021 ゆりかごの中で
緊急会議も終わって、僕らは自由に行動ができるようになった。
といっても、ケインたち兵士は王都への報告書をまとめて、今回殉職した兵士の報告とか不足人員分の補充要請とか、いろいろ送らなきゃいけないから兵舎に帰っていったけど。
ケインは別れ際、キャスヴァニアに手伝ってくれたお礼と、困ったら相談に乗ることを伝えて去っていった。
ケインは真面目で世話焼きだ。今回の一件で頼りになることもわかったし、これから僕らも甘えさせてもらおう。
ところでそのキャスヴァニアだけれど、会議が終わって緊張から解放されたのか今はクレイの隣でのびのびしている。
手錠と足枷はついたままだけど。
拘束具の鍵はクレイに渡され、いつでも外して良いことになっている。
もちろん、外した後にキャスヴァニアが問題を起こしたら全てクレイの責任だ。
そんな責任を問うくらいなら子供に任せるなって思うかもしれないけれど、ちゃんと理由がある。
だって、この村でA級犯罪者のキャスヴァニアを止められるのは、表向きではクレイだけだからだ。
最初にキャスヴァニアを捕らえたのはクレイということになっているからね。
強い者はそれより強い者が管理するのは明白。まあ、捕まえたのはクレイじゃなくて僕なんだけどね。
「ねー、俺様ちゃんと自己紹介してなかった。キャスヴァニア・ウルティメアドだよ」
「クレイ・ドルトムント」
「よろしく、クレイ!」
キャスヴァニアは明るい笑顔をクレイに向ける。
それにしてもなんていうか……。
『キャスヴァニアの風貌と喋り方、似合わな……』
まず通り名の通りの燃えるような赤髪。目つきは大きく鋭く下まつげが目立ち、瞳は髪と同じで赤くてとても小さい。にっこり笑う口からは八重歯が見える。顔を含めて体中いかつい古傷でびっしり。そしてその体は良い筋肉で引き締まっている。
しかも声はハスキー。六歳児の喋り方は似合わない。
あの時の乱暴な盗賊親分みたいなキャスヴァニアを返してくれ。性格はこのままで。
『アギラディオスも人の事言えないぞ』
『え、嘘』
クレイが心の中でジト目になってこちらを見ている。
そういえば魂の僕ってどんな姿をしているんだっけ。
封印されてから自分の姿をよく観察したことが無かったから観察してみる。
髪は紫色で上にツンツンに尖ってる。目はつり目で鋭いけど、瞳は真っ赤でキャスヴァニアほどじゃないけど小さい。背は高く、全身ガッツリした筋肉で固められていて、クレイ曰くゴツイ声……。
似合わなっ!僕、僕じゃなくて俺の方がいいかなぁ!?
でも、イメチェンとかちょっと照れちゃう。
正直言いなれてる魔王口調でもやるのが恥ずかしいのに、クレイのクール口調とか、カッコいい系の口調とか、自分がやる気にはなれない。
ありのままの自分になるのよ、アギラディオス。僕は僕のままでいい。
「なあ、その喋り方、変えないのか?前みたいな感じに」
でも、クレイも気になったのかキャスヴァニアに声をかける。
キャスヴァニアは少し考える。
「おう、こんな喋り方、だったよな?別に俺様はいいんだけどよぉ……なんかまだ頭ん中ぐちゃぐちゃしててよ……」
そうそう、これこれ。これだよ。
だけどキャスヴァニアは迷っている様子で喋っている。
「ぐちゃぐちゃ、っていうと?」
「うーん、昨日前世の記憶思い出したって言っただろ?その時どっちも俺様の喋り方としてしっくりきちまって、なんか混ざるんだよなぁ」
口元に手を当てて悩むキャスヴァニア。
混ざる、かー。
僕はショックでバッサリ切り替わった感じだけど、キャスヴァニアの場合は亡くなった時期が幼過ぎるのもあって自我がはっきりしないのかな?幼い口調だけど俺様って言ってたし。
でも、六歳で俺様って言ってた場合もあるのか。ませてるね。
「なんか、前世を覚えているって大変そうだな」
「そうかな。俺様は思い出して良かったと思うよ。だって悪いことを悪いって思い出せたから」
また幼い口調に戻ってキャスヴァニアは清々しそうに言った。
もっと早く思い出したかったと言いたげな、寂しそうな顔をしながら。
その気持ち、すごくわかる。
「さて、もうじき日も暮れるし帰るか」
「はーい。俺様はどこに帰ればいいのかな?」
キャスヴァニアは両手を高く上げて返事をしたものの、きょとんとした顔でクレイに問う。
そうだね。クレイが監視するということは、当然クレイの家で面倒を見ることになるよね。
『キャスヴァニアは僕らの家で面倒を見るとして、部屋分けはどうしようか』
『……俺は、父さんと、寝ようかな』
あら。あらあら。
クレイはクジラさんと部屋を共有して、元の部屋をキャスヴァニアに譲ることを照れながら提案する。
全くもー。甘えたがりな少年なんだからー。
これは思春期来た時に悶絶しちゃうね。
クジラさんに「ついこの間まで一緒に寝てたのに―」って言われてキレる奴だ。
「クレイ様、いえ、クレイくん。お待たせしました。村人たちからのお礼が長引いてしまいまして」
僕らが部屋分けを考えているとアルが戻ってきた。
片手には手籠に野菜がたくさん入っているものを抱えている。
アルも全員の村人の治療をしてくれたからね。お疲れ様。
『たくさん頂いた野菜は美味しくいただこうね』
「はい、もちろん。私は調理に詳しくないので他の方にお任せしますが」
「じゃあ俺は今日父さんとの約束があるし、ポポマサにしてやるよ」
『うえ、また薄味じゃん』
「文句言うなら食うなよ」
『無理言わないでよ。僕の味覚はクレイと共有なんだから』
帰路を歩きながら僕らは野菜の食べ方を話し合う。
キャスヴァニアは僕らの会話には入らずにこちらの様子を伺っている。
アルはついてくるキャスヴァニアを不思議そうな目で見ている。
「ところで、この方は我々の家に御用がお在りで」
「あのね、帰る場所がわからないの」
「あ、悪い。俺たちの家に泊まっていいぞ」
そういえば部屋分けを決めただけで家に泊めることを伝えてなかったね。
キャスヴァニアは行くあてを知ると両手を上げて喜ぶ。
一方でアルは、今までに見たことがないおろおろ顔を見せている。
整った顔でその顔されると面白いな。
「では、私は常にこのままでいるべきでしょうか」
「いいや、帰ったらキャスヴァニアに俺たちのことを全部話そうと思う。俺の家で暮らすなら、お互いのことは話しておくべきだ」
アルはホッと胸をなでおろした。
人の姿は落ち着かないのかな?それならずっとこのままにするのはかわいそうだね。
それと、全部ってことは僕のことも話すのかな。
僕の事だけじゃなく、キャスヴァニアが外でうっかり口を滑らせるタイプじゃないといいね。
「えへー。おうちで眠るの、久しぶりー」
キャスヴァニアはまだ見ぬ家に期待を膨らませる。
この一か月牢屋暮らしだったろうしね。
そうじゃなくても万年野宿していそうだ。僕らの家でたくさんお眠り。
そうこう話している内に家の前までやってきた。
日は沈んで辺りも暗くなっている。
キャスヴァニアは家を見て目を輝かせ、いろんな角度から眺めている。
こう見るとほんとに無邪気な子供だね。この家は賑やかになりそうだ。
僕らが家に着くのを見計らって中からクジラさんが出てくる。
気配が全くなかったクジラさんの登場に、キャスヴァニアは飛びのいてクレイの後ろに隠れた。
「おかえりっすー。おや、その方は?」
「ただいま父さん。今日はいろいろあった。コイツのことも含めてまとめて話す」
クレイはキャスヴァニアの様子を無視してクジラさんのもとへ行く。
クレイという隠れ蓑を失ったキャスヴァニアは続いてアルの後ろに隠れる。
「この人誰?いる気が全然しなかった」
キャスヴァニアは怯えながらクジラさんを指さす。
「クレイくんのお父さんですよ」
アルが代わりに紹介するとキャスヴァニアはアルの後ろから出てきてお辞儀をする。
「キャスヴァニア・ウルティメアド、です」
「あ、自己紹介はまとめておうちの中でしちゃいましょ。暗いですし、体も冷えるっす。今日は泊っていってください」
クジラさんは村であったことを知らないからか、キャスヴァニアを一晩泊めるだけの気持ちで引き入れる。
キャスヴァニアは緊張しながらみんなが家に入っていくのを確認してから後に続いた。
生活スペースにみんな集まると、クレイはキャスヴァニアとアルの分の予備の椅子を引っ張り出してきた。
「えへー。おうち広ーい」
「そうだ。村ではともかく、家でくらいは手錠を外しておかないと」
「わぁい!ありがとー!」
クレイはキャスヴァニアの手錠を持っていた鍵で外す。
キャスヴァニアは席に着くと机の上に両手を伸ばしてくつろぐ。
アルはいつも通り微笑んで座った。
「さて、じゃあ早速っすっけど、話を聞いてもいいっすか?彼女のこととか」
クジラさんは朗らかにキャスヴァニアを見ながらクレイから話を聞く姿勢を取る。
クレイは首を縦に振ると今日村であったことを全て話した。
事細かに全て。漏れることなく。
クジラさんはその全てを聞き届けると、クレイを撫でた。
「お疲れ様っす。よく頑張ったっすね。それと、大事な時に傍にいてあげられなくてごめんなさいっす」
クジラさんは辛そうな笑みを浮かべてクレイに謝罪を伝えた。
クレイは褒められたことを素直には喜べなかった。
しょうがないよ。死人がたくさん出たんだから。
「それと、キャスヴァニアちゃんっすね?はじめまして。クレイの父親のカナト・ドルトムントっす。よろしくっす。これからはここを自分の家だと思って自由にくつろいでくださいっす」
「あ、はい!よろしくおねがいします!」
クジラさんの自己紹介に礼儀正しくお辞儀をしながら挨拶をするキャスヴァニア。
キャスヴァニアは勇者のことを知らないのかな?名前を聞いても驚いていない。
まあいいか。きっと魔王を封印した勇者だって知ったら大興奮するね。
「それで、父さん。キャスヴァニアにはここに住んでもらう以上、俺たちのことは話しておくべきだと思うんだ。いいかな?」
クレイは緊張気味にクジラさんに許可をねだる。
「大丈夫っす。じゃあせっかくなんで僕から言っちゃうっすよ」
クジラさんはそう言って席を立つ。
「改めて自己紹介を。カナト・ドルトムントっす。一応魔王を倒して封印したっていう扱いになってる三十二歳っす。最近この村に帰ってきてまだ村に顔を出してないんで、僕のことは秘密にしておいてくださいっす」
クジラさんは自己紹介を終えると席に座る。
「魔王を倒した!?つまり勇者!すごーい!」
キャスヴァニアは目を輝かせてクジラさんを尊敬の眼差しで焦げそうなほど見つめる。
熱い視線だ。クジラさんは慣れているのか動じない。
もっと照れたりしようよ。
続いてアルが席を立つ。
「では私も。我が神から頂いた名はアルステム。表向きではアルステム・フルバックと名乗らせていただいており、魔法使いをしていることになっております。ですが、私には人前では言えない秘密があります。キャスヴァニア様、心の準備をしてくださいませ」
キャスヴァニアに事前準備を促すとアルは変化を解くまでにしばらく時間を設けた。
そうだよ。人が驚くような秘密を暴露するときには、これくらい心の準備の時間が必要なんだよ。
クレイと特にクジラさんは見習ってほしい。
そして、キャスヴァニアが身を引き締めて覚悟をしたのを確認するとアルは変化を解く。
ぐにょぐにょと変形しながらいつもの白くてまあるいぷよぷよに戻った。
「これが私の本当の姿です」
「かわいー!スライムだ!」
キャスヴァニアは変化の解けたアルを見るなり、持ち上げてきゃっきゃとはしゃぎ始めた。
こうなるとは思っていなかったみたいで、アルの方がびっくりしている。
「お待ちください。お待ちください。私はスライムです。恐ろしくないのですか」
「怖くないよ!ひゃー、ひんやりしててきもちいい!かわいー!」
アルを抱きかかえるとすっかり気に入ったようで、そのまま座ってご満悦の表情になったキャスヴァニア。
アルは困惑している。
「人間に姿を晒して喜ばれるというのは不思議な気分です。ですが、悪い気はしないので好きなだけ愛でてください。ですが、村では私の正体は秘密です。どうか口に出さぬようお願いします」
「はーい!」
キャスヴァニアが了承の意を元気に口にすると、アルはいつも通り幸せいっぱいの心模様に戻った。
最後にクレイが席を立つ。
「クレイ・ドルトムント。俺には魔王が封印されている。そのこと自体は別に秘密にはしていない。だけど」
「うん、知ってる。魔王とお友達なんだよね?」
キャスヴァニアは屈託のない笑顔でクレイを見つめる。
クレイは今までにない反応を受けて、どうしたらいいかわからない顔をする。
「えっと、そうだ。アギラとは親友だ」
「ねえ、そのアギラってどんな魔王なの?やっぱり極悪人?人格破綻者?」
キャスヴァニアは純粋な疑問をクレイにぶつける。
クレイはムッとした顔でキャスヴァニアを睨む。
「アギラは悪い奴じゃない。それは昔は大勢を苦しめて、今も多くの人の心に爪痕を残している。だけど、しっかりと反省しているし、昔みたいな残酷な性格はしていない。むしろ、今は虫一匹も殺せなさそうな奴になってる」
え、クレイの中での僕の評価どうなってるの?
僕は部屋に入ってきたハエは容赦なくハエ叩きで潰すよ。
あと、嫌なことをされたら気が済むまでやり返すよ。そういう意味では結構な悪だよ。
キャスヴァニアはクレイの僕への評価を聞くとにへらと笑う。
「なんかそんな気がしたぜ。だって、お前みたいないい奴が親友だっていうんだから、お前くらいいい奴だと思ったよ」
クレイがいい奴だからその親友の僕もいい奴。
そういう評価は初めてだな。なんか、今までの許され方と違うから照れる。
特にクレイが褒められている前提だから、すごくいい気分だ。
僕を勝手に勇者扱いするどっかのおじさんと、子供扱いするどっかの兵士は見習ってほしい。
クレイも僕をノンストップで認めてもらえてなんだか嬉しそうだ。
「でも、村のみんなはアギラを怖がっている。余計な不安を与えたくないし、俺とアギラのことは秘密にしておいてほしい」
「はーい。ふふ、みんな秘密だらけだ」
キャスヴァニアはみんなの自己紹介を聞き終えるとおかしそうに笑った。
クレイはそのまま席に座る。
すると、キャスヴァニアも席を立って話し始めた。
「俺様も改めて自己紹介。キャスヴァニア・ウルティメアド、二十二歳。今まで悪いことをたくさんしてきたけれどちゃんと反省して、これから少しずつ罪を償っていくつもりです」
真面目な表情で、しっかりと自分の意志を伝えるキャスヴァニア。
僕らはみんな、ちゃんとキャスヴァニアの意志を理解した。
「それと、俺様の秘密、ってほどじゃないけれど、俺様は前世の記憶があって、昔は日本って場所に住んでたよ。名前は梶原芽衣子。メイコ・カジワラが正しいかな?六歳の時に友達が倒しちゃった本棚の下敷きになって死んじゃった」
僕とクジラさんと同郷か。
というか日本人しかこの世界に転生していないのかな?
前世の世界の人口は七十億とかいたのに、そのうちの一億人しかいない日本人が三人も一堂に会している。
もしかしたら国や信じている宗教、自分の掲げている思想とかで来世の振り分けが変わっていたりして。
もしくは僕らにそれ以外の共通点があるのか。
あるとしたらなんだろうね。今はさっぱりわからない。
クレイは地名を聞いてもしっくり来ていない。アルは知らなくても気にしてないみたいだけど。
「にほん、聞いたことがない地名だ」
「あ、僕の前世も日本出身だったっす」
だーかーらー!
クジラさんは大事なことを突然カミングアウトしないの!
聞く側に前準備をさせろって言ってんの!
転生者二人が言っちゃったら僕も言わなきゃいけない流れになるでしょ!
言わないでいて後々発覚した時に何であの時……って空気になるのが嫌なんだよ!
クレイも困惑している顔になってるし……仕方ない。
僕もカミングアウトするか。
『クレイ、落ち着いてきいてほしいんだけど、実は僕も前世があるんだ。それも同じ日本住みだった』
クレイは僕らに前世の記憶があったことを知って黙り込んでしまった。
だけど、しばらくして納得した表情で心の中の僕に視線を向けた。
『そうか。だからアギラは封印されてから記憶を思い出してこんな性格になったんだ。キャスヴァニアみたいに』
『その通りです』
クレイは難解なパズルがようやく解けたようにすっきりした心持になった。
そして、新たな謎ができたようで、複雑な表情で僕に問いかけてくる。
『なおさら魔王の時の悪事のことは気にしなくてもいいんじゃないか?ほぼ他人だろ』
『他人じゃないよ!記憶あるもん!人間どもを殺したいって願った覚えもはっきり思い出せるもん!罪を償わせろ僕に!』
玩具を取り上げられそうになった子供のように駄々をこねたら、クレイはそれ以上の追及を諦めた。
冷めた視線を感じる。
いいんだ。罪は僕の物だから。ふん。
「じゃあ、父さんはいつから前世の記憶が戻ったんだ?」
クレイは僕との会話が終わるとクジラさんに問いかける。
「いつって、そりゃ最初からっすね。赤子の頃から記憶があったんで、奇妙に思った親に捨てられたっす。まあ、奇妙に思ったのは他にも原因があると思うっすけど」
うわぁ、悲惨な人生のスタートだ。
呪い持ちの上に親に捨てられたって、どうやって育ったの。
でも、それでもいいから僕らも同じ土俵からスタートしたかった。
キャスヴァニアもきっとそう思ってる。
やってからやりたくなかったって気持ちで塗り替えられるの、最高に最悪だよ。
「そうか、父さんはずっと変わらずに父さんなんだ」
クレイは安心してクジラさんを見つめた。
そうか。記憶が戻った後と前で性格がガラリと変わるなら、それは他の人から見れば他人になったのと同じなんだ。
嫌だよね、知り合いが知り合った後に知り合う前の性格になるの。
例え前より良くなっても、複雑な心境で接することになる。
まあ、完全に嫌いだった相手が好きな性格になるのはいいかもしれないけれど。
「さて、じゃあ自己紹介もひと段落ついたっすし、今日はクレイに晩御飯を作ってもらいましょー」
クジラさんは席を立つとクレイの肩に両手を置いて、約束を果たす意思を伝える。
クレイは待っていましたと言わんばかりに席を立って、そのままクジラさんと一緒にキッチンに向かった。
やる気十分だ。その調子で調味料も十分に使ってほしい。
「なに?何作るの?」
キャスヴァニアはアルを抱いたままわくわくとした様子でキッチンを覗く。
「ここから遠く南の地域の田舎料理、ポポマサっす。野菜と肉が詰まったパンみたいな料理っす」
「野菜……俺様、野菜嫌い……」
クジラさんがふわふわとした態度で教えてくれた献立を、キャスヴァニアは苦い顔をして拒絶する。
「だったらキャスヴァニアの分は肉だけで作ろう。それでいい?」
「好き嫌いは良くないんっすっけどね。ま、それは明日から少しずつ克服してもらえばいいっすね」
クレイはクジラさんに許可を貰うと、やり方をクジラさんから教わりつつキャスヴァニアの分とそれ以外の人の分で鍋を分けて準備を始めた。
キャスヴァニアは複製魔法紙を使う所を初めて見るらしく、ずっとわくわくしている。
僕は予想通りクレイが調味料を少なく入れていて、げんなりしている。
まず、クレイとクジラさんとアルの分を作り始めるみたいだ。
「いいっすか?クレイ。魔力を込めるのは簡単っす。自分の中にある魔力をまずは探してください。自分の中に満ちているエネルギーみたいなもんっす。すぐ見つかるっす」
クジラさんの説明は曖昧に聞こえるけれど仕方ない。
普通の人が水に触れて水があるとわかるように、魔力を持っているこの世界の人は自分の魔力をすぐに理解できる。
魔力を持たない人、魔力不感症などの症状がある人は感じ取れないけれど、それはまた別の話。
クレイは目を閉じて集中すると、すぐに分かったようだ。
「うん、わかる。これが多分俺の魔力だ」
「よし。じゃあ、この複製魔法紙を広げて持って、自分の魔力源から腕を魔力の通り道として意識して、紙に向かって行くように魔力を流してみてくださいっす。余計な考えを持たず、純粋に魔力だけを流してくださいっす」
クレイは説明通りに自分の魔力を、まるで水を引くように複製魔法紙に流していく。
慎重に、少しずつ。
ゆっくりと、食材が切れていく。
「切れた……!」
「いいっすね!じゃあ、もっと魔力を込めてみましょう。具体的には今の五倍くらい。できるっすか?」
クレイはわくわくする気持ちを抑えながら魔力の量を増やす。
目の前で食材が次々と切れていき、生地が作られ、調理が進んでいく。
キャスヴァニアは楽しそうに完成を見届けている。
しばらくして、クレイ作のポポマサができた。
「父さん、できた!」
「上出来っす!やっぱりクレイは覚えが早いっすね」
クジラさんはクレイの頭を撫でて結果を評価する。
クレイは無邪気な笑顔で笑う。
ここまでの笑顔は珍しい。嬉しそうで何よりだ。
「なあなあ!俺様もやりたい!その紙で!」
キャスヴァニアは我慢できなくなったのかキッチンに入り込んでくる。
クレイとクジラさんは顔を見合わせて微笑むと、キャスヴァニアに複製魔法紙を渡す。
「なあなあ、どのくらい込めればいいの?」
「そうっすね。最初は少なすぎると感じるくらいでいいっす。魔力が多すぎるとぐちゃぐちゃになっちゃうんで」
「俺の体感だと勢いは紙の中心まで届く感じだった」
キャスヴァニアはアルを置くと、クレイと同じように用意された食材の上に複製魔法紙をかざして、魔力を込め始める。
すぐに食材は調理されていき、あっという間にキャスヴァニアの分のポポマサも完成した。
キャスヴァニアは自分の分のポポマサを手に取ると満面の笑みで見せびらかしてくる。
「できた!」
「はい、キャスヴァニアもよくできたっすね。魔力のコントロールも完璧っす」
「流石だな。俺も早くそれぐらいになりたい」
二人はキャスヴァニアの腕を褒める。
キャスヴァニアは口をぐにゃぐにゃに曲げてむずがゆそうに笑っている。
なんだか妹を褒める兄と父親みたいな風景だ。
「行儀が悪いっすっけど、せっかくなんでこの場で食べちゃいましょ」
クジラさんはそういうと自分の分のポポマサを口にする。
「うん、やっぱりクレイの味付けはいいっすね。僕の口に合うっす」
クジラさんは我が子の作った食事を嬉しそうに頬張る。
続いてクレイもポポマサを食べる。
うん、まずい。極めて薄味。
でもクレイは初めて自分の魔力で作ったポポマサに大満足のようだ。この薄味マニア共め。
アルも食べて文句は無いようだけど、前に濃い味の方がいいって言ってるのを聞いたから僕の味方だ。封印が解けたら盃を交わそうと思う。
キャスヴァニアも自分の分を食べ始めた。
さぁて、問題はここからだ。
キャスヴァニアはどっちの味方なのか。
ま、子供舌だし味が濃い方がいいよね?
子供はケチャップをドバドバかけたような体に悪い味が大好きって相場が決まっているんだ。
キャスヴァニアはよくよく味わってから飲み込むと口を尖らせてポポマサを眺める。
「不思議な味ー。おいしいけど」
おっと、これはドローか?
どうやらキャスヴァニアからしたら可もなく不可もない感じのようだね。
うーん、仲間が増えると思ったのに。
「キャスヴァニアは濃い味と薄味、どっちが好きなんだ?」
ここでクレイ選手、まさかの追撃。
前に僕と口論になったのを気にしているのか、はっきりさせたいみたいだ。
確かに僕もそうだ。クレイ派閥に負けず僕派閥の味方も増やしたい。
キャスヴァニアはうーんと唸る。
「俺様はしょっぱすぎるのも薄すぎるのも嫌いかな。あ、でもカレーが大好き!十辛の!前世でお父さんが頼んでたのを貰うのが大好きだった!」
わぁ。わぁ。わぁ。
新派閥が生まれてしまった。
キャスヴァニアは思い出を楽しそうに語るけれど、僕とクジラさんは冷や汗が止まらない。
十辛って。ここが一番のお店だよね?六歳で芽生えちゃったの?
僕はテイクアウトの三辛を食べて体調を悪化させたよ。我が家では出禁になったよ。
クレイとアルは未知の言語を聞いているような顔をしている。
知らなくていい世界だよ。そのままの君たちで居て。
特にクレイ。君が芽生えてしまったら僕が地獄を見ることになる。
『じゅっからってなんだ?アギラは知ってる?』
『体を焼き尽くすほどの猛毒だよ。前世ではその猛毒を食べられる人種が居て、皆から実力を称えられ、その人種はカラトーと名付けられたよ』
『へー。キャスヴァニアはカラトーだったんだな』
クレイが僕の前世の博識っぷりに感心する。
クジラさんが笑いをこらえてるけど、僕は間違ったことは言ってないから。
さて、新派閥が生まれてしまったけれど晩御飯も無事終わり、僕らは寝るための支度を始めた。
キャスヴァニアはアルが気に入ったようで、一緒に連れまわして遊んでいる。
アルも自分を好いて構ってくれるキャスヴァニアのことが気に入ったみたいで、多少乱暴に扱われても文句の一つもない。
むしろ嬉しそうだ。相性がいいみたいだね。
そうそう、相性がいいといえば部屋分けの話になるけれど、みんなに相談したらキャスヴァニアがいの一番に希望を出してきた。
「アルと一緒の部屋で寝る!」
ってさ。結局クレイとクジラさんは一緒には眠れないみたいだ。
クレイは残念そうにしている。また次の機会があるよ。
キャスヴァニアは僕らから使っていない寝袋を借りると、おやすみを伝えてアルと一緒に部屋に消えていった。
それで、みんなおやすみを伝えあって今は各自の部屋の中。
クレイも布団に潜って瞼を閉じて、僕と寝る前の会話をしている。
内容は前世についてのいろんなことをクレイに聞かれて僕が答える、といった感じで。
ふと、会話が途切れた。
まだ寝ていないはずなのに、クレイは黙ってしまった。
『どうしたのクレイ』
僕はクレイを心配して言葉をかける。
『今日は、いろんなことがあったな』
今日のことを思い返していたみたいだ。
ぽつり、ぽつりと、クレイは僕に後悔を語ってきた。
最初に会った人。もしもっと早くに気付いていれば助けられたのに。
村とティノのどっちを取るかの時、咄嗟に判断できなかった。
そもそも自分が村に居なければ村は襲われなかったのに。
キャスヴァニアとティノをずっと見てあげていれば、村人たちから暴力を受けなかったのではないか。
ユーリをいくら許せないからといって、あんな形で罰して良かったのか。
クレイの心は辛そうに震えていた。
責任を感じて、自分で無理やり縛り付けていた。
『それを僕に言わないでよ』
僕は冷たくクレイを引きはがした。
クレイはどうしてって顔で僕を見てきた。
裏切られたとは思っていない、何か理由があるって顔でだけど。
僕も裏切るつもりで言ったわけじゃないから別にいい。
ただ、僕よりも適任がいるって思っただけで。
『こういう時のお父さん、だよ。迷惑だと思わずに行って来よう』
『……うん』
クレイは少し迷いながら布団を出て、部屋から冷え切った廊下通ってクジラさんの部屋の前まで来た。
クレイはためらいながらもノックはせずに、ゆっくりと扉を開ける。
中ではベッドの脇に腰を掛けて、クジラさんが待っていた。
「寝れないのわかってたっすよ」
「待ってたの?」
「もちろん、父親っすし」
クジラさんは自分の隣に来るようにクレイを手招きする。
クレイはゆっくりと傍まで歩んでいき、そのまま隣に腰を掛ける。
「まさかこんな大変なことになるとは思わなかった」
クジラさんは急にいつもとは調子を変えて素の喋り方に戻る。
クレイは自分の気持ちを汲んでくれたのだと解釈して、話し始めた。
「父さんは悪くない。でも、居て欲しかったのは確かだ」
「そうだな。流石に王都から村の様子に気づくには遠すぎた。お前に任せっきりにして悪かった」
「悪くないって」
クジラさんはクレイの肩を抱きしめ、優しい声色でクレイを包む。
クレイは泣きそうな声になって今日あった出来事を振り返る。
「俺、救えなかった命がたくさんある」
「自分を責めるな。救った命も見ろ。救えなかった分はお前の力不足だったからじゃない。相手が凶悪過ぎただけだ」
「俺の判断は正しかったのかな。もしもどっちかしか救えなかったら……」
「結果を見ろ。村もティノも救った。それにアギラディオスと入れ替わるための鍵を自分で見つけ出した。今日はそれでいいんだ。お前は成長した」
「ティノを操っていた奴は俺の中のアギラの力を求めてた。俺が村にいるから村は襲われたんだ」
「それをいうならお前の中にアギラディオスを封印した俺とエミリカが悪い。もっというなら封印されるようなことをしたアギラディオスが悪い。責任を詰めていったらキリがないぞ」
クジラさんはクレイの悩みを優しい声で順々に消化していく。
段々、クレイの心の重みは取れていって、それと同時にだんだんと瞼が重くなっていく。
クジラさんの優しい声が聞こえる。
クレイは何を言っているかわからなくなっていく。
僕もなんだか意識が遠くなってきた。
優しい声が聞こえる。
優しい声が聞こえる。




