん。まさか女に見えてない?」

「いやいや。もう立派に女の人です。化粧してなくても美人やとわかるくらい」

「けなされてる気がする。乗せてもろてるから文句は言わんけど」

 涼子は二十七歳で、京都の宇治に住んでいるとのことだ。職業は小学校の非常勤として転々としている。置き去りにした相手は別の市の教育委員会で働いているらしい。

 少し儚い雰囲気にまとわれていた。

 失恋しているからか。

「前から考えてたみたいや。今日は別れの小旅行なんかな。帰ったとき言うてくれたら」

「何でお風呂で?」

「わからん。性格やろうな。考えたことすぐに言わんと気が済まんみたいな。小学校の教師なんて教室の専制君主みたいなもんやし」

「清々しいまでのド偏見。でも男装なんてわたしが彼女ならつらくて泣くわ」

「初めのうちは喜んでくれたらええやんと思うてたけど、だんだん疲れてきてたかな」

「でも同性が好きなんは好きなんですか?」

「そやな。てか、同性しか好きにならん」

 足のところも狭くて、リクライニングも限界が小さいので、冷えきっていた涼子はしばらく体の置き場所に困っていた。


「温泉のところにいたらよかったのに」

「迎えに戻ってくれる気持ち半分、誰か乗せてくれる人来てほしい気持ち半分。温泉に来る人は二人か家族やん。同性一人で温泉なんてほとんどおらんのに気づいたんや。タクシー呼んでもええけど、いくらかかるかわからん」

 涼子は頭の上で手を組んだ。肘がセンターコンソールを越えてくるので邪魔だ。

「フラれた理由聞いていいですか」

「子ども欲しいんやて。彼女にしたら現実に戻る頃で、だからうちから離れた」


 しばらく上下の坂とカーブが続いて、六六〇ccのエンジンは必死で耐えていた。紗弥の運転が下手なのも加えてギクシャクした。

「ガチャガチャするのが趣味なん?」

「元彼のね」

「別れたんか」

「ついこの前ねっ」

 紗弥は蹴るようにクラッチを踏み込んで、一瞬で回転数を上げてマニュアルを動かした。するとギクシャクも減少して、何だか気持ちもスカッとしてきた。これまで運転が下手くそで叱られないか、ギアチェンジが世間からどう見られているか気にしていた。今、涼子と話しながら運転していると、そんな些細なことはどうでもいいように感じ、ガツンと運転した。

「免許ないの?」

「あるよ。Dにして走る。止まるときはPにしておくんやないのか」

「バックするときは?」

「バックだからB?」

 涼子は答えた。

「Rよ。見てない証拠よ。リバース」

 前の彼氏に言われたことをそのまま涼子に言ってやった。涼子は素直にそうかもしれんなと答えた。人は見ているようで見ていない。

「肘邪魔なんやけど」

「ごめん」

 涼子はポケットに手を入れたものの、肘同士が触れたので膝の上に置いた。そうしているとどこから見ても女の人だなとわかる。

「化粧するんですか?」

「化粧する。変装する道具もある。何もかもする気失せてるねん。どうしようか」

「飲んで忘れる」

「うちは飲めんのや。で、何歳?」

 紗弥は二十五歳だと答え、別れた彼氏は三十二歳で、一ヶ月ほど前結婚を前提に付き合う人ができたという理由で別れてくれと言われたと話した。紗弥と結婚する未来が浮かばないとまで言われた。結婚もイメージしていないのでしょうがないが、そんなことは言ったこともないくせにと責めたくなるし、実際に責めた。

「結婚か」涼子は煙草を出した。

「禁煙ね」紗弥は止めた。

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