006 封印の器
おはよう人類。
こちら、封印されし至高の魔王アギラディオスとその封印の器のクレイくん。
今日も一日が始まる。
まず起きたら服を着替え、溜めておいた湖の水で顔を洗う。
寝ぐせも直したら朝ごはん。
今日は豆のスープと、以前狩った干し魔猪肉のステーキ。
調理は全てクレイが行います。僕は動けないからね。
味は薄味。貴重な調味料を文字通り雀の涙ほど使って、この味は作られています。
食卓に食事が揃ったらいただきます。
クレイは何も言わずに食べ始めるけどね。この辺は文化の違いだから気にしない。
『食材になった命には感謝して食べようね』
と前に言ったら、クレイは当たり前だというようなことを言っていた。
命の重さはしっかりと理解している。
食事を終えたら器を洗って部屋の掃除、衣類の洗濯。
クレイの服は毎年一回だけ、あの育ての親から送られてくる。
今まではそれで事足りていたけれど、最近は修行や遊びで穴が空いたり、汚れが落ちなくなったりしていてボロボロだ。
子供の服なんて従来ならすぐに買いなおしてあげるべきなんだけど、僕らにはお金も店の人たちからの信頼もない。
今はこのボロボロな服で我慢するしかない。
一通り家事が終わったら、鍛錬をするために森へ向かう。
といっても、いくら僕らの家が村から外れて森に近いところにあるとはいえ、家の周りの茂みは整備されていなくて入りづらい。
前に魔猪を運ぶ際に森からまっすぐ帰ってきたけれど、顔のところに尖った枝がきたりして危なかった。
だから、森に向かうためにはまず村を通る。
村から森までの歩きやすい道のりは、クレイがよく知っている。
そのたびに、心無い言葉を投げつけられるけど。
「汚くなったな。アイツ、そろそろ野垂れ死ぬんじゃないか」
「でも、全く痩せこけてないわ。噂によると他所から攫った人の血肉を食って生きながらえてるらしいわよ」
「なんと恐ろしい……あんな化け物、さっさと殺してしまえばいいものを」
そんなわけないじゃん。
ここの村人みんなで集まって小説を書いたら、きっと立派なパニックホラーが作れると思うよ。
村の道を歩いていると全員でこぞってわざわざ陰口を言いに表に出てくる。
ほんと胸糞が悪い。
一方でクレイの様子。
『聞いたか。想像力豊かな奴がいるみたいだな。書籍にまとめたら高く売れるぜ』
僕とよく似た感想で、鼻で笑った。
僕らが出会ってすぐの頃は周りへの恐怖で震えていたのに、今ではだいぶ余裕が出てきた。
もう、クレイは孤独ではない。僕がいるから。
そんな村の罵倒ロードを進んで、毎日森へ向かう。
ただ、今日はちょっと違った。
珍しい客が来た。
僕らが森へ向かう途中に立ちふさがって、声をかけてきた。
「やあ、クレイくん。元気にしておるかね」
この村の村長、フォギス・アウトラドだ。
長く蓄えたぼさぼさの白髭、ぼさぼさの白眉毛。長い白髪は唯一綺麗に手入れされている。
RPGの長老らしい黄色いローブがよく似合う、ザ・村長って感じのおじいさんだ。
「はい、おかげさまで」
「ほっほっほ、それはよかった。しかし、無理はしてはいけない。村人たちから、冷たくされているだろう」
「……はい」
「皆、おぬしの中の魔王に恐れているだけなのだ。今は皆、おぬしへの理解が足りていないだけなのじゃ。いつかきっとわかってくれる。おぬしは、崇高な精神の持ち主であると」
村長はこの村で唯一、僕らに前向きに接してくれる。
傍から見れば善人、人格者、僕らのよき理解者。
周りの村人も、村長がいるときは僕らに陰口を叩かない。
僕らは彼の存在に支えられている……。
わけあるかい。
この爺さんの心は胡散臭さの塊だ。
僕らに優しく接している理由は保身でしかない。
いつか、クレイが力をつけたときを恐れ、仕返しをされないように取り繕っているだけだ。
そんな心が透け透けに見えている。
でも、それを一切表に出していないから救いはある。
僕らからすればフォギスは目に見える詐欺教材を背中に背負って話しかけてくるお爺さんだ。
ちらちらと視界に詐欺教材が映って胡散臭くて仕方ないけれど、今までそれを勧めてきたことはないから実質無害なんだ。
話していて嫌悪感があるだけ。
だから我慢する。
「ありがとうございます、フォギス村長」
「ほっほっほっ、わしはクレイを信じているだけじゃよ」
優しく柔らかい笑顔。
よくぞここまで取り繕えると感心する。
相手の心が読めない人間からすれば、天性の詐欺師だ。
早く話を切り上げて森へ向かう。
下手に罵詈雑言を浴びるよりも、村長と会話していた方がよっぽどイライラする。
フォギス村長に関しては心が読めなければよかったな、なんて二人して話しながら足を速める。
さてと、森の中へ到着。
森の中での修行の流れは、準備運動、筋トレをしながら魂の形の確認、丸太避け、までは以前の修行と同じ。
最近追加したのは体と魂の動きを同化するトレーニング、力の制御、感情の制御などなど。
これらを全部クレイにこなしてもらう。
そして大事なのは、どんなにキリが悪くても暗くなる前に帰ること。
いくら魔猪に勝てるとはいえ、まだまだ未熟。
事故は未然に防ぐに限るよね。
『よし、やるぞ』
『がんばれ、クレイ!』
体の前で拳を手のひらに叩きつけてやる気十分。
クレイの特訓が始まった。
*
以前の修行の様子は省略して、最近始めたトレーニングについて紹介しようと思う。
まず体と魂の動きを同化するトレーニング。
何もやっていない、体と魂の動きが同化していない状況と、同化している状況とでは雲泥の差がある。
例えるならばハリセン。
同化していない状態が普通の紙のハリセンだとすると、同化している状態は紙の中に太い鋼の芯を通した感じ。死人が出る。
実際、動きの同化に成功したクレイの拳は、固い魔猪の頭蓋を一撃で粉砕した。
同化をしていなければ、折れていたのはクレイの拳の方だっただろう。
だから、体と魂の動きを同化させるのは大事!
じゃあどうやって同化させるの?って聞かれると。
答えは簡単。ひたすら体を動かして、その動きに魂の動きを合わせる。
まずは魂の形を理解して動かせるようになってないとできない芸当だけど、クレイには既にそれができている。
あとは寸分の狂い無く動きが合うようにひたすら合わせるだけ。
音ゲーに似てるね。最高難易度楽曲でパーフェクトが毎回出せるようになったら完了。
クレイは今のところ、魂の動きに遅れがほんの少しあるくらい。
クレイの実力ならあと三日もすれば完璧に合わせられるだろう。
まさにスポンジのように技術を吸収していく天才肌。実にうらやましい。僕が言えたことじゃないけれど。
では次、力の制御。
実はもうすでに完璧。
トレーニング方法は簡単で、落ちている石に向かって拳を下ろし、僕の指示で砕くか砕かないかを瞬時に判断する。
最初は勢いを殺せずに石を何度も砕いてしまったけれど、徐々に指示通りに砕かないようにもできるようになっていった。
旗上げゲームのようにフェイントも入れてみたけど、それに対しても瞬時に対応する応用力もあった。
あとは細い木を使って、折らないように強い打撃を与え続ける方法とかもやってもらった。一度も折ることなかったから、力のコントロールはもう十分だと思う。
次、感情の制御。
感情っていうのは戦いにおいて邪魔になりやすい。
怒りは視野が狭くなる。悲しみは脱力感を生む。
喜びや楽しみだって、行き過ぎれば慢心につながる。
だから、抑え込む。
魂の自分を騙す。
魂の自分を騙すのは精神力がとても要る。
魂の自分がプラスの方向に進もうとしたら、無理やりマイナスに引っ張る。逆もまたしかり。
嬉しいことがあったら悲しいことで上書きしなきゃいけない。
しかも、引っ張り過ぎたら本末転倒で、また正反対の方向に引っ張りなおさなきゃいけない。
そうして全ての感情が無になった状況が無感情。
一番混じり気の無い、隙が無い、無駄が無い状態。
クレイはこれが苦手だ。
無感情に持っていくために感情を引っ張りあって、プラスとマイナスを何度も繰り返してしまう。
今までのトレーニングは疲れる間もなくあっという間にこなしてしまうクレイだけれど、このトレーニングだけは非常に精神が疲れる。
このままでは気配の遮断などもできないし、感情の制御は大事な課題になりそうだ。
今、クレイの魂はボロボロに泣いている。
マイナスの方向に感情を引っ張り過ぎて、戻ってこれなくなったんだ。
大粒の涙があとからあとから零れてくる。
体の方は塞ぎこんでいるけども、涙一つ流してはいない。
表向きの感情を隠すのが上手くなってしまっているんだ。
『はい、ここまで。このままだと感情が落ち着くまでに夜になってしまうから、早めに帰ろう。お疲れ様』
クレイを気遣って修行を早めに切り上げる。
クレイは悲しみを背負ったまま帰り支度をする。
トレーニングでかいた汗を湖で洗い流し、ついでに水を汲んで帰る。
その間も、心は冷たく、沈んだままだ。
『何か思い浮かべちゃった?』
『人間関係。なんで俺は友達が全くいないんだろう、なんで家族と一緒に暮らしてないんだろう、なんで村中から嫌われているんだろうって』
『それは思い浮かべる悲しみが強すぎたね。君には辛すぎる』
行き過ぎた感情を発散させるためには、ひたすらその感情を爆発させ続けて落ち着くのを待つしかない。下手な慰めは長引かせるだけだ。
だから、僕もかける声は最低限にする。そして同調する。悲しみを増幅させてさっさと落ち着かせるために。
『もっといろんな人と仲良くなりたかったよ。普通の人生が暮らしたかった』
『全くだね。僕なんかいなければよかったのに。そしたらきっと普通の人生だった』
『いや、アギラの存在には感謝してる。おかげで今は毎日が楽しいから』
あら、思っていた方向とは違うけれど、少し落ち着いてきたみたいだ。
帰路を行く足取りが軽くなる。
『俺、確かに今までつらい毎日で、消えたいってずっと祈ってたけど、アギラが来てから消えたいなんて思うことなくなった。むしろ、明日は何を教えてくれるんだろう、何して遊んでくれるんだろうって、毎日が楽しみになった』
暗かった心が少しずつ晴れていく。
心から、そう思ってくれている証拠だ。
『ただ』
『ただ?』
『ただ、できることなら、生まれた時からずっと俺のことを支えていて欲しかった』
心の中は温かい。
温かいけれど、少しだけ涼しい風が吹いている。
封印の特性上、無茶な話だ。
封印は直後が一番固く、封印された側は何もできない。
そこから年月をかけてゆっくりと弱くなっていって、ようやく徐々に外と干渉できるようになるのだから。
僕だって、できることなら生まれた直後からクレイの傍にいたかった。
この子を守ってあげたかった。
『これからはずっと一緒にいるから』
『はは、心強いな。そう言ってくれると思っていた』
何億の命を奪った罪、償いきれないけれどせめてクレイだけは一生涯守ってみせる。
それが僕のけじめのつけ方だ。
『よし、帰ったら晩御飯作るか。そろそろ魔猪の肉も飽きたな。同じ肉でもネズミが食べたい』
『うえ、僕はネズミは嫌だな』
『ネズミよりもよっぽどひどいもの食べてきていそうなのに、ネズミが嫌いなのか』
そっと僕の今世を思い出してみる。
生まれた直後に人間の両親の血、襲った人の目玉、臓物、お肉……。
『ボク、ヒトノニク、スキダケド、キライ』
『どうした』
人だけじゃなく、生物なら殺して貪り食ってた記憶が強い。
もしかしたらその中にネズミもいたかもしれない。
でも、あまりにも遠い記憶のように感じられて、もう一度食いたいとは思わない。
それならゼリーが食べたい。寒天多めの。
『ゼリーが食べてみたいな』
『ぜりー……狩ったスライムを茹でて、花の蜜で味付けして冷やせば安価に作れるって聞いた』
スライムかー。不思議とネズミよりは嫌悪感ないや。
『今の季節でも花の蜜って採れるっけ』
『四季花のオータムフラワーから採れるな。そろそろ枯れる時期だけど、まだ間に合う』
『よし、明日作ろう。ゼリー』
僕の食への欲望が爆発しているだけに見えるけれど、言い訳をさせてほしい。
クレイに、うまいものを、食ってほしい!
今まで限られた調味料で、毎日豆のスープと芋のペーストしか食べてこなかったんだぞ。
材料費ゼロ円の甘味くらい食べさせてあげてもいいじゃん。
子供には三時のおやつを食べる権利があるんだ。
前世の僕はおやつの時間が、趣味の時間の次に楽しみだったんだぞ。
甘味はささやかな幸せ!ジャスティス!
『いいけど、スライム狩るのか』
『嫌かな?』
『嫌じゃないけど、見たことがない』
そうか、低級モンスターは僕を恐れて出てこないから、会うのが難しいんだ。
『じゃあ、僕が気配辿るから、こちらから会いにいってみよう』
『なるほどな。できるのか?』
『今まで周りの気配に集中していなかったからいるかわからなかったけれど、すぐに見つかると思うよ。ほら、そこの岩陰にも一匹いるし』
いるじゃん。
まあるいぷよぷよが。
『よし!クレイ!逃がさないでね!』
『えぇ、急だな!まあいいけど!』
クレイが地面を一蹴りすると、スライムまでの距離が一気に縮まる。
スライムは動かない。楽勝だ。
『よし!狩れー!』
クレイの動きが止まった。
『はれ?どしたのクレイ』
『……こいつ、特異種だ』
特異種。
モンスターの中でも他の個体とは異なる特徴を持って生まれた個体。
例えば、魔猪でも角が生えていたら特異種。
例えば、ゴブリンでも腕が4つ生えていたら特異種。
特異種の中にも様々な種類があって、稀に見かけるのは強い奴がほとんど。
それ以外の弱い特異種は、仲間や他モンスターによってすぐに淘汰されるから。
このスライムは普通の青い色のスライムと比べて真っ白。
うっすらと透けている核の色は真っ赤だ。
名称をつけるとすればアルビノスライム。
こいつは今、弱りきっている。
『珍しいねアルビノの特異種。目立つからすぐに外敵にやられちゃうし、仲間からはいじめられて死んじゃうから』
僕が言い放った言葉の意味を、言ってから理解した。
クレイが言いたいことも理解した。
この子はクレイに似ている。
生まれつきの特徴から、群れに仲間外れにされて、こんなところに一匹で放置された。
きっと、群れの連中からも散々攻撃されたんだろう。
僕らがこんなに近いのに、逃げる素振りを見せないほど弱りきっている。
『アギラ……』
『クレイ、この子かってもいい?』
『そうだよな。このまま自然界じゃ生きていけないし、楽にしてやった方が』
『違う、ペットにしてもいい?』
クレイよりも僕の方が鬼になれなかった。
自然の摂理には逆らうことになるけれど、それでも放っておけなかった。
『飼うって、大丈夫なのか?』
『スライムってたしか雑草でも食べるでしょ。食料の心配ならないよ』
『そうじゃなくて知能が低いって噂だし、ちゃんと躾けられるかとか、俺たちを襲わないかとか』
そりゃそうだ。
ペットを飼ううえで飼い主に課せられる義務は食だけじゃない。
ペットのための娯楽の充実、ペットが周囲に迷惑をかけないための躾け、迷惑をかけてしまった時の責任の取り方。
全てを理解して途中で投げ出すことなく最期の時まで飼い抜く。
それが飼い主の義務だ。
僕に義務は果たせない。
何故なら体が動かせないから。
『ごめん、何の計算も無しに飼いたいとか言っちゃった』
『……正直に言うと、俺もこいつを飼いたい』
クレイの方がこの子の気持ちを理解している。
共感している。
クレイはそっとアルビノスライムに手を伸ばし、そのまま持ち上げると抱きかかえた。
まだサッカーボールくらいの幼体だ。
『アギラが世話できない分、全部俺が世話する。だから、飼ってもいいか?』
抱きかかえられたまま全く動かないスライムを撫でながら、クレイは問いかけてきた。
『いいよ。周りの迷惑にならないように、気を付けて飼おうね』
『ありがとう、アギラ』
『そもそも、僕が飼おうなんて言い始めたんだし、気にしないで』
さて、モンスターを連れて村になんか戻ったら、非難轟々どころか下手するとこのアルビノスライムが退治されかねない。
ちょっと面倒だけれど、森から家までまっすぐ帰ることにしよう。
あとはこのアルビノくんが脱走して人を襲わないように、箱を用意しておいた方がいいかな。
いろいろとこれから先のことを考えながら、汲んだ水とスライムを抱えて、僕らは帰路についた。
*
おはよう人類パートツー。
今日の目的は修行ではなくゼリー作り。
流石に昨日捕まえたアルビノスライムを食べるなんて非道なことはしない。
だけど、ゼリーは食べたい食べさせたい!
生き物は何かの命を食べなければ生きていけないんだ。
自分がスライムを飼っているからと、二度とスライムを殺めないなんて弱音は言ってられない。
だから僕らはスライムを狩る!美味しいゼリーのために!
『クレイ、アルビノスライムの様子はどう?』
昨日捕まえたスライムはクレイが即席で作った木箱の中に、餌としての一切れの干し魔猪肉と共にしまわれた。
寝ている間に僕らが襲われたら困るし、脱走されても困るからだ。
クレイが木箱の蓋を開けてみると、そこにはじっと動かずにこちらの様子を伺うスライムの姿があった。
一緒に入れておいた干し肉は影も形もない。ちゃんと食べたようだ。
「肉、うまかったか?」
クレイが問いかけると、スライムはのそのそと箱から出てきた。
跳ね回るというより、ぷにぷにと移動している。
そのまま部屋中をゆっくりぷにぷにと動き回り始めた。
『まだ弱っているのか』
『いや、一晩で回復したみたい。ゆっくりしているのは多分この子の性格かな』
暴れん坊じゃなくて安心した。
それに、僕らに対して敵意はないようだ。
魔物なら魔王である僕の存在を、嫌でも知覚してしまうはずなんだけど、それでもマイペースに部屋中を這いまわっている姿を見ると、この子は絶対に野生では生きていけないとわかる。
『そうか、回復したのならよかった。さて、朝飯作るか』
クレイが食事を作っている間、意識をアルビノスライムに向けてみる。
心の中を探ってみるんだ。
こんなところに僕らの勝手で連れてきて、嫌がってないだろうか。
ただでさえ感情の薄いモンスターだから、よくよく心を観察しないとわからない。
もし、あまりにも嫌がっているようであれば、この子にとっては危険でも、自然に返した方がいいだろう。
さて、君は一体、今どう思っているんだい?
ぽわぽわしている。
暖かな、春の陽気を感じさせる心模様。
幸せを色にするとしたらこんな色なんだろうなっていうほど、薄っすら明るい桃色。
今、この子は幸せだ。
絶対に自然界で生きていけないよこの子!楽観的すぎる!
僕らがこの先、君に害を与える可能性を一切考えてないの?
もしかしてお肉貰っただけでいい人認定しちゃった?
この子が人間の子供だったら、今頃余裕でハイ○ースされてるよ!
拾ってきてよかった。もう二度と自然に返せないけれど。
*
さあスライム狩りじゃい!
アルビノくんは餌と一緒に箱の中にしまってきたし、大丈夫なはず。
今の箱だと窮屈だろうから、早くもっと大きな箱を用意してあげたいね。
『そういえば、アイツに名前つける?』
『うーん、つけるとしたらアルちゃんとか』
『アルビノだから?安直な名前だな』
目的はスライム狩りだけど、いつも通り二人で会話をしながら村を通って森へ向かう。
さらっとアルビノスライムの名前も決まった。
スライムに雌雄はないけれど、とりあえずアルちゃん。
『なあ、なんか変じゃないか?』
クレイも違和感を感じていたみたいだ。
村が静かすぎる。
いつもだったら呼んでもいないのに村人たちが出てきて、僕らに嫌味をぶつけてくるのに。
誰も出てこない。
気配はする。
みんな家の中にいるんだ。
「やあ、クレイくん」
唯一出てきたのは、昨日に引き続き珍しく村長だ。
「おはようございます、村長」
「ああ、おはよう。最近調子はどうだね?何か変わったことなどは」
「何もいつも通りです」
何気ない会話。
だが、村長の心の色が、僕にもクレイにもわかった。
――これ以上にないほど怯えている。
対象はクレイだ。
それなのに恐怖を全く表に出さずに話す様子は流石だ。一種の才だと思う。
「森によく行くようだが、森には魔物がよく出る。気を付けるのだぞ」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
「まあ待て待て。最近森で何をしているのかね?一人で遊んでいるにしてはあそこは何もない場所じゃよ」
なるほど。
村長は探っているんだ。
おそらく村か森の中で、事件が起きた。
その容疑者として、クレイがあがった。
他にも容疑者がいるのかと思ったけれど、村の様子からみるにほぼクレイに決めつけられているみたいだ。
何故なら村人たちが一人も出てこないから。
封印の器が暴れだして、自分たちに危害が加わるのを恐れているから。
僕らの知らない場所で凄惨な事件があった。
事件の規模はわからないけれど、村人全員が隠れてしまうほどの何かがある。
それをできるのは封印の器であるクレイしかありえないと思わせるほどの。
よく考えてよ。
何があったのかは知らないけどさ、魔王の封印が弱くなっているとはいえ、封印が解けるまではまだまだ何年もあるんだよ?
それにクレイに力があるとしても、そんな事件を起こすような奴なわけないだろ。
自分を傷つける連中を心配するほど、甘ったれたこんな少年が。
みんな、クレイを知らなすぎる。
知らないから仲間外れにする。
知らないから勝手に恐怖する。
知らないからみんなで悪者にする。
「森では最近、鍛錬を積んでます。いつか冒険者になりたいので」
「ほお!それは良いことじゃの。しかし、昨日は村を通らずに帰ったようじゃが、どうやって帰ったんじゃ?怖い魔物は出なかったかの?」
村長は立派だね。
事件を引き起こしたかもしれない張本人と、いつ自分が殺されるかわからない恐怖と戦いながら会話をしている。
真相を聞き出そうとしている。
全てを知っている僕からすれば胸糞が悪いけれど、でも、僕もこの行為はとても勇気のいる素晴らしい行為だと思う。
みんなの盾になって、悪と戦おうとしているのだから。
「村を通るのが面倒だったので森から家までまっすぐ帰りました。整備されていない道なので大変でしたが」
「ほお、そうかそうか。いかんいかん!長話をしてしまったのう。若い者の時間を奪うのは年寄りの悪い癖じゃ。ほれ、もう行くがよい」
「はい。それでは」
急かされるように話題を切り上げられたから、クレイもこの場を急いで離れる。
村長は聞くことを聞いたらいつまでも自分の身を危険にさらしていたくないのだろう。
クレイも自分を疑っている相手といつまでもお喋りしていたいわけじゃない。
『何があったんだろうね』
『さあ。でも、俺を悪者にしたいのはよくわかった』
村長と話しつつ、クレイは僕の推理を聞いてくれていた。
『事件の真相でも探る?』
『いや、いい。別に俺たちは関係ない』
そう、クレイは無関係だ。
勝手に悪者にされているだけ。
わざわざこちらから向こうに首を突っ込む理由もない。下手に首を突っ込んでも余計に話がこじれるだけだ。
村は狭いし、進捗があればお喋りな村人たちが陰口で教えてくれる。
『クレイ、スライムを狩ってこよう』
『そうだな。はじめの目的だしな』
僕らは空気の悪い村を後にして、森へ急いだ。
*
スライム狩りは一苦労だった。
だってスライムたち、命がけで逃げ回るから。
もちろん、クレイの身体能力があれば捕まえることはできるけれど、腕の中で絶望したスライムたちは自壊する。
自壊したスライムはドロドロの液状になって腕から零れ落ち、あっという間に地面に吸い込まれていく。
敵の手にかかるくらいならば、切腹!みたいな感じだ。うーん、ジャパニーズ。
そうして先ほどから手のひらに残ったほんの僅かなスライムを、木のバケツの中に入れて溜めているわけだ。ようやく八分目。煮詰めたらちょうどゼリー一人前になる。
『どれだけ狩ったっけ』
『忘れた。でも、しばらくスライムはこの森に現れないと思う』
『スライムが自壊した場所からまた次のスライムが生まれてくるし、しばらくしたら逆にスライムだらけになるね』
普通に殺されるとスライムは増えないんだけどね。
殺されるより自壊した方が子孫を残せるというわけだ。
スライム狩りが終わったけれど辺りはまだ明るい。
帰り際にオータムフラワーの蜜を集めて帰っても日は沈んでいないだろう。
でも、作っている時間を含めたら晩御飯の代わりになっちゃうかな?
『よし、帰ろうか。クレイはゼリーを食べるの初めて?』
『うん。美味いか?』
『もちろん!スライムゼリーは食べたことないけどね。美味しいといいな』
他愛のない会話をしながら、クレイはスライムの入ったバケツ持って家へ向かった。
*
――殺気だ。
僕らの家の中からする。
『クレイ、わかる?』
『え、いや、何も』
クレイが留守の間に訪問者が来たようだ。
まだ中にいて、僕らを待っている。
明確な殺意を持って。
『初歩的な気配は消しているみたいだけれど、中に人がいるよ』
クレイは僕の言葉に息を飲む。
魂の感情を完全に消しきれてはいない素人だけれど、クレイを殺そうとする者が中にいる。
ここ以外に帰る場所が無い以上、対面は避けられない。
戦うしかない。
『なんでいるんだ?』
『クレイを殺す気だよ。戦うしかない』
『でも、なんで俺を殺そうとしているんだ?』
『朝の村長とのやり取りを思い出してほしい。僕らは得体のしれない事件の容疑者にされていた。もしかしたら、強行手段に出たのかもしれない』
危険な容疑者を排除するために、村サイドが暗殺者を送り込んだ。
その説が強い。
クレイはスライム入りのバケツを地面に置き、一拍してから扉に手をかけた。
『わかった。でも、相手は殺したくない。無力化だけにしたい』
『相手との実力差次第だよ。覚悟はしておいて』
クレイは扉を開いた。
室内は不気味なほど静かだ。
できれば部屋の中ではやりあいたくない。戦いなれていないこちらが不利だから。
「出て来い。いるのはわかっている」
クレイが挑発する。
恐怖で少し震えた声だ。
その時、物陰からクレイに向かって刃が飛んできた。
間一髪のところをかわしたけれど、避けなかったら心臓を一突きだった。
クレイは扉から距離をとり、外で待機した。
室内戦は避けられそうだ。
「ちっ、勘が鋭いうえにすばしっこい」
中から声の主が現れる。
燃えるような赤髪を持つ、体中古傷だらけの女性だ。
服装からして、真っ当な生き方をしているようには見えない。
山賊、盗賊寄りの恰好だ。
「おいおい、坊ちゃん。この家、金目の物どころかまともな家具すら揃ってねぇぞ?パパとママはどうした?わざわざ忍び込んでやったのに、俺様を歓迎してくれるもんは一つもないのかぁ?」
盗賊は挑発するように嗤いながら、鋭く、よく手入れされたカトラスをクレイに向けて歩み寄る。
「俺は村からのけ者にされている。両親もここにはいない。当然、金も何もない。誰にもあんたのことは言わないから、帰ってくれ」
クレイは戦いを避けたい。
彼女は村から指示された暗殺者ではなく、狙いが金品だと判明した。
だとしたら無駄に殺しあう真似はいらないだろう。
「ハッ、嘘はいけねぇよ。俺様はここに金持ちがいるって聞いてきたんだ。昨日殺した奴からな」
クレイの全身がぞわっとした。
恐怖で体毛が逆立っているのが僕にもわかる。
目の前の女は、人を殺したことがある。
当然だ。この体中の古傷は、何度も死闘を繰り広げたことのある証だ。
下手な動きを見せれば、遠慮なく命を刈り取ることができる相手と今、クレイは対面している。
「本当だ。嘘をついているとしたら、その殺した相手だろ。俺はお金なんてない。貧乏だ」
「はぁ?マジかよ……」
「わかったなら早くどこかに行ってほしい。このことは誰にも言わない」
十中八九、クレイが容疑者にされている事件を起こしたのはこいつだ。
本来ならばこのやり取りを切り抜けた後、村長に報告するべきだ。
だけど、今はこう言って相手を刺激しないように穏便に済ませた方がいい。
クレイが頑張ってコイツを取り押さえる必要はどこにもない。
静かな時間が流れる。
盗賊の女は頭をぼりぼりと掻いて、考え事をしている。
クレイはその間、何もしゃべらない。
相手を刺激しないように。自分に危険が及ばないように。
「……言ってたんだよ」
盗賊の女が口を開いた。
「言ってたんだよ?昨日殺した奴が。俺様が『この村で一番金持ってそうな奴は誰だ?』って聞いてやったら。そしたら『村外れにある小屋のガキ、そいつの親が金持ちだ』っつってな?信じてやってきたんだぜ?そしたらそれは嘘だ?無様に騙された俺様は大馬鹿もんか?」
これは純粋な殺意だ。
利益にもならない怒りを、クレイに向けている。
「はぁ、せっかく手に入れた金で浴びるほど酒を飲んでやろうと思ったのによぉ。おい、ガキ。最後のチャンスだ。親はどこにいる?」
RPGでいう、選べる選択肢のどれを選んでも戦闘になる流れだ。
今コイツに何を言っても、帰ってくる答えは一つ。
避けられない戦いだ。
この場での正しい答えなんてない。
あるとすれば、戦いのために心の準備を済ませて返答をするくらいか。
だけど、クレイはその選択肢を選ばなかった。
魂の動きと体の動きをリンクさせ、盗賊の女に距離を詰めると、拳を放った。
先制攻撃だ。
しかし、拳の先には何もない。
盗賊は空へと舞い上がっていた。
「はっはっは!ガキにしてはいい動きだ!」
クレイの背後に着地すると、盗賊はトントンと靴の先を地面に叩く。
クレイは拳を突き出した姿勢で足を軸に回転すると、回転力を乗せた裏拳を盗賊に横っ腹に放つ。
盗賊はこの拳を避けられなかった。
「がっ……おうおう!いい拳持ってるじゃねぇか!」
盗賊は軽やかな身のこなしで一旦クレイから距離をとる。
クレイの体の震えは止まらない。
まだ、相手の手の内が見えない。未知の恐怖がまとわりついたままだ。
同時に、死の恐怖も。
「楽しませてくれるじゃねぇか!やろうぜ!」
盗賊は背後に手を回すと、先ほど手にしていたカトラスとは違うカトラスを引き抜く。
二刀流だ。
刃物に対する素手での防衛術は回避しかない。
防御するためには魔力で身体を強化して斬られないようにするか、刃物以上に体を固く鍛えるしかないからだ。
『クレイ、やりあおうとするな!回避に専念しろ!』
クレイからの返事はない。
余裕が無いんだ。
今は相手の動きを見ることに必死。頭の中は早く相手を退けるために、とにかく攻撃をしなければならないという義務感で埋まっている。
クレイは息を大きく吸い込むと、地面を一蹴りして高速で盗賊との間合いを詰める。
そのまま拳を固めると、盗賊の頭に向かって正拳突きを繰り出す。
「愚直だな!」
盗賊はクレイの拳をかわすと、カトラスでクレイのがら空きになった背中を斬りつけた。
激痛にクレイが唸る。
今まで村人たちから受けてきたどの傷よりも、深くて痛い。
そのままクレイは地面に倒れる。
『早く起き上がって!トドメを刺される!』
僕の言葉に応えて咄嗟に体を起こすクレイ。
盗賊は待ってはくれない。
身を起こしたクレイの体に素早く蹴りを入れる。
クレイも反撃に盗賊の伸びた足に肘鉄を入れる。
「やるねぇ!」
一瞬盗賊の表情が曇ったがすぐに余裕の笑顔を作る。
戦力差は互角、いや、盗賊の方が上だ。
「さっきの拳みたいなまっすぐで正直な攻撃っていうのは避けやすいんだよ。やりたきゃ避けさせない術を使いな。こんな風にな!」
盗賊はクレイから一旦距離をとると、まっすぐ走って距離を詰めてきた。
そして、両手のカトラスを構えると、目にも止まらない速さで振り回し始めた。
まっすぐな攻撃を、数と速さでカバーしているんだ。
『避けて!』
僕も焦りで正確な指示が出せなくなっている。
ただ闇雲に避けろと言っても、どうやって避ければいいんだよ。
クレイは慌てて脇に飛びのいたが、盗賊は回避に合わせて軌道を変えて迫ってきた。
刃がクレイの体に届く。
クレイは無意識に腕を体の前に交差させて防御の姿勢をとった。
体への致命傷を避けるためだ。
盗賊からの無数の斬撃はクレイの腕を傷だらけにしていく。
骨まで届くものすらある。
痛いなんてレベルじゃない。痛いを通り越して熱い。こんな子供には耐えられない痛みだ。
「おらおらどうしたがきんちょ!まだやれるだろ!!」
この盗賊、もちろん体と魂の動きをシンクロさせているわけではない。
素でこの強さだ。
あの程度の鍛錬で、クレイはもう大丈夫だと思っていた僕が甘かった。
殺し合いのプロに、あと一歩届いていない。
クレイは膝から崩れ落ちる。
腕は傷だらけになって、まともに動かせたものじゃない。
失血量も多い。頭がぼーっとする。
『クレイ……しっかりして……』
クレイからの返事はない。
無気力だ。
戦力差と自身の怪我の度合いを見て、これ以上戦えないと判断したんだ。
全てを諦めている。
「おいおい、終わりか?ちっ、ガキながら楽しめそうだったのによ」
勝ちを確信した盗賊がゆっくりと歩み寄ってくる。
クレイは項垂れたまま、無感情になった。
こんなところで無感情になってどうするんだ。
今更気配を消したところで助かるわけじゃないんだぞ。
盗賊はクレイの襟を掴むと乱暴に持ち上げ、クレイの首に刃を当てた。
「んで?本当に金の話は嘘か?」
最期の時間だ。
ここで行動を起こさなければクレイは死ぬ。
だけど、僕には何もできない。
クレイ自身が奮い立たなければ何もできないんだ。
そう、僕には何もできない。
封印された無力な魔王だ。
封印されて何もできない、大切な友達の一人も守れない無力な魔王だ。
せめて、クレイの体を動かせたら。
僕がクレイの代わりになれたら。
「よし、返事はなしか。じゃあ死ね」
僕は強く念じた。
死なせたくない。
動け。
クレイの代わりに。
動け!!
――体の感覚が切り替わったのを感じた。
今まで一歩引いた場所から観賞していた風景が、自分の意識で動かせる。
操り人形のように引かれていた糸が、ぷつりと切れる。
クレイの体が、僕の物のように動かせる。
視界に鮮血が舞っていた。
既に盗賊がクレイの首を斬りつけていた。
一歩遅かったのか。
いや、遅くなんかない。
僕に入れ替わることができた時点で、クレイが死ぬことはなくなった。
「じゃあな、坊主」
「まださようならを言うには早いと思うよ」
盗賊がぎょっとした顔で僕を見つめている。
愉快だ。殺したと思った相手が生きているから、怖いんだ。
「おい、どういうことだ……!?」
僕の魔人としてのパッシブスキル、『即時回復』。
通常、回復魔法のほとんどが超速回復だ。
本来時間のかかる身体の治癒を、短時間で済ませることができる魔法。
どんなに頑張っても次の瞬間、傷が消えているなんてことはない。
あくまで時間短縮させるだけだ。
僕の場合、次の瞬間には傷が消えている。
文字通り『即時回復』。
超速回復が早送りなら、即時回復はスキップだ。
それが、クレイの体でも発生している。
先ほどまでにつけられた傷は全て御覧の通り、綺麗に治っている。
このパッシブスキルは敵からしたら厄介で、僕が意識的に使わないようにしない限り、僕の魔力が枯渇するまで発動し続ける。
その上、僕の魔力の回復速度は、即時回復分の消費魔力を大幅に上回っている。
つまり、舐めプをしない限り僕は死なない。
むしろ使わないようにしていても死ぬ寸前にスキルが勝手に発動するから、実質死ねない。
これが不老不死、不死身の仕組み。
「君、僕の友達を散々いじめてくれたみたいだね」
さっきまでぼこぼこにしていた相手の傷が一瞬で消えて、尚且ついきなりにこにこし始めたら大半の人が恐怖を覚えると思う。
この盗賊も例外じゃなかったみたいで、慌てて僕から距離をとる。
「てめぇ、ナニモンだよ!」
「君が知る必要はないと思うな」
漫画のキャラになったら言ってみたいセリフベスト百には必ず入っていそうな言葉を言えた。
楽しい……わけがない。
だって、さっきまでコイツは僕の親友をいたぶり続けていた。殺そうとしていた。
そんな状況で僕の心がウキウキすると思う?
「ねぇ、大人しく村長のところに行って自白してきなよ。昨日の殺人事件の犯人はこの私ですって。そしたら許してあげるから」
「だ、誰がいうかよ!」
許すつもりはなかったけれど、手出しはしないつもりだった。
この人が反省して、自分の罪を償うつもりなら。
でも、その気は無いみたいだ。
「そうか、じゃあ、死ぬ?」
抑え込んでいた魔力を開放、殺意全開。
森の木々がざわめき、動物たちの慌てふためく鳴き声が聞こえてくる。
盗賊の表情は青ざめ、呼吸をするだけでも一苦労のようだ。
僕は盗賊に歩み寄る。
盗賊は僕に視線を合わせたまま背面に飛びのき、カトラスを一本しまって逃走のチャンスを伺い始めた。
やっぱりコイツは戦い慣れしている。
明らかな戦力差を即座に判断して、戦わないことを選んだ。
カトラスを一本出したままにしているのは、戦闘用ではなく防御用。
もう一本もすぐに取り出せるようにはしている。
ちょっといじめてやろうかな。
クレイをこんな目に合わせたんだし。
武器を奪ってクレイの受けた傷の分だけつけかえしたりとか、手足を折って逃げられなくなったところを命乞いさせるとか。
コイツも散々人を殺してきただろうし、その方が被害者の人たちもすっきりするんじゃないかな。
『嫌な奴にカッとなって攻撃したり、力で脅すようなことをするようになったりしたら困る』
ふと、クレイの言葉を思い出した。
自分のことを平気で傷つける人たちに対して、自分がやり返すようになることを恐れていた。
きっと、クレイならこの盗賊相手でも同じ考えを持つと思う。
必要以上にいたぶったり、怖がらせることを嫌がるはずだ。
自分がされても、やり返したくはないはずだ。
僕は盗賊の目の前に瞬間移動すると、みぞおちを適切な力でぶっ叩いた。
「かっ」
盗賊は小さく息を吐くと、そのまま白目を剥いて倒れた。
口からは泡を吐いてる。生きてはいる。
「……これに懲りたら悪いことはしないでね」
僕は家の中からロープを持ってくると、盗賊をぐるぐる巻きにして、そのまま抱えて家を後にした。
クレイと体の主導権を交代してから、クレイの反応が全くない。
まさか、恐怖と絶望で心が壊れてしまったのではないかと思ったけれど、確認してみたらクレイの魂は眠っていた。
精神的に極限状態を迎えて、耐えきれず気絶したんだ。
その隙間に入り込んで、僕は表に出てきた。
まだ封印のせいか本調子は出せない。
熱血キャラが体中に修行用の錘を巻き付けている感じ。
こう見えて全身気だるい。
でも、この盗賊を一撃で撃沈できるくらいには十分強い。
それでいい。クレイを守れたから。
いいわけない。
僕はコイツを許せるほど心が広くない。
コイツを村長に突き出して、罪が認められて、刑罰が与えられて、仮に死刑になったとしても、コイツに対する憎悪は残るだろう。
僕はクレイほど優しくないんだ。
さっきのじゃ仕返し足りない。今、動けないこの状況からでも、床に転がして死ぬまで蹴りつけたい。
君はいつか、僕を良い魔王と言ったね。
やっぱり、僕は心まで醜い悪い魔王だよ。クレイ。