赤口の魔王
「――おい、起きろ」
誰かの声が耳に響く。そして、意識を取り戻すと同時に頬に痛みを感じる。
先程、殴られた痣が今頃になってズキズキと痛み、脳がぐらぐらと揺れる。
「起きないともう一回殴るぞ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に立ち上がり、痛みで流した涙を拭って、声の正体をはっきり見る。
それはさっきまで俺とハッシュを襲っていた、赤髪の謎の男。
「……流石に冗談だ」
「ハッシュは!ハッシュはどうした!」
俺は喉が張り裂けるほどに叫ぶ。
「安心しろ。あのメイドは無事だ」
曇りなき眼……いや、まだ信用はできない。
辺りを見回すと、俺たちのいる場所は黒曜石のように光を反射する壁に囲まれた重苦しい空間だった。中央には真っ黒な玉座が鎮座し、そこから放たれる圧は空間を支配しているかのようだ。
「ここが気になるのか?……まぁ簡単にいえば、お前の国から見えていた俺の城だ」
「誰なんだお前は……何が目的だ」
俺は警戒しつつも口を開く。
目の前の男は殺気はもうなくなり、それはもうただの青年だった。
「俺の名はミワカイト。一応、赤口の魔王をしている」
「なっ……」
「魔王」……その単語に俺は思わず、声を漏らす。
今のその風貌も口調も、俺の想像する魔王の威厳とは程遠い。だが、目の前で見ているからこそわかる。その奥底に眠る圧倒的な強さは魔王そのものだと。
「……国を滅ぼしに来たのか?」
「そんなことをするわけがないだろう。俺はただ国王であるお前を試したかっただけだ」
「試す……?」
俺は思いがけず、聞き返す。
カイトと名乗るこの青年の目は、澄み切っていて嘘をついているようには到底見えない。
「いきなり何もなかった場所に国が現れたら誰でも警戒するだろう?
俺はこの赤口領を管理しているからな、お前の国が危険かどうか試させてもらった。
まあ……心配しすぎだったな。お前は国王にふさわしい熱い男だ」
そんな言葉を言われたのは人生で初めてだった。俺は心の扉が開いていくのを感じる。魔王と言ってはいるが悪い奴ではなさそうだ。
「褒めても何も出ないぞ。それより、今言った赤口領ってのはなんだ?」
すると、カイトは俺の周りをゆっくりと歩きだす。
そして、衝撃的な内容を語り出す。
「――まず、この世界は六人の魔王が支配している」
魔王が……六人だと?
魔王といえば世界を脅かすラスボス的存在だと父からは聞いている。そんな連中が六人もいて、それぞれがこの世界を治めている?
状況のスケールが一気に跳ね上がった感覚に、思考が一瞬置き去りにされる。
「そして、この世界の領土は六等分されていて、それぞれの魔王が管理することになっている」
六人の魔王それぞれが領土を持ち、支配している世界。
つまり、単なる魔王たちの敵対ではなく魔王たちの均衡によって成り立っているということなのか。
だが、そんな均衡が常に保たれるとも限らないのでは……
「領土争いとかは……?」
「それはないな。基本、別の領土への移動は自由。領土といってもただの資源を分け合うためのものだしな。
どの魔王も領土という形だけのものはあまり気にはしていない」
俺が想像していたような血で血を洗う覇権争いのようなものはないらしい。
だが、そこでふと疑問が浮かぶ。
「魔王が管理……それでこの世界の人達に不満はないのか?」
魔王が支配と聞くとやはり悪く聞こえてしまうのも必然だろう。反旗を翻す者が現れてもおかしくはない。
「遥か昔からこの制度だ。この世界の人にとっては当たり前なのだろう。だが、もちろん不満がある者もいる。実際魔狩と呼ばれる魔王の首を狙うものもいるしな」
魔狩……やはり、そういう危険分子とかは出てくるのか。
「所詮はならず者の集まりだ。俺たち魔王には魔法を使おうが何しようが触れることすら叶わないだろうがな」
カイトは余裕と誇りをにじませた顔で胸を張るように言った。魔王にもなる人物だ、流石の自信だな……
――だが、さらっと流された単語を俺は聞き逃しはしない。
「……ちょっと待て。今、魔法って言ったよな?」
心臓が跳ねるように鳴り、鼓動が耳に響く。俺はあまりの興奮に、冷静を保とうとするも目を見開いていた。
魔法……それは俺が父から聞いた「異世界」の話で最も興味を持ったところだ。
「やっぱり……魔法があるのか、この世界には!」
俺は魔法を使うことに憧れて異世界に来たと言っても過言ではない。
そのチャンスを目の前にして興奮を抑えられることなどできるわけがない。
「この世界では魔法自体はかなり活用されているな。
もちろん魔法を使いこなせるかどうかは人によって違う。才能があれば魔法の道に進む者もいるし、そうでない者は剣術なんかを磨いて生きる。――ただ」
その表情には、どこか言いにくそうな気配がある。嫌な予感が俺に緊張を与えた。
「……言いづらいんだが、お前は魔法を使えないぞ」
「……は??」
理解し難い言葉に思わず声が裏返る。何を言っているんだ、こいつは。脳味噌が頭に詰まっていないのか?
あまりに予想外すぎる言葉に、理解が追いつかない。
「魔法を使うには魔力が必要だ。そして、その魔力を練るためには体内で魔素を生み出さなければならない」
俺の希望が音を立てて崩れるのが分かる。
カイトは頭真っ白な俺をよそに言葉を続けた。
「その魔素を生み出せるのは特殊な臓器を持った、こっちの世界の人間だけだ。つまりな、転生してきた者には魔法が使えない」
バッサリと断言されてしまった。そんなカイトの淡々とした説明に俺はしょぼんと俯いて、愚痴るように口を開いた。
「俺はお前みたいな腕を召喚したり、炎を展開したりする魔法は使えないのか……」
「あれは魔法ではない。俺も転生者だしな」
その言葉を聞いた瞬間、俺の表情が一瞬にして驚きに染まる。
「ちょっと待て……魔王であるカイトが転生者!?
さっきから転生が当たり前みたいな感じで喋っているがよくあることなのか!?
そして、お前も俺と同じ世界からこっちに飛ばされてきたのか!?」
あまりにも突然衝撃的な発言をするものだから思わず聞き返していた。
すると、カイトは口元をニヤつかせまるで知識を披露する子供のように口を開く。
「ああ、確かに俺も転生者だ。死んだ者がこの世界に来るのは珍しい話じゃない。
だが、お前の言う同じ世界からってのは違うな」
「……どういうことだ?」
俺が困惑しているとカイトは咳払いをして、説明を始める。
「簡単に言えば、マルチバース論だ。……って、そんなこと言っても分からないか。
つまり、世界は一つじゃない。俺たちのいた世界の他にも、似ていたり全く違ったりする別の世界が無数に存在するんだ」
当たり前に暮らしていた日常が、ただの数ある世界の一つに過ぎないと知り、頭が真っ白になりかける。
あまりにも話の規模が大きすぎて、理解が追いつける気がしなかった。
「そして、今俺たちがいるこの世界は、数え切れないほどの世界で死んだ者が最後に行き着く場所。
他のどこにも繋がらない、終わりの地。言わば、すべての世界の終点なんだ」
要するに、世界は無数にあって、この世界はその最果て。死者が転生して集められる、逃げ場のない神々の箱庭なのだ。
なるほどと頷いていると、カイトは続けて語り出す。
「そしてもうひとつ。俺が使っていた力は魔法ではなく魔能と呼ばれるものだ」
「……魔能?」
また新しい言葉の登場に俺は思わず聞き返す。
「魔王になった者には、それぞれ固有の魔能が与えられる。俺は赤口の魔王だから赤口の魔能だな。
そして、魔能は魔法と違って魔素や魔力を必要としない。魔法とは全く違った性質を持った力……俺としても魔能のことはよく分からないってのが本音だが」
魔法とは別の体系で、魔王だけが使える力――それが魔能。カイトはさらりと言ったが、その事実はあまりに大きかった。
「……どうやったら魔王になれるんだ?」
別に自分がなりたいわけじゃない。この質問はただの知的好奇心だ……多分。
俺の質問に対してカイトは表情を暗くし、一間置いてから話し出す。
「簡単に言えば……魔王を殺して、入れ替わる」
場の空気が一気に張り詰める。そうだ、目の前にいるのは正真正銘の魔王なのだ。
「だ、大丈夫だ!俺は魔王になろうとかは思ったりしてないぞ!」
重苦しい沈黙に耐えかねて、思わず空元気で声を上げる。すると、カイトは俺の様子を見て笑みを浮かべた。
「気にするな。もし、お前が魔王を殺そうなんてしたところで、不可能だからな」
「な……!?」
あくまで穏やかな口調なのに、なぜだろうか……妙にムカつく……。
「魔法も使えない、魔能も魔王にならないといけない……転生者に優しくないなこの世界は……」
「――いや、そんなことはないぞ」
カイトの声色が変わる。
「この世界には三つの力が存在している」
「三つの……力?」
「魔法、魔能、そして神能だ」
カイトはまず一本の指を立てて説明を始める。
「まず魔法は、この世界の人間が臓器で作った魔素を使う。炎、水、氷など様々な形に変えられるのが特徴だ。転生者には魔素を作る臓器がないから使えない」
カイトは二本目の指を立てる。
「次に魔能は、魔王だけが使える特殊な力。さっき俺が使ったのもこれだな。魔素は必要ないが、魔王にならないと使えない」
カイトは三本目の指を立てる。
「そして神能――これが転生者専用の力だ。転生者には魔素を作る臓器がないが、神能は自分で魔素を生み出せる」
俺はうなずきながら聞いている。
「ただし制約がある。魔法は色んな形に変えられるが、神能は一人につき一つの能力だけ。
例えば『巨大化』だけ、『透明化』だけといった具合にな」
「一つだけか……」
「その代わり、臓器に頼らないから魔素が無制限に作れる。
つまり、神能は一つの能力を極限まで使えるということだ」
俺の頭の中で整理がついてきた。
「で、俺にもその神能があるってことか?」
「転生者なら必ずある。
転生してきた時点で皆平等に潜在的な神能が与えられる。だが、それを顕在的な神能にできるかは個人の努力次第だな。
……ただ、俺も詳しいことはよく分からない。神能については魔能同様謎が多いんだ」
カイトは肩をすくめる。
「まあ、とりあえず転生者でも力を使えるってことだけ覚えておけばいいだろう」
……転生者には神能があるのか。
でも、俺は――
「俺は転生者なのか……?」
その言葉を聞いた瞬間、カイトの表情が重苦しく変わる。
「……テンセイ、それはどういう意味だ」
俺は視線を少し泳がせながら、重い口を開いた。
「実はな、謎の指輪を使ったんだ――」
俺は全てをカイトに語った。
謎の指輪のこと、そして気づけば国ごと、この異世界に転移していたこと。
自分でもまだ整理しきれていない出来事を、ひとつずつ、思い出す限り語っていった。
全てを話し終えたあと、カイトは少し考える素振りを見せてから俺に質問する。
「なるほどな……。今はその指輪はどこにあるんだ?」
「それが……俺が起きた時にはもう無くなっていた」
そう言うと、カイトは顔に手をつけて大きなため息をついた。まるで、何かの望みが絶たれたように。
「そうか……もし見つかったら真っ先に教えてくれ」
「分かった……それでずっと気になってたんだが――」
俺は視線を外があるであろう壁の方へと向ける。
「なんか外が騒がしくないか……?」
俺たちがいるのは窓もない密閉された空間。
それでも壁を突き抜け、群衆のざわめきが微かに耳に届いていた。
その瞬間、カイトの顔色に初めて焦りが見えた。
「――ちっ……大安が来たか!」




