一人じゃない
たとえ翼をもがれようとも、鳥は空を忘れない。
地を這ってでも前へ進むのだ。
「クラリス!もうこれ以上争う理由もない!」
「黙れ!私の覚悟は途中で折れるほどやわなものではない!」
俺はクラリスの先制で再度斬り合いになだれ込んでいた。
黒幕を見つけた俺が次にできることは暴走したクラリスを止めること。
だが、実力は歴然クラリスの方が上だ。
クラリスの神速の連撃に俺はどんどんと後ろに押されていく。
「どんな境遇でこんなことをしたのかは知らないが、もっと良い別の道があったはずだ!」
それを聞いたクラリスの剣がさらに重くなる。
怒りそのものを叩きつけてくるかのようだ。
「それは、何も奪われなかった者の言葉だ!
選べた者に、選べなかった者の道は分からない!」
その時、俺の中で何かがこだまする。
「何も奪われなかっただと……」
思わず、低い声が漏れる。
「そうだ!苦労することなくただぬくぬくと育ってきた貴様に――私を、私の覚悟を、否定する資格などないッ!」
クラリスの重たい一撃が俺を後ろへと仰け反らせる。
ただ、俺は地面を削り、勢いを殺し、堂々と立つ。
――その言葉で、決定的だった。
脳裏に、あの光景が焼き付く。
守れなかった背中。届かなかった手。
「……撤回しろ、クラリス」
その一言の直後だった。
――プツン。
俺の頭の中で何かが切れる音が、はっきりと聞こえた。
次の瞬間には俺は叫んでいた。
「――ふざけるなァァァッ!!」
空間が耐えきれず、ひび割れる錯覚。
大地は揺れ、俺の体は軋んだ。
「奪われたんだよ!!俺は!!何もできずに!!」
剣を握る手が震える。
怒りでも悲しみでもない、もっと醜くて重いもの。
涙を流し、睨みつける俺の瞳には、もう理性は残っていない。
「お前を止めることにしていたがぁ……もう……殺してもいいよなぁぁ!」
その瞬間……
――大地が割れた。
俺の足元のひび割れた大地の隙間から、眩い光がはしごのように天へと伸びていく。
制御も、意識もない。ただ溢れたのだ。
俺の持つ剣を中心に、空間が歪む。
空気が押し潰され、宙を舞う氷の粒子と光の粒子が同時に渦を巻いた。
「……ッ!?」
クラリスが何かを感じ思わず息を呑む。
それは殺気ではない。
生存本能に直接叩きつけられる危険そのものだった。
「奪われた……奪われた……奪われた……」
俺の口から、意味を失った言葉が零れ落ちる。
誰に向けたものでもない。
過去に、失われたものに、叩きつける呪詛。
剣を握る腕が、異様な角度で持ち上がる。
「正しいとか……間違ってるとか……もう関係ねぇ」
俺の剣の先の空間に小さな裂け目が現れ、徐々に侵食していく。
そして、クラリスは見た――裂け目の奥深くで輝きを放つ蠢く球体。
そしてその球体は回転を始める……絶望の光を放ちながら――
(あれはまずいッ!私が受け止める以前の問題だ!)
「この国ごと消し飛ばすつもりか!!」
そのクラリスの叫びは、必死だった。
しかし、正常な判断を失った俺にはもうなんの言葉も通じない。
「ははっ……それもいいかもなぁ!!」
球体が唸りを上げ、空間が耐えきれず砕け始める。
「――さぁ!これで終わりだぁ!」
剣を振りかぶる……まさに、その瞬間だった――
「――テンセイ様。」
ある声が聞こえた。
「……あ?」
振るう刃が止まる。
聞き覚えのある声。忘れるはずのない声。
「私の知っているテンセイ様はこんな人でないはずです」
視界が揺らぐ。崩れかけた空間の向こう。
破壊の光の中に――一人の女性が立っていた。
「ハッシュ……?」
あり得ない。いるはずがない。
それでも――
「それが、貴方様の望んだ結末ですか?」
ハッシュは、昔と同じ目で俺を見ていた。
責めるでも、怯えるでもなく、ただただ悲しそうに。
「全部壊して……一人で立って……それがテンセイ様ですか?」
「うるせぇ……!」
頭を振る。幻だ。これはただの都合のいい妄想だ。
「今は……邪魔をしないでくれ!!」
「……相変わらず世話のやける人ですね」
ハッシュは、少しだけ微笑み、一歩近づく。
そして、冷たくこう言った。
「テンセイ様……次は貴方が奪うのですか?」
その言葉が、何かを深く抉った。
「俺が……奪う……?」
ハッシュは、俺の剣を見つめて言う。
「その力で、誰かを必死に守ろうとしてた心優しい貴方様を……私は知ってる。そんな貴方様に私は奪う側にはなってほしくないんです」
ハッシュが俺の背中に手を回し、胸にそっと額を合わせる。
「私の仕えていたテンセイ様は奪われても、踏みにじられても……それでも誰かを守ろうとして、傷だらけになりながら前に立つ人でした」
胸に押し当てられた額が、微かに震える。
「自分が壊れてしまうことよりも、誰かが泣く未来を選ばなかった人です」
球体の回転が、わずかに乱れる。
裂け目が、悲鳴を上げながら少し縮み始める。
「……黙れ」
その時、ハッシュの腕にほんの少し力がこもる。
そして、震える声で言葉を紡いだ。
「その人が、奪う側になってしまったら……私は……どこにもいられなくなってしまいます……」
――その瞬間。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
「……やめろよ」
掠れた声が漏れる。
「そんなこと言われたら……」
剣を握る指から、完全に力が抜ける。
理性を失っていたはずの頭に、遅れて痛みが押し寄せてくる。
「俺は……」
言葉にならない。謝罪でも、否定でもない。
ただ――
「奪われたくなかっただけなんだ……」
ハッシュは何も言わない。
ただ、背中に回した手を離さず、静かにそこにいる。
それだけで、十分だった。
剣から、光が霧散する。
裂け目が閉じ、球体は音もなく消滅した。
「もうどこにもいかないでくれ……俺は一人じゃ生きていけない……」
胸の内から零れたのは、今まで押さえ込んでいた孤独。
「前にみたいに俺を叱ってくれよ……前みたいに俺の隣にいてくれよ……」
ハッシュはゆっくりと顔を上げ――微笑んだ。
穏やかで、少しだけ困ったような笑顔。
「……叱る必要があるうちは、ちゃんと生きてる証拠です」
背中に回されていた手が、優しく離れる。
その温もりが消えていくのが、嫌でも分かった。
「私はもうテンセイ様の隣には立てません。でも――」
ハッシュはそっと、テンセイの胸元に指先を添える。
「――ここには、ずっといますよ」
ドクンと心臓が大きな脈を打つ。
まるで、ハッシュの言葉に答えるように。
「迷った時……怒りで目が曇りそうな時……悲しみに打ちひしがれそうになった時……その度に思い出してください」
ハッシュは、真っ直ぐに見つめてくる。
「――守ると誓った、その瞬間の自分を」
こもれびのような暖かな光が、ハッシュの輪郭を少しずつ薄くしていく。
「テンセイ様は一人じゃありません。たくさんの仲間達がいます。そして、私もいます」
「ハッシュ……!」
伸ばした手は、無情にも空を掴む。
最後に小さく、でも確かに言った。
「――胸を張って生きてください。テンセイ様は誇り高き国王なのですから」
俺は剣を下ろし、深く息を吐く。
「……あぁ」
綿毛のように空へ光が飛んでいく。
俺は夜空を見上げた。涙は出なかった。
だが胸の奥に、確かに灯が残っていた。
それは消えない……これから先、何度挫けそうになったとしても、絶対に負けない。
――ハッシュがいた証は、ここにあるのだから。
「クラリス……すまなかった」
俺は視線を目の前で剣を構えるクラリスへと落とす。
「貴様は何がしたいのだ……」
勝手に暴れ、勝手に正気に戻った男の言葉など、理解できるはずがない。
――だが、それでいい。
あの時間は、あの声は、俺だけのものだ。
誰かに説明する必要なんて、最初からない。
俺は剣を握り直す。
「今度こそ……終わりにしよう」
息を整え、静かに告げる。
「全力で――止める」
その言葉と同時に、互いの殺気が絡み合い、空気が軋む。
逃げ場はない。退路もない。
――次の一撃で、全てが決まる。




