028 呪い自然発生自然消滅
おお、神よ。どうしてこんなに転生者がいるんだ。
僕は都合のいい時に都合のいい神を生み出してその神に八つ当たりをした。
いや、言い換えよう。転生者がたくさんいるのは百歩譲っていいとする。
どうしてこんなタイミングでばっかり前世を思い出す転生者がたくさんいるんだ。
僕らの目の前では魔女ヘサエイラがめそめそと涙を呑みながら手を組んで懇願している。
「勇者様魔王様神様仏様!どうか私の罪をお許しください!私はただのJKです!いや、でした!今は違いますけど!」
早口でまくし立てるヘサエイラ。
「私一ノ瀬柚音は清廉潔白、清く正しいピッチピチの十六歳です!でした!だけどトラックに轢かれて気づいたら異世界転生!?よっしゃ、異世界の強面イケメン共を籠絡して逆ハーレム生み出したる!というのが夢でした!現実はうまくは行かなかったようです!」
祈る手に力を込めて尚早口を続ける。
「生まれ変わって気づけば五百年!私の望んだイケメンは全て私の呪いの養分に消えていました!それどころか私は、どこからやってきたのかもわからないパンピーにも片っ端から呪いをかけていく始末!やってしまったと思ったのはついさっき!だって前世の記憶を思い出したのがついさっき!」
ボロボロと飴玉のような大粒の涙を零し、大きな声で叫ぶ。
「勇者様魔王様神様仏様!どうか私の罪をお許しください!私は悪気はあったけど、今はもう二度とやるつもりはございません!と言っても無理ですよねぇ!私がこうやって今叫んでいるのも全部妄言にしか聞こえませんよねぇ!あー!私の異世界人生ここまでだー!せっかく前世を思い出したのに、悪事を働くだけ働いて、歴史に悪い意味で名を刻んで退場するんだー!うわあああ!」
ひとしきり叫ぶと、ヘサエイラは地面に手と顔をつけて五体投地の姿になってしまった。
雪に顔をうずめてもまだ泣き叫んでいる。かわいそうに。
そりゃ散々やらかしてから記憶が戻って、目の前に魔王と勇者が居たら取り乱したくもなるよね。
しかも僕たちが理解してくれるとは思わないよね。
だって同じ前世持ちだって初見で気づくわけないじゃん。
僕とクジラさんは無言で顔を見合わせる。
「えっと、大丈夫っすよヘサエイラ。信じるっすっから」
クジラさんはしゃがんで刺激しないように静かな声色で語り掛ける。
ヘサエイラは顔を上げるとびっしょびしょの顔面をクジラさんに向ける。
「……まじですかー?」
「うっす。さっきまでのヘサエイラならともかく、今のヘサエイラにはちゃんと反省の色が見えるんで」
その通り。
さっきまで、つまり屋敷に風穴を開けられてここまで飛ばされるまで。
その時までヘサエイラの心には反省の色なんて欠片もなかった。
僕らに恐怖で屈服させられているという屈辱感。
そういった薄暗いもやもやの色ばかりが見えていた。
隙あらば仕返しをしてやろうという魂胆が丸見えだった。
今のヘサエイラは違う。
もう心の隅々まで真っ青だ。
反省、後悔、恐怖、悲哀、絶望というネガティブ感情のオンパレード。
これらが嘘だっていうのなら、ヘサエイラは詐欺の神様だ。
「僕も信じるよ。だから退治したり命を奪ったりしないから安心して」
「っす。柚音ちゃんっすよね?もう大丈夫っす。悪い魔女のヘサエイラは柚音ちゃんが倒したも同然なんで」
僕は温かい表情でヘサエイラを迎え入れる。
クジラさんは聞き覚えのある文を久々に使った。
僕らの言葉を聞くと、じわじわじわとヘサエイラの表情に喜びが浮かんでくる。
「あー!!勇者様魔王様ー!!」
ヘサエイラは僕らに何度も何度も頭を下げた。
まるでヘドバンだ。
また頭くらくらしちゃうよ。
*
僕らは一旦、屋敷の中にいる人たちを全て近くの町に連れて行った。
町の人たちにはクジラさんが残って説明をしてくれるそうだ。
あっちこっちから連れ攫われてきたみたいだから帰るための手続きとか、帰るまでの費用とかも用意して手伝ってあげるらしい。
しばらくは戻ってこなさそうだ。
ヘサエイラは監禁していた人たちに恨まれているからお留守番をしてもらった。
記憶が戻りたての状態で罪を突きつけられるのはキャスヴァニアで聞いた。
いくら悪いことをしたからと人々の怒りの視線に無為に晒す必要はない。
自分の罪と向き合い、償うまでの心の準備をさせてあげた方がいいだろう。
僕が戻ってくるとヘサエイラは僕を自室へ通す。
一面呪い避けが描かれた不気味な部屋だ。
目玉とか手の模様がびっしり。
見ているだけでむしろ呪われそう。
到底女の子の部屋とは思えない。いるだけでサブイボが立ってしまう。
「お恥ずかしながら、この部屋が一番まともで……」
ヘサエイラは紅茶を用意しながら眉をひそめて笑顔を作る。
これでまともっていうからには他の部屋はもっと悲惨なんだろうね。
何があるのかな。ミイラとか内臓とか飾ってありそう。
部屋の話はさておき、僕は席に着くと早速話題を切り出す。
「えっと、前世があるって言ってたよね」
「そうです。信じてもらえて嬉しいんですけれど、よくそんな苦し紛れの言い訳みたいな言葉を信じてくれましたね」
ヘサエイラも席に着いて僕たちの選択に疑問を投げかけた。
僕はヘサエイラの出した紅茶を一口飲む。
うーん、まずい。
多分これも呪い除けのお茶だ。
くどくてえぐくて苦くてスース―する。
本来は飲むものじゃなくて体にかけるものだと僕の舌が言っている。
紅茶のレポはこの辺にして、ヘサエイラの話に戻ろう。
「普通の人だったら信じないよ。記憶が戻って真っ先に話ができたのが僕たちでよかったね」
僕は紅茶を置き、段階を踏んで話すために遠回しな言い方をした。
ヘサエイラは予想通り目をぱちくりさせて僕の言葉に反応を示す。
「僕たちでよかったって、まるで転生する人を知っているみたいなことを言うんですね」
ヘサエイラも自分の淹れた紅茶に口をつけ、なんとも言えない表情をした。
あ、やっぱ本人でもまずい自覚あるんだ。
「えっとね、きっと驚くと思うから心の準備をしてから聞いてほしいんだけど」
僕が口を止めるとヘサエイラは真剣な顔をして僕の言葉に耳を傾けた。
「実は、僕とさっきの人も転生者なんだ。だから、君の気持ちがわかる」
ヘサエイラの固い表情が、わぁっと明るくなっていく。
そして、席を立つと僕の手を取って安心しきった表情を投げかけてくる。
「道理で話がわかると思った!ねえねえ、どこの国出身?前世は享年何歳だった?あ、いやだったら言わなくてもいいわよ!私が知りたいだけだから!」
「え、えっと、ゆっくり話すから聞いてほしいかな?」
僕は出身が日本であること、十九歳で亡くなったこと、他にも名前や趣味などをヘサエイラに話す。
ヘサエイラは席に戻って僕の前世の個人情報を粗方聞き出すと、両手を膝においてしばらく気ままに視線を宙に泳がせた。
僕の前世の人生を想像しているようだ。想像して楽しいもんじゃないと思うけど。
ヘサエイラは僕に視線を戻すと悲しそうな目を向ける。
これは子供が取り返しのつかないいたずらをした時の母親のような目だ。
僕はその目を知らないけれど、きっと愛のある母親ならばこんな目をする。
「前世で不自由してたからこんなにやりたい放題やったわけ?」
「違うよ。記憶が戻ったタイミングは封印された直後。君と同じように、全部やってしまった後」
僕の言葉で全てを悟るヘサエイラ。
説教モードに入るつもりだったみたいだけれど、その様子を捨てて机の上の紅茶を眺める。
そして足をパタパタさせながら、紅茶の器を手に取った。
「そっか、私と似たような感じか」
寂し気な瞳で紅茶の中に映った自分の顔を覗き込むヘサエイラ。
前世とは変わりきった自分の顔を再確認しているように見えた。
「私さ、異世界生活とか、憧れててさ」
ヘサエイラは、前世の様子を語り出した。
それは、この紅茶のような味わいのくどくてえぐくて苦くてスース―する前世。
前世のヘサエイラ、一ノ瀬柚音は恵まれた環境に生まれた。
父親がエリートで安定した収入。毎年海外旅行なんて当たり前。
とびっきり甘やかされた柚音は、わがままで自分の思い通りにならないとすぐ怒る子供に育った。
でも、小学生高学年のある日。両親が離婚。
理由は父親の働き先で、父親が原因の不祥事。
母親に連れていかれた柚音は今までの甘い環境とは打って変わって真逆の生活をすることになる。
今まで自由だったものが一切なくなり、わがままな柚音は何度も母親に怒った。
しかし、母親は柚音に厳しく当たり、必要以上の教育を何度も柚音に与えた。
更に、母親は別の男と再婚。
新しい父親が柚音を嫌ったことにより、母親の教育は更にエスカレート。
柚音はわがままな性格から一変。人の顔色を窺ってへりくだる子供になった。
それが中学一年生の頃。
家には居場所がなく、学校では自分の謙遜した態度から次第に友達が離れて行く。
それどころかいじめもたくさん受けた。
愛に飢えた柚音は自分を愛してくれるのであれば誰にでも懐いた。
そして、捨てられるたびに妄想の世界に逃げ込んだ。
ファンタジーな世界で自分好みの男性たちに囲まれて幸せに暮らすストーリー。
それが柚音の夢。
叶わないような夢を思い浮かべないとやっていけなかったと語る。
そんな柚音にも人生の転機が訪れた。
柚音が高校に入ると担任が首元の痣の異常性に気付いて両親を通報。
その後、両親は逮捕されて柚音は親戚の家に行くことになった。
親戚は柚音を温かく迎え入れ、柚音も次第に明るい性格になっていく。
新しい環境にも慣れて、友達も出来て、更には恋の予感も……。
ヘサエイラはまずいはずの紅茶を一気に飲み干した。
「という矢先にトラックに轢かれちゃったのよ。我ながら凹凸の激しい人生でした」
そう言って一息ついた。
うーん、異世界転生トラックさん。間が悪すぎない?
せめてもうちょっと早く……も良くないか。
なんとも混沌とした波乱万丈な十六年間に僕は二時間ドラマを見ている気分になった。
「今世はというと、前世での人間不信を引きずってきたかのように全てを恨んで生きてきたのよね。もう全員呪っちゃえって感じ。前世のことも覚えていないのに」
ヘサエイラは飲み終わった紅茶のカップを端に避け、机に両肘を置いて手に顎を乗せた。
そして、窓の外を眺めながら不満そうに呟く。
「なんで、今更思い出すのよ」
そうだね。
僕も、本当にこの世界に運命の神様がいるんなら、詰め寄って問いかける。
どうしてこんな理不尽を僕らに突きつける?
試練ならば何が正解なの?人の命を奪わせておいて何を望むの?
僕は神なんて信じていない。
だから、前世を思い出したタイミングが悪いのは全部どうにもならないことだ。
それを誰かのせいにしたり、自分の努力不足にしたりはしない。
やった覚えがあるからには、全部抱えて生きていく。
そう決めた。
「流石先輩。私よりも先に思い出しているだけあって、自分なりにしっかり考え持ってるのね」
ヘサエイラは僕の意見を聞くなり両掌を合わせてふざけた微笑みを浮かべる。
だけど、すぐにその表情を真面目な表情に変えた。
「……私も見習わないとね。となると、逆ハーレムはお預け。まずは世界各地で私がかけた呪いを全部解きに行きますか」
「それは大変そうな作業だね。でも、やるべきことには違いない。僕は応援してる」
僕は優しく笑ってヘサエイラの決意を称えた。
ヘサエイラは僕の声援を聞いて礼を言い、僕をまっすぐにじっと見つめて同じく笑った。
再び手の上に顎を乗せるとゆっくりした声で語り始める。
「私、あんたのことが好きだったのよ」
僕は急な告白に一瞬動揺したけれど、過去形で言われたことに気付いてすぐに落ち着いた。
ヘサエイラはティースプーンを指先で弄りながら笑顔を崩すことなく話す。
最初は魔王の噂を聞いて僕の経歴に傷を付け、自分の経歴に勲章を付けることを目的に呪いを携えて僕の城まできたヘサエイラ。
あっという間に僕に敗れ、嫌々傘下に入って僕に呪いを教えながら過ごすことになった。
だけど、共に過ごす内にヘサエイラの心には燃えるような感情が芽生え始めた。
それは恋。
自分と同じ最低最悪のクズである魔王にヘサエイラは共感した。
人々が苦しむ様子を共に眺めて共に嘲笑った。
呪いを一緒に研究しては新しい嫌がらせを思いついて、互いに互いを褒め合った。
そうやって僕と過ごすこと数年で、ヘサエイラは僕に恋心を持つようになってしまった。
距離が近いというだけで心臓が跳ねる。
ふとした瞬間に触れ合った時の肌の熱が、冷めるたびに恋しくなる。
存在を感じ取れなくなった時間に、相手のことを思い出して再び会う時間が待ち遠しくなる。
「恋。それは呪いよ。かけた相手を束縛する、最大級の呪い」
正気に戻ったヘサエイラは、隙を見せた僕に突如恋忘の呪いを放った。
魔王も自分に恋をしているのではないかと踏んで、その呪いから解き放ってやろうと呪いをかけた。
恋という呪いで腑抜けになった魔王なんて見たくはないから。
現に魔王という悪のカリスマが、隙を見せるほどに自分に心を開いている。
これ以上、好きになった男が自分のために落ちぶれて、自分の愛した人物像から離れて行くことを恐れた。
ヘサエイラは最大級に自惚れていた。
同時に、どうしようもなく僕を愛していた。
魔王はヘサエイラの呪いを独自の防御術で防ぎ、容赦なく反撃をした。
僕がヘサエイラを愛した?
真逆だ。ヘサエイラを全く信用しておらず、わざと隙を見せて寝首をかかせようと罠を張っていた。
僕に反撃されて重傷を負ったヘサエイラ。
使った呪いが恋忘の呪いと知って僕は何と言ったと思う?
「あんたは『我が愛などを他者に向けることは決してない。これまでも、これからもだ』って、言ったわよね」
ヘサエイラは魔王の言葉を聞くなり、転移魔法で城から脱出した。
そして、魔王城から遠く遠く離れた地まで逃げ失せた。
内臓がぐちゃぐちゃになりそうな苦しみだったという。
愛する者に拒絶された苦しみ。
愛など最初から与えられていなかったという苦しみ。
耐えがたい苦しみ苦しみ苦しみ。
逃亡中は常に苦痛に体中を蝕まれながらボロボロのまま走り回った。
失恋という苦痛にむせび泣きながら。
「だから自分に恋忘の呪いをかけたのよ。耐えきれないあまり、全てを忘れるために」
ヘサエイラは一通り僕に語ると自分の胸に手を当てて微笑む。
「呪い除去」
胸に当てた手から光が溢れ、鍵が外れるような音が聞こえた。
ヘサエイラは自らかけた呪いから解放されて背伸びをする。
「もうコレも要らないわ。今の私の好みのタイプと昔のアギラディオスの超絶悪人ムーヴは絶望的に合わないから」
手にしていたティースプーンを放り投げながら清々しい表情で笑うヘサエイラ。
ティースプーンは音を立てて床に落ち、ヘサエイラは続けて表情に邪気を加えながら語り掛けてくる。
「アギラディオス。昔はカッコよかったのになんで今はこんな子供になっちゃったの?」
「まだ封印されていて、今は封印先の子供の体を借りているんだ。しばらくはこのまま」
「じゃあ封印解けて元通りの姿になったら言ってよね?昔のアギラディオスは苦手だけれど、今のアギラディオスだったら逆ハーレムの候補に入れてあげるわ。私、ギャップ萌えもアリなのよね」
ハイエナのように舌なめずりをしながら僕を眺めているヘサエイラ。
思わず僕は笑顔に焦りを加える。
「いや、僕は遠慮しておくかな。まだ好みのタイプとか無いし」
「えー?それって大損よ!恋って最悪の苦痛にもなり得るけれど、最高の幸福にもなるんだから!」
僕に恋愛とは何たるかを熱弁するヘサエイラ。
愛に飢えてきた人の言葉の重みは違うなぁ。
でも、親や友人の愛に飢えていた僕も、少しその気持ちはわかるよ。
僕はクレイと出会って友愛を知った。
毎日会話してずっと同じ時間を共有して少しずつ幸福が貯まっていき、今では何事にも代えがたい最高の友情になった。
クレイと話しているだけで楽しいし、何だったら喧嘩している時間だって後から考えると面白い。
困難にぶつかった時は一緒に悩んだり、互いに励ましたりして乗り切ったりしてきた。
僕にとってクレイは、最高の親友だ。
それが、今は会えない。
クレイの体の中にクレイの魂は封印されていて、誰とも会話をすることもできず、何も感じることのない空間に閉じ込められている。
内部に意識を集中すれば、小さな宝石のようになったクレイの姿を見ることは出来る。
だけど、喋れない。動いている姿を見ることは出来ない。
それは、会えないのと同じだ。
クレイのことを考えるだけで胸がぎゅっと痛くなる。
僕が感じている寂しさをクレイも感じているのだとしたら、余計に締め付けられる。
この寂しさは、僕にとっては最悪の苦痛かもしれない。
僕らがそうやって会話をしていると、廊下からいい加減な気配が漂ってきた。
クジラさんだ。ようやく用事を済ませて帰ってきたようだ。
部屋の扉が開かれると軽快な足取りでクジラさんが中へと侵入してくる。
「っすー!ただいまっす!柚音ちゃん、心の整理はついたっすっか?」
片手をあげて軽やかに。
ヘサエイラはいい加減なクジラさんの態度に慣れていないからか少し戸惑っている。
「えっと、私の事はヘサエイラって呼んでほしいです。もう柚音は昔の名前なので」
「いや、ヘサエイラは僕の嫌いな魔女っす。柚音ちゃんはその魔女を殺した僕の英雄っす!あと、敬語嫌いなんでタメで!」
「え、ええ……?」
がんばれ、ヘサエイラ。
こんだけ長い付き合いをしている僕だって、クジラさんの突拍子もない言動には呆れまくっているんだよ。
このノリになれて、流れに身を任せるしかない。
そろそろ僕もなみのりを覚えたい。
しばらく遠慮をしていたヘサエイラだったけれど、クジラさんの圧に押されまくって敬語を外すことにしたようだ。
いくら五百年生きてきたとはいえ、今の精神年齢は十六歳なんだよ。
圧をかけないであげてよ。
大人げないとは思わないのか。
ヘサエイラが折れた後は互いに軽く自己紹介をして、前世紹介も行った。
「さてと」
クジラさんは適当に椅子を持ってきて座り、くつろいだ姿勢になりながら会話するモードに移る。
「僕の呪い、なーんで解けないんっすっかねー」
ドッキリを仕掛けられて見事ハマった人のように苦笑いを浮かべるクジラさん。
心の様子もふわっふわだけれど、これは操作しているからであって軽い気持ちなわけが決してない。
むしろ焦っていると思う。
僕の情報を頼りにここまで来たのに、また振り出しに戻ってしまったのだから。
ヘサエイラも居心地悪そうにしながら原因を一緒に考えてくれている。
「私、記憶力はある方だからちゃんと覚えているのよね。若いカナトさんと町ですれ違った時にかけたのよ。真っ白で目立つからちょっかい出してやろうって」
僕も言えないけれどそんな簡単に呪いを配り歩かないで。
人の背中に蹴ってくださいっていう張り紙を貼るのとは違うんだよ。
でも、クジラさんに呪いをかけたのが記憶通りなら、間違いなくヘサエイラの『呪い除去』で呪いは解けているはずなんだ。
僕は呪いの模様を再確認するためにクジラさんの首後ろを覗き込んだ。
は?
僕は思わず固まった。
封印の印が無い。
「クジラさん!自己鑑定して!」
「え、あ、はいっす」
クジラさんは僕に促されてスキルを使用する。
そして、僕のように数秒動きを止めてから、椅子が倒れる勢いて立ち上がった。
「はぁ!?短命の呪いが解除されてる!?」
クジラさんの素の驚きに合わせてヘサエイラも、ついでに僕も念のため鑑定を行った。
ステータス:職業不変の呪い、色失せの呪い、弱体の呪い、魔寄せの呪い、体力自然回復無効の呪い、激痛の呪い、スキル自然取得禁止の呪い、味覚激化の呪い、音失せの呪い、魔力自然回復無効の呪い 他
ぎゃあああああああああああああああああ!
いやあああああああああ!
嫌だ!なんだこれ!もう見たくない!
いない虫を探して戸棚を開けたら違う虫がわさっと出てきた嫌悪感!
全身の毛穴が全開になった!いやだ!いやだ!
怖い!こんなに呪いでいじめられている人初めて見た!
人に呪いを付けまくって遊んできたヘサエイラもドンびいている。
知ってる?これおそらく全部生まれつきだよ。天然物。
不幸を呼びやすい魔寄せ。
スキルや魔法、魔術、アイテム以外での回復を無効化する自然回復無効系。
同じくスキル魔法魔術アイテム以外での経験値の蓄積などで得られるスキルの自然取得禁止。
体中に常に痛みが走る激痛。
味覚を死ぬほど過敏にし、味のしない物しか食べられなくなる味覚激化。
聴力が非常に弱くなる音失せ。
この他にもまだあるの……?
やめて、もう二度とクジラさんのステータスを鑑定なんかしたくない。
スキル自然取得禁止とか、『能力再利用』が無かったら詰みじゃん。
今のクジラさんを動かしているのは大量のスキルである可能性が高い。
痛覚軽減とか聴覚強化とか、その辺を持っているモンスターを狩りまくったんだろうな。
体力や魔力が自然回復しない魔物のレアスキル、体力自然回復とか魔力自然回復とかも奪い取ってきたのかな。
この人、スキルを封じられたらその瞬間に死ぬんじゃないかな。
いけないいけない。
今は短命の呪いの有無の確認だ。
「ほんとに無いの?」
「あ、ああ無い。どこにも見当たらない」
「嘘でしょ!?呪いはかけた相手しか解けないわよ!さっき、私の呪い除去は不発だったし!」
思わずヘサエイラもクジラさんの首後ろを確認する。
だけど無いものは無く、ヘサエイラは頭をこんがらがせてしまった。
「ここに付けたはずなのに無い?ちゃんと付けたわよ?私、記憶力はいい方だもの。なんで?どうして?」
「心当たりが全くない。ここに来る前に確認した時にはまだあった」
互いに首をひねりながらクジラさんとヘサエイラは短命の呪いがどこに行ったのか話し合っている。
僕も一緒になって心当たりを探した。
すぐに一つ思いついて、僕は脊髄反射で声に出した。
「大きな純白翡翠のイヤリング!ヘサエイラ、この言葉に心当たりはない?」
ヘサエイラは翡翠……と呟いて部屋から出ていくと、すぐに本を一冊抱えて帰ってきた。
そして、机の上に広げて置くと中身を僕らと共有する。
呪いに関する書らしく、どのページも気持ち悪い絵で埋まっている。
その内の一ページを開くと、ヘサエイラはとある項目を指さした。
「大魔術『呪術強制撤回』っていうのがあって、その呪いを打ち消す意味を持つ宝石やアーティファクトを消費して、誰にかけられた呪いでも除去できるものがあるわ」
ヘサエイラは大魔術の項目を指でなぞり、記載されている文言を僕らに示す。
「短命の呪いの対は翡翠。だけどこの大魔術は、呪いをかけた相手の力量次第で使用する物品にも格が求められるの。私みたいな呪いのエキスパートに対して小さな宝石一個程度じゃ絶対に解除できない」
ヘサエイラの解説で、僕にはある程度察しがついた。
「だから大きな翡翠が必要なんだ」
「そう。それもレア度の高い純白の翡翠で、更に職人の手によって最高品質のイヤリングに加工されていれば消費するアーティファクトとしては申し分ないわ」
なるほどね、大魔術か。
僕も三つくらい持っていたはずだけど、それ以外で事足りるから使ったことがない。
効果も使用方法も忘れた。興味が無いものはすっぱり知らない。
今は封印のせいで使えないから自己鑑定しても出てこない。
また封印の力が緩くなってきたら自己鑑定で調べてみよう。
とか僕が思っているとヘサエイラは首がねじ切れそうなくらいに傾げ始めた。
「それにしても『呪術強制撤回』って。習得方法が不明で、この世の中でも片手で数えられるくらいしか持っている奴いないと思うんだけど。それがカナトさんの呪いを解いた?どんな確率だと思ってんの?あり得ないわよ」
あっ。
僕は気づいてしまった。
クジラさんが数時間前、前世の罪を思い出したタイミングで呪いが発生してしまった時。
その時に現れた紫髪の女性。
僕はてっきり、彼女はクジラさんに寿命を分けてくれただけのものだと思っていた。
だけど、彼女は寿命を分けたことを念のためと称していた。
念のためということはおまけに過ぎないってことで、他に何か処置を施したということになる。
じゃあ、彼女が大魔術を使った?
そんな様子は無かったのに。
僕は大魔術を使われたにも関わらず、一切何も感じ取れなかったの?
そうだとしたら、大魔術が使えることも踏まえて間違いなく彼女は常人ではない。
不自然だ。
ピンポイントでクジラさんが苦しんでいる所に現れて、そのまま治して去っていった。
彼女の目的は何だったんだ?
クジラさんを救って何がしたいんだ?
「世界の守り人的な存在で、一応勇者扱いされている僕を見殺しにしたくなかったーとかっすっかね?」
僕が気づいたことを説明すると、クジラさんはいつの間にかいつも通りのあっけらかんとした態度に戻っておちゃらけて椅子に座りなおしていた。
まったく、得体のしれない謎があるっていうのに、呪いが解けたからって安心しきっちゃって。
「それにしても僕が気を失っている間にそんなことがあったんっすね」
「うん。髪型と髪の色、性別しか覚えていないけれど、まさかそんなにすごい人だとは思わなかった」
「もっと早くに教えてくださいっすー!そうすりゃこんなに悩まずに済んだかもしれないじゃないっすかー!」
と、言われてもね……。
存在を知らなかった大魔術のせいで、かけた本人しか解くことができないはずの呪いが消えているなんて思うわけないじゃないか。
クジラさんに話していた所で今頃同じ結果だよ。
「はー、安心した!私のかけた呪いが解けなくなっているわけじゃなくて!」
一連の騒動の理由がわかり、胸を撫でおろすヘサエイラ。
一方でクジラさんは横目で僕を眺めたまま、座った状態の椅子を斜めらせてバランスをとっている。
「どうしたの?クジラさん」
「いや、クレイに良いプレゼントが用意できたなって」
口角を上げて僕越しにクレイを見つめるクジラさん。
そうだね、本当に良かった。
もう、クジラさんはどこにも行く必要が無い。
クレイが目覚めたら、ずっと傍にいてあげることができる。
珍しく体の方で泣いて喜んじゃうかもね。
「ねぇ、ヘサエイラ」
僕は、どうにもならないことをヘサエイラに聞いた。
「高度封印じゃなくて、低度封印を解く方法は知ってる?」
「うーん、流石に専門外。そこの勇者様が知らないならお手上げじゃない?」
わかっているけれど、諦めきれない。
クレイを早く目覚めさせてあげたい。
クールですぐに人の輪から一歩外れたがるけれど、寂しがりやな少年なんだ。
あんな暗闇に、一秒たりとも長く居させるわけにはいかない。
だけど、方法がわからないんじゃ今はヘサエイラのいう通り何もできない。
僕は大人しく引き下がった。
僕が引くと今度はクジラさんが質問を切り出す。
「さっきの男たちの他に仲間はいるんっすか?」
「ごめんなさい、それについては私も知らないのよ。私はハントに命令されて、呪いを込めたアーティファクトを提供したり、呪いの実験用の人々を提供されたりしていただけ」
ヘサエイラの本当に何も知らなさそうな態度に、クジラさんは一言お礼だけ言った。
ハントとその仲間についても解決したわけじゃないからね。
これからも気を付けないといけない。
「じゃ、二人はこれからどうするの?私は今まで呪いをかけた覚えがある地域を回って片っ端から解いてくるわ」
ヘサエイラは骨の折れる仕事を簡単に言いのけた。
口では軽く言っていて余裕も見えるけれど、心の中には覚悟が見えた。
自分が今まで犯してきた罪と向き合い、清算する覚悟が。
「またあの男が来る可能性もあるっすよ?一人で平気っすか?」
「自分の身は自分で守れるわ。不意打ちには弱いけれどね」
クジラさんの心配を苦笑いで受け取るヘサエイラ。
不安だけれど、ずっと僕らがついていくわけにもいかない。
転移魔法のごり押し移動は『即時回復』を持っていないヘサエイラには負荷がかかり過ぎる。
だからといってヘサエイラの移動速度に合わせていたら全てを回りきるのに何年もかかってしまう。
僕らには帰る場所があるんだ。
ヘサエイラには申し訳ないけれど、一人で行ってもらうことにした。
「じゃあこの首輪はもう外しちゃうっすね」
「あ!忘れてた!もう少しで徒歩の旅になるところだったわ!」
忘れないでよ。何年どころか何十年の旅になるところだったよ。
クジラさんは転移拒絶の首輪をヘサエイラから外してあげた。
「じゃ、僕らもサントレア王国に帰るっす。柚音ちゃんも、気が向いたらカリネア村にぜひ遊びにきてくださいっす!」
「僕らの他にももう一人転生者がいるんだ。同じく女の子だから、きっと仲良くなれると思うよ」
「そうね!じゃあ、近くまで行ったら少しの間お世話になるかも!」
僕らはいつか再会できることを祈ってから屋敷の外へ出る。
ヘサエイラはこの屋敷に満ちた呪いを全て片付けてからここを出るらしい。
間違っても踏み入れた人が呪われないように、念入りに跡形もなく片付けるから安心するようにと僕らに約束した。
僕らはヘサエイラを信じて別れを伝えると転移魔法を使用する。
ヘサエイラの姿は瞬時に周りの流れていく景色に飲まれて見えなくなった。
さて、当分かかるだろうと思っていた目的は果たした。
クジラさんを少し観察してみたけれど、いつもよりもいい加減に感情を操作して何を考えているかわからない。
でも、心の様子を読み取らなくてもクジラさんの気持ちは理解できる。
クレイに呪いを解いた事実を伝えられるのが楽しみっていう気持ちが。
 




