022 外との交信
本日は雪。この雪は一日中降り続き、かなり冷え込むことになるでしょう。
上着を羽織り、十分な防寒対策をしてお出かけください。
「積もった端から雪かき!大変だー」
僕らの目の前では今、雪に見合わない温かい色の頭髪を振り乱しながら、戦士服に身を包み拘束具を付けた女性がえっさほいさと道の雪かきをしている。
キャスヴァニアは今日から村の奉仕作業。クレイはその見張り役。
雪は降り続けているから、ようやく終わったと思った頃には最初に除雪したところにまた雪が積もり、延々と雪かきの作業が続く。
まるで賽の河原だね。もっと優しいけれど。
今朝は昨日が大変な一日だったってこともあり、修行はおやすみすることになった。
ケインもどうせこれから一週間強は忙しそうだからね。どうせなら一緒に修行したい。
クレイは昨日達成した魂だけ眠る行為を試そうとしたけれど、どうしても僕は表へ出てくることができなかった。
クレイ曰く、「寝たタイミングがわからないからうまく再現できない」らしく、起きてからしばらくベッドの上でひたすら脱力して過ごしてしまった。
でも、一回できたならまたできるようになるはず。
僕はそういってクレイを励ましておいた。
他のみんなは今何をしているかというと、アルはいつも通り何もしないで留守番をするみたい。
クジラさんは新しい家族のキャスヴァニアのために家具を揃えに町へ買い物に行った。
午後には買い物が終わるみたい。
今キャスヴァニアが着ている戦士服は真っ先に買ってきたもの。
理由はいつまでも囚人服だとかわいそうだから、だって。
本当は拘束具も解いて伸び伸び行動をさせてあげたいんだけど、道を歩いてて肩と肩がぶつかっただけで骨が折れただの因縁をつけられて、責任を問われるのが面倒だから我慢してもらっている。
早く自由の身になるためにも、村の地道なお手伝いを頑張ろうね。
道端で雪かき作業をしているから、時々通りすがりの村人に出会う。
彼らのキャスヴァニアに対する態度は様々だ。
小声で暴言を吐き捨てていく人。何も言わずに通り過ぎていく人。言いづらそうに礼を告げていく人。
いくらキャスヴァニアがA級犯罪者でも、中身が子供同然になってしまったことと、自分たちを助けてくれたことを踏まえて、既に許してくれている人も何人かいるみたいだね。
だけどまだまだ多くはない。
「ねね、クレイ。クレイは暇じゃない?」
キャスヴァニアは雪かきをしながら座り込んでいるクレイを呼ぶ。
クレイは隙あらば魂だけで寝れるか試している。今のところうまくはいっていない。
「こう見えて修行しているんだ」
「へぇ!どんな修行?」
「魂だけ眠る修行」
「よくわかんないけどむずかしそうだねー」
淡々と告げるクレイの様子を見ながら、ほわほわとした柔らかい物腰で答えるキャスヴァニア。
その時、道の向こうから複数人の子供たちがやってくる。
前にクレイに石を投げていじめていた子たちだ。
子供たちは近づいてくるとクレイを取り囲むように広がる。
クレイはまたいじめるつもりかと思ってムッとした表情になったけれど、子供たちの様子からどうやら違うと感じ取って力を抜いた。
「……ごめん、化け物っていって」
最初の一人の謝罪を皮切りに、子供たちは次々に謝り始める。
落ち込んだ表情の子供たちの心の色は言い現わし難い色で染まっていた。
クレイは子供たちが心からの反省の念を自分に向けていると知ると、微笑みを作って子供たちに向けた。
「気にしてない。わかってくれたならそれでいい」
すぐに許されるとは思っていなかったのか、子供たちは互いに顔を見合わせて不思議そうにしている。
そして、隠していた雪でできた玉を取り出して、クレイに差し出しながら控えめに提案をしてきた。
「じゃあ、さ。遊ぼうぜ。これで」
クレイは生まれて初めての遊びのお誘いに、顔を輝かせて頷いた。
「いいよ。見張りもあるから移動しながらになるけど」
クレイがそういうと、子供たちはハッとした表情でキャスヴァニアに振り返った。
キャスヴァニアは子供たちと目が合った後、おろおろしてから困ったような笑顔を作って向けてきた。
子供たちはキャスヴァニアを見ると悩んだ表情になってクレイも入れて一緒に耳打ちを始める。
「どうする?アイツ的にして遊ぶ?」
「だ、ダメだ!いくら悪い奴だからって、いじめるようなことをしたら」
クレイは大きな動揺を受けて、慌てて止めた。
子供たちは理解していない表情でクレイを変なものを見る目で見つめる。
「……そうやって、俺のこともいじめただろ?だから俺、そういうの苦手なんだ」
クレイが悲しそうな表情で告げると、ようやく子供たちはクレイの気持ちを理解したのか再びクレイに謝り始める。
クレイは謝罪を受け入れると、少し考えてから代わりの提案をしてきた。
「キャスヴァニアも投げ返してもいいなら、やる?キャスヴァニアに当てた奴は十点。当て返されたらマイナス一点で」
クレイのゲーム性のある提案に子供たちのやる気は上がる。
一方的ないじめから雪合戦へと競技を変えることができると、クレイはキャスヴァニアにルールを伝えに行く。
「わー、面白そう!負けないよー!」
「じゃあ俺は審判をやるから、みんなでやってくれ」
クレイは自ら審判を名乗り出ると、みんなから外れて道の端っこに移動する。
審判なんかせずとも一緒に遊べばいいのに。
そして、クレイの合図で子供たちvsキャスヴァニアの雪合戦が始まった。
子供たちは雪玉を作ってキャスヴァニアに投げつける。
キャスヴァニアは手を抜いているのかたまに子供たちの雪玉に当たる。
「やった!十点、ってわぶっ!」
「へへーん、お返しー!」
キャスヴァニアの見事な雪玉コントロールが相手の顔面に命中する。
子供たちは仕返しに燃えて球を作っては投げる速度が上がる。
キャスヴァニアは弾幕に翻弄されながらもようやく本気になって、雪玉を避けながら雪をかき集めている。
互いに本気になって遊んでいて、すごく楽しそうだ。
『ねえ、今からでもクレイも参加したら?』
僕は子供たちの点数を数えているクレイを見てられず、声をかけた。
『俺はこれでいい。みんなが楽しそうだから』
クレイは心の底から幸せそうな表情をしている。
全く、そんな風に輪から外れた位置にいるとまた仲間外れになっちゃうよ。
その時、クレイの顔に冷たい衝撃が走る。
「あ、ごめんクレイ!当てちゃった!」
キャスヴァニアが動き回る子供たちと間違えて、クレイに雪玉を当ててしまったようだ。
クレイは呆れながら顔の雪を払うとボソッと呟く。
「マイナス五十点」
「うっわ!クレイに当てられたらえげつない減点貰うぞ!」
子供たちは何を勘違いしたのか、はしゃぎながらクレイを囲んで守る。
「え、今のはキャスヴァニアに言った奴で」
「でも、クレイを守りながらキャスヴァニアと戦うのも面白そう!」
「クレイに当てられたら俺たちにマイナス五十点な!クレイも本気で避けろよ!」
突然巻き込まれて、クレイは慌ててキャスヴァニアの雪玉を避ける羽目になった。
クレイは避けるのが上手いから全く当たることはないけれど、キャスヴァニアは全力でクレイを狙ってくる。
次第にクレイもキャスヴァニアも子供たちも、みんなごちゃごちゃになって雪合戦をし始める。
もう点数なんて関係ない。一番避けて当てた人が勝者だ。
次第に他の所からも子供たちが集まってきて、雪合戦は熾烈を極める戦いになった。
クレイもいつの間にか全力で遊んでいる。
息を乱しながら、ひたすら楽しそうに。
そうだよ。これが本当の子供のあるべき姿なんだ。
この強烈な戦いは、キャスヴァニアが通りかかったおばさんに雪玉を当ててしまって終わりを迎えた。
A級犯罪者に萎縮しておばさんが怒ることはなかったけれど、クレイとキャスヴァニアは頭を深く下げて謝った。子供たちも集まってきてみんなで謝った。
尚更怒る雰囲気ではなくなって、おばさんは呆れた笑顔を浮かべて去っていった。
「すっごく疲れた!」
「クレイもキャスヴァニアも強い。全然当たんない」
子供たちは乱れた呼吸を整えながら、クレイとキャスヴァニアに避けるコツと当てるコツを教わりに来る。
二人はフェイントや相手の移動先に向けて投げることなどを子供たちに教えている。
みんな笑いあっていて和やかな雰囲気だ。
でも、時々暗い顔をする子もいる。
クレイはその子に暗い顔の理由を問うことはなかった。
なんとなく予想はついているからだ。
みんなその様子に気付かなかったフリをした。
その子自身も理由を問われたくないのか、すぐに表情を変えて隠した。
昨日の犠牲者の中には、子供もいる。
この狭い村の中では子供は全員友達同士みたいなものだ。
友達を失って悲しくない子なんていない。
体の傷は治っても、心の傷は深い。
だからみんな遊ぶことで無意識に癒そうとしている。必死に痛みを忘れようとしている。
僕は蘇生魔術の使用条件を思い出していた。
死んだ人の体に三日以内に使うこと。術者は膨大な魔力を使うこと。魂が天に登っていないこと。以上。
この世界では案外簡単に人の死というものに抗えるみたいだ。
だけど、蘇生魔術はよっぽどの魔術師でも覚えている人はそういない。
覚えていても必要な魔力量から普通の人は一日に一回使うのが精一杯だ。
そして、魂が天に登っている者は生き返せられない。
魂が天に登るっていうのは、呪いによる死や特殊な死によって永久的な死を迎えた者たちのことを指す。
前に話したクジラさんの短命の呪いとか、僕とクレイが入れ替わるために使おうと思った魂抜きの瓶による事故死とかが当てはまるね。
それと、蘇生魔術で一度生き返らせた者は、次に死を迎えた時は天へ直行だ。
無理やり現世に引き留めていたから天に引かれる力が強くなっちゃうみたい。
もし、僕が表に出ることができれば、みんな生き返らせてあげられるのに。
『クレイ。あと二日以内に僕と入れ替わることができたら、亡くなった人たちを』
『やめよう。だめだ。そんな酷いことを』
僕がクレイに蘇生魔術の話を切り出したら、クレイに否定されてしまった。
『なんで?たった一回だ。たった一回やり直すチャンスをみんなに平等に与えられる』
『確かに、それで生き返れたら死んだ人たちも残された人たちも喜ぶかもしれない。だけど』
クレイは怒りを心に注ぎ込みながら僕を睨む。
『人の命が軽くなる。死んでも助かるって、痛い思いをしても二度目があるって、みんな無茶をするし無茶をさせるようになってしまう。俺は蘇生魔術なんて大っ嫌いだ』
クレイにこんなに真剣な怒りを向けられたのは初めてかもしれない。
思わず僕もたじろぐ。
命が軽くなるか。それはクレイの勝手な個人的な意見だ。
それでも生き返らせたい人はいるんだ。
最後にチャンスがあるのなら、救いたいはずだ。
クレイだって、エミリカさんと会えるって言われればこの意見は変わるかもしれない。
でも、確かに酷い魔術だね。
最初の一回ならいくら酷い死に方でもやり直せるなんて。
命がけでもがいて、苦しんで、助けを求めてダメだったのに、全部なかったことになる。
『そうだね、ごめん』
『いいよ。わかってくれれば』
クレイは僕と心の中で怒りを交えて話していたのに、表向きではとても笑っていた。
他の子供たちの沈んだ気持ちを晴らしてあげようと、明るく振る舞っていた。
蘇生魔術よりも何よりも、残された者たちにはそれが一番なのかもしれない。
それにしても、この場には大勢の子供たちがいる。
だけど、あの子の姿が見えない。
キャスヴァニアはそのことに不安を抱いているように見えた。
辺りを見渡してから、独り言のように小さな声で確認する。
「そういえば、アスレイナちゃんはいないんだね。俺様がいるせいで混ざってこれないのかな」
「いるよ」
リンッとした声にびっくりして僕らは辺りを見渡した。
よく見ると居た。いつもの短い青髪をもこもこの帽子で隠して、口元まで隠れるようなもっこもこの服に身を包んで。
いつの間にか遊びに混ざっていたんだ。
ほんとにいつの間に?
キャスヴァニアはアスレイナの登場に怯え、その辺の物陰に隠れてしまう。
アスレイナはそれを追うようにキャスヴァニアに近づいていく。
「ご、ごめんなさい!俺様に気にせず遊んで!」
キャスヴァニアは物陰で頭を抱えてしゃがんで震えている。
アスレイナは、しばらく自分より大きなキャスヴァニアの震える姿を見つめていた。
そして、その辺の雪をかき集め始めると、小さな雪玉を作ってキャスヴァニアの首元に投げつけた。
「やっと当たった」
アスレイナはやりきった顔をすると、困惑しながらも冷たそうに雪を払うキャスヴァニアの傍でしゃがんで目線を合わせた。
「村のお手伝いじゃなかったの?」
アスレイナは細い目に力を込めてキャスヴァニアを睨む。
キャスヴァニアは威圧感に押されて目線をそらす。
「えっと、誘われて、遊んじゃいました……」
まるで親の手伝いを放り出して叱られている子供のようだ。
アスレイナは腰に両手を当てると呆れたようにキャスヴァニアを叱る。
「通りかかったら遊んでるんだから!怒ろうと思って雪玉ぶつけようとしたら当たんないから!ちゃんと働かないとだめでしょ!めっ!」
「ご、ごめんなさい……ちゃんとやります……」
アスレイナに叱られてキャスヴァニアが縮み上がって謝っている。
なんだかすごい光景だなぁ。
キャスヴァニアはめそめそと雪かきの道具を持つと道に向かって行く。
「もう遊び終わりー?」
「僕も家の手伝いあるから帰るー」
「じゃあかいさーん」
子供たちは次々に別れを告げて散らばっていく。
この場にはクレイとキャスヴァニア、そして子供たちと一緒に帰らずに一人残ったアスレイナだけになった。
「アスレイナは帰らないのか?」
「うん、見張り手伝う」
クレイに問いかけられたアスレイナはキャスヴァニアの隣へ行くと穴が開くほど見つめ始めた。
キャスヴァニアは顔を真っ青にして、今までサボっていた分必死に雪かきをする。
でも、アスレイナの心に怒りの色が見えない。
むしろ愉快そうだ。顔は見えないけど、笑っていそうだ。
『自分を苦しめたキャスヴァニアが言うことを聞いているから面白いのかな』
『そうなのか?それにしては純粋に楽しそうに見える。あと、少しの悲しさも』
クレイはアスレイナの様子を眺めながら思ったことをそのまま僕に伝える。
確かに人を陥れて楽しい、みたいな邪気は見えないね。
アスレイナは雪かきをするキャスヴァニアの周りをうろうろしながら、それでも邪魔にはならないように気を付けてキャスヴァニアを監視する。
「そこ、雪残ってる」
「はいー!」
アスレイナの指示でキャスヴァニアは慌てて残った雪を取り除く。
アスレイナの心には悲しそうな、でも嬉しそうな気持ちがふわふわと浮かんでいる。
「アスレイナ。お前、今楽しいのか?悲しいのか?」
複雑なアスレイナの心の動きを不思議に思ってクレイは問いかける。
アスレイナはピタッと足を止めて首をかしげて考える。
「……嬉しいの。この人が良い人になろうとこんなに頑張っているのが。でも悲しいの。パパとママを殺した人が、何も仕返しされずにいなくなったみたいで」
幼い頭で考えた複雑な思いをそのまま口にする。
性格が変わってしまったキャスヴァニアを、以前のキャスヴァニアとは他人のように感じている。
自分の両親を奪った相手を見失ってしまったせいで、やり場のない怒りと悲しみを抱えることになってしまった。
加害者を許してしまった被害者は、この気持ちとこれからも戦い続けることになるんだろうね。
僕に因縁があるクジラさんとケインも、心のどこかにこういう感情があるのかな。
「……俺様を責めていいよ。俺様がやったから」
キャスヴァニアは雪かきをする手を止めて、口籠った声で言って俯く。
アスレイナはキャスヴァニアを見つめた後、その辺の雪を丸めてキャスヴァニアに投げつけた。
「手を止めちゃダメ!」
「は、はい!」
アスレイナに叱られてキャスヴァニアは慌てて手を動かす。
アスレイナは細い目と小さな手にぎゅっと力を入れて怒る。
「私、許してないもん!キャスヴァニアはまだ嫌いな人!大嫌い!だから頑張ってさっさと良い人になってね!」
鈴の鳴るような声がキャスヴァニアを責める。
きついけれど、優しく、背中を支えるように責める。
口では許していないと言っているけれど、それは十分許してしまっているようなものだよ。
キャスヴァニアはアスレイナの激励を受け取って、口をへの字に力を入れて曲げて泣きそうな声で呟く。
「はい、ありがとう、ございます。がんばります」
「泣くくらい悪いと思っているならよし!」
アスレイナはキャスヴァニアの気持ちを理解しないままふんぞり返る。
キャスヴァニアは目に溜まった涙を拭うと、誠心誠意を込めて雪かきを続けた。
僕らはその様子を、ひたすら最後まで見守った。
*
お昼よりもちょっと遅いくらいの時間。
雪が降るペースもだいぶ落ちてきた。
キャスヴァニアは雪かきの途中で壊れた民家の扉を直したり、道具を直すのも手伝ったりもしたけれど、その間もずっとアスレイナは引っ付いていた。
やっぱり怒りの感情はどこにもなく、寂しい嬉しい気持ちがずっと浮かんで見えていた。
村の人たちは最初の内はキャスヴァニアに向けて隠し切れない怒りを浮かべていたけれど、一番の被害者であるアスレイナが心を許しているからか、キャスヴァニアが一生懸命村の奉仕に取り組むからか。とにかく最初よりはキャスヴァニアに優しくなった。
「おい、みんな飯食ったか」
近くの店の店主が僕らに声をかける。
そういえば今日はまだお昼を食べていない。
アスレイナもキャスヴァニアも、監視やら奉仕やらですっかり忘れていた。
クレイも普段は森の中で罠にかかった獲物を焚火で焼いて食べるか、クジラさんが休憩時間に買ってきた物を食べるかだから、忘れていたようだ。
お腹が寂しい感じがする。
店主はクレイ達が食べていない様子に勘付くと、自分の店の中に入っていって商品のパンを籠いっぱいに乗せて持ってきた。
「ほら、売れ残りだが食いな。このままじゃ固くなっちまう。大丈夫、金は取らないさ。クレイに今まで意地悪した分だ」
店主は少し怖いけど優しい笑顔でクレイ達にパンを勧めた。
みんなお腹が空いていたから、順番に並んでお礼を言いながらパンを受け取る。
「ありがとう、ございます」
「ありがとー!」
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「ありがとっすー。あ、これはお代っす」
「だから金は要らないって言ってる……誰だあんた!?」
クレイ、アスレイナ、キャスヴァニアに続いて見知った人が僕らの後ろに並んでいた。
いつもは浅くかぶっている帽子を深めに被って、お金を差し出しながらパンを手に取っていた。
その人物は全身真っ白な村人A服に身を包んで、僕らににっこりとほほ笑みかけてきた。
クジラさんやないかい。
村人に顔が割れているから秘密にしておいてって昨晩言ってたのあなたでしょうがい。
なんで人里に降りてきちゃったの。帰りなさい。
突然の知らない人の乱入に驚く店主を気にせず、クジラさんはお金を差し出している。
「ほら、こんなにタダで配っちゃったら困るっしょ。子供たちの分も払うっすよ。良い人には得をして欲しいんで」
困惑する店主に無理やり多めのお金を握らせるクジラさん。
「あ、ああ。毎度あり。こんなにくれるなら籠ごとサービスだ。それでもちょっと多すぎるがな」
店主は押し負けると不思議そうにクジラさんを一瞥して去っていった。
子供たちは突然のクジラさんの登場に驚いている。そりゃそうじゃ。
『なんで村にいるの』
「や、様子見に来ちゃったっす」
困惑する子供たちのことも気にせず、片手を上げて陽気に挨拶をするクジラさん。
アスレイナは何も知らないからか不思議そうな顔をしてクジラさんに寄っていく。
「ありがとう、おじさん。お金大丈夫なの?」
「いいんっすよー。お嬢ちゃんがかわいいからこのくらい大したことないっすー」
事案よ事案。
アスレイナ、知らない人には優しくされてもついて行っちゃだめだよ。
クレイはパンに齧り付きながら不思議そうにクジラさんを眺めている。
不思議に思ってるならツッコミ入れようよ。僕だけに任せないで。
「もう内緒じゃないの?」
ナイスキャスヴァニア。
ちゃんとクジラさんに疑問を投げかけてくれた。
クジラさんはあっけらかんとした態度でパンを頬張りながら答える。
「んー、みんなのことが心配になっちゃったんで。それに昨日の件もあるっすし、そろそろ村長たちに顔見せといた方がいいかって思いまして」
なるほどね。それなら納得。
にしてももうちょっと遠くから声をかけるとかさ、近づいてきたら話しかけるとかないの?
さも自然のように列に並んでパンを受け取るな。金を払うな。いや、お金は払ってもいいんだ。
アスレイナは僕らとクジラさんが知り合いとわかると安心してパンを食べ始める。
一応警戒心はあったんだね。よかった。
「クレイ。この子はどこの子っすか?」
「この子がアスレイナだ」
クジラさんはアスレイナの特徴が目しか見えていないからわかっていなかったみたい。
アスレイナだと知ると納得してしゃがんで目線を合わせるクジラさん。
「アスレイナちゃん。キャスヴァニアと一緒にいるっすっけど、もう怖くないんっすか?」
「怖くない。でも許してないから監視してるの。サボらないように」
アスレイナはパンを食べながら答える。
クジラさんはその様子に頷きながら耳を傾ける。
「じゃあちゃんと見張らないとっすね」
「うん!」
リンとした声で元気に返事を返すアスレイナ。
クジラさんは立ち上がるとクレイに体を向ける。
「というわけでこれから村長に会いに行くっす。一緒に来るっすか?」
朗らかな笑みを浮かべながらクレイを誘うクジラさん。
クレイは少し迷った態度を見せる。
「でも、俺にはキャスヴァニアの監視がある」
「それなら私に任せて!絶対にサボらせないから!」
アスレイナは自信満々にキャスヴァニアの服を掴んで宣言する。
キャスヴァニアは困ったような笑顔のままパンを食べている。
アスレイナの気持ちは嬉しいけれど、監視を任されているのはクレイだから、何かあった時は全部クレイの責任になっちゃうんだよね。
アスレイナ以外のみんなも僕と同じ発想に至ったみたいで、少しの間唸り声をあげた。
「じゃあ一旦みんなで村長の家に行きましょ。アスレイナちゃんもついてきてくれるっすか?」
「うん!私、今は村長の家に住んでるから案内する!」
クジラさんの提案を飲むと、アスレイナはみんなを先導して歩き出した。
そうか、両親が亡くなってしまったから元の家には住めないんだ。
小さい子一人じゃ危ないからね。
クレイはもっと幼い頃から一人でボロ小屋暮らしだったわけだけど。
村長の家にはすぐに到着した。
アスレイナは帰宅の挨拶を元気に言って家の中に飛び込んでいく。
「村長ー!お客さんが来たよー!真っ白白の人ー!」
アスレイナの全くその通りな紹介を聞き、奥から慌てた足音が響き渡ってくる。
そして、村長が年に見合わないスピードで玄関へとやってきた。
クジラさんと目を合わせるとわなわなと体を震わせ、声をかける。
「カナト……!」
「お久しぶりっす、村長」
クジラさんは帽子を取ってにっこりと微笑み、深々とお辞儀をした。
村長は挨拶も忘れて辺りを見渡し、クジラさん以外にクレイとキャスヴァニアもいることに気付くと慌てて部屋に招き入れる。
「とにかく話は中でじゃ。お主が村にいるとなると皆驚く」
「はーい、じゃあお邪魔するっすー!」
村長の慎重な態度とは真逆にあっけらかんとした態度で家に入っていくクジラさん。
みんな客間に通されると村長の指示で席に着く。
村長も焦る気持ちを整えながら席に着いた。
「……カナト、帰ってきたのか」
村長は落ち着いてクジラさんに問いかける。
「ほい、一か月くらい前に帰ってきてたっすー」
村長はずっこける。
そりゃそうよ。自分の知らん間に帰ってきてるんだもん。
「……クレイと一緒、ということは話したのか?」
村長は席に座りなおしながら問いかける。
「っすねー。だって一か月間ずっとクレイの家に泊まってたんで」
「もう驚かんぞ」
クジラさんの魂胆が見えているのか少し食い気味に喋る村長。
クジラさんは一本取られたという顔で笑っている。
お茶目な人だなぁ。
いつもの突拍子もない行動はもしかしてわざとか。わざとにしてもさ。
「あ、じゃあ呪いのことも全部話してるっていうのは?」
村長が口をあんぐり開けて固まってしまった。
やめろよ!村長はお年なんだから!下手したらショックでぽっくり逝くよ!
村長は気を取り直すと深くため息をついて笑う。
「はぁ、本当に昔っから何も変わっとらんな」
「村長も。驚かしがいがあるっす」
二人して笑いあっている。
まあ、村長が許しているならいいか。
クレイとキャスヴァニアとアスレイナは暇だからさっき貰ったパンを食べている。
もうそろそろやめにしておかないと晩御飯食べれなくなるよ。
ふと、村長が笑うのをやめて真剣な顔つきでクジラさんを見つめた。
「なぜ、昨日はおらんかったんじゃ」
村長の問いに、クジラさんは笑顔を苦い物に変える。
「ちょうど王都に用があって留守にしてたっす。呪いを解くための光明が見えたんで、そのための調べもので」
「そうか。時の巡りあわせが悪かったか」
場の空気は重くなる。
村長はクジラさんを責めるわけではなく、ただただタイミングが悪かったことを悔やんだ。
「お主の息子、クレイの活躍は見事じゃった。褒めてやってほしい」
「もちろんっすよ。自慢の息子っす」
クジラさんは隣にいるクレイの頭を撫でながら微笑みを向けた。
クレイは犠牲の規模を思い出しながら、素直に笑えず複雑な表情になる。
「だから、救った人のことも見るっすよ。自分の行動は誇らしいって、胸を張るっす」
「うん」
クジラさんに心の内を読まれ、クレイはすっきりしないまま胸を張る。
クジラさんはクレイを指さしながら村長に声をかける。
「この通り強情なんっすよ。きっと犠牲が猫一匹でもこうだったっす」
「そんなことない」
クジラさんの馬鹿にした態度に怒るクレイ。
村長は二人のやりとりを見て静かに笑う。
「そうじゃな。昔のお主そっくりじゃ」
「あっはっは、ここまでじゃないっす!」
大きな声で笑うクジラさん。
クレイはふくれっ面になって二人を睨みつける。
「んで、クレイの世話を頼んでおいたはずっすっけど、なんで放置してた」
突然、クジラさんの言葉に怒気が宿る。
村長は一瞬怖気づき、少し経ってから深く頭を下げた。
「クレイ、カナト。本当にすまなかった!わしはクレイの中に眠る魔王が恐ろしくて恐ろしくて、クレイの世話から逃れようと必死じゃった!イアンに大金を渡す約束をしてまで任せて、クレイから逃げていた……!」
村長は心の底からのお詫びをクジラさんに告げていた。
クジラさんは足を組んで深くため息をつく。
「俺はクレイに灰色の少年時代を過ごさせたかったわけじゃない。これなら俺が死ぬ気で守りながら旅に連れて行った方がマシだったな」
クジラさんの怒りは収まらない。
村長を許すつもりが微塵も見えない。
村長は頭を下げたまま硬直している。
「せめてもっといい大人を育ての親にしろ。居なければ無理やりにでも自分が面倒を見てくれればよかった。それができなければ、俺と約束なんてするな。お前が断れば俺が連れて行ってたさ」
村長はクジラさんの威圧感に押されて声が出ない。
「父さん、俺は気にしてない。もうそろそろ」
「クレイ。悪いがこれはクレイだけの問題じゃない。今話しているのは責任を持って育てると言って約束をした手前、その約束を破った村長の問題だ。簡単に許したら、罪はその分軽くなる」
この場にいるみんなの心が締め付けられた。
加害者側の僕とキャスヴァニアも、同じ罪を背負うと決めたクレイも、被害者のアスレイナも。
簡単に許したら、罪は軽くなってしまう。
僕らの心の中に染みついた罪は、そう簡単に軽くしてしまってはいけない。
許されてはいけない。
「すまなかった。詫びはなんでもする」
村長は頭を下げたまま絞り出すような声で謝罪する。
クジラさんは頭を抱えて首を左右に振った。
「言葉でも、態度でも、品でも金でも足りない。クレイが許しても俺はあんたを許さない。心に刻んでおけ」
つららのように鋭く冷たい言葉が村長に深く突き刺さる。
村長は心の中で後悔の涙を流していた。
「うっし、じゃあ話切り替えるっすよー。村長、頭上げてくださいっす」
クジラさんはパンパンと手を叩いて、沈みきった空気をすんごい無理やり入れ替えてきた。
村長もまだまだ反省の色を拭いきれないまま顔を上げる。
「と、父さん。そんなんでいいのか?」
「それはそれ。これはこれ。アギラディオスの時もそうっす。いつまでも心が晴れないなら責任を追い続けても無駄っす。村長には反省の気持ちを忘れずに居てもらう。いつか償いの時が来たら何らかの形で頑張ってもらう。それでいいっす」
クジラさんのスタイルはいつもこれのようだ。
もしも僕が前世の記憶を取り戻したことを伝えずに出てきててもこんな感じだったんだろうか?
いや、僕には見えるぞ。延々と僕をサンドバッグにするクジラさんの姿が。
クジラさんが言っているのはその時に償える形が無ければ放置するってことかな。
僕の時もクレイが居ない時に言及してきたし。
そうやって割り切って対応できるところは正直に見習おうと思う。
「アギラディオス……魔王が何か?」
村長は沈んだ気持ちのまま僕を話題に出したクジラさんに食いつく。
あらら、知らないよ。うまくごまかしてね。
って、なんかクジラさんがにやにやしている。
嫌な予感がする。
「実はクレイの中の魔王とお話できるんっすよ。僕」
言いやがった!
村長が恐れ飛びのく!クレイが顔を抑える!アスレイナはキョトンとしている!キャスヴァニアはパンを食っている!それ何個目?
クレイはクジラさんを睨みつけながら窘める。
「父さん、村長が怖がる。町にも話が広がるだろ」
「いやー、もういいっしょ。ちゃんと害は無いって説明するんで」
「害がない?!魔王がか?!どういうことじゃカナト!わしにもわかるように説明してくれ!」
村長はわなわなと震えながらクジラさんに説明を求める。
クジラさんは震える村長を愉快そうに見つめている。
この人……いくら村長を許していないからって。
「いやー、封印されている期間中に魔王さんもようやく反省したみたいっすよ?やったことは許されないっすっけど、許してもらうためなら何でもやるみたいっす」
「魔王が……?そんな馬鹿な……」
村長は信じられないと言いたげに恐怖と共に混乱気味の表情を浮かべている。
確かにそうなんだけどさ。
害が無いってどうやって信じろっていうのさ。
「クレイ曰く、昨日の事件解決にも一役買ったんすよね?」
「え、ああ」
「な、なんじゃと!?」
クジラさんの問いかけにクレイは答える。
「みんなを操る魔術を止めたくても、俺にはどうしようもできなかった。だから、アギラに入れ替わって止めてもらった。アギラは今は何も悪いことはしない。信じてくれ」
クレイは真摯な態度で村長に訴えかける。
村長は席を立って部屋をうろつき始めた。
あーなのかこーなのか、独り言を言いながら部屋をうろうろ行ったり来たり。
クジラさんは愉快そうにそれを眺めている。この愉快犯め。
村長はようやく落ち着くと自分の席に戻った。
「……カナトとクレイ。お主らのような優しい、正しい道を行く者たちが言うのであれば今の魔王は無害で間違いないんじゃろう。しかし、わしのような何もわからん者にとっては魔王は恐怖の対象でしかない。実際に話ができるわけではないんじゃ。心から信用することは出来ん」
村長はため息をついて自分の気持ちを伝えた。
そうだよね。そう簡単に僕の言うことを信じるわけにもいかない。
怖いもんは怖い。
「あ、じゃあ実際に話してみます?」
できんの?え?
僕が?村長と?話せるの?
もしかして村長が念会話の達人みたいな?
あ、違うみたい。村長がはぁ?って顔してる。
『僕、外と会話できないよ。どうしろっていうのさ』
僕は不満げにクジラさんを問いただす。
「念じ方を変えればいいんじゃないっすか?村長に伝わるようにー!って強く念じるとか。封印がこのくらい弱まってたら魔王くらいの実力ならできそうっすっけど」
そんな簡単に伝わってたら苦労しないし何の実力?
封印前に念会話なんてしたことないよ?
全く、騙されたと思ってやってみるか。
ここにいる人たちに通じるようにー。
『こんにちは』
「ひぃ!!」
え、嘘?通じた?
村長が僕の念じた言葉と共に飛び上がる。
アスレイナとキャスヴァニアにも聞こえたみたいで、僕の姿をキョロキョロと探している。
うっそ。一般人にも僕の声聞こえるんだ。
マジで?
「な、何者の声じゃ!?今の声は!」
『ど、どうも。魔王アギラディオス・グランハイドです』
村長は命がけと言わんばかりに椅子の後ろに隠れてしまった。
ごめんね、クジラさんの無茶ぶりで話すことになっちゃって。
『すいません、怖がらせる気はなかったんです。この人が話せっていうから』
「話せとは言ってないっす。話してみます?って確認しただけで」
「アギラが勝手に話し始めたよな」
クジラさんとクレイが徒党を組んで僕のせいにしてくる。
やめてよ。僕が悪いみたいじゃん。やめてよ。
「魔王?これ魔王の声!?」
「まおう?悪い人じゃないの?」
キャスヴァニアとアスレイナは不思議そうにクレイのことを見つめている。
『はいどうも魔王です。悪い人です。でも反省しています』
「ふーん、じゃあ嫌い。良い人になってね」
お喋り開始数秒後、僕は少女に嫌われました。
僕って外界と会話できたんだ。もっと早くに知りたかった。
あ、でも話す相手そんなにいないな。ケインもつい昨日会話対象になったし。
「ま、待ってくれ。本当に魔王なのか?こ、こんなにも穏やかに喋る声が」
『うん。魔王だよ。一応ね』
村長は警戒しながら自分の椅子に戻ってくる。
そして信じられないような目でクレイを、僕を見つめてくる。
「お主が真に魔王ならば、何故、今頃自らの罪を悔いる?何か下心はないのか。わしらを陥れる気は?」
そんなことを聞かれてもね。
僕は正直に答えるしかないよね。
『封印された直後に前世の記憶が戻っちゃったんだ。なんでかはわからないけれど、今世のやってきたこともやろうとしていた気持ちも全部覚えている。でも、今は前世の性格が濃いからか全部後悔している。僕にできることから少しずつ世界中のみんなにお詫びしていくつもりだよ』
村長は怯えながら僕の言葉を聞き届けた。
村長の震えは収まることが無い。
「そうか。信じがたいが、信じるしかないのだろう。だが、わしはお主が恐ろしい。お主と、魔王と話しているという事実だけでとても恐ろしいのじゃ。許してほしい」
村長は深々と頭を下げる。
クレイはやるせない表情で村長を見ている。
僕を認めてもらえなくてつらいんだ。
『大丈夫ですよ、村長。僕は気にしていません』
「村長は前にアギラと話していますよ」
おいごら。そこのいきなり暴露親子の子の方。
クジラさんが吹き出している。
村長が小さな悲鳴と共に顔を真っ青にしている。
「まだ危険だったキャスヴァニアを捕まえたのは気絶した俺の代わりに入れ替わったアギラだ。キャスヴァニアを捕まえて、村長に報告して、アスレイナを治療した。それは全部アギラがやった」
「なん、と?!」
「そうなの?」
村長とアスレイナは驚いてクレイを見る。
うーん、まあ話しておこうか。
『うん。キャスヴァニアと戦って、その日寝るまでの間はずっと僕だった。だから治癒魔法が使えたのはクレイじゃなくて僕だったから。昨日手伝えなかった理由はそこだよ』
村長は魂が抜けたような顔で茫然とする。
一方、キャスヴァニアは納得した表情でパンを齧っている。
クレイと僕が入れ替わった瞬間を見ていたからね。っていうかそれ最後のパンだよ。どんだけ食べたの。
アスレイナは席を立つとクレイの傍に近寄ってきた。
「クレイがやっつけたんじゃなかったの?」
「……ごめん。俺はキャスヴァニアに殺されかけただけだ。アギラの力で怪我は治してもらったけど、アギラが居なかったら今頃死んでた」
アスレイナは口を尖らせて難しそうな顔をした。
「なのにキャスヴァニアを恨まなかったの?」
クレイは少し考えてから自分の考えを口に出す。
「意識を失う手前で、この人はどうしてこうなったんだろう、救えないのかとは考えたけど、恨む気は起きなかったな。ただ、誰もキャスヴァニアを正せずに悪人のまま野放しになるのは嫌だったな」
クレイの難しい答えを聞いて、アスレイナは難しそうに唸る。
「変なの。でも、なんかクレイらしいね」
アスレイナはクレイの意見が聞けてすっきりしたのか自分の椅子に戻っていった。
一方で村長はようやくあの時の僕の様子を今の僕と重ねられたのか、非常に納得した態度で脱力した。
「なるほどのう……あれが魔王なら、もう怖くはないわ」
うーん、あの時の僕を思い出して恐怖しなくなる人多くない?
そんなに威厳ない?怖くない?今の僕が魔王の玉座に座ってたらなめられるかな。
なんかショック。
「じゃあ、アギラのことを許してくれるか?」
「うむぅ……」
クレイは僕を認めてもらえそうな空気に、思わず身を乗り出して村長に問いかける。
村長はぼさぼさの眉毛を眉間に寄せて、しばらくしてから声を出した。
「エミリカは、どう思うんじゃろうな。正義感が強く、魔王のことを一際強く恨んでいたエミリカは」
エミリカ、クレイの母親の名前だ。
「エミリカは魔王アギラディオスを封印するためにその身を差し出した。その魔王が今、この体たらく。エミリカは恨んでも恨みきれんのではないか」
「そーんちょ」
村長がエミリカさんの心情を考察する中、クジラさんは気配を消して村長の後ろに回り込んでいた。
村長はドキッとして跳ね上がる。もうそろそろやめてあげて。ご老体が。ご老体が。
「今は村長がどう思ってるかっす。エミリカは関係ない」
クジラさんは穏やかな、でも芯のある声で村長をいさめる。
村長は落ち着くとゆっくりと頷く。
「魔王アギラディオスよ。お主が奪ったものは非常に多い。真に自らの行いを悔い、許しを求めているのであれば、それらを行動にして皆に許しを貰うとよい。わしはそれで許そう」
村長はしっかりと自分の意見を僕にぶつけてきた。
重みのある、深い意味のある言葉だ。
僕にはやるべきことがたくさんあるんだと、しっかり再認識させてくる。
『はい、わかりました。まだまだ封印されている身ですが、やれることからコツコツと人類のお手伝いをさせていただきます』
「うむ、励むがよい」
見えてはいないだろうけれど、僕はクレイの中で深く頭を下げた。
村長は僕の思いを受け取ると大きく頷いた。
「父さん、母さんは魔王をどう思っているのかな」
僕らの様子を傍観していたクレイは、ふと心配そうな表情でクジラさんに問いかけた。
クジラさんはにっこりと笑う。
「封印が解けたらサンドバッグにするくらいには許してくれないんじゃないっすか?」
えぇ……。その笑顔フェイントは何なの……。
てっきり許してくれる流れだと思ったんだけど。いや、許さなくていいんだけど。
クレイも落ち込みきってしまった。
お母さん激おこだもんね。仕方ないね。
「まあ、今の魔王はわからないっすっけど」
だからそのフェイントのフェイントは何なの。
クレイは途端に顔色を明るくする。
「アギラ、母さんが許してくれるような魔王になろう」
『うん、言われなくても!』
僕はクレイと固い約束をする。
エミリカさんだけじゃなくて、世界中から認められるまで、僕の贖罪は終わらない。
「さてと、挨拶だけのつもりが長くなっちゃいました。そろそろ僕らは帰るっす。あ、お二人とも魔王のことは内緒で」
クジラさんは帰り支度をすると、アスレイナと村長に向かって口元に指をあててシーッという。
二人とも了承すると僕らを玄関まで見送ってくれる。
「アスレイナちゃん。また明日も頑張るから見張ってね」
「うん。明日会うまで悪さしないでね」
キャスヴァニアとアスレイナの間には奇妙な友情が育まれていた。
実質許しているようなものだけど、アスレイナ自身は気づいていないようだ。
「あ、そうっすね。アスレイナちゃんに良いものあげるっす!」
二人の様子を眺めていたクジラさんは何やら自分の荷物を漁ってアスレイナに手渡した。
小さな水晶がついた腕輪だ。水晶はとても綺麗で透き通っている。
「なにこれー!綺麗ー!」
「でしょー」
といいながらクジラさんはキャスヴァニアの腕に違う形の腕輪を付けた。
こちらは鍵付きで鍵が無いと取れない仕様になっている。何してるんだろう。
「これを覗き込むとキャスヴァニアがどこで何をしているかすぐにわかるっす。んで、もし悪さをしているってわかったらこれに魔力を込めるとキャスヴァニアが全力でびりびりするっす」
ほんとに何してるの!そんな危険な物を子供に持たせるな!!
というかなんでそんな物騒な監視器具持ち歩いているのクジラさん。そういう趣味?
アスレイナとキャスヴァニアは途端に涙目になってしまった。
「……いらない」
「まあまあ。びりびりはおまけっす。これがあればキャスヴァニアをどこでも監視できるんで、一人で行動させてても安心っす。アスレイナちゃんも、ずっと一緒にいるわけにはいかないっしょ?」
「……いる」
アスレイナは慎重に自分の手に腕輪をはめた。
キャスヴァニアはそれを見て気を引き締めた。
「それじゃあ、今度こそさようならっす。いつもはクレイの修行を見てあげているんで、用がある時は家にいるアルくんに伝えてほしいっす」
僕らは村長たちに別れを告げると外に出る。
村長は見送る姿勢だったけれど、何かに気付いてクジラさんを呼び止めた。
「カナトよ。呪いは解けたのか?」
クジラさんは少し動きを止めてから、村長ににっこりと微笑んだ。
「まだっすっけど、クレイが解いてくれるっす」
村長は深くは理解していない様子だったけれど、安心して僕らを見送った。
*
「ねえねえ魔王。やっぱり魔王って『世界を半分やろう』って言ったことある?」
『ないよ。そんな見どころのある奴がいなかった』
「ねえねえ魔王。やっぱり魔王って玉座に座るの?」
『座るよ。めっちゃ偉そうにしてた』
「ねえねえ魔王」
夕暮れになって家への帰り道、この調子でずっとキャスヴァニアが僕に質問攻めをしてくる。
僕もようやくいろんな人と喋る手段を知ったから、少し楽しい。
もっと早く知っていたら昨日のティノを操っていた相手にも挑発できたかもしれない。
出来たところでどうなったかは知らないけれど。
ところでキャスヴァニアのこの魔王に対する知識量はどこからなんだろう。
前世は六歳でRPG大好きっこだったのかな。
「魔王ってそんなにイメージあるか?俺はなかった」
クレイはキャスヴァニアの質問攻めを聞きながら純粋に質問をする。
「うん、お父さんからよく聞いたよ。お父さんはあーるてぃーえーが大好きだったから」
RTA……リアルタイムアタックか。ゲームのクリア速度を始まりから終わりまで、休憩なしに計測する競技、だっけ。マニアックだねお父さん。
クレイは理解していない表情だった。
「あー。懐かしいっすね。僕も好きだったっすよゲーム」
『え、嘘。何が好きだった?』
「RPGっすっかね。王道ファンタジーの」
「ファンタジー!俺様のお父さんも好きだった!」
『僕も好きだよ。まあゲーム全般好きなんだけどね』
なんということでしょう。ここに集まった転生者はみんなゲーム知識があるようだ。
これは語りがいがあるね。おススメし合いたいな。もうできないけれど。
いや、待てよ?作れるかな?
記憶の中のアイテムを材料を使って復元するスキルとかこの世の中にあったような。
そのスキル持ちをクジラさんが倒して、僕にスキルを共有して、僕がゲーム機とカセットとその他必須の装置を作る。
可能性はゼロじゃないな。やれそう。やるか。
下手したら「俺の考えた最強のゲーム」も簡単に作れそう。
「ゲームか。俺も遊びたいな。紙とペンが必要なんだっけ」
クレイが僕らの会話を聞いて乗ってくる。
クレイが言っているのは電源ゲームじゃなくてアナログゲームだね。
そりゃそうだ。この世界には携帯ゲーム機も無ければテレビゲームもない。
「じゃ、今夜やっちゃいましょうか。短く終わる奴知ってるっす」
「俺様もやりたい!」
『僕もやったことがないからやりたいな。あとはせっかくだからアルも入れて五人でやろうよ』
「いいな。遊びは大人数の方が楽しい」
クレイは期待に胸を膨らませて笑顔を見せる。
ずっと九年間一人ぼっちだったクレイは、いつの間にか大勢の人とのつながりができていた。
父親のクジラさん。スライムのアル。村長のフォギス。常駐兵のケイン。歳の近いアスレイナ。元盗賊のキャスヴァニア。そして、ようやくクレイに心を許し始めた村の人たち。
僕が感覚を取り戻したあの日、辛そうな表情で心を孤独に震わせていた少年は今、家族と共に笑顔で家への帰り道を歩いている。
いつか、僕はクジラさんが父親であることを打ち明けたらクレイとの交流を絶とうと思っていた。
クジラさんが告白してからタイミングを逃して、気づけばずるずるとここまでやってきてしまった。
でも。
『クレイ』
「どうした?アギラ」
『クレイは僕が居なくなったら嫌?寂しい?』
「当たり前だ。アギラはこの先何があってもずっと一緒に居てくれ」
だってさ。
コロコロと意見を変えるのは悪いことだと思う。
だけど、本人が望むならこのままで居てあげたい。
僕がクレイと話せなくなったらとても悲しくなるように、クレイも僕と話せなくなったらとても苦しいと思うから。
 




