(閑話)転生を知る者
この世界のどこかに存在する場所。
確かに存在していた時間。
魔王アギラディオス・グランハイドの与り知らぬその場所で、奇妙なやりとりがあった。
「スネーイル、まだ転生者は見つからないのー?」
小さなピンク髪の妖精は、窓際で外を眺める男を呼ぶ。
スネイルと呼ばれた男は声に気付いていないのか、窓の外の雨の一粒一粒を眺めていた。
妖精は無視をされたことに腹を立て、スネイルの周りを飛び回る。
「ねーえー!見つけたなら教えてよー!」
ハエのように辺りを飛び回る妖精を、スネイルは鬱陶しそうに手であしらう。
尚も無言を突き通す。
妖精は自身に興味の無い男に嫌気がさし、棚に飾られた豪華な皿を突き落とす。
地面に落ちた皿は、音もたてずに直立した。
正確には、床に衝突する寸前で静止していた。
男は窓際から離れると皿の近くまで歩き、皿を拾い上げて棚に戻す。
「スキルの無駄遣いするくらいなら全力で探しなよー!」
妖精は何も自分の思い通りにならないことを憎み、再び皿を落とそうと接近する。
しかし、次の瞬間には妖精はガラスの壁に激突していた。
妖精は痛みに耐えながら壁を確認すると、自分がいるのは部屋の中ではなく小瓶の中であることに気付いた。
妖精は中で大声で叫ぶが、スネイルは一切聞く耳を持たずに窓際へと戻る。
二人がその様に無意味でしかないやり取りをしていると、重々しい部屋の扉が開かれた。
部屋の中に入ってきたのは大きな白いイヤリングをした女だ。
拳のサイズほどある宝石を使った贅沢なイヤリングは、彼女の耳に負担をかけることなくぶら下がっている。
彼女は身に着けている衣服の裾を持ち上げ、丁寧に礼をすると男の傍に歩み寄る。
「ちょっと!フライもなんか言ってやりなよ!転生者がいつまでも見つからないんじゃお話にならないんだよ!」
女は自らの名前を耳にするなり妖精の入った小瓶に近づき手にする。
そして、自らが身に着けている衣服の袖から紫色の針を取り出すと、小瓶の蓋の上から刺して中に入れる。
妖精は自らの真横に針が落とされると血相を変えて瓶の壁を叩き始める。
「いやあ!やめてよ!悪かったから!これはやめて!お願い!やめて!」
妖精は命乞いのように瓶を叩き続ける。
いや、命乞いだ。
瓶の中に落ちた針はゆっくりと変形し、鎌首を持ち上げると即座に妖精の体に巻き付いた。
細長くなった針に触れている肌が、急速に紫色に変色していく。
「いやだ!死にたくない!死にたくない!」
妖精の肌は溶け落ちていく。
そして、十秒も経てば妖精の姿は小瓶から消えてしまった。
中に残されたのは紫色の液体。
フライは小瓶の蓋を開けると針を回収し、小瓶を口につけて中の液体を飲み干してしまう。
「うえ、相変わらず趣味悪い」
死んだはずの妖精は、フライの横を浮遊していた。
フライは小瓶から口を離すと妖精を眺め、羽を掴んで小瓶の中へ押し込もうと試みる。
「ごめんウィーズル。もう一杯」
「やめてー!あんたのために何度も食われたくないの!痛いし、気持ち悪いし、鳥肌が立つー!」
フライは嫌がるウィーズルを無視して瓶の中に押し込める。
そして再び針を落としてウィーズルに巻き付かせた。
「いやー!」
スネイルは二人を気だるそうに見つめ、止めもせずにただただ放置した。
何度かそうやってウィーズルは殺され、フライは液化したウィーズルを飲み干した。
スネイルはその間何もすることなく、ただひたすらに時間を無為に過ごした。
「ごめんウィーズル。もう一杯」
「もうやらせるか!ふざけんな!あんたの飢えは満たされることないでしょ!」
フライの伸ばした手を力強く叩くと、ウィーズルはスネイルの肩に止まった。
スネイルは肩に止まったウィーズルを、コバエを潰すように叩く。
ウィーズルはまるで紙のように薄くなり、地面へと落下する。
「もーいや!もーいや!早く転生者を見つけて楽になりたいだけなのに!なんなのよもう!」
ウィーズルは再び部屋の中に現れると、怒りを辺りにまき散らしながら開きっぱなしの扉から出ていった。
部屋の中にはフライとスネイルのみが残り、静寂が訪れる。
フライは針をしまうとスネイルの隣に立ち、紫色の目を細めて空を見上げた。
「『避けられる死を避けようとせず、生を諦めることこそが最大の罪』」
スネイルは自身の手を眺めながら呟いた。
フライは窓を開け放ち、降りしきる雨粒を手に受ける。
そして、まるで植えた獣のように手に溜まった雨粒にかぶりつく。
「『罪を赦されたいならば、自らの色を探せ』」
スネイルは戯言のように言葉を呟き続ける。
いつの間にか雨がやみ、空には月が光輝いている。
傍らの女は自らの衣服を破り、その破片を口に運んで咀嚼し始める。
気だるそうな男は気にも留めない様子で、部屋の明かりに向かって手を伸ばした。
「『転生者は全て、消せ』」
男が呟くと同時に開いていた手を閉じると、部屋の明かりが消えた。
部屋は静まり返り、二人の人影が外からの薄暗い明りに照らされるだけとなった。
静寂に包まれた部屋の中で、フライが布切れを噛み続ける音だけが響く。
「転生者が見つかった」
暗闇の中で艶めかしい声が響く。
スネイルとフライは声に気付き、聞こえた方角へと視線を投げる。
部屋の入口には人影が立っていた。
窓からの明かりも届かない位置で、男は静かに二人を見据える。
「緑と黒だ。スネイル、喜ぶと良い」
喜べと言われたスネイルは、言葉には従わずに無気力な目を向けたまま。
声を発する、身振りをする、その他一切、何もしない。
「だが、緑は我々が何もせずとも消えるだろう」
途端にスネイルは声の主の目の前に急接近した。
「消えるのか」
「ああ、消える」
スネイルの力の籠った問いにつややかに答える影の人物。
しばしの間無音が響く。
スネイルは煩わしいと言いたげにフライへと視線を向ける。
「詳細を聞いて、お前が向かえ」
フライは噛んでいた衣服を飲み込むと、大きな口を裂けそうなほど左右に広げて微笑んだ。




