悪魔の少女
俺はマイヤちゃんを残し、目的である神魔の秤を手に入れるため裁判所に向けて走り続けていた。
皆が俺のために戦ってくれている……この戦い俺は絶対に負ける訳にはいかないのだ。
そんな矢先、城の中心部にある円形の建物の中を通っていた時だった。
「ここは……」
俺は思わず足を止める。
目の前には大きな女神の銅像……そうここは王が死んでいて、俺が罪を擦り付けられた場所だ。
そこにはもう王の死体なんかなく、今の状況が夢であったと伝えているようだった。
「いや……今は前に進むしかない」
そう自分に言い聞かせ、俺はもう一度走るため足で地面を蹴ろうとしたその瞬間――
「――貴様……なぜ逃げなかったのだ」
目の前の通ろうとした出入口から、聞き覚えのある女性の声がした。
ゆっくりと月明かりによってその姿がこの場に描写されていく。
「ク……クラリスッ!」
その人物……それは三翼傑、一翼の聖クラリス・シュトルツ・ヴァンホルト。
リューゲ王国最強の三人に数えられる歴戦の猛者だ。
警戒体制に入る俺に対してクラリスは俺とあったことに全くの動揺を見せず、口を開く。
「貴様は脱獄したあといくらでも国の外に逃げられたはずだ。だが、逃げなかった。
それどころかわざわざ敵の本陣に侵入してきた……何のつもりだ?」
「……俺がなぜ逃げなかったか聞きたいか?」
俺は得意げに言った。
だが、それとは裏腹に足は震え、心臓の鼓動が爆音を立てて俺を刺激してくる。
「あぁ、聞きたいから問うたのだ」
クラリスもまた俺と同じように得意げに言った。
だが、その佇まいは俺とは違い、高空から獲物を見下ろす隼のようだった。
そんなクラリスを目の前に震えながらも語り出していく。
「単純な話だ……俺が逃げたら俺の国で平和に暮らす民が危険にさらされるからな。王が国民を守るのは当たり前の話だろ」
「……優しいな」
クラリスはそう言いながら、斜め下を宥めるように見る。
「優しい……?」
クラリスの予想だにしない返答に考える前に聞き返してしまった。
しかし、クラリスは自分の失言を無かったことにする悪王のように俺の聞き返しには耳を貸さず、自分の言葉を続ける。
「三翼傑たるもの謀反者には天罰を下さねばならない。残念だが……貴様の命、この私が葬ってやろう」
クラリスはゆっくりと右腰にかけた剣を引き抜き、正眼に構え剣越しに俺を見据える。
空気が張りつめ今にも飛びかかってきそうだ……だが、その前に聞いておきたいことがある。
「俺からもひとつ聞いておきたい……クラリス、お前は転生者か?」
「いや、私は違う」
「そうか……」
言質はとった……クラリスか……あの作戦を試す価値は十分あるな。
「俺にも俺なりの王としての信念がある。
ここで殺られる訳には、絶対にいかない」
胸の奥に渦巻く恐怖を押し潰すように俺は歯を食いしばった。
足は震えている。
それでも――倒れるわけにはいかない。
レイヴェナと繰り返してきた特訓の日々が脳裏をよぎる。
あの日々は無駄では無い……!
深く息を吸い込む。
手先の神経を一点に集中し、ただ一つの形を頭の中で描く。
「……来い」
刹那――
俺の手元に、粒子のような光が集まりはじめた。
空気が震え、視界が白い光に覆われていく。
その光は蛇のようにうねり、螺旋を描き、鋼の輪郭を形づくっていく。
思わず息を呑む。
自分が生み出しているはずなのに、その輝きに圧倒されそうだった。
「ほう……神能、か」
クラリスが小さく呟く。
その声には驚愕ではなく、純粋な興味と殺意が入り混じっていた。
――そして光が完全な形を取った。
俺の手には――一本の剣。
だが、ただの剣ではない。
透明な光の刃は存在すら幻のようで、それでいて計り知れない重圧を放っている。
「俺の神能……創光だ」
宣言した瞬間、胸が熱くなる。
恐怖が吹き飛び、代わりに燃えるような昂りが全身を満たした。
「剣士として……剣を持った貴様には――絶対に負けられない」
クラリスが剣を構え直す。
その目に宿る殺気が、さっきまでとは次元が違った。
光の剣が空気を切り裂き、俺の呼吸と脈打つ鼓動に同期する。
――もう避けられない。
床が軋むほどの気配がぶつかり合う。
静寂が恐ろしいほど濃くなる。
全世界が、ここから始まる戦いのためだけに息を潜めたかのようだった。
そして――
「――これで全てが終わる」
二つの影が月明かりに揺れる――
◆◇◆◇
「大っ嫌い!!早く死んでよ!!」
「物騒な子だ……」
大きな音を立て、斧を振り回すのはマイヤちゃん。
それを蝶のようにひらりひらりと躱していくのはカイ・フェアラート。
マイヤちゃんの振る斧は木の棒でも振っているかのように高速……だが、それを上回る速度で華麗に避けるカイは流石としかいいようがない。
マイヤちゃんの空ぶった斧は床を割り、壁を破壊していく。
「あまり城を壊さないでくださいよ」
その瞬間、カイはマイヤちゃん目掛け何かを投げる。
「危ない!!」
マイヤちゃんは超反応で空中を横に一回転、投げられた何かは壁に突き刺さる。
マイヤちゃんは距離を取り、その投げられたものを見る。
「……何この変な形のナイフ」
細長い銀の柄の先に、わずかに反り返った薄い刃がついていて、無駄な装飾は一切なく、ただ切るためだけに存在を研ぎ澄ませたようなナイフだった。
「それはメスという手術なんかで使う道具ですよ」
「そーなんだー」
マイヤちゃんは興味無さそうに返事をする。
「やっぱり、人体を研究するものとして大切なものなんですよ……」
「ふーん。もういいや」
瞬間――マイヤちゃんは地面を踏み抜き、類を見ない速度でカイへと突撃する。
だが、カイは微動だにしない
「――そのメス……実は僕の神能でしてね」
そう言い放った刹那――
「――え……」
マイヤちゃんの左腕が突然震えだし、なんと自分の頬を打ち抜いたのだ。
思わず、自らの殴りによって横に吹き飛び、窓を突きぬけ外へ放り出される。
傍から見たらそれはただの自爆……意味がわからないだろう。
「今のは僕の神能――神経切開。
神能で作り出した特別なメスでつけた傷から相手の運動神経を書き換える能力です……って、誰もいないのに語ってしまいました」
カイは笑みを張りつけ、嘲笑する。
「――そうなんだ!!神能ってやつ面白い!!」
突然割れた窓の方から声が響く。
その窓枠を誰かが右手で掴んでいた。
それをカイが確認した瞬間――窓が取り付けられていた城の城壁ごとぶち抜き、マイヤちゃんが現れる。
――この予想外の状況にカイの反応が遅れた。
「えい!!」
マイヤちゃんが放ったのはこれまた予想外……斧の柄による最速の突き。
カイの能力発動すらも凌駕した。
その攻撃は見事にカイの鳩尾へと突き刺り、後方へと吹き飛んだ。
「グッ……やりますね」
カイは血を吐きつつも不敵な笑みをうかべたまま立ち上がる。
やはりそれはただの柄による攻撃……決定打にはならない。
と、ここでマイヤちゃんはあることに気づく。
「あれ……」
「置き土産ですよ……グフッ」
なんとマイヤちゃんの両方の太ももにはメスが突き立てられていた。
流石にやばいと感じたのかマイヤちゃんはすぐさまそれを引き抜き、距離をとる。
「もう貴女に勝ち目はありませんよ。左腕、そして両足……僕の支配下です。終わりですね」
マイヤちゃんは黙って、俯く。
それは諦めているようにも見えた。
そんなマイヤちゃんを見て、カイはゆっくりと獲物を追い詰める猛獣のように近づいていく。
「足が動きませんよね。僕が止めているのですから」
その瞬間……マイヤちゃんは手に持つ唯一の武器だった斧を何故か後方へと放り投げた。
「あはは!!本当に諦めたんですか!!」
カイの狂気的な笑いが城中に響き渡る。
傷つき無抵抗な少女を前にして、嘲り笑うその姿は悪魔そのものだった。
「さぁ……一緒に人間の未来を開拓していきましょう」
カイは何もすることが出来ないマイヤちゃんへ向かってゆっくりと左手を伸ばしていく――
「――ばかだね」
「――は……」
刹那――カイの視界が逆さになった。
それはまるで天地が真逆に作り替えられたよう。
空中を回転するカイはあるもの見る。
それはマイヤちゃんの右手が自分の左手をがっしりと掴み、片手だけで投げられていたことを……
そして、自分の左手がまるで軟体動物のようにぐにゃぐにゃになっているのを……
(一瞬で右腕の関節全てを外された……はは、悪魔が)
そのまま、地面へと叩きつけられる。
「ガハッ!?」
神能すら使わせてもらうことの出来ないほどの神速の投げと恐ろしい精度の関節技。
――対処はできるはずもない
マイヤちゃんの足が浮き、顔面を踏みつぶそうとする。
だが、それはカイに触れる寸前でピタリと止まった。
カイの神能の発動がギリギリ間に合ったのだ。
「もー!めんどくさいな!」
「はは……本当に恐ろしい子だ」
(……関節を外された上で叩きつけられた衝撃で粉砕されたか。まぁでも、そもそも……体全体も動かない。なるほど……)
「これはもう決着はつきませんね。
貴女はもう僕の神能によって動けない。
そして、僕は脊髄が折れたようです。
両者共に動けませんね」
「えぇ!?そんなぁ……」
マイヤちゃんは何故かこの状況で肩を落とした。
「全てが終わるまではこのままです。僕は少し休みますね」
――こうして、両者とも戦闘継続不可能な状況でこの戦いの幕は閉じた。
「これで全てが終わる」というセリフは、テンセイでもクラリスでも好きな方で捉えていただければOKです




