第93話 神野星姫 -Ⅴ-
集落の中を歩いて、できるだけ遠くまで、
まだ夜は長く続くようだった。
想像を絶する悪臭が鼻を刺す。
気味が悪いほど静かだった。
ゾンビのように、意識があるのかないのか、覚束ない足取りで一歩ずつ、逃げるように進んだ。
その時は、ずっとうわ言のようにお姉ちゃんとか、お母さんとか呟いて、
死んだ魚もびっくりするくらい、目の中に光がなかった。
「あら……こんなところに人なんて居たのね。全員死んだんだと思っていたわ」
「……あなた……誰……?」
私の視界に一人のシルエットが浮かんだ。
いや、人間と言っていいのかな。背中からは羽が生えていて、尻尾も同じように生えていた。
「もしかして、家族を失って一人になってしまったのかしら?可哀想に」
そう言って、その人は私を抱きしめた。
「あ……の……」
「ふふっ……家族を助けてほしい?」
「……助けてくれるの?」
私の目に光が戻った。この人が信頼できるのかは分からなかったが、今の私は藁にも縋る思いで、その人にその方法を求めた。
「……お願い……お願いします……それを教えてください!!」
「条件さえ果たせるなら、私がやってあげるわ」
「じ、条件って……?」
私は、食い気味にそう聞いた。
「簡単よ。あなたの命を代償に、二人を生き返らせてあげましょう」
「え……」
私は絶句した。だって、私が求めていたのは、お母さんやお姉ちゃんと過ごせる日常。私が死んでしまったら本末転倒だった。
「そ、それは……」
「……まあ、それは無理よね。なら、
別の人間の命を、そうね、100人分くらい代償にすれば叶えてあげられるわ」
「…………」
私は、あのとき、何故それでも良いと考えたのか、
私がまだ幼い子供だったから?
きっと純粋な想いだったんだ。他の誰かがどうなってもいいから、自分と家族が無事でいられる空間が欲しかった。
子どもならではの、残酷で、身勝手な本性が、極限状態で剥き出しになったのだ。
「分かった」
私は一言だけ、そう言った。
この瞬間に『契約』は成立していたのだ。
◇◇◇
実際に人を殺すようになったのは、それから数年が経ったときだった。
その瞬間から、私の中の何かが壊れたような気がした。箍が外れたようなものだった。
世間の人に怪しまれないように、孤児として、平都の孤児院にしばらく居た。
途中からではあったけど、一応中学校にも通っていた。
友達もたくさんいた。だけど、きっと、私のことを知ったらみんな私から離れていくだろう。
「■■ちゃん、だっけ?私のアイデンティティって何だと思う?」
「…それを私に聞く?アイデンティティが皆無な私に?」
「悲しいことを…もう少し自信を持てばいいのに」
「まぁ、うん…その星の髪飾りとか?」
「やっぱりそうかなぁ〜、これ、私の大切なものだしね」
「そうなんだ」
「ありがとー!またねー!」
……そう言えば、あの子の名前って何だったっけ?全然思い出せないや。
だけど、あの言葉は、私の中にずっと残っている。
きっと、私を象徴する、アイデンティティは、お姉ちゃんのくれたこの大切な髪飾りだ。
そう、きっと。
◇◇◇
私……息、してる?
視界が真っ暗、耳も聞こえない、なにも感じない。
……私、やっぱり間違えていたんだ。
あのときの不用意な契約が、今になって私のことを蝕んできたんだ。
あの人……いや、魔族が言っていたことは、本当だったのかな?
きっとそれも嘘だったのかな?
馬鹿じゃん、私。
全部を投げ打ってまでして、最後に待っているものを全然考えていなかった。
だけど、幼い自分を責めても意味がない。わかってる。
もう、願うしかない、残酷無慈悲な神様に。




