035 最高の一日
クレイの封印が解けてから、クレイは僕とばっかり話していた。
クジラさんの呪いが解けたことも聞かずにささっと家を飛び出して、雪の積もった道をザクザクと踏み荒らしながら。
そうやって湖の畔にまでやってきた。
理由は今は僕とだけ話したいから。
みんなクレイのことを待っていてお話したいと思っていたのにね。
本人の希望ならと、みんなも僕らに時間をくれた。
クレイは湖の凍った水を覗き込み、ぶかぶかの手袋を外して氷にそっと触れた。
そして、指先にひやっとした感覚を感じた瞬間にサッとひっこめた。
『冷たいな。こんな感覚も無かったから、久しぶりだ』
氷に映ったクレイの顔は、あの地獄を思い出して少し笑顔が濁っている。
冷たいにも関わらず、今度は手のひらを氷に押し付けるように触れる。
手のひらから締め付けるような冷たさが伝わってくる。
気持ちいい物ではないけれど、久々に目が覚めたクレイにとっては五感を取り戻した大事な証。
手の温度で氷の表面が軽く溶け、手を引くとそこにクレイの手形が残った。
うーん、十歳の手って小さいなぁ。
まだまだ伸びしろがあるって感じ。
クレイは湖から離れると、木陰の雪が少ない場所まで歩いていき、丁度良い石の上に腰を下ろした。
そして、少し興奮した様子で僕に語り掛けてくる。
『なあ、俺が封印されている間に何か変化あったのか?さっきの甲冑兜だけ被った女の人とか、初めて見る人だったけど』
ついに来たぞ。クレイの質問タイム。
僕はこの時間を楽しみにしていたんだ。
きっとクレイは僕の話を喜んで聞いてくれる。
僕はこの三日間にあったことを順に思い出しながら、クレイに語り始めた。
おっと、でも呪いの話はクジラさんの口から聞いた方がいいかな。
クレイもきっと驚くね。
ヘサエイラとハント戦のあった日のことは抜かして、町に遊びに行った話をする。
『町か。俺も町に行ってみたいな』
『クジラさんにお願いしたら連れていってくれるよ。甘えたら?』
『そうだな。今度父さんに頼んでみる』
クレイはまだ見ぬ町の風景を想像したのか、小さく笑いを零した。
行ったら人攫いと迷子には気を付けようね。
まあ、クレイは下手な人攫いより強いと思うけど。
『んで、町には何かあったのか?』
どんどんクレイが聞いてくれるから、僕は嬉々として話を続けた。
冒険者のメノウとディルに出会って一緒に依頼をやったこと、依頼の目的のモンスターがまさかの僕の手下だったこと、それがクレイが目覚めた時に一緒にいたデュラだったこと。
一から全部順番に話した。
クレイはデュラの存在を知って、よくよく噛み砕いて話を理解する。
だけど、どこか引っかかるところがあるみたいだ。
『デュラって奴の事がどうかしたのか?』
『え、いや、今話した通りだけれど』
『デュラについて話す時だけ、アギラが幸せそうに話すから気になって』
聞かないでください。
僕だってそれは無意識だったよ。
そんなわかりやすかった?恥ずかしいんだけど。
いや、うん。クレイになら話してもいいかな?
僕は少し心を落ち着かせると意を決してクレイに語り掛けた。
『実は、僕、デュラのことが、好き、みたい、なんです、よね』
自分でもびっくりするくらいに途切れ途切れに話した。
全然心は落ち着いていなかった。
だってはっきり好きっていうのが怖かったんだ。
この気持ちに羽が生えて飛んで行っちゃうんじゃないかって恐怖がふわっと。
『へえ、いいな。好きな奴が出来て』
うわーお、あっさり。
僕の覚悟の告白を、クレイは網の張っていないテニスラケットで受け止めたよ。
そのくらいにはあっさりと話題が通り過ぎていった気がする。
だけど、クレイ自身は僕の言葉を聞いてとても嬉しそうだった。
なんだか照れるな、こうやって想い人を教えて素直に祝われるの。
『えっと、デュラには内緒ね!あ、他のみんなにも!じゃないと僕、恥ずかしくて死んじゃう』
『お、おう。恋する側の気持ちはわからないけどわかった。言わないでおく』
クレイは僕のこの感情が恋だとはっきり理解したうえで承知してくれた。
話が早くて助かる。
クレイはこう言ったらちゃんと約束を守ってくれる子だから、僕は安心して信じられる。
そして、話は『封印解除』入手編へ。
僕がみんなの活躍を説明すると、クレイはその様子をワクワクしながら聞いてくれた。
だけど、途中で興奮を通り越して悔しそうな気持ちを浮かべるクレイ。
『俺もモンスター千匹討伐やりたかったな』
そう言いながらクレイは拗ねた顔でわざとらしくつまらなそうな声を出した。
僕がその様子を笑うとクレイも笑った。
参加したかったのは本心だろうけれど、それをジョークにできるくらいには気にしていないみたいだね。
クレイが楽しんで僕の話を聞いてくれるから、僕は調子に乗ってどんどん続ける。
瞬殺だったクジラさんのコピー戦も、祭壇での神とのやり取りも、全部全部話してようやく僕は一息ついた。
クレイが居ない間の出来事は半分くらい語った。
あとはみんなと合流してからのお楽しみ。
僕らが話しているうちに、いつの間にかお日様も眠たくなってきたみたいだね。
『そろそろ帰ろうか。前みたいにモンスターに襲われたら困るし』
『そうだな』
クレイは石から腰を上げて大きく伸びをした。
そして、沈む夕日を眺めながらニッと笑った。
『ありがとな、アギラ。留守の間、俺の代わりをしてくれて』
『何言ってんの。僕は好き勝手アギラディオスらしいことをしていただけだよ。クレイの代わりなんてクレイ以外できない』
僕の反論を聞くと思わず息を漏らして笑うクレイ。
『ははっ、そうか。じゃ、俺の体を借りて楽しめたか?』
『うん!そりゃもちろん!貸してくれてありがとね!』
『どういたしまして。アギラが楽しめたみたいで何よりだ』
僕は明るく振る舞いながらクレイにお礼を言って、クレイも心から満足そうに僕に返事を返した。
こう返しておかないと「せっかく貸してやったのに」ってクレイが拗ねるからね。
それに久々の表だったし、僕も羽を伸ばしていたのは本当だ。
だからこれでいい。
僕たちがクレイの居ない間、たびたびクレイのことを思い出して寂しい思いをしていたのは内緒だ。
クレイは家に向かって歩きながら、僕の話の感想を聞かせてくれた。
冒険者ギルドで冒険者として働ける歳に早くなりたいとか、賑わう町の中でいろんな商品を見てみたいとか、いつか僕一緒にダンジョンに行ってみたいとか。
僕もクレイと一緒に冒険に出るのはいつか夢見ている。
クレイはクジラさんの呪いが解けたことを知らないから、それを大きな目標に掲げる。
僕はそうだな、クレイがいろんな人に会って、いろんなモンスターと戦って、いろんな経験を積んでくれたらいいな。
なんて言ったら、クレイは僕のやりたいことを言えって怒った。
そんなの言わなくてもわかるじゃん。
僕が旅に出るならば目標は一つ。
贖罪の旅だ。
『そんなつまらないこと言うなよ』
クレイは僕の夢をつまらないの一言で蹴っ飛ばした。
僕は呆れてクレイに言い返す。
『大事なことだよ。僕は絶対にやらないとだめだ』
『じゃあ、せめて俺が生きている間は我慢してくれ』
クレイは負けじと言い返してきた。
もしかして三日間封印されたのがそんなに堪えられなかったのかな。
クレイの寂しがりやに磨きがかかって、わがままになってしまったようだ。
いいね、子供らしくって。
『何笑ってるんだよ、アギラ』
『考えておこうかなって』
『ああ、頼むからな』
自分勝手なクレイの言い分を聞きながら夕暮れ、僕らは家に帰ってきた。
あれ?家の中が賑やかだ。
人の気配も増えている気がする。
おまけにいろんな食べ物の香り。
ははーん、なるほど。それはいい提案だね。
『クレイ、玄関に入ったらちゃんとただいまって大きい声で言うんだよ』
『いやだ。恥ずかしい』
『みんなクレイが帰ってきた実感が欲しいんだよ。ただでさえすぐに僕と飛び出してきちゃったんだし、ちゃんと言おうね』
『……わかったよ』
僕の説得に渋々従うクレイ。
玄関のドアノブを回して、息を大きく吸い込む。
「ただいま!」
扉を開けると同時に大きな声でクレイは帰宅を知らせた。
すると、真っ先にクレイを迎えに来たのはクジラさんだ。
クジラさんは言い難い笑顔を浮かべながらクレイをひょいっと抱っこすると、そのまま生活スペースにつれていく。
クレイはあまりにも急で、暴れることもせずに丸い目のままされるがままに運ばれる。
そして、生活スペースに入った瞬間、みんなの愉快で大きな声が僕らを出迎えた。
「クレイ、おかえり!!そして十歳おめでとう!!」
キャスヴァニアもケインも、村長にアスレイナまでちゃんと揃って満面の笑み。
アルとデュラも人に擬態していつも通りの薄桃の心模様。
部屋は明るく飾りつけられていて、机は予備も並べられてその上にごちそうがたくさん並んでいる。
数日遅れの誕生日パーティの再現だ。
さては僕らが湖に行くのを強く止めなかったのもこれが目的だね?
飾りや料理の出来にばらつきが見えるところ、全員で手分けして準備してくれたのがわかる。
超特急で全部用意してくれたんだ。
とはいえ、時間は十分あったと思うけれどね。
クレイは目をぱちくりさせてフリーズしている。
みんなの思惑通り驚いてはいるみたいだけど、喜んでくれるかな?
「すごいな、こんなに豪華に飾られた部屋、初めて見た。これがパーティなのか」
簡素な感想!あ、ダジャレじゃないよ。
クレイはクジラさんに抱っこされたまま、部屋中をゆっくり見渡して冷静に判断している。
みんなも思わず苦笑い。
十歳児ならぬ冷めた反応。もうちょっと興奮してくれたっていいじゃん。
「これ、全部俺のために用意してくれたってことか?なんだか照れるな」
クレイは眉を下げて笑いながら頬を掻いた。
そして、改めて大きく息を吸い込んでみんなに返事を返す。
「ただいま!みんなありがとう!」
クレイからの返事が帰ってくると、この場は一気に盛り上がった。
「ねぇねぇ、本当にクレイなの?」
アスレイナが期待の眼差しでクジラさんの足元に寄ってきて、クレイを見上げた。
クレイはクジラさんに下ろしてもらうとアスレイナに向き合って話しかける。
「ああ、俺だ。どうやって言えば信じてもらえるかわからないけど」
「クレイだ!その話し方はクレイだよ!魔王の頼りない話し方じゃないもん!」
『失礼な!?我魔王ぞ!?』
アスレイナに頼りない扱いされて、ついつい反論してしまった。
だけど、僕の言葉を認識して尚更嬉しそうにはしゃぐアスレイナ。
「魔王がクレイの奥で話しているみたい!やっぱり元に戻ったんだね!」
アスレイナはクレイの両手を取ってはしゃぐ。
クレイは顔を赤くしながらもちょっとだけ寂しそうに笑う。
僕と入れ替わりだったから、僕が引っ込んだことを残念に思っているみたいだ。
そんな顔しなくてもいいでしょ。
何年もあの場所にいるよりはマシなんだからさ。
「クレイ。お主が封印されたという知らせを聞いて、わしらはお主のことを心配しておった。しかし、どうやって封印を解いて戻ってこれたのじゃ?」
アスレイナを落ち着かせるのと同時に、頭に謎を抱えた村長が前に出てきた。
申し訳ないけれど、それは企業秘密だ。
この場にいるみんながアスレイナと村長に対して口をバッテンにして、白々しい顔をする。
「はっはっはっ、言えないようなことであろうと、そんな顔をできるのならば後ろめたい理由でもあるまい。わしはお主たちを信じて聞かなかったことにしよう」
村長は大きく笑うと後ろに下がっていった。
大人の対応、助かります。
アスレイナはなんで?と疑問を譲らなかったけれど、しばらくクジラさんが食べ物で釣っていたら見事注意がそむけたようだ。
さて、少し滑り出しが遅れたけれどパーティの始まりだ!
みんな思い思いに食事を器に移して食べ始める。
「私、チキンが欲しいです。この間食べて気に入りました」
「あ、俺様も!それとビーフの奴も!」
「はは、贅沢っすね。量はいっぱいあるんで、好きなだけ取っちゃってくださいっす!」
アルはどこで習ったのかわからない完璧な作法で食事をとり分けて、キャスヴァニアはわんさか器に盛って山賊のように豪快に消費していく。
クジラさんは余分に作った分を収納魔術にしまっていたらしく、笑顔でどんどん何もないところから補充している。
だから収納魔術は保温ケースじゃないんだって。
それともなんかの魔法で保温ケースっぽくしてるの?便利だね。
主役のクレイはもちろん優先的に臨んだ食事を手に入れることができる。
と言っても、クレイが欲しがるのはマッシュポテトとか豆のサラダとかばっかり。
僕はチキンが食べたい。そこの味が濃いの。あと、そこのゼリー。
あれ?クレイがチキンとゼリーを取って食べ始めた。
本人の舌に変化があったのかと思ったら、そんなことはなく嫌な顔して食べてる。
『クレイ、これを機会に好き嫌い無くそうとしてる?』
「違う。アギラも美味いと思えるものを食ってほしくて。せっかくのパーティで一人だけ望まない物ばっかり食べるのも嫌だろ」
なんていい子なんだ。
僕のために僕の好物を我慢して食べてくれている。
美味しい。美味しいよクレイ。このしょっぱい味が最高。
だけど、僕ばっかり美味しい思いをさせて、クレイに嫌な気分ばかりさせていたらパーティ参加者失格だ。
『僕はもう大丈夫だよ。居ない間に美味しい物いっぱい食べたからね』
「そうか?なら俺も食べたいもの食べるぞ」
クレイは今手に持っている分を消費し終えると、自分の好きな料理を取り始めた。
そうそう、自分の欲望に忠実なのが一番だよ。
好きなだけお食べ。僕はクレイの気持ちが何よりもうれしいよ。
「おーっと、そうだ。クレイ!渡せなかった誕生日プレゼントだぜ!わざわざ兵舎まで取りに戻ったんだからな!受け取れよ!」
クレイにとってのご馳走を食べていると、ケインが恩着せがましく細長い包みを手渡してきた。
慌てて食器を近くの机の上に置くと、クレイは両手でしっかりと包みを受け取る。
クレイは包み越しに中の物を探りながら、少し不安そうな顔でケインを見つめた。
「えっと、俺なんかが受け取ってもいいのか?」
「出やがったな俺なんか!受け取れ!んで開けろ!んで喜べ!」
ケインの圧に押されて、クレイは胸を躍らせながら包みを開けた。
包みの中に入っていたのは訓練用の刀だった。
訓練用とはいえ、しっかりと刃がついていて鞘に入っている立派な刀だ。
クレイは自分専用の刀に頬を紅潮させて歓喜の声をあげる。
「いいのかこれ!?俺の刀!?」
「おう!倉庫に眠ってたのを上司に聞いて俺が買い取った!いい代物じゃねぇけど、訓練やちょこっとした時に使えるだろ!大事にしろよ!」
はしゃぐクレイの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわすケイン。
プレゼントを買ってあげたお兄ちゃんとそれを喜ぶ弟みたいな兄弟像に見える。
クレイは刀を大事そうに抱えるとケインにお礼を言った。
「ここまで喜ばれるんなら用意したかいがあったな!」
ケインは鼻の下を指でこすりながらまんざらでもなさそうに笑った。
次はクレイとケインのやり取りを見ていたアスレイナが、走り寄ってくる。
「私も!はい、プレゼント!」
アスレイナは自信満々に木製ビーズのブレスレットを見せつけてきた。
ブレスレットを受け取りながら、クレイは微笑んで答える。
「ありがとうアスレイナ。大事にする」
「剣を貰った方が嬉しいの?」
「え、そんなわけじゃない。どっちも嬉しい」
「でも剣の時の方が喜んでた!クレイは剣の方が好きなのね!」
アスレイナはむすっと口をへの字に曲げると拗ねてしまった。
仕方ないよアスレイナ。
クレイは男の子なんだから、ブレスレットよりも武器ではしゃぎたくなっちゃうんだよ。
参った様子でクジラさんたちに助けを求める視線を送るクレイ。
でも大人たちはみんな和やかな笑顔を向けるばかりで、クレイに救いの手を差し伸べる気が無い。
僕もクレイには頑張ってほしいのであえて黙っておく。
ほら、男を見せるんだよ。
観念したクレイはアスレイナに貰ったブレスレットを腕に付けながら話す。
「えーっと、俺、こういうの付けるの初めてでさ。なんか、付けると照れるな。嬉しいっていうか」
クレイが顔をうっすらと赤く染めると、アスレイナは機嫌を取り戻してにまにまと笑った。
「それね、自然に紐がちぎれると願いが叶うおまじないをかけているんだよ。大事に壊してね!」
大事に壊せって、これまた無茶なことを言う。
それに紐がちぎれなきゃ叶わないなんていうのも変な話。
僕の前世にもそんなおまじない流行ったっけ。
アスレイナは満足すると村長の元に戻っていった。
「では続きまして、私からもプレゼントを」
というとアルがクレイの前に出てきた。
手には何か小さな箱を手にしている。
「それがプレゼントか?」
クレイが不思議そうな顔で受け取ろうと両手を出したけど、アルは首を横に振って箱の蓋を開けた。
箱を開けると中からは温かい音色が流れてきた。
オルゴール、ではなく魔力で音を閉じ込めていたみたいだ。
それにしてはアルの用意出来なさそうな楽器の音色がふんだんに使われている。
一体どこでこんな音楽を手に入れてきたんだろう。
しかし、この曲はとても暖かい曲だ。
まるで優しい母親の子守唄のように心を休まらせてくれる。
だけど、それでいてどこか寂しい。
その子守唄を歌う母親の、最期を迎える我が子への別れを歌うような曲。
まるで鎮魂歌だ。
これは僕の思い込みで、そんな意図は無いのかもしれないけれど。
僕らは全員この音楽に聞き入り、音が聞こえなくなると盛大な拍手を送った。
クレイはこういった音楽を楽しんだ事が無かったみたいで、呆気を取られた表情になった。
「すごいな。これ、アルが作ったのか?」
「はい。楽器を用意し、楽譜も作らずに演奏致しました」
演奏:アルステム・フルバック。
いくらチートスライムだからってそんな簡単にできることじゃないでしょ。
こんな曲を演奏できるようになるには音楽の教養スキルと演奏の経験を積まないと無理だよ。
またクジラさんがアルに何かスキルをねじ込んだんだろうか。
『ねえ、作曲もアルがやったの?』
僕はなんとなく、この曲の出所が気になってアルに問いかけてみた。
すると、アルは小首をかしげて言葉に悩んだ。
「いえ、この音楽は私がかつてどこかで聞いた曲です。しかし、どこで聞いたのかはっきりと覚えがないので、もしかしたら私が勝手な思い込みで作った曲かもしれません」
困った表情でなんとも不安定な返事をするアル。
生後数日で僕らと出会ったんだから、その数日間のどこかで聞いた曲じゃないの?
なんでそんな少し前のことをはっきりと覚えていないんだろう。
それとも、この場にアスレイナと村長がいるから濁して言っているのかな。
とにかく、クレイはこの曲を気に入ったのかまた聞きたいとアルにお願いしていた。
「それではまた演奏いたしましょう。次は皆様で演奏してみますか」
アルもまあそんな簡単によく言うよ。
普通の人は楽器を知識も経験も無しに演奏できないんだって。
だけど、クレイは満足した様子でアルにお礼を言っていた。
うーん、まあ僕は表に出てこれないし、いいか。
ふと、プレゼント会の合間にデュラのことが気になって、クレイの視界の中から探してみた。
デュラは部屋の中を歩き回って、煌びやかな飾りや机の上の料理などを見て回っている。
時々、いつもの不思議な笑い声をかぷかぷと出して、この雰囲気を楽しんでいるように見えた。
かわいい。
じゃなくて、デュラはクレイと知り合ったばかりだしプレゼントは無いよね。
じゃあ別にいいんだ。
別にクレイがデュラからのプレゼントを貰ったら嫉妬するわけではないからね。
断じて違うから。
あ、クレイへのプレゼント渡しが落ち着いたからか、デュラがこっちへやってきた。
そのまま楽しそうな気持ちを浮かべたまま屈んでクレイに目線を合わせる。
『はふふ、クレイくん。思ったよりも落ち着いた子だね』
「よく言われる。えっと、デュラは変わった笑い方をするな。癖か?」
その笑い方がいいんでしょ。じゃなかった。
クレイの素朴な疑問にデュラは胸に手を当てて唸りながら考える。
『うん、多分癖。無意識でやっちゃう。んふふ』
今日もデュラがかわいい。じゃなかった。
デュラは柔い口調でかぷかぷ笑いながらクレイに返事をする。
クレイはデュラの様子を見ながら、こっそりと僕に心の中で話しかけてくる。
『アギラのタイプって変わってるな』
『僕も予想外だったよ。守備範囲外から鈍器で殴られた感じ。クレイもその内わかるんじゃない?』
『……なんか怖いな。恋愛って』
僕の解説にクレイは苦笑いをする。
そういうもんなんだ。恋というものは。
クレイと何度か話を交わすと、デュラは満足したようで他の人の所へ去っていった。
もうちょっと一緒に、じゃない。
ほんとデュラが絡むと僕がバグる。
平常心、平常心。
「ほいじゃあ次は僕からのプレゼントっすー!」
ぱーっと明るく出てくるクジラさん。
手には何も持ってない。
僕にはなんとなく流れが読めた。
クレイはキョトンとしているけれど、こういう時のクジラさんの態度には心の準備はしておいた方がいいよ。
「実は短命の呪い解けたんっすよー!」
ほらね?いきなり暴露親子の親だから。
クジラさんは両手を広げてあっけらかーんと満面の笑みでクレイに教えた。
クレイはその様子に一言。
「は?」
久しぶりに聞いたよ。
クレイの怒り交じりの『は?』。
クジラさんは笑顔を少し気まずい物に歪ませつつも、気を取り直して首の後ろをクレイに見せつける。
「ほら!呪いの印無くなってるっす!これでもういつ死ぬかわからない状況とはおさらばっすよー!アギラディオスと協力して、頑張って解いてきたんで喜んでほしいっす!」
クジラさんは明るい空気を保ちながらクレイに打ち明ける。
ほんとにサラッと教えて良かったのソレ。
おまけで村長が口をあんぐり開けて固まってるけれど。
クジラさんの代わりに村長がいつ死ぬかわからないんだけど。
一方でクレイはわなわなと震えたまま俯いた。
クジラさんの焦っている気配を感じる。
「あー……えっと、やっぱり僕と一緒に冒険したかったっすか?それとも、勝手に封印解いちゃったのを怒ってるんっすか?それとも、軽々しく言い過ぎたっすか?」
多分最後のそれが一番の理由だと思うけど?
というか、自覚があるなら今後やめてよ。
村長の寿命がどんどん削れていくでしょうが。
クレイはいきなり顔を上げるとクジラさんに飛びついた。
そして、歯を食いしばりながら泣き始める。
「よかった……もう、父さんは助かったんだ……いきなり死ぬようなことはなくなったんだ……」
泣き顔に喜びを一さじ混ぜて、クレイはクジラさんの服を力いっぱいに掴んで事実を確認する。
クジラさんも、しゃがみこんでクレイを抱きしめる。
何も言わずに、優しく抱擁する。
言葉はいらないと判断したんだ。
クレイの体越しに感じるこの暖かさが、何よりも家族の絆を証明している。
家族の時間を取り戻せたという事実を、証明している。
他のみんなも、何か声をかけるわけではなく、しばらくの間は二人のことを見守ってくれた。
なんかケインの汚い泣き声が聞こえる。
情に厚いのはわかるけれど我慢してよね。
今大事な時間なんだから。
クレイは満足すると涙を拭って、クジラさんとこれからは何をするかを相談し始めた。
いつも通り修行をするのもいいけれど、町に遊びに行ったり、どこか探索に出かけるのもいいなんて話している。
いいねいいね、そういうの。
僕も無条件で連れていかれるから、親子の時間に割り込んで申し訳ないけれど楽しみだよ。
「それじゃあ俺様も!」
クジラさんとの会話が一段落ついたクレイに、キャスヴァニアが大きな箱を持って寄ってきた。
中身は誕生日の日に村の人たちから貰った品々だ。
流石に食べ物はもうない。
クレイが封印から目覚めるのがいつかわからなかったから、優先で使ってしまったからね。
あまりの品の多さに言葉を失っているクレイに、キャスヴァニアが解説をする。
「俺様からのプレゼントはこの石ね!大きくて真ん丸でかっこいいのだよ!それで、これは村の人たちからの冬のお花だね!カナトさんにお願いして水分を取り除いて貰って、綺麗なまま飾れるようにしてもらったんだよ!あと、これは雑貨屋さんからの道具で、こっちは倉庫番の人からの魔除けのアクセサリーでー!」
キャスヴァニアはそれぞれの品を意気揚々と一つずつ説明していく。
クレイは何が起きているのかわからないという表情で一旦キャスヴァニアを止めた。
「待ってくれ。村の人たちがこんなに?何かの間違いじゃ」
「いや、これは全部村人さんの贈り物だよ!クレイ、今までごめんね。誕生日おめでとう、だって!」
クレイはなんともむずがゆそうに口をごにゅごにゅとくねらせる。
頬を紅潮させて、眉をひそめて、どういうことを言ったらいいかわからないという顔をしている。
キャスヴァニアはそんなクレイの顔を見て笑った。
「ふふふ、前は間違えてアギラディオスに言っちゃったからね。今度はクレイに言えてよかったよ」
クレイは何も言わずにどうしたらいいかわからずに、ずっと照れ笑いをしてごまかしていた。
キャスヴァニアはその後も村人たちから貰った品と言葉をクレイに教えていた。
クレイはその一つ一つをしっかりと聞いて、もらった物を大事に受け取った。
みんながプレゼントを渡した後は、思い思いにパーティを楽しみ始めた。
村長にプレゼントが無かったことをいじるクジラさん。
主役だからどんどん食えとクレイに食事を押し付けるケイン。
人間状態でもアスレイナとキャスヴァニアの相手をしているアル。
そんな僕らの様子を観察してほわほわと楽しい気持ちを飛ばしているデュラ。
みんなそれぞれ、全力で楽しんでいる。
僕も時々クレイに絡まれる。
せっかく封印が解除されているんだからもっと話せって。
仕方ないから僕はいろいろとみんなの調子を聞きながら会話を楽しんだ。
その様子を見てクレイも満足した。
僕の事大好きだね。
そりゃそうか。僕らは親友だもんね。
人の言葉を聞かないダークエルフですら認めた、大親友だ。
*
あっという間に楽しい時間は過ぎ去り、アスレイナと村長、そしてケビンはそれぞれ帰る場所に帰っていった。
みんな寝る支度をして、キャスヴァニアとアルは自分たちの部屋で、デュラはクジラさんの部屋を借りて、僕らとクジラさんはクレイの部屋で眠りについた。
クレイはクジラさんに明日以降は何をするか相談していたけれど、クジラさんに遅いから寝るように促されてしぶしぶ瞳を閉じた。
『……なんか、眠るの怖いな』
目を閉じてからしばらくして、クレイは不安そうに僕に語り掛けてきた。
『目を閉じているとまたあの暗闇の中に戻ったみたいだ』
クレイは封印されていた時のことを思い出して、怯えている。
僕は、そっとクレイの魂を抱きしめた。
クジラさんも、外からクレイの体を抱きしめる。
『クレイ。ちゃんと僕らのことがわかるよね?もう一人じゃないよ』
「そっす。だから安心して寝ていいっすよ」
クレイの不安な気持ちが引いていく。
同時に、段々と僕も眠くなってきた。
「おやすみ、みんな。今日は最高の一日だった」
クレイはまどろんだ声で呟いて、そのままゆっくりと眠りの世界に落ちていく。
自分一人だけじゃない、夢の中へ。




