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センチメンタル泥棒

 紗弥の恋は十ヶ月で終わる。

 終止符を打たれる側だ。

 溜息を吐いて、春過ぎにしては少し暑いくらいの喫煙所で煙草に火をつけた。彼氏と別れてから久々の煙草は臭い煙だった。今さらこんなもの吸う気にもなれないなと思った。

 高野龍神スカイラインは紀伊山地を縦貫するツーリングスポットで、途中の道の駅にはいくつかバイクの集団がたむろしていた。

 彼氏と別れた後いつも一人旅をしていた経験上、女一人は面倒なことになることは経験していた。油断すれば話しかけられる。ここで愛想笑いしようものなら、おだてられて、どこから来たのか聞かれ、ついには連絡の交換をお願いされて気まずくなる。

 まず今の紗弥に肝心なことは、誰とも話などしたくはないということだ。一人になるために来たのに他人に話しかけられたくはない。

 センチメンタルに出会いは不要だ。

 楽しそうなバイクツーリングを見ていると、彼らはまったく悪くはないが、こちらが落ち込んでくるので、ますます情けなくもなる。


「別れてくれ」

 そう言われるときは、こちらも気づいているときだった。これまで高校、大学、社会人と通して、ずっと告白されてきた。そしてしばらくして別れたいと言われる同じ繰り返しだ。

 友だちには、

「十ヶ月の女」

 と評される。

 紗弥自身も恋が愛へと変わることはなく、情に変わることもない。慈しみなどの前に別の何か違和感が頭をもたげてきて、隣にいる彼氏がレゴブロックに見えてくるのだ。この違和感の正体がわからない。もしかして自分は人と付き合えないのか。今さらながら思うと、彼氏を好きになるということがなく、二人でいるときでさえ好きなのか自問自答していた。

「わたしは男を好きになれないのかも。そろそろ自分に向き合わないといけないのかな」

 

 紗弥は吸い殻をバケツに入れた。そろそろ話しかけてくる頃だ。バイクの人たちは社交的な人が多い。紗弥はジャケットのポケットから出したスマホを長い髪の下に入れ、誰かと話している演技をしながら、自販機の前で缶コーヒーを買おうとして小銭を落とした。スマホも落としかけたとき、延びてきた薄い革手袋が小銭を拾い上げて自販機に入れた。紗弥は会釈をして缶コーヒーのボタンを押した。無精髭姿の人は千円札を入れてミルクティを買い、革手袋で口を押さえてかすれた声で話しかけてきた。

「電話は演技?」

「ですね」

 紗弥は答えた。

 相手は肩くらいまでの髪を後ろでひとまとめにしていて、濃いサングラスで表情は読めないが、浮き世離れした、どこか中性的な雰囲気を漂わせていたが、声は残念ながら風邪なのか低くかすれていた。もし彼がもっと力強く話しかけてくれば、紗弥は遠ざけていたはずだ。

「バレましたか」

「女一人で釣りとバイクは地獄。ランニングとトレーニングジム、ゴルフの練習も」

 相手は込み上げてくる咳を抑えた。

 近づけたものの面倒な人に絡まれできるのかもしれないと思いつつ、どこまでも付きまとわれても嫌なので、車に戻るか迷い、相手は紗弥に暇潰しにでも話してみるかと思わせた。自販機の近くにある石製のベンチに腰を掛けた。

「結局ナンパなん?」

「どうかな。ナンパといえばナンパかもね。捨てられた」

 また革手袋の下で咳をした。

「ぜひあなたのナンパのテクニックを聞いてみたいてすね。隣へどうぞ。あなたの相手してるだけで他が来ないわ。てか、捨てられた?」

「露骨すぎ」

 相手は腰を掛けた。そしてスカジャンのポケットから煙草と携帯灰皿を出して、革の手袋越しに煙草に火をつけた。たぶんいつもやっているのか、手袋の人差し指が少し焦げていた。

 紗弥は缶が空になるまでと加えた。

「人の恋バナは好きですよ」

「ここは龍神温泉は日本三美人の湯。まずは龍神温泉やろ。後は……ええっと……」

 紗弥はスマホを調べた。

「島根の湯の川温泉と群馬の川中温泉」

「そんなこと調べてもこの会話の間に忘れてしまう。付き合うと息苦しいと言われないか」

「わたしは自分の恋バナはしたくない」

 紗弥はシンプルに答えた。なぜこちらが別れた話をしなければいけないのだ。

「あなたの捨てられた話は?」

「終わりにしたいと言われた」

「わざわざここまで来て、嫌がらせ?」

「だな」

 煙草の煙を飲み込んだ。

「追いかけなかったんですか」

「駐車場まで追いかけた」

 ミルクティを一口飲んで、革手袋で口全体を覆うように煙草を吸った。泣いているのかと思うくらい表情が沈んでいた。慰めることくらいできるが、紗弥なら慰められたくはない。

 しかし抱き締めて慰めたい。

 妙な衝動に駆られた。

「アクセル踏まれた」

 相手は肺に入れた細い煙を吐くと、

「狂気の顔で泣いてた」

「何かしたんやないの?」

 世の中のフラれ方に程度があるなら、紗弥が聞いたうちで下の下の部類になる。他人のフラれ方を分析している立場でもないが。

「したのかな」

 沈黙が続いた。

 手袋で口を押さえるように三口くらいで煙草を吸い終えて携帯灰皿に煙草を押しつけた。

「で、ここで探していた」

「あ、もしかしてわたしがここに入ってくるの見てたんですか。振られてすぐナンパ」

「まだ日は高いが、高野山まで歩くわけにはいかない。温泉から歩いてきたが」

「わたしの車は狭いですしね」

 紗弥は逃げようとしたが、

「カップルに乗せてくれとは言えない。まして家族連れに言わずもがな。これで詰んだ」

 と背後で呟かれた。

 紗弥は自分が別れてなければ、こんなことは無視していたような気がする。またどういうわけか見捨てられていない自分が不思議だ。

「報酬はフラれた話」

「むしろマイナス円です」

「一、いや五千円で」

「一万円て言いかけませんでした?」

「壱千円。難しい方の壱」

「隣に訳わかんない人乗せるんですよ」

「鮎は瀬につく、鳥は木に止まる、人は情の下に住む。羽の印のバイク」

「チビでハゲのおっさんよね。屑なわたしにもわかるわ。話したくてウズウズしてる」

「高野山駅まで。後は電車で何とか」

 紗弥は手を出した。

 ポケットから千円札を八枚出してきた。荷物は着替えのみで、他はすべて別れた彼女ごと運ばれてしまったということだ。たぶん部屋の前に置かれているだろうと笑い捨てた。

「ひとまずこれはもらいます」

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