戦いにはいずれ終わりが来る
「そのキツネの面、お前が災禍六魔将の裏切り者か……」
黒いローブを着た女と対峙するカイト。
その言葉には純粋な殺気が含まれていた。
「お前に恨みはないが死んでくれ」
瞬間、カイトが地を蹴る。
初めから全開、容赦のないフルスロットルだ。
「俺は色んな武器を使えるように訓練しているんだ」
すると、指先から細長い針を弾き飛ばす。
そして、同時に女の両脇から異形の腕が伸びる。
避けようのない攻撃……もう決まった――そう確信した、その刹那。
――女の姿が、突如として消えた。
風も音も残らない。動いたという痕跡すらない。
「……なん――」
言いかけて、カイトは気づく……既に全身から血が噴き出していることに。
切られたという事実すら、今の今まで認識できなかったのだ。
「ちっ!?」
腕、脚、胸……至るところに浅い切り傷が刻まれている。
振り返れば、そこには目の前にいたはずの女。
まるで空間そのものが移動したかのように背後へと現れていた。
カイトはすぐに女を睨み返す。
目を凝らすとその両手には二本の何かが握られているのがわかる。
(……傷は浅い。だが、あれは――透明な刃?)
「なるほど……クリスタルナイフってやつか。しかも、改良されてさらに――視認しづらい」
カイトの呟きに、女は何も答えることはなかった。
ただ無言で、一歩前に踏み込む……その瞬間。
またしても女の姿が、完全に掻き消えた。
「なんだ……透明化……?いや、とてつもなく速いのか!」
周囲の木々を蹴り、超高速で空中を駆け巡る。
目に映るのは幾つもの残像。まるで何十人もの敵に囲まれているかのようだ。
だが、カイトは動じることなく屈み、何故か地面に手をついた。
「だが、残念だ。第二の鬼神――摩醯首羅神……毘舎闍!」
そう発したと同時、辺り一面が黒い帳に包まれる。
すると突如、女がカイトに向かって突撃した。
あまりにも速すぎて、カイトには避ける間も判断する余地もない。
クリスタルナイフがカイトの首元を襲う――その瞬間。
――ガチャン
黒い鎖が天から舞い降りるように女の手足を縛り、瞬く間に全身をぐるぐると巻きつけた。
皮一枚のところでナイフは止まる。
「この毘舎闍は、いわば領域だ。この領域内にいる敵の悪意や怨念が鎖となって具現化する。
……恐ろしいな。まさか、こんなに鎖が湧き出るとは……俺に、何か恨みでもあるのか?」
女はそれでも無言を貫く。
瞬間、黒い鎖が裂け、バラバラになり、女はその中からすり抜けるように現れた。
「鎖自体は脆い。だが、無限にお前を襲い続けるぞ」
その刹那、黒い鎖が天井から幾筋も垂れ下がり、まるで生き物のように女へと襲いかかる。
女は空気を裂きながら移動し、その速さで鎖を一本一本、確実に切断していく。
(……やはり異常な速さ。単なる脚力じゃない。神能……何だ……?)
その時、女の手首に一本の鎖が絡みついた。
それによって、わずかに速度が鈍る。
だがすぐに切り払われ、再び女の姿がかき消える。
――次の瞬間、カイトは直感する。
しかし、既に女はカイトの背後に回り込み、ナイフを振り上げていた。
「なるほどな……」
黒い鎖が幾重にも重なり、カイトの背を守るように壁を作る。
振り下ろされたクリスタルナイフはその鎖に弾かれ、女は舌打ちと共に後方へと退いた。
カイトは女の方を向き、自慢げに語り出す。
「お前の速さの正体……それは、加速が存在しないことだろ?普通の奴なら速度を上げるまでに溜めが要る。
だが、お前は違う……最初の一歩から最高速度に到達している」
女は無言……だが、ナイフを握る指先が僅かに強張る。
「図星か。そのせいで残像のようにしか見えず、通り過ぎられても気づけない。……便利な神能だな」
カイトが話し終える、次の瞬間だった。
「――……ない」
女が小さく囁くように何かを口にした。
「聞こえないぞ。ハキハキと――」
その刹那――
「――許さないッ!」
空気が爆ぜた……それは怨嗟に染まった魂を震わす絶叫。
次の瞬間、女は鎖を掻き分けるようにして、何の予兆もなくカイトの眼前へと迫っていた。
「何度やっても――」
――パリンッ!
破砕音と共に辺りを覆っていた黒の帳が、まるでガラスのように砕け散る。
鎖はその瞬間に消滅し、女は最高速度でカイトの懐に侵入していた。
「なんだと!?まずい――」
クリスタルナイフがカイトの腹を捉える……はずだった。
だが、刃は届いていない。なんと、カイトは咄嗟にバックステップで躱していた。
いや、違う……女の動きが、刺す直前に一瞬だけ止まったのだ。
(……助かった。刺す瞬間、よく分からないが動きが止まったおかげだ。それより……俺の領域が破壊されただと?)
カイトの技が破壊されたことによって、肌から熱を奪うような冷たい雨が降っていたのに気づく。
そして、異様な現状にカイトの緊張が張り詰める……その刹那。
「――そこまでにしておきなさい」
その瞬間――森の奥から重厚な地鳴りのような足音と共に聞き覚えのある声が響いた。
カイトが振り向く……その闇の中から現れたのはカイトをここまで吹き飛ばしたドロレスだった。
「ドロレス……ッ!!」
その場の空気が一瞬にして凍りつく。
そう、カイトは理解したのだ。
――カルマが殺された、と
「さぁ……帰るわよ。先勝は殺した」
言葉の一つ一つに圧倒的な支配力が宿っている。
カイトは思わず後ずさる。
「その女は裏切り者のはずじゃ……ッ!」
だがドロレスは女の方だけを見据え、カイトなど眼中にないかのようだった。
女は深く息を吸い、静かにクリスタルナイフを懐にしまい、迷いなくドロレスの元へ歩み寄っていく。
「逃がすか!!必ずここで――殺すッ!」
カイトが手印を結ぶ。
「第四の鬼神――グッ!?」
その瞬間、カイトの肩に何かが鋭く突き刺さる。
それは高速で放たれた視認不可能なクリスタルナイフ。
(物体にも神能を付与させられるのかッ!)
その衝撃で手印は崩れる。
瞬時に結び直そうとする……が、もう目の前には既に二人の姿はなくなっていた。
場に静寂が走る……。
「あの狐の面……どこかで見た気が……。いや、今はカルマだ!」
カイトの周りに炎が現れ、包み込む――
◆◇◆◇
炎が消え、カイトは戦場となっていた場所に現れる。
そして……二人の人影を視認した。
「カルマッ!……嘘だろ」
目の前には立ったまま事切れたカルマ、そして近くで子供のように泣き崩れるヴェロニカの姿だった。
「ワタシがもっと強ければ……!!お姉ちゃんは……お姉ちゃんはぁ……!」
ヴェロニカの涙には自分の不甲斐なさを悔やむ気持ちが込められていた。
カイトは膝から崩れ落ちる。信じられない光景だった。あのカルマが……誰よりも強いと思っていたカルマが。
「俺が……俺がもっと早く来ていれば……」
カイトの拳が地面を叩く。血が滲むほど強く、何度も何度も。
「クソ……クソッ!!」
その時、空から人影が降りてきた。それはフレンさんだった。他の魔王達を探し、ここまで来たのだろう。
着地すると同時に、肩の傷を押さえながらゆっくりと歩み寄ってきた。
「誰のせいでもない。ただ……僕たちは敗けたんだ」
フレンの声は静かだったが、その奥に深い悲しみが宿っていた。肩の傷は深く、服が血で染まっていた。
三人は無言でカルマの遺体を囲む。
「お姉ちゃん……ありがとう」
ヴェロニカが震える声で呟いた。
「最後まで……ワタシを守ってくれて」
空が薄暗くなり始めていた。長い夜が始まろうとしている。
こうして、魔王たちの襲撃はテンマの策略によって失敗に終わった。
そして、そこで失ったものはあまりにも大きすぎたのだ。




