005 ソウルフレンド
――身体が、肉体が欲しい。
自由に動かすことのできる肉体が。
忌々しい勇者め、我を赤子の肉体なんぞに封印しおって。
おかげで一切身動きをとることができぬ。
だが、その封印も年々弱まっていっている。
赤子の齢も九を数えるほどになった。
我が復活する時も近いだろう。
ふっ、ふはは、フーッハッハッハッハ!
『みたいに偉そうにしてみたけれど、どう?』
『声と迫力は十分。アギラが言ってんだなって思うとマイナス。十点満点で三点』
『僕の存在を全否定しないでよ』
改めまして、僕の名前はアギラディオス。封印されし至高の魔王。
封印先の体の持ち主の名前はクレイ。お父さんのお迎えを待ってる九歳の少年。お迎えまではあと一年かかるらしい。子供にとっては長く感じると思う。
『さて、魔王ごっこも飽きたし、次はどうしようか』
魔王ごっこっていうのは、僕がひたすら怖い魔王を演じて、それをクレイが採点するゲーム。今までの最高記録は今回の三点。クレイの採点がしょっぱすぎるんだよね。毎回僕がやってるって理由でマイナスされる。
おかしいな。こう見えて全人類を滅ぼしかけた史上最悪の魔王なんだけれど。
『お腹空いてるから、あまり動くのは嫌だな』
食事はクレイの育ての親から送られてくるものを食べている。
しかし、先日そいつを怒らせてしまったため、送られてくる食事の量がぐんっと減らされてしまった。計算無しに食べると来週には餓死するだろう。
あの時、あの男を刺激しないようにしていれば今頃ひもじい思いをしなくて済んでいただろうか。
いや、無いな。あそこで実の父親について詮索した時点で、僕らはアイツの怒りを買うことは必然だったと思う。
クレイは育ち盛りなんだからしっかり食べるべきなんだけれど、食べるものが無い以上どうすることもできない。
どうにかお腹いっぱい食べさせてやりたい。
『アギラ?どうしたんだ、黙りこくって』
『うん?僕らの食糧問題について考えてた。クレイに食べさせたいっていうのもあるけれど、僕もお腹いっぱい食べたい』
クレイだけを心配しているように言うと、決まってクレイは気にするな、なんて言う。
だから僕の欲望でもあるんだぞ、みたいに文言を足す。そうすればクレイは真面目に考えるようになる。最近覚えた対クレイマインドコントロール術だ。
『そうか。俺は別にいいけど、アギラが食いたいんだったらどうにかしたいな』
クレイは真面目な顔で地面に絵を描き始めた。
『アイツがくれないっていうなら、自分たちで手に入れるしかない。でも、俺が店に行っても追い払われるのが目に見えている。だからと言って窃盗もナンセンス。性格悪い店主だけど、アイツらにも生活が懸かってる』
食料品店の絵にバッテンを描く。
それにしてもクレイ、絵が上手いな。
『送られてきた豆や芋を育てる。ただし、採れるまでに時間がかかる。それまでに俺たちが飢え死ぬ。そもそも採れるようになる頃には父さんが帰ってくるかもしれない』
芋と豆の絵にバッテンを描く。
すごい美味しそうな芋と豆の絵だ。
『あとは、狩猟。罠で小動物、小魚を獲る。これが一番現実的かもしれない。問題は罠の作り方だけどな』
ウサギやネズミ、魚の絵にマルをつける。
申し訳ないけれど、絵が上手すぎて目に集中してた。
話の内容は一切聞いていなかったけれど、絵で大体理解した。
『罠か。小魚なら籠を使って獲る方法を知っているよ。昔サバイバルゲーム……じゃなかった、暇つぶしでやったから』
『随分と庶民派なことも試すんだな、魔王』
ゲーム知識がこんなところで役に立つとは侮れないよね。
早速クレイに作り方を教えて罠を作ってもらおう。
仕組みは出入口が奥に行くにつれて狭くなっていく、入りやすくて出にくい罠の形。
材料はその辺に生えている竹を割いて使おう。
そして割いた竹を編んで籠の形に……。
九歳の少年に難しいことをお願いしている気がする。
小学校高学年が体験する社会科学習みたいなことやらせてない?ちょっと早すぎないかな。
それでも生きるためだ。
クレイも一通り説明したら自分の家から鉈を持ってきて、せっせと作業を開始した。
身体が無いから何もできないことが残念だ。クレイに任せるしかない。
小魚用の罠ができたら次は小動物用の罠かな。
獲物が通過したらバチンと挟んで捕らえる奴。
難しいだろうから一つ完成したらそれでいいや。
*
うちの子天才じゃなかろうか。
クレイは短時間で罠を作り上げた。小動物用の罠3つに、小魚用の罠4つ。
綻びなんてどこにもない洗練されたフォルム。
動作確認も完了済み。既にネズミが2匹、小魚と小エビが合わせて6匹捕まってる。
想像以上の出来に思わず声が出ない。
元々声出せないけれど。
クレイは手先が器用なんだ。
加えて絵もうまい。
もしも僕が関係なかったら芸術方面か、伝統工芸に腕を伸ばしていたかもしれない。
封印の器にするには惜しい人材だと思う。いや、何人たりとも封印の器になっちゃいけないんだろうけどさ。
『計画、うまくいったな』
『最高だよクレイ。これだけあれば十分お腹いっぱいになれるよ』
思わず心の中でハイタッチ。
『ん?』
『どうしたの、クレイ』
『いや、何も』
何か引っかかるけれど、とりあえず今日の戦果を持って帰宅。
たくさん身体を動かしたからお腹空いたよ。
身体を動かしたのは僕じゃなくてクレイだけどね。
その辺は感覚を共有しているから仕方ない。
家に帰ってきて、台所に立ったクレイ。
調理台には材料が並べられる。
僕は失念していたことを気づかされる。
ネズミ食べるの怖いな。
サバイバルゲームの中では何も考えずに毎日のように獲って食べてたけれど、それはゲームの中の登場人物の話。
僕は食べたことない。どうやって食べるの?怖い。
『ねぇ、ネズミっておいしいの?』
『さあ、食べたことない』
一方で同じくネズミを食べたことがないクレイはケロっとしている。
クレイにとってはネズミを食べることよりも、どうやって捌けばいいかのほうが問題のようだ。
『アギラ、捌き方わかるか?』
『うーん、これも一応やったことはあるけどさ』
ゲーム知識万歳。僕のやっていたサバイバルゲームは現実の知識に忠実で、魚や動物の調理法が実にリアルだった。リアル過ぎて年齢制限が課せられ、売れ行きはそこまで伸びなかったとか。神ゲーっていつも埋もれるよね。
ゲーム知識はもうどうでもいいんだよ。
問題は今食べようとしているもので。
ネズミの捌き方を教えるとこれまたするすると服を脱がせるように皮を剥いで、内臓を抜いて、瞬く間に下準備が完了してしまった。
魚とエビも以下省略。
『クレイは器用だね』
『そうか?今まで気にしたことなかった』
『絵も上手いし、手際もよい。モノづくりの才があるね』
クレイは作業する手をいったん止めると自分の手を見つめた。
『いつかさ、俺が木彫りの像を作って売りに出したら、誰か買ってくれるだろうか』
買ってくれるよ、とは無責任には言えなかった。
何故ならクレイは魔王を封印された忌子。
それだけでみんなが勝手にマイナス点をつけていく。
クレイにとって僕であるというだけで魔王ごっこにマイナス点がつけられるように。
『わかってる。誰も買わない』
諦めた声で呟くとクレイは調理に戻った。
何も声がかけられない自分が憎い。
そもそも、僕が存在している時点で、全て台無しになったわけだけども。
*
完成してしまった。
ネズミの丸焼き!そして美味しそうな魚とエビの丸焼き。
いただきますの文化が無いから、食卓に着いて直で食い始めようとするけど。
『ちょっと待って!』
思わずクレイを制止する。
心の準備が欲しい。
『なんだ。腹減ってるんだけど』
『えーっと、やっぱ食べるのかわいそうじゃん?』
『こんな段階まで指示しておいて今更?』
クレイに呆れられる。
それもそうだ。もうこのネズミは変わり果てた姿にされてるんだから、むしろ食べないほうがかわいそうだ。
でも、それでもやっぱり勇気がいる。
『邪魔するなよ。食うぞ』
僕の静止を振り切ってネズミを食べようとするクレイ。
『だから待ってってば!』
僕はクレイの腕を引っ張った。
それでもクレイの腕はびくともしないけれど。
『あ、れ?』
クレイはぽかんと狐につままれたような顔をしている。
ん?あれ?僕は今、何をした?
クレイの腕を引っ張った?
それはおかしい。
だって僕らの肉体は一つだ。分裂することはできない。
だったら、今触れた腕は一体なんなんだ?
僕はすぐに理解した。
心の中でクレイの魂に触れたのだと。
今、僕はクレイの中にいる。
心というか魂というか、そんな概念になって存在する。
最初こそ何も感じない無感覚空間だったけれど、徐々に様々な五感をクレイと共有するようになった。
そして、今は無意識のうちに自分とクレイの魂を知覚できるようになっていた。
だからハイタッチや腕を引っ張るなんていうのができたんだ。
ただし、腕がビクともしなかったところを考えると、影響力はそんなになさそうだけど。
試しに魂のクレイの手に触れてみる。
小さい、子供らしい手だ。魔王の魂である僕の手なんかよりずっと小さい。
『なにか感じる?』
クレイの手に触れたまま問いかけてみる。
『よくわからない』
引き続きクレイを軽く小突いてみる。
『これは?』
『何かしたのか?』
『ちょっとごめんね』
申し訳ないけれど、クレイの手を思いっきりつねってみる。
しかし、クレイの手が固くて全くつねれない。
『これは?何か感じる?』
『いや、何も。さっきから何かしてるのか?』
結論、影響力はそんなにどころか全くなし!
さっきはクレイも少し知覚したように感じたんだけどな。
封印が解けていったらこの状態でもクレイにちょっかいがかけられるようになるのだろうか。
コミュニケーションが会話しかない僕らにとって、それはとても楽しみだ。
『ネズミ肉美味いな』
あーっ!僕が魂について試しているうちにネズミ食ってる!
うっ、止められなかった。
なんだろう、鶏肉のようなちょっと違うような味がする。
良く焼けててカリカリとした食感がおいしい。
味はいいんだけれど、なんか嫌だ。生理的に嫌だ。
『ヨカッタネ』
『おう』
クレイが幸せそうで何よりです。
ふと、クレイの魂を再度確認してみる。
棒立ちで力を抜いた姿でクレイの中に在る。
特に大きく四肢が動いたりはしないけれど、ゆらゆらと揺れていて感情に合わせて表情が変わる。
今はほっこりとほほ笑んでいる表情だ。
ちゃんと美味しいって思ってる顔。
さっき、僕と魂の姿でハイタッチできたところを見ると、動かせないわけではないんだろうけれど、今はガラガラに隙が空いている。感情も垂れ流し。ハイタッチは無意識なのかな。
体ごと魂を動かせるようになったり、感情を抑えることができるようになったら、肉体を最大効率で動かせるようになったり、殺気や怒気を消せるようになるわけだけど。平凡な九歳の少年には不要だね。
いや、必要か。
クレイは普通の少年じゃない。
魔王が封印された子供だ。
以前、封印先の器が死んだらどうなるか考えたことがある。
その時に出た仮説の中に、器が死んだら封印された者も死ぬかもしれない説がある。
もしも、その説が通ったなら、クレイを害そうとする輩がいつかはくる。
……クレイが未だに生きているってことは、そもそもその説が間違っている節はありそうだな。
でも確率はゼロじゃない。もしかしたら封印ってそこまで広く知られているものではなくって、今になって器が死んだら封印された者も死ぬと判明して、国のお偉いさんから暗殺者を派遣される可能性だってある。
だったら護身術は必要だ。
僕がクレイを直接守ることはできない。
ならばクレイに自分自身を守る術を身に着けてもらうしかない。
食料問題も解決したし、明日から早速特訓しようかな。
といっても、何すればいいかわからないけれど。
なんせ僕は生まれつきチート魔王。
生まれた直後に魂の形を知覚し、未成熟な体で人間の両親殺害できたほどには訓練も何もせずに魂の動かし方を得とくしてしまっている。
うーん、初心者目線がわからないというのは教える側からしたら致命的だ。
だからといって魔法を護身術として教えたら、下手すると相手を殺しかねない。
体術で加減するより魔術で加減するほうがよっぽど難しいんだ。
『ふう、お腹いっぱいだ』
クレイはいつの間にか食事を終えていた。
器を片して寝るまでの準備を手際よく行っていく。
いつ最悪の事態が襲ってくるかはわからない。
護身術はなるべく早めに身に着けてほしい。
特に自分の魂を知覚しているのとしていないのとでは大きな差があるから、さっさと覚えてもらおう。
『クレイ』
『どうしたアギラ。ずっと黙っていたけれど』
『明日から君を鍛えようと思う』
クレイの頭に疑問符が浮かんでいる。
どうして急に?と思っているのかもしれない。
だから僕は僕の考えをクレイに全て話した。
僕を殺すためにクレイのもとに殺し屋が派遣されて来るかもしれないこと。
だからせめて相手を殺さないように、加減して戦えるレベルまで鍛えたいということ。
『あまり言いたくないけど、俺もまだ子供だから今から鍛えたところでプロの殺し屋に勝てるとは思えない』
『大丈夫、僕は九つで街を三つ配下に置いたから』
『一緒にしないでくれ』
冗談は置いておいて、魂の知覚ができている人類は意外と少ない。
僕と戦った七賢者とかは全員知っていたけれど、百戦錬磨の武闘家や任務成功率百パーセントのアサシンとか、意外とできていなかったし。
いや、一部はできていたな。
武闘家は魂と身体をリンクさせて凄まじい威力の打撃を繰り出していたし、アサシンは魂の感情を抑え込んで気配を完全に殺せていた。
でも、片方しかできていないということは、なんとなくでしか魂を理解していないということで。
それをしっかりとクレイに教えることができれば、幼いながらも大人数の大人相手に遅れをとることはなくなる。相手も全員理解していたら話は別だけど。
問題はクレイが魂の知覚をしっかりできるかどうか。
しかし、これに関してはむしろ心配していない。
なぜならクレイに素質があるかどうかは別として、クレイの中にはクレイの魂の他にもう一つ、僕の魂が存在するからだ。
さっき魂同士でハイタッチした時、クレイは魂同士が触れ合った違和感を感じていたし、無意識に魂を動かしていた。
これは僕の魂というイレギュラーな存在を意識しているせいで、僕だけじゃなくクレイ自身の魂も徐々に認識し始めているからだと思う。
この延長戦で集中強化レッスンをしていけば、すぐにでも自分の魂について理解できるようになる。
理解したら動かし方を教えればいい。
『クレイは強くなるよ。自分の身を自分で守れるくらいには』
寝る支度を全て済ませて、寝床に潜りこんだクレイは目を開けたままじっと天井を見つめている。
考え事をしているようだ。
『少し怖いな』
しばらくしてクレイが呟いた。
怖いと言っておきながら、心の色は恐怖というよりも不安を示していた。
『どうして?』
『力をつけたら無関係の人たちを傷つけるかもしれない。嫌な奴にカッとなって攻撃したり、力で脅すようなことをするようになったりしたら困る』
自分を容赦なく傷つける人たちを、自分が傷つけ返してしまうのではないかと心配している。
クレイは甘い。
僕だったら嫌なことをされたら殴り返す。
『力をつけるというのは加減を知ることでもあるんだよ。力加減がわかっていれば必要以上に傷つけることはなくなる。それに、強くなるというのは力だけじゃない。精神を鍛えれば自分を抑えられるようになる。強くなるのは、周りの人を守るためにもなるんだ』
クレイは僕の言葉を聞くと瞳を閉じた。
『そうか、じゃあ俺は早く強くなりたい』
心は安心した色に包まれ、僕らは眠りに落ちた。
*
翌日、朝食をとって晩御飯用の罠を仕掛けると、早速僕らは修行に入った。
とにかく、僕なりの強くなる方法は魂を認識してもらわないと始まらない。
クレイにはストレッチから始まる筋トレのメニューを一通り教え、休憩を挟みながら全てこなしてもらう。
僕はその間何をしているかというと、念を込めてひたすらクレイの身体を触り続ける!
なんというアウトな絵面なんだ。
少年の身体を触り続ける成人男性の姿なんて、町中で見かけたら即通報ものだよ。
いや、これは魂だからセーフ。魂だからセーフ。
そもそもこれも立派な修行なんだ。
魂同士が触れ合う感覚を、クレイが少しでも認識しやすいように念を込めて触れる。
そして、触れ合ったと知覚した瞬間、その感覚を辿って自分の魂の形を認識してもらう。
これを筋トレをしながら意識してもらう。
以上が第一レッスン。
『今、右手に感覚があった。実際の手じゃなくて、心の中にある自分の分身の手というか』
僕の考えた修行法がいいのか、クレイの飲み込みが早いのか、早くも自分の魂の形を自覚し始めている。
『それは分身じゃなくてクレイ自身の魂の形だよ』
『これが俺の魂?』
『動かすことはできる?』
『……見失った。わからない』
とんとん拍子に事が運ぶわけでもなく、まだまだ時間はかかりそうだ。
そもそも触れ合った感覚を全て理解しているわけじゃない。
今のところ僕が頑張って認識させようと触れたうちの、十回に一回も満たないくらいの確率。
せっかく認識してもすぐに見失ってしまう。
並の努力では感覚を掴むのは難しいみたいだ。
一方で筋トレの方だけど、かなり重いメニューを組んだのに息を切らしても少し休憩したらすぐ回復する。
今まで何もしてこなかったとは思えないくらいに基礎以上の体力と筋力がある。
これなら同い年の子たちとの喧嘩はおろか、五つは年上の相手とも互角に戦える。
この世界の十四歳って言ったら普通に冒険者やってるくらいの歳だから当然強いけど、それでも互角といえる。
これ、鍛えていったら僕レベルじゃないにしろ、化け物級の戦士になれそうだ。
かっこいい上に強いのね!嫌いじゃないわ!なんて女性たちからモテモテになりそうだね。
ちょっと嫉妬。
『筋トレ、全部終わったけど』
はっや。やっぱり才能の塊だよこの子。
こんな村でいじめの的にされているのが勿体なさすぎる。
この子はもっと世界に羽ばたくべきだ。
じゃあ次は何をしてもらおうか。
思いつかなかったから適当にロープで吊るした丸太を大きく揺らして、避ける練習をしてもらいながらまた体を触ることにした。
心の内側と外側、両方に集中しなくちゃいけないから集中力が鍛えられる。
その上避けるための反射神経も養われる。
丸太が体にぶつかった時はかなり痛いだろうけど、そのまま受け身をとるようにも指示をした。
初歩的で誰でも思いつく修行方法だけど、シンプルなものほどわかりやすく強くなれるよね。
今めっちゃ横っ腹に丸太突き当たった。
しかも受け身も失敗。めちゃくちゃ痛そう。
痛覚も共有しているけれど、僕は痛いのには慣れているから平気。
クレイは悶え苦しんでる。ごめんね、こんなトレーニング方法考案して。
『はぁっ、はぁっ、もう一回!』
涙目で立ち上がってふらふらしながら丸太を揺らしに行く。
ガッツあるなぁ。
『ところで僕を忘れてない?今、右足触ってるよ』
『あっ』
と、意識を内側にやった途端に今度は丸太が顔面にクリーンヒット。
クレイの整ったご尊顔が!
ここは心を鬼にして、ひたすら特訓に付き合う。
……いや、鬼は捨ててあと二回くらい丸太にぶつかったら、今日はやめにしようかな。
*
『疲れた……』
『お疲れ様』
今日の成果。
クレイは見事自分の魂の形を認識することができました。
まだ動かすまでに至らないけれど、僕が触れずとも自分の魂の形を認識できるようになったのは大きな進歩だと思う。
丸太も最後の方は躱せるようになってたし、技術を得とくするのが実に早い。
その分、身体は傷だらけになったけどね。結局夜までやったから。
すっかり日も沈んで辺りは真っ暗。
朝に仕掛けた罠もまだ回収していない。
『早く帰って晩御飯にしようね。今日はいっぱい怪我をしたから、明日は休んで明後日またやろう』
『休息一日か。アギラって結構厳しいな』
苦笑いを浮かべるクレイ。
だって、いくら傷だらけとはいえ、今のクレイにはまだまだ余裕が見える。
少年漫画の鬼師匠だったら一日休憩どころか、このまま明日までぶっ続けで修行させているところだ。
それでも休憩させているのは、単に僕の立場だったら嫌だから。弱音を吐くなだの嫌なら帰れだのの体育会系思考は苦手なんだ。言われたことないけど。
極限の状態を継続して覚醒させるのはもっと先で結構。
今はクレイを大事に育てたい。
『さてと、罠を回収しないと』
クレイは立ち上がると魚罠、小動物罠を回収に向かった。
『獲れてる?』
『すごいぞ。大きいのが一匹入ってる。これだけで十分なくらいだ』
『やったね!じゃあ他の罠にかかってるやつは回収したら明日にとっておこう』
一つ目の罠で既に大盛り上がり。
ウキウキで二つ三つと罠を回収していく。
大量だ。食べるものに困っていたのが嘘みたいだ。
『すごいたくさん獲れるね。村の人たちはこの辺で狩りをしないのかな?』
『ああ、この森は危険らしいから』
初耳なんだけど。
そんな危険な場所に毎日通ってたんだ。
お願いだからもっと危機管理をしてほしい。
一番最初に教えるべきだったかもしれない。
『なんでもっと早くに教えてくれないの!』
『なんでって、俺は襲われたことないから』
『危険って何が危険なの?あ、湖に落ちたら溺れちゃうくらいの危険だったら許すよ?』
クレイが襲われたことないって言っている時点で違うとはわかっているけれど、念のため聞いておいた。
『昼は低級モンスター、夜は知能の低いワーウルフや魔猪とかが出ることがあるらしい』
あ、弱くて安心した。
ってなるのは魔王である僕だけで、ワーウルフなんかは村の常駐兵が二人係で倒せるレベルのモンスターだよ?並の冒険者ですら手こずる相手だよ?魔猪も同様。
つまり、今のクレイには危険!
『大変だ。早く帰ろう』
『まだ小動物用の罠を回収していない。それも見ないと』
『どうでもいいよ!自分の命の方が大事なんだから!』
クレイは引くことなくずいずいと小動物用の罠を回収しにいく。
命知らずだな!僕は何もできないんだから気を付けてよ!
『一つは空っぽだ。もう一つは誰かに壊されてる』
『冷静に分析している場合?壊されているってことはかかった獲物を食う何かがいるってことだよ』
『昼のうちにスライムか何かが食ったんだ』
『今、現在!いるかもしれないじゃん!』
クレイは話を聞かない。
僕は嫌な予感がビンビンしている。
帰らせたい。早くクレイを安全な場所に避難させたい。
次の瞬間、パキッと小枝が折れる音がした。
その音を最初に、何かが勢いよくこちらに向かってくるのがわかった。
『クレイ!逃げて!』
クレイは音がする方向に向き直り、回避の構えをとった。
だけど、相手は揺れる丸太よりも素早く、固かった。
突進してきた巨体はクレイを撥ねて、そのままかなり離れた位置まで進んで静止した。
クレイは短く息を吐いて、地面へと転がされる。
魔猪だ。
普通の猪と違って魔力を蓄え、魔物化した個体。
コイツはまだ若い方だけど、それでも成人男性一人くらいの大きさはしている。
『ぐっ……なんだよいきなり』
『なんだよじゃない!早く帰らなかったからモンスターに目をつけられただけだよ!』
『今までモンスターに襲われたことなんてなかった』
『今日は遅くまでいたからだよ!君みたいな子供はモンスターにとったら格好の獲物……』
という言葉の最中で気づいた。
魔猪は怯えている。
クレイにじゃない。僕に対して怯えている。
今までクレイがこの森でモンスターに襲われなかった理由。
単純な話だ。クレイの中に眠る魔王が怖くて、手出ししてこなかったんだ。
それがなんで今襲い掛かってきた?
こっちも単純な理由。狙われたと勘違いしたから。
魔猪からしたら僕らの仕掛けた罠から罠へ、食事を求めて移動していただけ。
それをクレイが罠を回収しようと後から続いた。
当然道が重なる。魔猪は追われていると勘違いする。
だからこちらに襲い掛かってきた。自分の身を守るために。
じゃあ結局途中で帰らなかったクレイのせいなのか。
そうじゃない。
クレイは今までモンスターに狙われたことがなかった。
だから、モンスターの危険性を知らない。
怖さを理解していても、自分は絶対に大丈夫という誤解をしていた。
その原因を生んだのは僕だ。僕という存在だ。
魔猪が突進の構えをしている。
クレイは今起き上がったばかりなのに。
『クレイ、落ち着いて聞いてほしい。すぐに木の上に上って、枝を伝って逃げるんだ。クレイの身体能力なら逃げきれる』
魔猪は怯えて攻撃を仕掛けてきているだけ。
ならば、こちらが引いてやればもう向かってはこないはず。
『わかった!』
クレイは素直に応じて即座に木を登り始めた。
途端に魔猪は突進の構えをやめる。
よかった。もう僕らに敵意はないと理解したのか。
賢いモンスターで安心した。
いや、違う。
魔猪の心の変化が見えた。
魔猪の心は恐怖から慢心へと変わった。
僕らが逃げの姿勢を見せた途端、自分は狩られる側ではなく狩る側だと誤認したんだ。
賢いなんて撤回するよ。この猪、醜悪な馬鹿だ。
魔猪は再び突進の構えをとると、クレイが登っている木めがけて突っ込んだ。
木は激しく揺れ、しがみついているだけでもせいっぱいだ。
魔猪は何度も木に向かって突進をかます。
クレイが落ちてくるのを愉快そうに待ちながら。
『ダメだ、このままじゃ時間の問題だ』
『ごめんクレイ、僕の考えが甘かった』
『アギラが謝るなよ。この状況を作り出したのは俺だ!アギラは何も悪くない!』
クレイの心は後悔の色でいっぱいだ。
クレイの魂も、悔しさで震えている。
……この窮地から脱する方法は、僕の嫌いな体育会系の考え方でいかなければならない。
弱音を吐くな。
『魂の動きと身体の動きを合わせて、魔猪を攻撃するんだ』
僕の指示を否定せず、クレイは頷いた。
難しいことを命令しているのに、やると言ったんだ。
クレイは目を閉じ、自分の魂の形を探す。
さっきまでのトレーニング以上にクレイが集中しているのがわかる。
今までパズルのピースが見つけられても、どこにはめれば良いかわからなかったのに、クレイはそのピースをカチリと当てはめた。
そして、クレイの魂が動いた。
魔猪の幾度目かの突進がぶつかる瞬間、クレイは木の幹を蹴って宙へ舞った。
突進の余韻で動けない魔猪は、クレイが木から離れたことすら気づいていない。
クレイは空中を蹴って、魔猪の頭上へと急降下する。
そのまま振りかぶった拳を落下の勢いとともに、魔猪の頭に打ち付けた。
頭蓋が粉々に砕ける感覚。
一撃で命を奪った確信。
僕らのピンチは、数分も経たない時間の中で終わりを迎えた。
*
魂の動かし方をマスターしたクレイは、早速魔猪の亡骸を軽々と自宅まで運んだ。
魔力を多く蓄えているだけで猪は猪。普通に食べることができる。
コイツを干し肉に加工すればしばらくは食に困らない。
『なんだかさっきのクレイすごかったね。別人みたいな動きだったよ』
正直に言おう。いくら命の危機の場面だったからとはいえ、一晩でマスターできるのはおかしいと。
やっぱりこの子は天才なのではなかろうか。
親代わりの魔王としても鼻が高い。
『ね?魂と身体をリンクさせるとすごい動きやすいよね?これで怖い人たちが来てもばっちりだよ。今日はひどい怪我も負ったし、しばらくは修行を休憩しようか』
当然だ。
丸太の修行分に加えて魔猪の突進による大怪我。
クレイが村人から嫌われていなければ医者に診てもらうレベルだ。
できないなら安静にさせてあげるのが吉だろう。
『ねぇクレイ』
何故だろう。クレイの心がずっと曇ってる。
『……ごめんなさい』
ようやくクレイが喋った。
『俺が、アギラの言うことを聞かなかったから、アギラに迷惑かけた。危険な目にあって、死にかけた』
ずっと気にしていたんだ。
もう済んだことなのに。
『気にしないでよ。今までクレイがモンスターに襲われなかったのは僕がクレイの中にいたから。クレイはモンスターに襲われないなんて誤解させたのは僕の存在のせいだ』
『ちが……違う。普通に考えればモンスターは危ない奴らなんだから、俺が言うこと聞くのが正しかったんだ』
意地っぱりだなぁ。
ここは一発ドカンと言ってやろう!
『過去の過ちを生かすなら、ぐぢぐぢ言わずに次に進め!僕は気にしてないんだから、クレイも気にしない!同じ間違いを繰り返したら、その時はちゃんと叱るからね!はい!メモ!』
心の中でクレイをビシィと指差して言い放ってやった。
クレイは薄ぼんやりと僕を見つめている。
あれ、あんまり刺さらなかったかな。
『……じゃあ、次また無茶したら怒ってください』
『無茶する前提かい!』
キレッキレのツッコミをクレイの魂にビシッと入れてやった。
すると、クレイは困ったように笑った。
『アギラは明るくて助かる。なんか落ち込んでたのが馬鹿らしくなってきた。ありがと』
『ハハハ!我は辛気臭いのが嫌いなのだ!』
クレイは僕の笑いにつられて曇りない笑顔を見せる。
さてと、今日は魔猪のステーキか。これまた食べたことないけど、こっちはちょっと楽しみ。
気にしてないなんか嘘だ。
ほんとはクレイが死んだらどうしようって気持ちでいっぱいだった。
危険な目にあって馬鹿じゃないのって言ってやりたいくらい。
すごく心配だった。怖かった。
無茶する子の親の気持ちっていうのがよく分かった気がする。
でも、クレイは無事だった。それどころか大きく成長した。
それは何よりも喜ばしい。
でも、初めてできた親友を失いかけた恐怖は、しばらく忘れられないだろうな。