009 同一人物
今年の秋はそろそろ終わりを告げる。
家から森までの道を引いている作業中のクレイの手がかじかんでいる。
「寒い」
クレイは一旦作業の手を止めると自分の両手を揉んだり、服の中に手を入れたりして温める。
それを見かねたクレイの父親、白おじさんことクジラさんは自分の持ち物を乱雑にかき回すと、手袋を取り出してクレイに差し出した。
「ほら、大人用のサイズっすっけど、あったかいっすよ」
クレイは一瞬動きを止めてから、ためらいがちに手袋を受け取って手に付けた。
僕目線でいえば父親から子へ、初めての贈り物をする感動的な場面だ。
もっとも、クレイはクジラさんが父親だとは気づいていないけれど。
しかし、この手袋を作った職人は良い腕だ。
縫い目も綺麗で全体的に頑丈に仕上がっている。
真っ白に染められていて汚れが目立つけれど、ちゃんと手入れしていれば向こう三十年は使えるだろう。
素材も一級品を使っているから、戦闘用としても手を外傷から完璧に守ってくれそうだ。
お値段相当したんだろうな。
「実はそれ、僕の手作りっす!」
クジラさんすごっ!
クジラさんは親指をグッと立てて、茶目っ気いっぱいに笑う。
クレイは無視して藪を刈っている。
そうか、クジラさんもクレイそっくりで手先が器用なんだな。
なんだか血の流れを感じる。
まあ、クレイとクジラさん親子説は僕の勝手な思い込みかもしれないけれど。
これで、クジラさんはクレイのお父さんの双子の弟でしたとか、赤の他人でしたってことになったら恥ずかしい。
クレイはぶかぶかの手袋をはめたまま作業をしているけれど、それでも手際よく障害物を撤去していた。
一方でクジラさんはマイペースに見える動きで、効率的且つ素早く道を整備していく。
クジラさんが通った後の道は、クレイが時間をかけて整備していた道よりも綺麗だ。
何者だクジラさん。勇者だけど。
「あと少しで藪の撤去は終わりっすね。そしたら敷石を置くんでしたっけ?」
「おう」
クジラさんの感情は読み取れないけれど、常に笑顔を浮かべていて、和むような会話がしたいのは薄々わかる。
だけど、肝心のクレイはそんな空気に持っていく余裕もなく、さっきから不愛想な対応を続けている。
クレイは最初みたいにクジラさんに苦手意識を持っているわけじゃない。
むしろ、クジラさんのことをもっと知りたいと思っている。
クレイをクジラさんに対して積極的にさせない要因は二つある。
一つはクジラさんがクジラさん自身の魂の感情を、常にごちゃまぜにして話しているから。
昔から人の良し悪しを無意識に相手の心を読んで決めていたクレイにとって、心が読めないクジラさんは未知の恐怖の対象だ。
これは互いに怖いけれど互いに知りたいから、ゆっくり関係を持っていこうってことで半分解決した。
もう一つの要因は、クジラさんが僕に向けている拒絶感だ。
クレイにとっての僕は、生まれて初めての心の支え。良き理解者。大親友。
僕を拒絶するクジラさんは、クレイにとって苦手意識を持ってしまうのも当たり前だ。
大好きな豆スープを、横から「人の食い物じゃないから別の物食いなよ」「もっと美味しいものあるよ」ってひたすら言われたらぶちぎれたくなるだろう。
それがさっき僕と喧嘩したクレイだ。
一方で、クジラさんは僕と九年前からの知り合いだ。
もっとも、知っているのは前世の記憶を覚えていない時の僕だけれど。
悪逆非道の限りを尽くし、人類を滅亡の一歩手前まで追い込んだ究極の魔王。
九年前の大戦の被害者数は一億近く。それ以外は僕がこの世界に生まれてから数百年をかけて何億も。
クジラさんほどの実力者ともなれば他者の心が読める。
僕と出会ったその一瞬で、僕の下劣な性格が全て理解できたはずだ。
命を玩具も同然に見下している、魔王の卑しい性格が。
クジラさんにとって、僕は最上級に危険人物だ。クレイが僕に心を開いているのを邪魔したい。
クレイにとって、僕は家族に匹敵する大親友だ。僕との関係を否定する人は苦手だ。
壊滅的に気持ちがすれ違っている。
全部僕のせいだ。
せっかく九年ぶりに再会した親子の間を、僕という存在がぶち壊している。
いや、最初から壊していたけれど。
僕がいなければ、クレイの母親も死ななかったんだ。
「うし!作業終わったっす!あとは敷石っすね!」
道整備の作業を終えて、腕をほぐしながらクジラさんがやってくる。
クレイは黙ったまま手袋を外し、クジラさんに渡す。
「いらないっすよ。この後も作業はありますし、クレイくんがつけていてください。というかあげるっす」
「いらない」
「えー、結構良い出来なんっすっけど……」
受け取るのを渋るクジラさん。
クレイは無言の圧力で手袋をクジラさんの胸に押し付けている。
うーん、これは僕としてもクレイに正直に受け取ってほしい。
『本当に要らないの?クレイが要らないなら別にいいけれど』
『だって、初めてこんな風に物を受け取った。どうやって使ったらいいかわからない』
苦手意識もあるけれど、クレイなりの遠慮でもあったみたいだ。
『もらった物は大事にしまうのもいいけれど、いつか捨ててしまうまでボロボロに使い古すのが正しい道具の使い方だよ。クジラさんも、クレイが手袋を受け取って、使ってくれたら喜ぶと思う』
クレイは少し考えてから手を引くと、手袋を手にはめなおした。
「あんたがそんなに言うなら貰っておく。ありがとう」
そっぽを向いて照れ気味にお礼を言うクレイ。
クジラさんもこれにはにっこり。
だけど、クジラさんの内心は穏やかじゃない。
僕がクレイに話しかけると、決まってクジラさんの方向からピリピリとした重い空気が漂ってくる。
クレイには感じ取れないほど、ほんのわずかな殺意。
わかってるよ。クジラさんがクレイを心配なのは。
僕だって本当は何も口出しせずにクレイに判断をゆだねたいけれど、クレイは人間関係においては初心者中の初心者だから、誰かが導いてあげないとまだわからないことばかりなんだ。
僕も初心者だけど。
「よかったっす。じゃ、敷石に使う石でも探しに行きますか!クレイくん、目星はあるんっすか?」
「あっちの方に岩場がある。それを砕いて使おうと思ってた」
「了解っす!じゃあ早速向かいましょー」
クレイが方角を指さすと、クジラさんは上機嫌に足を進めた。
クジラさんの能天気な性格と、クレイの友人以外への寡黙な性格。似てないな。
もしも、クジラさんのこの表向きの性格は作っているものであって、本来はクレイみたいなクールな性格だとしたら、なんか面白いな。
*
作業中の道から岩場まで、少し歩いて数分ほど。
一、二回ならなんともないけれど、重い石を持って何度も往復するにはしんどい距離だ。
岩場には真っ白い岩がいくつも積み重なっていて、どれも敷石にするには大きすぎて凸凹している。
先ほどまで岩を平らに砕いて運んで地面に敷いて、の作業をクレイ一人に、しかも何十往復もさせる予定であったのを考えると申し訳ない気分になる。
今はお父さんが一緒だからね。頑張ろうね。
「いやー、白!いいっすね白!」
一方そのお父さんは、その辺の白い岩に抱き着いて頬擦りしているけれど。
奇人変人に天才は多いって聞くけど、傍から見ている人にとっては気が気でないよ。
「あんた、全身真っ白だし、白色が好きなのか」
珍しくクレイの方から話しかける。
いいぞ。こうやって少しずつ心の距離を縮めていこうね。
「そうっすね!白大好きっす!白は目立つし、かっこいいんで!それに、何色にも染まれるんっすよ!まさに自由の色っすね!」
そういってクジラさんは手のひらくらいの白い石を持ち上げると、まるで小動物を愛でるようになでなでし始めた。
クレイはクジラさんの言葉に納得はしているけれど、行動には納得がいかずに唸っている。
「それに、白は僕の奥さんの大好きな色なんで」
クジラさんは最上級の満面の笑顔を見せる。
そっか、クレイの両親は夫婦揃って白色が大好きか。なんかいいな。
「奥さんいたんだ」
「そりゃもうべっぴんさんっすよ!器量よしなうえに温厚で優しくて!子供が大好きで、生まれる前なんかずっと子供と一緒にやりたいことリストをまとめてたんっすよ!『この子が生まれてきたらきっと貴方みたいに何でもできる子に育つわ』なーんて、親ばかな所もかわいかったっすね!」
妻自慢に火がついたクジラさんは延々と話し続ける。
僕からするとクレイの母親について話が聞けるとても有意義なお喋りだ。
それをクレイは。
「コドモ、イタンスネ」
うざったそうに聞き流している。
クレイ、他人事に聞こえるかもしれないけれど我慢して聞いて。
君のお母さんの話だよ。
ふざけて話しているけれど、旦那が力説するからには有力情報だよ。
クジラさんは一通り妻を褒めちぎり終えると、一息ついた。
「でも、二人とも『悲劇の一年』で失っちゃったんっすけどね」
あたりを秋の終わりの寂しい風が通り過ぎていく。
クジラさんの捉えることのできない、いい加減な心の動きが、止まった。
哀の色で、染まっていた。
それは、クレイにもしっかりと伝わるほどに。
「……ごめんなさい」
「クレイくんは封印の器でしょ。僕と同じく被害者っす」
クレイは俯いたまま、複雑な感情を抱えている。
明確な僕の被害者と初めて出会って、その言葉の重みを噛みしめている。
今まで適当に理解していたつもりの僕の罪に直面した。
クレイの否定したいけれど認めなければいけないという板挟みの気持ちが伝わってくる。
無言の時間が流れる。
黙ったまま動かない二人を、冷たい空気が包み込む。
僕という存在のせいで、二人の心がざわついている
「……もしさ」
クレイが沈黙を破って声を出した。
「もし、さ。魔王が悪い奴じゃなくなってたら、クジラは許す?」
「許さないっす」
即答だった。
クレイの中では、どうしても僕を悪者にしたくない気持ちが働いて、クジラさんにも僕が良い奴って知らせたかったみたいだ。
だけど、現実はそううまくはいかない。
「魔王が今更反省しても、エミリカは帰ってこないっす。失われた数億の命は戻ってこないっす。人々が受けた苦痛は消えないっす」
クジラさんは手にしていた石を砕くと、砂になるまで手のひらですりつぶして、風に乗せた。
クレイはそれでも僕をクジラさんに認めさせたかったみたいで、大きく一歩踏み出すと真剣な表情で言い放つ。
「もし、魔王が心の底から自分の罪を深く反省していたら!今は非の打ちどころもない善人に生まれ変わっていたら!少しくらい、許してやっても……!」
「じゃあなんでみんな死ななきゃいけなかったんだ」
先ほどまでの浮かれた声から、一際離れた沈んだ声で、クジラさんは言い捨てた。
「なんで、最初から善人でいてくれなかったんだ。仮に、封印された直後から善人であったとしても遅すぎる。この怒りは、俺一人の怒りではない。失われた人々とその遺族全ての総意だ」
クジラさんの心からの怒りが僕を追い詰める。
それを言いたいのは僕の方だ。僕だって生まれた直後から前世の記憶を持っていれば、今世の僕の両親を殺めることもなかっただろうし、今頃心優しき魔王としてこの世に君臨していたかもしれない。僕だって、クレイの家庭を壊したかったわけじゃない。もちろん、その他大勢の幸せを崩したかったわけじゃないんだ。僕は普通の人間に生まれて、健康的な体を持ち、優しい家族と友達がいればそれで十分だった。誰も魔王なんかに生まれたくなかった。僕だって被害者だ。
と、言いたい。
言わせてほしい。
逃げたい。この罪の重さから。
今まで、自分が背負った罪の重さを理解し、それ相応の報いを受けることをいつでも受け入れられる気でいた。
それが償いきれない僕の罪の重さだとわかりきっていたつもりでいた。
でも、実際にこうして被害者の怒りの声をぶつけられたら、耐えきれなかった。
言葉の重みが、違う。
僕の軽い覚悟なんかじゃ、支えきれない。
「……悪い」
ダメだよクレイ。これは僕の罪だ。クレイが謝る必要なんてどこにもない。
悪いのは全て僕だ。魔王アギラディオスだ。
だから、謝らないで。クレイ。
クレイは、全てを差し置いた態度で足を揃えると、クジラさんに向き直って笑顔を作った。
「でも、俺は今の良い魔王、アギラが好きなんだ」
雪が降ってきた。
真っ白な、冷たい雪が。
クレイは、笑顔を悲しみで崩しそうにしながらも耐えていた。
クジラさんは、それをただ無表情で見つめていた。
「アギラはさ、いっつも自分を責めててさ、ことあるごとに自分のせいにするんだ。俺は今までアギラに罪なんてないって、心のどこかで信じてた。子供一人の家庭を壊したくらいでうじうじするような男が、史上最悪の魔王であるわけないって。だけどさ、あんたが今全部教えてくれた。アギラは悪い奴だ」
クレイは足元に転がった石を掴むと、握って自分の胸に押し当てる。
「でも、それでも、俺は、アギラを親友として大好きだ!他の人が許せなくても、過去の罪が消えなくても、あんたがアギラを殺したいほど憎んでいても!俺は、今のアギラを信じてる!もう二度と、アギラは人をいたずらに殺めるようなことはしない!」
クレイは、石を優しく握る。
決して間違っても砕かないように。
「俺が盗賊に襲われて死にかけても、アギラは怒り任せに盗賊を嬲り殺すようなことはしなかった。俺が、人を傷つけるのを嫌ったから加減してくれた。あんたはアギラを認めなくてもいいよ。あんただけじゃなく、他のみんなも。俺だけは、アギラの友達であり続けるから。独りぼっちの俺を支えてくれたように、俺もアギラを支えるから」
クレイは泣きそうな顔になりながら握っていた石をクジラさんに手渡す。
クジラさんは受け取った石を手のひらに乗せたまま、じっくりと石を見つめている。
クレイは、僕の折れかけた心を支えてくれた。
僕の今まで働いた悪事を含めて、それでも友達だと認めてくれた。
十分だ。ありがとう。
でも、僕の罪は消えないよ。
クジラさんが僕を許してはくれないように。
「アギラディオス、お前はどこまで俺の大事な物を奪うんだ」
クジラさんの冷たい言葉が刺さる。
クレイは被害者のクジラさんの手よりも、加害者の僕の手を取った。
それが許せないんだろう。
わかっています。
貴方の心の痛み、いくらでも僕にぶつけてください。
いくらでも僕を憎んでください。
僕を呪ってください。
僕は、全て受け止めます。
「ねえ、アギラディオス、聞いてる?」
ん?どうしたのクレイ。
って、今のはクレイじゃない!クジラさんの方だ!
「僕さ、君のことは許せないっす。しかし、クレイくんが君のことをこれほど認めるのなら僕は二人が交流することを認めるっす。だけど、いつでも見張っているっすっからね」
クジラさんはへらへらと口調だけれど、しっかりと芯のある声で僕に警告した。
許しはしてくれなかったけれど、クレイと仲よくするのは認めてくれた。
僕もクレイも、ただ無遠慮に喜ぶわけではなく、クジラさんの言葉の重みを噛みしめた。
「……アギラディオス、起きてるんっすか?返事ないんっすっけど」
クジラさんは訝し気な顔をしながらクレイから受け取った石を適当に放り投げる。
返事と言われたって。
『どうしよう、クレイ。代わりにわかったって伝えてくれる?』
「あ、ダイジョブっす。そうやって強く思いを念じれば届くんで」
ブルータス、お前もか。
どうやらクジラさんもアルと同じように他者の魂の念を感じ取ることができるようだ。
てっきりクジラさんは僕とクレイが会話しているのはわかっても、会話内容までは理解していないと思っていたのに。
僕はその能力のせいで聞きたくもない心の声を拾ったりして慢性的なストレスになりそうで心配だよ。
「アギラの声がわかるのか」
「そうっすね。さっき、僕の手袋を受け取るかどうか迷ってた時も聞こえてたっす。クレイくんも素直じゃないっすねー」
「聞くなよ!」
クレイが恥ずかしそうにクジラさんに向かって怒鳴る。
平和だな。
僕はこの会話に入るべきではない。
「ねー。アギラディオスもクレイくんのこと、まだまだかわいい子供だと思うっすよねー」
『なんで僕に話題振るの!二人で話しなよ!』
「なんでって、せっかく三人いるんで」
クジラさんは口を尖らせてとぼけた態度を見せる。
僕のこと許してもないのに、よくそうやって自分の魂の感情を騙して言える。
本当は殺したいほど憎いはずなのにね。
「アギラのこと、許してないんじゃなかったのか。どうして普通に話しかけられるんだ?」
クレイは僕の聞きたいことを代弁してくれた。
「どうしてって、今のアギラディオスは何もできないんで。僕もアギラディオスにできることは何もないんで。言葉だけしか交わせないのならそれ以外のことでいがみ合っても無駄っしょ」
顔に人差し指を当ててけらーっとした笑顔で話すクジラさん。
割り切ってるなぁ。
心が読めないせいで本心かどうかはわからないけれど。
『……クジラさんが良いなら、僕も話に混ぜてもらってもいいですか』
「いいっすよ!あと、敬語嫌いなんでタメで!」
自分が敬語モドキの喋り方をするくせによく言うなぁ。
まあ、本人が望むなら僕も言うとおりにするけれど。
『じゃあ、改めてよろしく、クジラさん』
「うっす。なんかゴツイ声している癖に優しい声色っすね。九年前はひたすら邪悪って感じの声でしたけど」
『しょうがないじゃん。反省したらこうなったんだよ僕も』
今度はクレイが置いてきぼりになっている気がするけれど、クレイは自分以外と会話する僕の様子を見て、なんだか幸せそうに感じている。
しかし、少しして疑問が頭に浮かんだらしい。
「二人は会ったことがあるのか?邪悪な声って知ってたみたいだけど」
『えーっと、九年前』
「九年前に滅ぼした村の中に僕の故郷があったんっすよね!その時の戯れで見逃された時に少し会話しただけっす!」
クジラさんは慌てて即席で作った設定を披露した。
やっぱり、自分が勇者であることとクレイの父親であることは隠したいのかな。
クレイはこの説明でも納得してくれたようだ。
一応、本当に隠したいのか聞いておこうかな。
『クジラさん、僕らの出会いをもっと詳しく話しておく?』
「いんやー、いいんじゃないっすっかね。ほんの一瞬でしたし。アギラディオスと勇者様との闘いを話した方が絶対面白いっすよ」
あー、隠してほしいんだなっていうのが伝わってくる。
クジラさんの心は読めないけれど、勇者と自分を他人のように語ってる部分から察せられる。
ならやめておくか。これからもクジラさんからの許可が無い限り話さないようにしておこう。
「そういえば、勇者様ってどんな人だったんだ?」
おっと、クレイの好奇心に火がついてしまった。
興味津々で僕らに問いかけてくる。
まずいな、クジラさんは自分のことだから話すの嫌だろうし、僕も記憶の中から適当に特徴を拾って言ってしまったらクジラさんの特徴と一致してしまいそうだ。
だからと言って嘘もつきたくないしな……。
「自然魔力の適合者で、自然魔法を好んで使っていたらしいしか知らないっすね。アギラディオスは技見たことあるっすか?」
クジラさんは顎に手を当てるとぼんやりと特徴を思い浮かべながら語る。
なるほど、まだクレイの知らないクジラさんの情報から引っ張ってきて、当てはめないように話すのか。
『そういえば僕が倒された時も自然魔法と刀攻撃を合わせた技を使っていたな。目にも止まらぬ連撃で、本気を出していない僕はあっという間に封印されたよ』
「へぇ、アギラが本気出してたら封印されていなかったのか?」
『そうかもね。出さなくてよかった。おかげで封印されたし』
ほんと、クジラさんを誤って倒していたらこの世は終わっていたかもしれない。
人類の消えた世界を想像すると鳥肌が立つ。
クレイは話を聞くと腑に落ちたようで、少しわくわくした表情をしていた。
「ばえっぐしょーい!」
うわぁ、クジラさんの馬鹿でかいくしゃみ。
そうか、もう夕方か。
岩場に来てからどのくらい経っていただろうか。
僕らは作業することもなく話し合いで時間を潰してしまった。
『雪も降っているし今日はもう敷石の作業はできないね。帰ろうか』
「そうだな。クジラ、俺の家は近いからこのまま帰るけど、クジラはどうする?」
クレイは手のひらを天に向けて落ちてくる雪の結晶を乗せながらクジラさんに問いかけた。
「そうっすね、クレイくんの家に泊まるっす」
「わかった。……は?」
クジラさんと出会ってからクレイのキレ気味の「は?」をよく聞くようになった気がする。
「実は僕、人の多いところ苦手なんっすよねー。だから、村や町に泊まるのが嫌で普段は野営しているんっすっけど……寒いの嫌なんで、冬の間だけお邪魔してもいいっすか?」
クジラさんは茶目っ気たっぷりの笑顔を少し申し訳なさそうに崩しながら、両手を合わせてお願いをしてくる。
クレイは呆れた顔で深くため息をついた。
「冬の間くらい我慢して村に泊まれよ」
「嫌っすー!寒いのも人が多いのも嫌っすー!」
「うちの村、人少ないから大丈夫だって」
「嫌っすー!クレイくんの家がいいっすー!」
うわぁ、大の大人が駄々こねながら子供の足にしがみついている。
精神的にグロい。えぐい。
クジラさんの気持ちを考えるとおそらく久々に会った息子と一緒に暮らしたいっていうのと、村の人たち……特に村長たちには面が割れているから会いたくないっていうのが胸の内だとは思うけれど。
それにしたって、そこまで自分のプライドを捨てて子供に泣きつけるものなの?
勇者としてのプライドはないのか。
助け舟を出してあげるか……。
『クレイ、かわいそうだし泊めてあげようよ。もう一人くらいは住む余裕があるし』
「アギラまで……。わかったよ。泊まれよ。狭いしなんも無いし寒いけど」
「やったー!クレイくんありがとっすー!アギラディオスも説得感謝するっすー!」
両手を上げてはしゃぐ三十二歳男性。
世の中には子供みたいな演技をする三十路のおじさんもいれば、この世の万物を理解し悟る生後数日のスライムもいる。
まあ、人類を滅ぼしかけた魔王が前世の記憶を取り戻して考え方を改めたりもしているんだから、どんな奴がいるかわからないね。
僕らは荷物を整理すると岩場を後にして帰路についた。
道中、相変わらずクジラさんは賑やかだったけれど、おかげで一切退屈せずに帰ることができた。
クジラさんは現在の各地の状況を話してくれた。
既に復興した地域もあれば、壊滅状態の地域もまだまだたくさんあるらしい。
だけど、魔王軍は何者かの手によって滅ぼされ、これ以上被害が広がる心配はないと説明してくれた。
クジラさん、僕の跡片付けありがとう。そして、お疲れ様。
*
「こんなのただの小屋じゃないか!」
家に着いて早々、クジラさんの第一声。
ショックを受けた表情で固まった後、走り出して家の周りを一周して戻ってきた。
「こんなの家じゃない!大人は何考えてクレイくんをここに住まわせているんだ!」
感情の操作も忘れて怒り全開だ。
そりゃそうだ。愛する我が子がこんな劣悪な環境で九年間も過ごしていたと知れば、どんな親も黙っていないよ。
いいぞ、もっと言ってやって。
「俺の父親代わりの男がここに住まわせている。俺の中には魔王がいるからって、自分まで村の非難の的にされるのが嫌だからだ」
クレイの言葉を聞いてか聞かずか、クジラさんは家の扉を勢いよく開けると更に絶叫する。
「家具少な!机と椅子だけ!?調理台もおんぼろだし、寝床は……薄っぺらい布生地が敷いてあるだけかよ!!」
クレイの寝床の布を叩いて確認しながらキレるクジラさん。
我を忘れてキレ散らかしている。
全くだ。全く全てその通りだ。
「食料は……あ、明日になったら買いに行くんっすっかね?」
調理台の脇に放置された少量の豆と芋を眺めて、念のため他の場所も探しながら問いかけるクジラさん。
ついでにまだ半分残っている干し魔猪肉を見つけて少し安心した表情を見せる。
「いや、俺は嫌がらせで食料を買わせてもらえない。豆と芋は毎回父親代わりの親が送ってくるものだ。それも、最近は怒らせてしまったせいで量を減らされたけど。次届くのは四日後だな」
クジラさんは無言で力強く拳を自分の膝上に打ち付けた。
派手な衝突音が部屋中に響く。
怒りでやり場のない感情を自らの拳に込めて、自らの足に当てた。
一瞬でも安心した自分を叱りたかったのかもしれない。
「残酷すぎる……こんなの、人が住む環境ではない……」
一通りクレイの家を見学したクジラさんは、悲しみと怒りに満ち溢れたモンスターになってしまった。
今、村長やあの父親面した男が出てきたら、十中八九消し炭にする。
この様子のクジラさんとさっきまでのクジラさんを他の人に見せたら、絶対に同一人物とは思わないだろう。
「気にするな。慣れてる」
「クレイくん……」
クジラさんはそっとクレイに近寄ると、膝をかがめてクレイを優しく抱擁した。
「な、なんだよ!離れろ!」
クジラさんの予期せぬ行動にじたばたと暴れるクレイ。
「この環境に慣れないでください。君はもっと、幸せになっていいんっす」
クレイは暴れるのをやめると、大人しくなった。
幸せの意味を考えている。
「クレイくん。君に家族はいなくても、年相応に遊んで、年相応に学ぶ権利はあるはずっす。そして、美味しい食事をとる権利も、十分に体を休めることができる環境を手に入れる権利も。それができていないのは周りの大人たちの責任っす。大人たちが無責任なせいっす。例え今が十分に感じていても、クレイくんは今よりもっと幸せになれるはずっす」
クジラさんはクレイに向かって子の在り方を諭す。
推測だけど、クジラさんのいう無責任な大人の中には、クジラさん自身も含めて言っているんだと思う。
クレイは心の中に曇りを浮かべて、しっくりこないながらも真剣に聞いている。
「じゃあ、幸せってなんだ?」
「うーん、今から一気にこの環境を正すのは骨が折れるので、今日はできることだけやっちゃいましょ」
そういうとクジラさんは屈んだままクレイと目を合わせてにっこりと笑った。
ああ、こうしてみるとクジラさんの目は、クレイとよく似て切れ長で綺麗な青い目だ。
「じゃ、少しの間ご飯食べずに待っててほしいっす!」
クジラさんは立ち上がると、転移魔法を使って一瞬でその場から姿を消した。
クレイは何が起きたのかさっぱりという顔で立ち尽くしている。
「な、なんなんだよアイツ」
『さあ。僕にもわからない。でも、言われた通りに待ってみようよ』
クレイはしっくりこないまま椅子に座ってクジラさんを待つことにした。
『なんで、あんなに怒ってたんだろう』
『この環境が劣悪すぎるからだよ』
『だからって、なんでクジラが怒るんだよ』
父親だからだよ、とは言えない。
うーん、どう説明したらいいかな。
クレイからすればクジラさんとはまだ知り合ったばかりの他人だから、衣食住を心配される理由がないんだよね。
父親とは言えないとなると、それに置き換わる友好的な関係……。
『クジラさんにとって、クレイはもう親友も同然なんじゃない?』
クレイは呆気を取られた顔で固まった。
そして正気に戻ると首を横にぶんぶんと勢いよく振る。
『いや、おかしいだろ!俺とクジラは出会ったばっかりだし、まだお互いに何も知らないし』
『仲良くなるのに時間は関係ないよ。僕らだって、一瞬で打ち解けたし。それと、知らない物を拒絶する人は多いけれど、その逆が存在しないわけではないよ。クジラさんの場合、まずは相手と仲良くなってから知ろうとするタイプかもしれない。それで、もうクジラさん的にはクレイと親友になった気でいるんじゃないかな』
クレイは唖然としたまま言葉を失う。
そのまましばらく、無音の時間が続いた。
次の瞬間、家の中に転移魔法の魔法陣が展開され、クジラさんが転移してきた。
片手には野菜などが入った布袋をぶら下げている。
転移先で買ってきたのかな。
「お待たせっすー!さ、晩御飯にしましょー」
言葉を失っていたクレイはクジラさんの帰還によってようやく正気に戻った。
クジラさんはにこやかに笑いながら調理台のもとへ歩いていき、布袋の中身の食材を鍋にバッと広げる。
そして、自分の荷物の中から塩コショウ、他香辛料を取り出すと、切ってもいない食材に向かって振りかける。
「え、何やってんだよ」
クレイはクジラさんが何をやっているのかさっぱりわかっていない。
クレイの様子は気にも留めず、クジラさんは続いて穀物の粉と水を鍋に注ぎ込む。
「これも入れちゃいましょうか」
クジラさんは干し魔猪肉を一切れ手に取ると、同様に鍋に放り込む。
最後に自分の荷物の中から一本の巻紙を取り出すと、広げて鍋の上へかざした。
「今から面白いことが起きるんで、目を離さないでくださいねー」
クレイも何が起きるか興味があるようで、椅子から立ち上がって鍋の傍に寄る。
僕はなんとなく何が起きるかはわかっているけれど、これは何度見ても楽しい。
「さあ、いくっすよー!」
クジラさんは合図と共に手にしていた紙に魔力を込める。
すると、紙の表面には魔法陣が浮かび上がり、魔術式が構築されていく。
鍋の中の野菜と肉は、僕らの手が加わることなく勝手に細切れに刻まれていき、同時に穀物の粉は水を使ってこねられていく。
火を使っていないのにも関わらず、部屋の中には野菜や肉の炒められる香りが広がっていく。
野菜と肉に熱が通っていっているんだ。
そして、穀物の生地が四つに分けられ、それぞれの中に炒め終わった具材がスポンと入っていく。
最後に生地の表面にいい焼き色がついて、魔術式が収まった。
料理が完成したんだ。
「はい、完成っす!ここから遠く南の地域の田舎料理『ポポマサ』っす」
クレイは初めてみる複製魔法紙に目を輝かせている。
複製魔法とは本や料理などを複製するための魔法で、クジラさんの持つ複製魔法紙は効率的に複製できるように複雑な魔術式が組まれた特殊な魔法紙のことだ。
複製魔法は単体でも使えるけれど、単体で使う人はまずいない。
複製魔法だけで使うとレシピを見ながらその通りに物を作っているだけになるからだね。時間もかかるし余計な魔力を使う。
一方で複製魔法紙はこれ一つで工場みたいな役目がある。材料と少量の魔力があれば量産し放題。その分、この魔法紙自体が滅多に手に入らないけれど。
「すごい……これ、俺も使えるのか?」
「もちっすよ!魔力の込め方さえわかっていればずっと使えるっす!今度、魔力の込め方を教えましょうか?」
「いいのか?じゃあ頼むよ」
クレイは期待を胸に躍らせながらクジラさんに笑顔を向ける。
クジラさんは同じく笑顔をクレイに向けて、クレイの頭を撫でた。
クレイは頭を撫でられるとキョトンとした顔のあと、顔を赤くして大人しくなった。
魂ではなく肉体の頭を撫でられたのは初めてだろうからね。
そりゃ照れるよね。
「さ、冷めないうちに食べるっすよ。僕は大人だから二つ、クレイくんは一つ、んでそこの小さいお友達は一つっすね」
クジラさんは自分、クレイと順に指をさした後、最後に試練の箱を指さした。
小さいお友達、そう声をかけられた中のアルビノスライムは、ゆっくりと箱の中から滑り出てくる。
「これは失礼しました。私はこの場では不要かと思っていたものでしたから、姿を現さずに身を潜めておりました。私の名はアルステム。アルとお呼びください」
「わお、思った以上にかっこいい声っすね!」
アルはぷよぷよと床を這いながらクジラさんの傍まで寄ってくる。
クジラさんは寄ってきたアルを持ち上げると興味深そうに観察する。
「特異種、アルビノのスライムっすか。綺麗っすね!僕、白色大好きなんっすよ!それに、中の赤い核も素敵っす!」
クジラさんはアルを気に入ったようだ。
対するアルも、いつも通りの心模様をより一層明るくさせる。
「貴方は私の特異種たる由縁を好意的に思ってくださるのですね。では私も好意を向けましょう、貴方の抱えている魂の」
「転移魔法!!」
突如アルの言葉をかき消すようにクジラさんが叫ぶと、アルごとクジラさんがどこかへ消えた。
転移魔法は別に叫ばなくても発動するんだけど……。
「え、どうしたんだクジラ」
残された僕とクレイは困惑を隠しきれない。
え?何?アルが何か余計なことでも言おうとした?
貴方の抱えている魂の……なんだろう。
魂の繋がりとかいって、クレイとクジラさんが親子であることを暴露しそうになったとか。あり得るな。
とにかく、僕もわからない以上、下手なごまかしはクジラさんの足を引っ張る。
ここでクレイの疑問への答えは一つ。
『さあ。僕も知らない』
*
晩御飯を食べるのを我慢して待っていたら、ポポマサが冷めるよりも前にクジラさんとアルは転移魔法で戻ってきた。
アルもクジラさんもいつもと変わらない心模様だ。
「二人ともどこに行っていたんだ」
『せめて何か言ってから飛んで行ってよ』
クレイは突如説明も無しに飛んで行った二人を、椅子に座って不満そうに出迎えた。
僕も同調して不満そうに言っといた。
「いやーすいませんっす!アルくんと二人きりでお話したくなったもので」
「楽しい対談でした」
たはーっと笑いながらアルを抱えていない方の手で頭をかくクジラさん。
アルはぷよんと机に降りると上機嫌に机の上をぽよぽよ這いまわる。
「いいけど、こっちは待ってた」
ポポマサを手にしてクジラさんを睨むクレイ。
クレイは初めて見る料理を早く食べてみたいようだ。
僕もポポマサの味が気になる。
「そうっすね。じゃあ早速食べましょうかー」
クジラさんは試練の箱を引っ張ってくると、横に倒して椅子替わりにして座った。
アルが気にするかと思ったら、無視して鍋から自分の分のポポマサを引っ張り出していた。
さて、みんなに食事が行き渡ったし、遅くなったけれど晩御飯だ。
早速みんなでポポマサに齧り付く。
少し冷めてしまっているけれど、普通に美味しい!
まさに田舎の家庭の味といったところだ。
ちょっと薄味だけど、スパイスが聞いてて香りも良い。
このくらいなら僕も嫌いじゃないな。
『美味しいね、クレイ』
「美味い……こんな食べ物があるんだ」
クレイにとってもちょうどいい味のようだ。
アルも丸ごと体に取り込んで、ぽよぽよと体で喜びを表している。
「お口に合ったようで何よりっす」
クジラさんは僕らの様子を見ながら満足そうに笑っている。
まるで僕らのお父さんのように。
クレイは夢中でポポマサを食べ進める。
「そんなに急いで食べなくても、勝手に無くなったりしないっすよー」
とか言いながら、クジラさんは自分の分のポポマサを手のひらから消してみせた。
「魔法か?」
「なんでも魔法で片付いちゃうのは寂しいっすねぇ……」
クレイが全く気にしない様子を見て、クジラさんはがっくりと肩を落としながらどこからかポポマサを取り出した。
今のは手品かな?
そっか、この世界で手品なんかができても、魔法でいくらでも騙せるからみんな驚かないもんね。
じゃあなんで手品なんか覚えているんだろう。
「なあ、クジラ」
クレイは食べる手を止めて、クジラさんに話しかけた。
クジラさんはむっしゃむっしゃとポポマサを食べながらクレイに向き直る。
「俺とクジラって、親友、なのか?」
聞いちゃうのそれ。
クジラさんがもし否定しちゃったら僕が困るんだけれど。
クジラさんは口をもぐもぐさせながら手を前に出して待ってとジェスチャーする。
そして、口の中の物を全て飲み込むと一息ついてから口を開いた。
「大親友じゃないんっすか?」
「は?」
クジラさんは、うるうるとした悲し気な目でクレイを見つめる。
正直三十路のおじさんのそれはきついよ。
本日何度目かのクレイの怒りの「は?」も聞けました。
だけど、クレイも満更じゃないみたいだ。
心の喜びが隠し切れていない。
「大親友って、それ、本気で言ってるのか」
「えー、本気っすっけど。だって、クレイくんと一緒に居て僕楽しいんで!」
親指をグッと立てると頬を赤らめて笑うクジラさん。
クレイはクジラさんの言葉に妙に納得したのか、それ以降ずっと幸せそうにポポマサを食べていた。
僕らは食事をしながら和やかに談話した。
クレイの明日の作業予定、アルの哲学話、クジラさんの旅話。
僕は聞き手に回った。
僕の話のレパートリーは拷問、破壊活動、死に際の人々の命乞いポエム集と黒歴史ばっかり。
しかも、話したら確実にクジラさんの逆鱗に触れる。
答えは沈黙。僕はただ微笑んで相槌を打っているだけでよい。
それが正解……この和やかな空気を守る唯一の盾……。
だけど、こうしてみると、クジラさんとクレイは本当の親子だとして、僕とアルも含めての一家団欒のようだ。
お父さんとその息子たち。
アルはどっちだろう。というかどれかな。お爺ちゃん?いや、家の守り神かな。
とにかく、僕らは家族のように、この幸せな時間を共有している。
温かい。
この家族は、とても良い。
クレイも楽しそうに話して、話を聞いて。
なんて温かいんだろう。
それでも、僕の壊した物とは違う。
代わりにはならない。
クレイのお母さんの代わりは誰もいない。
この場では、唯一それだけが欠けていた。
*
「寝袋で寝るのは初めてだ」
食事を終えて寝る準備を済ますとクジラさんはクレイに寝袋を貸してくれた。
クレイは寝袋に包まれて幸せそうに眼を閉じる。
クジラさんは代わりにクレイの寝床で眠る。
クレイは申し訳なさそうに断ったけれど、断ったら外で寝袋無しで寝るってクジラさんが駄々をこねたから、渋々従った。
今日は初雪が降って寒いだろうに、よく寝床を交換してくれたね。
父親やってるね。立派な人だ。
アルはいつも通り試練の箱に入って、今日ももうおしまい。
「おやすみ、みんな」
『おやすみ』
「おやすみっすー」
「皆様方おやすみなさいませ」
それぞれの挨拶を最後に、今日は終わりを告げた。
はずだった。
クレイは寝たまま、僕の魂だけが目を覚ました。
クレイの体が僕の意思で動かせるように……なっていない。
今は、僕の意識だけが覚醒していて、クレイの体も魂も寝ている状態。
「アギラディオス」
僕を呼ぶ声が聞こえる。
クジラさんの声だ。
「やっと、クレイ抜きで話せるな」
そうか、クジラさんが僕だけを起こしたんだ。
僕の意識だけ覚醒させるって、どの魔法を使ったんだろう。
何はともあれ、クジラさんは僕に話しがあるようだ。
いつもと違った真面目な声色と、嘘偽りない怒りの感情。
今のクジラさんは、素のクジラさんだ。
『どうしたの、クジラさん』
「お前には全部話しておこうと思った」
クレイの体も眠ってしまっているから、目を開けて周りの様子を見渡すことは出来ない。
だけど、気配からクジラさんがクレイのすぐ横にいるのはわかった。
『全部っていうと、クレイのお父さんのこととか?』
「そうだな。何から話すか。俺の話からでもいいが、お前の話も聞かせてもらおうか」
『僕の話っていうと?』
「どこで改心した」
クジラさんの声には怨念がこもっていた。
クレイの問いにも僕が反省してても許さないって即答するほどだから、何を答えてもこの気持ちは変わらないだろう。
じゃあ、僕は正直にいうまでだ。
『封印された直後』
「……エミリカ、俺の妻、クレイの母親が死んだ直後か」
エミリカさん。そうか、夕方にも少し耳にしたけれど、それがクレイのお母さんの名前か。
そして、僕のクジラさんはクレイの父親説も確定した。
エミリカさん。
もし、僕がもっと早くに記憶を取り戻していれば死ななかった人。
唯一救えたかもしれない人。
封印の時の状況を思い返してみる。
僕は、記憶を取り戻してからエミリカさんが封印の術式を使って命を落とすのを見た。
だから、次の答えはこうだ。
『一回目の封印の直後、二回目の封印の直前だよ』
ダムが勢いよく決壊するがの如く、クジラさんの怒りが、憎しみが、悲しみが、後悔が。
ありとあらゆる負の感情が流れ出してきた。
「なあ、なんでもっと早くに改心しなかったんだよ。火種はなんだ?自由が奪われると知っての後悔か?俺に殺されるかもしれないという恐怖か?封印の術によって苦しむエミリカの姿を見て心を痛めてか?それとも、今のお前のソレは、全部演技か?せめて、一番最後の奴であれよ。そうすりゃお前を心の底から憎めるからよ……!!」
まるでクジラさんに首を絞めつけられているかのように、濃い殺気が僕だけを包み込む。
並の人間ならば、恐怖で気絶してしまうどころかショック死してしまうほどの殺気だ。
クレイとアルは平気だ。
綺麗に僕だけを包み込んでいる。
僕らが今、舞台上に居て、それを多くの人たちが見ているとして、クジラさんはどの答えを僕に望んでいると思う?僕に何を答えてほしいと思っていると思う?と問いかけてみる。
贖罪の言葉?全ての罪の詳細な懺悔?
いや、どちらも違う。
クジラさんの求めているのは真実だ。
それで、クジラさん自身が救われたいと思っているわけじゃない。すっきりしたいわけじゃない。
真実を知るのは過程ではなく、目的だ。
クジラさんが真実を知りたがっているならば、僕はそれに応えよう。
これは僕の罪の償いにすらならない、僕の自己満足だ。
僕は、僕の前世について語ることにした。
『クジラさんは前世って信じる?』
「……ふざけているのか」
『僕は前世の記憶があるんだ。生まれた直後からじゃなく、数百年生きた後で思い出したんだけど』
クジラさんは苛立ちながら僕の言葉を聞いていたけれど、途中で気づかされたような心の変化をみせた。
そして、同時に抱えていた感情が、怒りから絶望に変わっていくのも。
『そう。僕の前世の記憶が戻ったのは、一回目に封印された直後。僕もなんでそのタイミングなのかわからない。前世の僕は病弱で、娯楽が好きなただの青年だった。今の僕の性格は、その頃の僕の性格が濃い』
クジラさんの心は冷え切ってしまった。想定外の事実。一番認めたくない答え。
今の僕は昔の魔王じゃない。どうあがいても。
『僕さ、前世でも病弱なせいで友達いなかったし、家族も冷たかったからさ。前世の記憶が最初からあったのなら、この世界の人たちと仲よくしたかったんだ。あっでも安心してよ。僕と魔王が入れ替わったわけじゃない。僕はきちんと魔王としての記憶があるし、自分の意思で悪事を働いていた感覚をしっかりと覚えている。安心して僕を憎んでよ。全て悪いのは僕だって、わかるでしょ?』
僕は全てを受け止める。
いや、受け止めきれなくっても遠慮なく剛速球を投げてよ。
僕が逃げたい、苦しい、消えたいって、弱音を吐いても、絶対に誰も許さないでよ。
それが僕の罰の形だから。
クジラさんの心が、突然ぐにゃぐにゃとした奇妙な動きを見せ始めた。
整理のつかない気持ちを、無理やり整理しようとしている。
こんな勢いで感情をこねくり回していたら危険だ。
『クジラさん!無理に心を操作しないで!心が壊れちゃうよ!』
クジラさんは、それでも感情を操作し続ける。
どうしよう。僕のせいでクジラさんの心が壊れてしまったら。
クレイのお父さんまで奪ってしまったら。
僕は、またクレイから大切なものを奪うのか。
僕を取り囲んでいた空気が入れ替わった。
クジラさんの心が落ち着いた。
でも、クジラさんからの動きがない。
そんな、まさか。
「いろいろお前について考えた」
クジラさんの落ち着いた声が聞こえた。
よかった。心は壊れていないようだ。本当によかった。
お願いだから、無茶しないで。
『それで、答えは出た?僕をどうするか』
「どうって、お前がクレイの中にいる以上、俺はお前に手出しできない。こうやって、一方的に目を覚まさせて、睡眠妨害するくらいだ」
まるで冗談を言うかのように妻の仇に向かって話しかけるクジラさん。
心に怒りの色も見えない。
『そんな、無理して友好的に接しなくていいよ。怒りを抑えるの大変でしょ?』
「ハッ、もうお前に対しては恨んじゃいねぇよ。むしろ感謝している」
クジラさんの心の感情は、確かに操作されていない。
素の感情だ。今のクジラさんは、心から僕を許している。
どうして。
どうして僕を罰してくれないんだ。
「心が揺らいでるな。今のではっきりわかった。もうお前は魔王じゃねぇ」
クジラさんは面白おかしいものを見たかのように愉快そうに笑った。
『どうして』
「魔王なんかが俺みたいな一人の人間が苦しんでることを気にしてどうすんだよ。笑い飛ばすもんだろ。他人の不幸をよ」
そうだ。
この人はクレイの父親だった。
クレイと似たようなことを言う。
クレイと似たように僕のことを許す。
やめて、僕を許さないで。
「今は声が聞こえねぇけどよ、どうせ罪悪感感じて悶え苦しんでるんだろ?だったらそれで十分だ。散々苦しめ。それでいい」
あ、ああ……。
なんで、僕の周りは優しすぎる人しかいないんだ。
なんで、僕みたいな加害者の肩を持つんだ。
僕の前世じゃ、百人殺して無罪放免なんて決して許されなかった。
記憶が無いんじゃまだしも、「全て記憶にあります。でも反省しました。もう殺しません」なんて甘えた言葉で許す人なんて一人だっていやしなかった。
僕を許さないで。
数億人殺しの大罪人を。
『あなたは僕を知っているはずだ!記憶が戻る前の僕を!嬉々として人を殺めていた下劣な僕を!なんで、どうしてそんな僕を許しちゃうの!』
「だってよ、同一人物だとは思えねぇからだ」
どうやら、僕の罪は、償えないことが償いのようだ。